第26話 宴の始まり 4
(だめ! 誰か助けて、誰か先輩を殺させないで、お願い!)
心の中で叫んだのと、カールが剣を振り下ろすのは同時だった。
目をとじることもできなかったリドリーの目の前で、空気が光を放って爆発し、ケネスの身体を風圧で吹き飛ばす。
「しぐ……」
白い大きな猫がケネスを守るように立ちはだかっていた。そして隙を与えないよう、次々とその身体から細く白い稲妻が放たれる。
稲妻は立っていた人間に無差別に襲い掛かった。
けれどカールとレンテ以外にも魔法使いがいたようだ。
大きな傷を負わなかった兵士が、次々と分身を呼び出す。
そのうち一人がリドリーのそばに駆け寄り、とらえようとしてくる。そして角を振り上げる牡鹿の分身が現われて、白猫の稲妻をはじいた。
さらに攻撃態勢をとろうとする気配に、リドリーは無事な右手で兵士の足を掴んで引っ張る。
不意打ちに驚いた兵士は、まだ若い顔に苛立ちを浮かべてリドリーを蹴った。
とっさに背を向けたリドリーは、背中に硬い靴先が当たる衝撃に、肺の中の息を吐き出す。
だれかが絶叫した。
痛みと苦しさに泣きながら振り仰げば、黒猫が兵士の首筋を爪で引き裂いていた。牡鹿の分身は姿を消し、そこを狙った雷が兵士の身体を貫き通す。衣服が燃え上がり、兵士が倒れる。
「シグリ!」
黒猫はリドリーを守るようにカールを前に立ちはだかった。特に怪我もない様子に安堵したものの、あのときよりも状況は悪い。
「シグリ逃げて!」
シグリが殺される。リドリーは必死に叫ぶが、シグリは振り返りもしない。
リドリーの腕の中にも閉じ込めてしまえるほどの小さな身体なのに、女王のように堂々とカールを見上げている。
「リドリー、君のお友達かい?」
手を伸ばそうとしたカールだったが、足元にはじけた小さな稲妻に足を止める。
「おっと、危ない猫だな。でも、今は邪魔をしないでもらおうかな。君の相手は後でしてあげるよ」
カールの前に現われる、炎が狼の姿を形作ったかのような分身。
リドリーは先刻シグリを襲った炎を思い出す。きっとあれもカールの分身の攻撃だったのだ。
必死に傷の無い右腕で起き上がり、シグリを止めようとした。
その時、あちこちで呻く声と同時に甲高い破砕音が耳に届く。油汗のにじむ痛みの中、周囲をも回す。広間を囲むように配置していた香炉が砕け散っていた。
さらに空気が動く。
リドリーの髪が舞い上がり、元の位置に収まるときには、麻薬の香りは広場から一掃されていた。
清々しい空気を吸い込み、リドリーは少しだけ肩の力を抜く。
カールはこの異変に、周囲を見回して戸惑っている。
しかし香炉の破壊音に気づいて広場に新たな兵士が数人駆け込んできた。しかも魔法使いだ。白い馬を連れている。
こんなに敵が増えたら……。
焦るリドリーの目の前で、魔法使いが飛び込んできた人物に剣で心臓を貫かれた。
自分まで痛くなりそうで、思わずリドリーは目を閉じた。
その髪を勢いよくたなびかせる風が吹きつける。次いでその風がやわらいだかと思うと、誰かに抱き締められた。
その人の匂いに、リドリーは目を開く。
「ハルディス!」
さっきまで倒れたまま動かなかった彼が、力強くうなずいてみせてくれる。
「立てるか?」
うなずいたリドリーは痙攣する足を叱咤して、ハルディスに右腕だけでしがみつきながら立ち上がる。
その足下にシグリが駆け寄った。
ハルディスは視線を前に向けている。
そこにはハルディスの分身から身を遠ざけて位置を変えたカールと、ぼんやりと焦点の合わない目を地面へ向けたままのレンテ。そして二人の兵士がカールの前にいる。
カールはハルディスを憎々しげに睨み付けると、低く呟く。
「小癪な……」
今度はカールも躊躇はしなかった。
分身が身を震わせると、赤い炎が床に零れ落ちるように広がる。敵側の魔法使い達が分身を消すのを見てハルディスが叫んだ。
「分身のリンクを切れ!」
深紅の絨毯のように炎が広がる寸前、白猫の姿が掻き消えた。
逆にハルディスは分身を呼び出した。
喉の奥で呻く声が聞こえる。リドリーを抱えている腕に、さらに力がこもった。リドリーはただ怯えて、ハルディスにしがみついたまま身を縮めることしかできない。
ぬるま湯のように足元を浸した炎は、すぐに視界全てを赤く染め上げる。
炎が消えた瞬間、ハルディスの背後にいた鳥が動いた。
炎の残滓を振り払うように翼を広げ、横に一閃する。
羽先から生まれた風の刃がカール達に襲い掛かる。カールは分身によってそれを防いだが、兵士達は腕や足を切り裂かれてうずくまる。
その隙に再び剣を持つ人物が飛び込んできた。
「うりゃああっ!」
分身の背後から素早く飛び出したユハが、兵士に肉薄した。
その手に持った短剣を一閃して走り抜けた後、兵士は首から血しぶきを上げながら倒れた。
鮮やかな連携に、リドリーは目を見張る。
ユハはそのままカールに迫ろうとしたが、横から突き出された剣をよけ、すぐさまそこから飛び退いた。
緑の妖炎をまとう剣を持つ、レンテだ。
彼女は筋肉の弛緩した表情のまま、ユハが背後にかばったハルディスとリドリーを見つめてくる。
「ハルディス・イングヴァールか」
ハルディスは慎重に、彼女に答えた。
「そうだ」
(ハル坊ちゃんっ)
こそこそとユハが小声で注意を促してきた。
(こいつはフィンツァー将軍の娘です。ほら、脱出の時に世話になった)
それだけでハルディスは理解したようだ。目を見開いてレンテを見つめ返す。
「フィンツァー将軍?」
リドリーの問いには、ユハが答えてくれる。
「結社を脱走した後、うちの坊ちゃんを匿ってくれた恩人なんだ。坊ちゃんの母親と親しくてね。でも、屋敷の火事で二年前に亡くなって……」
火事の日、ハルディスは結社の手を逃れるため遠方にいた。
そのため将軍の死亡を知ったのはかなり後だった。恐らくは結社が彼を邪魔と判断して、暴挙に出たのだろうと、ユハは推測を述べた。
「結社じゃないわ」
ユハの声は完全にレンテに聞こえていたようだ。
「わが父バネル・フィンツァーは、お前の裏切りで他国の刺客に命を断たれたのよ」
堂々と言い放ったレンテは、ハルディスに剣先を向ける。
「ちがう!」
ユハのきっぱりした反論に、レンテの眉がつり上がる。
「証拠もないくせに! お前を庇ったせいで、お前が引きこんだ刺客に殺されたのだ!」
レンテはハルディスに攻撃を仕掛ける。
振り下ろされた剣を、ハルディスは自分も分身を剣に纏いつかせて受け止める。その合間にリドリーは、ユハによって彼らから引き離された。
「お前のせいで、お前のせいでぇぇっ!」
力強い打ち込みを受け、止めながらも、ハルディスは無表情のままだった。
レンテが結社の活動に身を投じるきっかけになった父親の死。それをレンテは頑なにハルディスのせいだと信じている。
だけどそれは「服従の毒」のせいだ。
リドリーにはすぐにわかる事なのに、暗示の影響下にあるレンテには理解できないのだ。その薬が効果を失うまで。ずっと。
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