全属性の精霊に愛される元貴族令嬢の才能は、新たな人生で花開く〜精霊術が使えないと虐げられ、疫病神だと離縁されたその後のお話〜

彩賀侑季

一章 新しい人生の始まり

0 プロローグ


 エウフェミアは幸せである。


 八年前家族を事故で失い、精霊術師として能力がない無能なエウフェミアは家を追い出されてもおかしくなかった。しかし優しい伯父のおかげで生まれ育った屋敷で生活を続けることが許された。そのうえ、年頃になると伯父は嫁ぎ先を見つけてくれ、新しい居場所を与えてくれた。嫁ぎ先であるイシャーウッド伯爵邸で、エウフェミアは穏やかに暮らすことができた。


 だから、エウフェミアは幸せであった。


 たとえ、伯父一家のもとで使用人のように働かされていたとしても。夫には正式に妻として迎え入れることのできない愛人がいて、エウフェミアは別邸に押しこまれ、結婚式以来夫と顔を合わせることがなかったとしても。彼女は自身が幸福だと思っていた。そしてこれからも幸福の中で暮らしていくのだと信じていた。


 ——ただ、このときまでは。


「ええと、旦那様。なんとおっしゃいましたか?」


 目の前にいるのは一年前に婚姻した夫、マイルズだ。こうして彼と話すのはこれが二度目。久方ぶりの夫の来訪にエウフェミアは喜んだが、彼から告げられたのは予想外の通告だった。


「だから、この書面にサインをしてくれ。離婚届だ。お前はもうイシャーウッド伯爵家には置いておけない」


 机に置かれた紙はすでに夫の署名済みだ。あとはエウフェミアがサインし、教会に提出すれば離婚が成立する。しかし、エウフェミアには状況がまったく飲みこめなかった。


「申しわけありません。私にはなんでそのようなことになったのかが、まったく――」

「本当に愚鈍な女だな、貴様は!」


 マイルズは乱暴に机を叩く。突然のことにエウフェミアは完全に委縮してしまった。イラついたように夫はテーブルを指で叩く。


「そもそもお前を妻にめとったのはお前が幸運を招くとされる精霊貴族の――ネロの精霊術師の血筋だったからだ! なのに、お前を妻に迎えてからこの一年、我が家がどうなったと思っている!? 事業を起こせばことごとく失敗! 社交界の催しに出れば恥ずかしい事故に見舞われては周囲に笑われてばかり!! 愛しのマルヴィナは病に臥せるし、――先日はとうとう領地で連日の豪雨から堤防が決壊した!! 巻き込まれた田畑の作物は壊滅、本邸までも水没だ!! 今年の税収も期待できないうえに、本邸の復旧にも時間と金がかかる! いったいお前のどこが水の大精霊ネロの恩寵を受けていると言うのだ!!」


 確かにエウフェミアはネロの精霊術師の家系、ガラノス家の人間だ。この国に七つある精霊術師の家系はいずれも爵位を与えられ、精霊貴族とも呼ばれている。そして、ガラノス家は七人いる大精霊のうちの一人、水の大精霊ネロから恩寵を受けており、そのおかげで精霊の力を借り受ける精霊術が扱える。


 しかし、精霊術師の血筋が幸運を招くという話は初耳であった。また、この一年の間に夫に降りかかったさまざまな出来事についてもだ。まくしたてられた全ての内容を記憶することはできなかったが、夫の身に相当の不運が降りかかったことを断片的に理解する。


「そ、それは大変でございましたね」


 エウフェミアはなんとか慰めの言葉を口にする。


 困っている夫を妻として助けられることはないだろうか。しかし、エウフェミアにあるのは伯父一家とともに暮らしていた頃につちかった家事スキルぐらいだ。再建のための資金を稼ぐことも、代わりに復興費用を用立ててくれるような知人もいない。


 他に何かできることは――必死に頭を働かせる妻に、マイルズは低く唸るように吐き捨てた。


「すべて、貴様のせいだ」


 他人の負の感情を読み取るのが苦手なエウフェミアでも、彼が自分に激怒しているのは分かった。しかし、その理由が分からない。


「わ、わたしですか?」

「お前は幸運を運ぶ存在なんかじゃない。ただの疫病神だ。まったく、おかしいと思っていたんだ。水の大精霊ネロの恩寵を受けたガラノスの人間の髪と瞳の色は青だと言うではないか! それなのに、お前の髪と瞳を見てみろ! くすんだ灰色だ! ガラノス精霊爵が、お前を先代当主の娘だというから、その陰気な色も大目に見てやったというのに――よくもあの男もこんな不良品を高値で売りつけてきたものだ。騙しやがって! あれだけの金貨があれば屋敷の再建も容易かったというのに! いや、そもそもお前さえいなければ本邸があのような惨状になることもなかった!!」


 一方的に畳みかけられ、口をはさむ余裕もない。いくつか気になる発言もあったが、それを訊ねることもできなかった。


 吐き出してすっきりしたのか、一度マイルズは大きく深呼吸をした。そして落ち着いた口調で再度言い放った。


「これ以上、イシャーウッド家ここにいられたらどんな災難が降りかかるか分からない。さっさとこの紙にサインをして、この屋敷から出て行ってくれ」

「出て行くって――どちらへ?」

「それぐらいは自分で考えろ!!」


 結局、エウフェミアはなかば無理やり離婚届に署名をさせられ、ほとんど身一つを屋敷を追い出された。——いや、屋敷から馬車で半日かけて道のど真ん中に棄てられた。エウフェミアを降ろした馬車はあっという間に来た道を戻っていき、見渡す限り森しかない人気のない場所に取り残されてしまった。


 エウフェミアは完全に途方に暮れた。

 

「……これからどうしよう」


 これまでエウフェミアはほとんど屋敷の外に出たことがない。生まれ育った屋敷は湖に浮かぶ小島にあり、結婚する以前に湖の外に渡ったことは幼い頃にたった一度だけ。イシャーウッド伯爵に嫁いでからも、ずっと高い塀と木々に囲われた別邸で生活をしていた。外出したことは一度もない。


 いや、もし、外に出た経験があったとしても、エウフェミアは途方に暮れていただろう。両親が健在だった十歳までは貴族令嬢に相応の教育を施されていたが、地理についてはほとんど教わっていない。故郷の湖がどこにあり、イシャーウッド伯爵の別邸がどこにあるのかも、その距離がどれくらいなのかも分からないのだ。


 しばらく誰か人が通らないかと道の横に立っていたが、日が落ちかけても通る者はいない。とうとうエウフェミアはその場にしゃがみこむ。


(本当にどうしよう)


 どれほど悩んでも名案は思いつかない。どうにかこの周辺で一夜を明かす必要があるだろう。辺りはどんどん薄暗くなっていく。


 しかし、エウフェミアは困ってはいたが、同時に悲観はしていなかった。生来、彼女は物事を後ろ向きに考えるのが苦手なのだ。


(――うん。きっとどうにでもなるわ)


 エウフェミアは気持ちを切り替え、立ち上がる。笑顔を浮かべると、夜を過ごせそうな場所を探すため歩き出した。

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