呼ばれて還る


「……もう大丈夫」


 女の子の手が、私の口を解放する。

 怖くて怖くて興奮した獣のように鼻息が荒かったから、気持ち悪かっただろうに。女の子は特になにも言わず、山の上を見上げている。


「あの……いまのは……?」

「山姫」

「山姫?」


 間抜けにも鸚鵡返しで訪ねた私に、女の子はこくんと頷いて見せた。


「山で死んだ女の人が変異する怪異。山に入り込んだ人に取り憑いて殺すの」

「殺……っ」


 じゃあ、あの三人は。

 言葉にならない疑問を映した私の視線に気付いた女の子は、また一つ頷いた。


「警告を無視して縄張りに入り込んだんだろうね。もう助からないよ」

「そんな……」


 突然幼馴染の死を告げられて愕然とする私を余所に、女の子はスッと立ち上がって山道のほうへと歩き出した。


「ちょ、ちょっと……そっちは山だよ?」

「うん。私の家、向こうだから」

「そんなわけ……」


 ないじゃない。

 そう続くはずだった私の言葉は、夜闇が飲み込んだかのように消えてしまった。

 さっきまで目の前にいたはずの、不思議な女の子と一緒に。


「……か……帰らなきゃ……」


 なにが何だかわからない。

 本当にあの三人が死んだのかも、何処に行ったのかも、私にはなにも。

 ただ、いつまでもこんなところでひとりぼうっとしているわけにも行かないから、私は運転してきた車に乗り込んで帰路についた。行きは四人乗っていた車は、いまは私一人で凄く静かだ。

 涙が滲みそうになるのを堪えて家まで走らせると、一つ息を吐いた。


「もしかしたら、勝手に帰っちゃっただけかもだし……」


 希望的観測に過ぎないことを呟きつつ、マンションのエントランスを潜る。小さな郵便受けには水道代の請求案内とダイレクトメールが一緒くたに詰まっているだけ。それらを手に部屋へ入ると、当たり前だけど誰もいなくて。


「…………っふ、うぅ…………」


 なにもかもが嘘みたいで、それなのに見知った自室の現実味が却ってさっきまでの出来事を色濃く浮かび上がらせてくる。もう彼らはいないのだと思う一方で、四人で肝試しに行ったところから夢だったのではとも思う。

 ひどい扱いを受けてきたし、最近はずっとつらいことのほうが多かった。けれど、いつかはっていう希望がまだ少し残っていたから、簡単に「嫌な奴らがいなくなって清々した」とは思えなくて、涙が止まらない。

 ローテーブルの傍に置いてある座椅子に腰を下ろすと、開いたままだったバッグのポケットからスマホが滑り出てきた。

 ごとりと重たい音を立てて床に落ち、その音と感触で一瞬我に返る。


「連絡、来てないよね……」


 メッセージツールを見ても、あれから何の変化もない。

 あのとき見損ねた動画のリンクもそのままだ。


「…………え、そのまま……?」


 なにも変わってないと思ったけれど、違う。

 あのとき私は、女の子に言われて動画を消したはず。なのに、ある。消されたからもう一度送られてきたとかじゃなく、あのリンクが何事もない顔で其処にある。


「どういうこと……? あの子はスパムって言ってたけど……」


 URLはどう見ても動画サイトのものだ。それを似せて作った偽物のサイトとか、そういうこともないみたい。何ならメッセージ画面で再生出来るみたいだし。

 戸惑っていると、追加でメッセージが来た。

 通知音にビクッと肩が跳ね、表示された内容に目を瞠る。


『面白い画が撮れたから、お前も見ろよ』

『勝手に帰っちゃったお詫びってことで! 許してくれるよね? 友達だもんね』


 幼馴染二人からのメッセージだ。文面もいつもの彼らとなにも変わらない。調子のいいことを言って、自分のしたことをなかったことにしようとするときの、いつもの二人だ。昨日まではこう言われるたび頭にきていたけれど、いまはホッとする。

 やっぱり私を置いて帰っただけで、なにもなかったんだ。あれは暗がりだったからなにか見間違えただけだったんだ。きっとそう。

 動画リンクをタップしようとして、不意に手が止まった。


 ――――本当に、そう思うの?


 頭の片隅で、冷静な私が囁いた。

 現実逃避をして、そう思いたいだけじゃないか、と。

 指先が震えている。あと数センチの距離が遠い。きっとこれを見てしまったら見る前には戻れない。色んな意味で。そんな予感がする。

 でも、やっぱり私は、彼らがあのときなにを見たのか知りたい。

 友人として、幼馴染として、ちゃんと知らなきゃいけない気がする。


 指先が、動画リンクに触れた。そのとき、だった。


『ぎゃははははっはははははあはははははは!!』


 狂ったような笑い声が、室内に響いた。

 画面は真っ暗で、なにも映っていない。

 固まったまま暫く見ていたら、“暗い画面”の正体がわかった。


「ヒッ……!」


 カメラが引いて、暗闇の正体が映る。

 それは、大きく開かれた女の口だった。カメラは口の中を映していたのだ。それを映しているカメラの持ち主もげらげらと大声で笑い続けていて。だというのに、全く手ブレがない。

 弓なりに歪んだ暗い目。まるで木の虚みたいに暗い穴だけで出来た目が、こちらをじっと見つめている。


「は……ぁは、あははははははは!!」


 気付いたら私は、涙を流して笑い続けていた。

 哀しくもおかしくもないのに、涙と笑いが止まらない。

 理解してしまった。彼らがなにを見たのか。どうなったのか。何処にいるのか。

 私もいまから其処に行く。


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