第8話

 家の軒先には人が数人集まってきていた。近所に住む人達だ。

 その中心で、男はうつぶせに倒れていた。

 

「ふたりとも大丈夫?」

「無事でよかったねえ」


 主婦らしき中年女性とおばあちゃんは倒れた男ではなく俺とユキヒを心配してきた。口ぶりからするに、この男が暴れたのは一度や二度ではないようだ。

 

 遠くからサイレンの音が近づいてくる。

 誰かが警察やら救急車やらを呼んだらしい。

  

 俺は光魔法セイクリッドソードで男を刺し貫いたが、体に外傷はない。

 この剣は本来、魔物や悪魔を攻撃するためのものだ。人間を物理的に傷つけることはできないが、汚染された精神にダメージを与えることはできる。


 人に乗り移った悪魔だけを殺す、などという芸当も可能だ。

 別名浄化の剣とも呼ばれる。最高レベルの光魔法だ。


 タンクトップの男は気を失っているようだった。

 呼吸はしているようだが、不規則に息が荒くなっていく。


 受けた精神ダメージのショックで持病でも誘発したか。このまま放置したら死ぬかもしれない。

 

 それならそれで構わなかったが、のちのち面倒なことになりそうな予感がした。

 俺は男のかたわらに立つと、背中に手を触れた。びくんと体が大きく跳ねる。

 ライトニングハンドを強出力で当てた。電気ショックの要領だ。


「が、ガハッ!! ……アッ!?」

「次は殺す。二度とユキヒに近づくな」


 大きく息を吐き出した男は、焦点の合わない目で俺を見た。俺はその顔面を踏みつけた。


 その後すぐに救急車とパトカーがやってきた。

 男は担架で救急車に乗せられると、そのまま運ばれていった。


 

 ふたりの警官が野次馬の解散をうながした。場は急に静かになった。


「ちょっとキミ、いいかい?」


 一人がペンを片手に根掘り葉掘り俺に質問をはじめた。

 けれど俺に答えられることは少ない。さっきの男が誰なのかすらよくわかっていないのだ。


 それよりもずっと怯えたままのユキヒが心配だ。てっとりばやく済ませるため、アル中野郎が発作を起こして倒れた、という筋でいくことにした。


「ふむ……突然わめきながら倒れたと。ところでキミ、学生なんじゃないの? 今日学校は?」

「やーちょっと、転生したばっかでよくわかんないんですよね」

「何を言ってるんだ? とりあえず学生証を見せなさい」


 思ったとおり面倒なことになった。

 あまり気は進まないが、ここは精神操作系の闇魔法を使うしかないか。異世界のようにうまくいく保証はないが。


 そのときボロい軽自動車が家の前の道路にすべりこんできた。

 ドアが開いて、細身で長身の男が姿を現した。


 白髪交じりの髪に、あごひげをたくわえている。見た感じ年は6~70代といったところか。

 作務衣のようなものを身に着けていて、一人だけ時代錯誤な格好をしていた。


「彼の養父の九塚兼吉(くのづかかねよし)だ。私が代わりに話そう」


 とつぜん出てきて偉そうな顔をしている。

 妙な威圧感があったが、服はあちこちほつれていてみすぼらしい。


「立ち話もなんだし、この家で話すのも……。いちど道場のほうにおいでくださいますかな」


 そして勝手に話をすすめている。

 カネヨシと名乗ったジジイは、俺とユキヒにボロい車に乗るよう指示してきた。俺はユキヒに耳打ちする。

 

「誰?」

「おじいちゃん……」


 通りすがりの仙人風コスプレジジイというわけではないようだ。さきほど養父と言っていたが、こいつがナギサの親に当たるのか。


 俺とユキヒが後部座席に乗り込むと車は発進した。うしろからパトカーもついてきている。車が信号で一度停まると、運転席のカネヨシが重々しく口を開いた。


「いったい何事か? ナギサよ」

「べつに。変なやつが暴れたから俺が止めに入っただけだ」

「……なに? お前がシノザキを?」


 シノザキ、というのはあの男の名前らしい。

 カネヨシは俺を振り向くと、眉をひそめて睨みつけてきた。

 おかしなジジイと思っていたが、異様なまでに鋭い眼光だ。やはり威圧感がある。


「それは……本当か?」

「嘘ついてどうすんの」

 

 負けじと睨み返す。

 カネヨシはじっと俺の目を見つめていたが、やがて満足そうに口元を緩めた。

 

「ふっ……なかなかいい面構えになったではないか」


 なんだこいつ。なんで上からなんだかわからん。

  

  


 しばらく走ったあと、車は塀に囲まれた敷地の中に入った。

 門構えには木目の看板が立てかけてあった。勢いある筆記で『九塚流道場』とある。


 舗装された砂利道の上で車が止まる。

 あたりはちょっとした庭園になっていた。手入れをされた植物が生い茂っている。岩石に囲まれた小さな池もあった。 


 脇には道場らしき建物が立っていた。瓦屋根の年季の入った外観をしている。

 さらに奥には母屋であろう大きな平屋が見えた。古風な家だ。それっぽい雰囲気がある。


 そこまではよかったのだが、門のそばに景観をぶち壊すキラキラした看板が目に入った。


『ただいま門下生募集中です! 週一回からのウルトラライトコースも始めました! 運動不足の女性にもおすすめ! 詳細はWEBでもご覧いただけます』


 などという文言が連ねてある。必死さがにじみ出ていた。

 名前と見た目からするに、あのジジイが道場主なのだろうか。


 少しして門の前にパトカーが止まった。警官が降りてくる。


「話をしてくるから、お前たちは待っていろ」


 カネヨシはそう言い残すと、俺とユキヒを置いて奥にある母屋に向かった。

 残された俺たちは、少しだけ庭を歩いた。敷地は広かったが閑散としている。俺達以外に人影はなかった。


 池のそばにある小さいベンチに座った。立ちつくすユキヒを手招きして、隣に座らせる。彼女はすっかり言葉が少なくなっていた。 


「大丈夫?」

 

 ユキヒはうつむいたまま、目を合わせようとしなかった。

 けれど怖い目にあった直後だ。もしかすると、俺だっていつ豹変するかわからない。そんなふうに思っているのかもしれない。

  

「大丈夫だよ、俺はユキヒの味方だから」


 ナギサとユキヒの細かい関係値までは、俺にはわからない。

 仲が良かったのか、悪かったのか。そのどちらでもないのか。


 ナギサはユキヒのことを、どう思っていたのだろう。ナギサになりきるなら、俺はどう振る舞うのが正解なのだろう。

 答えはわからなかった。かりにナギサの日記を隅々まで読んだとしても、わからないことかもしれない。

 だから俺は、今の俺が素直に、正直に思ったことを言った。

 

「だから、ユキヒのことは俺が……」


 そこまで言いかけたとき、どくん、と心臓が跳ねた気がした。

 急に胸が締め付けられるように苦しくなる。吐き出しかけた言葉は、いちど喉元で詰まった。


 もしかするとそれは、九塚ナギサが口にしたかった言葉。口にしたくても、できない言葉だったのかもしれない。

 俺はそれを飲み込むことはせず、その先を口にした。 


「守るよ」


 ユキヒはゆっくりと顔を上げた。俺を見つめる瞳は涙でうるんでいた。


「うっ、うぇえっ……」


 泣き顔を隠すように、俺の胸元に頭を埋めた。彼女の漏らした嗚咽が、体に響いて伝わってくる。

 俺はユキヒが泣き止むまで、頭を優しく撫でてやった。

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