第9話

「ま、まんぼ!? すまねぇが、俺には皆目見当が付かねぇ……。シグルはどうだ?」

「……無念ではあるが、拙者にも、でござる」


 シグルはロンボルグとマールに目配せするが、二人も無言で首を振るのみだ。


「ふっふーん! 聞いたらきっと驚くよ! 一発逆転のアイデアなんだから!」

「そいつぁ何とも頼もしい」

「ねえ、ジャン? ホウリック領の……ネール村周辺の地図はある?」

「もちろん準備してあるぜ。地図は会議の必需品だからな。昔から受け継がれているもので、正確とは言い難いんだが……」


 ジャンは鞄の中から古びた羊皮紙の巻物を取り出して広げ、その四隅に薪棚から取った薪を置いて固定。

 それは、旧い絵地図に類似したものだった。山や川、集落や道などの大体の位置関係は分かるが、縮尺も大雑把で等高線もなく、距離や方位、地形を正確に把握することは不可能だ。


(予想はしていたけど……。これじゃあ地図から水系を把握するのは無理、か)


 思わずアイラは首をかしげた。


「どうした? アイラ?」

「う、ううん! 何でもないよ。それじゃあ、地図を見ながらマンボについて説明するね」

「待ってましたでござるよ! その不可思議な響き、答えを知らずして床に就こうものなら、謎の生物『まんぼ』にうなされることは必定でござる故!」

「生き物じゃないよ……? 私も名前の由来は知らないの。マンボっていうのはね、私の国で昔に作られた灌漑……用水設備の一種なんだ」

「用水、だと? そんなの俺達は昔から使ってるぞ? ノル川の上流から長い用水路が掘ってあって、村の水田に水を行き渡らせていたんだぜ。ご先祖様が数十年かけてこつこつ作った、ネール村の誇りだ」

「私の故郷でもそうだった。用水のおかげで安定して稲作が出来るようになったって、おじいちゃんに聞いたよ! ……だけど、今は肝心のノル川が涸れてしまってる」

「……残念だがその通りだ。田に引く水がなければ、稲は育たない。前にアイラにもらった陸稲の種籾も、小麦だって試してはいるが……。今年も雪は全くだ。秋まきの小麦だって、全滅だろうぜ」


 ジャンは、小さく肩をすくめた。


「川は涸れてる。だけど、井戸は生きてる。不思議だと思わない?」

「当たり前だと思っていたが、考えてみれば確かにそうか……」

「ネール村がある平野ってね、ネル川が山から運んできた砂とか小石で出来ているんだよ。地下には、山から伏流水や地下水が潤沢に流れてるんだ」 

「伏流水のことなら親父に聞いたことがあるぜ。そいつが井戸の水源ってことか」

「そ。目には見えないけど、ネル山の地下にも、ホウリック平野の下にも水が流れ続けてるの。ゆっくり、ゆっくりね」

「……なるほど! ネル山の地下に潜む水を取り出すという考えでござるな! さすでござるよ、アイラ閣下」

「わかってくれるの!? さっすがシグル!! とっても凄いよねでもでも私が考えたわけじゃないのマンボって世界ではカナートっていわれてる横井戸式灌漑システムの一種なんだけどねそれは何千年も前から乾燥地で利用されていて今でも沢山の人達の命を――……」


 まさに水を得た魚だ。ギラつくアイラの瞳は、真夏の太陽のよう。

 アイラの暴走に不慣れなジャンとロンボルク、マールは呆気にとられて口をあんぐりと開けている。


「あ、アイラ閣下! お話は拙者、冬にいくらでも付き合うでござるよ! されど、今はその時ではございませぬ!」


 慌ててシグルが、アイラの肩を掴んで少し強めに前後に揺らす。アイラははっと我に返り、その瞳は落ち着きの色を取り戻した。


「ご、ごめん。私ったらこんな時に……。止めてくれてありがと、シグル」

「お役に立てたこと、従者冥利に尽きるでござるよ」

「――……ちょ、待て待て! つまりは大量の井戸を掘るってことか? オレ達だって、農業に井戸水を使おうと考えたことはあるんだ。だが、どうやって水を引き上げる? 常時魔法を使える者なんて、この村には一人もいやしないぞ。それほどの魔法使いを雇うなら、水を買ってきた方がまだ安上がりだ」

「魔法がなくても大丈夫」

「そいつぁ……?」

「井戸を掘るのは、山の中なんだよ!」


 アイラは地図上のノル山地を指さしながら、得意げな笑みを浮かべた。


「ば、馬鹿なッ! 山に井戸を掘るだとぉ!?」

「うん!」

「……本気なんだな、アイラ?」

「もちろんだよ、ジャン。マンボってね、横井戸とも言うんだ。私の故郷が酷い干ばつになった時、山に竪穴と横穴を掘って水を取り出したって聞いたの。こんな風に作っていくんだけど――」


 アイラは懐紙を取り出して開き、羽ペンにインクをつけて走らせた。

 村の南に広がるノル山の中腹に「母井戸」という深い竪穴を掘り、地下の水脈に接続。さらに、「息抜き」と呼ばれる竪穴を村に向かう線上に数個掘る。最後にそれらを横穴で繋ぎ、既存の用水路へ地下水を引き込むというわけだ。


「……なぁるほど。山の地中に流れている伏流水や地下水を集める竪穴。水を運ぶトンネル。縦と横、二種類の穴を繋げて村の用水路に水を持ってくるって寸法だな」

「さすが……でござる。確かにこの方法であれば、恒久的に取水は可能でござろう」

「確かにすげぇアイディアだ。……だがよ、アイラ。致命的な問題があるぜ?」

「問題?」

「そりゃあ人足さ。悔しいが、今のネールでこれだけの事を為すには、人手が足りねぇ」

「……拙者も、ジャン殿と同意見でござる。さすがに人足となれば、秘密裏に都合するのは難しいでござるよ、アイラ閣下」

「もちろん私も力を貸すよ。クッキーの支援魔法があれば、かなり効率があがると思う」

「ほっほう! クッキー殿の支援があれば、百人力でござるな!」

「待て待て。単純な労働力だけの話じゃあ――」

「山に竪穴を掘るのも、横穴を掘るのも特殊な技術が必要。だよね、ジャン?」


 食い気味に、言葉を被せるアイラ。


「ああ。生き埋めになっちまうのは勘弁だ。それに、暗くて狭い場所での労働ってのは、誰にでも出来る事じゃねぇ」

「ダンジョンとかは私も嫌い。……そこで、シグルの出番なんだよ!」


 アイラがシグルの腕を掴み、それを高く掲げた。


「拙者の出番、でございますか? 閣下のためであれば、我が身などいくらでも砕く所存。しかし閣下、拙者には、ダンジョン探索の心得はあっても、隧道掘りの覚えはありませぬ!」

「知ってるよー。土とか泥とか嫌いだもんね、シグルって」


 目を伏せ、ため息を吐くアイラ。


「だから僕は、それを乗り越えたくて……――」


 シグルは、アイラの耳にさえ聞こえないほどの小さな声で呟いた。


「何か言った、シグル?」

「独り言でござるよ。……したらば、閣下のお言葉の真意はいかに?」

「シグルには人脈があるでしょ? ……ドワーフ王との強力な繋がりが」

「なるほど! ドワーフの助力があれば、まっこと心強いでござるな!」

「そ。洞窟の中で暮らすドワーフ族は穴掘りが得意だし、水脈を見つける技も持ってる」

「……して、対価はいかに? ドワーフは義に厚く、拙者が赴けば交渉のテーブルにはついてくれるでござろう。されど、かの一族、非常に計算高くもあります故」

「うん。ドワーフは損得に目敏いビジネスマンだもんね。もちろん、カードはあるんだ。まずは、私がこの村で作ろうとしているビールの優先取り引き権。これについては前に私がドワーフ王に喧伝しておいたから、興味は持ってもらえると思う」

「確かに彼らは酒に目がないでござるな。……されど、影も形もない酒では、彼らとの交渉材料にはいささか――」

「わかってる。それはあくまでフックだよ。……本命はこっち。シグル、これをドワーフ王に渡して」


 アイラはうなじに両手を回してペンダントを外すと、そっとシグルの掌にのせた。そのトップには、直径二センチほどの巨大なダイヤモンドがあしらわれている。

 所有するダイヤモンドの大きさが、ドワーフにとって権威と富の象徴というのは有名な話だ。手土産としてはこの上ない。


「!? 『地竜の涙』ではござらんか!? これはアイラ閣下にとって、大切な、大切な――……ッ!」


 国宝でもある『地竜の涙』は、魔王討伐の旅の途中、対四魔将の共同戦線を張った地竜の女王にアイラが託された品である。地竜の一族はその戦闘で勇者達を守り……絶滅した。


「……シグルって私の事、よく知ってるんだね? それもエルドに聞いたの?」

「そう……でござる」


 流し目を送るアイラ。シグルは唇を噛んでいた。


「地竜の女王……ラースの平和への想いは、石にこもってるんじゃないの。慈愛に満ちた彼女の意志は、私の心にちゃんと残ってる。……命より尊いものなんてない、でしょ?」

「理解は……できる。だけど――」

「一粒のお米に、今はどんな宝石よりも価値があるの! ……だからお願いだよ、シグル」


 床に手をつき、アイラは深々と頭を下げた。


「……承知したでござる。きっと、エルド殿下はこう答えるでござろうな。『高潔な精神を持つ君に、もっと素晴らしい宝石を贈るとしよう』」


 シグルは、アイラの小さな手を両手で包み込み、言葉を絞り出した。


「『楽しみにしてるよ』って、答えておいて」

「ふぅ……。さらば、殿下も黙認するしかありませぬな。密命、確かに承ったでござるよ」

「ありがと、シグル。ここにいるみんなも――」


 口止めをしようとジャン達に目配せするが、皆一様に耳を塞いでそっぽを向いている。「ありがとね、みんな」と呟き、アイラはくすりと笑った。


「それじゃあシグル。長旅で疲れてるとは思うけど、早速向かって。ドワーフの国に行くには、あのキリムト山を登らないといけない」


 大陸中部、キリムトと名付けられた三千メートル級の岩山脈。その頂付近に広がる地層に、ドワーフの一族は巨大な王国を作り上げているのだ。

 無言で力強く頷き、立ち上がるシグル。続いてアイラも立ち上がり、すぐ窓の外にあるクッキーの耳の近くで囁いた。


「聞いてたよね、クッキー? シグルの事、よろしく頼むよ」

「えー……ボクは勇者のこと、あんまり好きじゃないんだけどなぁ」

「そこを何とか! 一生のお願いだよ!」

「また出た、『一生のお願い』! お嬢、百回死んでもボクの言うことを聞き続けないといけないよ?」


 掌を合わせて掲げ、アイラは無言で頭を下げ続けている。


「仕方ないなぁ。お嬢の力になりたいっていう勇者の気持ちは分かったから……特別サービス」


 ぶつくさ言いながらも、クッキーはシグルが騎乗しやすいよう、身体を伏せていた。


「はっは。拙者、ずいぶん嫌われているのでござるな」

「人間なんてみんな嫌い。ボクはお嬢の事が好きなだけ」

「ほほう。拙者とクッキー殿は、意外と気が合うかも知れぬな。それではクッキー殿。ドワーフ王国までよろしく頼むでござるよ」

「全速でお願いだよ、クッキー! ご褒美、何がいい?」

「晴れた日に一日中ボクの側にいて。一緒にお昼寝しよう」

「それ、最高だね。願ったり叶ったりだよ!」


 晴れやかな顔で、アイラはパンと手をたたいた。


「せ、拙者もご一緒したいでござる!」

「だーめ! アイラはボクのもの」

「ぐぬぬ……。アイラ閣下、必ずやドワーフ王と話をつけ、一週、いや五日でクッキー殿の背中一杯のドワーフを連れて戻って参ります。……して、ジャン殿?」

「……ど、どうした?」

「私が不在の間、アイラ閣下の事、よろしく頼むでござるよ」

「ああ、もちろ――」


 アイラが手を伸ばし、ジャンの言葉を遮った。その口元は嫌らしくつり上がっている。


「そんなの心配ないよ! 一緒にお仕事するんだから、手を取りあって肩を抱いて、腰に手を回したりするチャンスくらい、いくらでもあるから! そうだ! 山の中の温泉にもみんなで一緒に浸かろうねー、ジャン?」

「んなっ! 温泉だって!? 僕だってそんな事、一度も――……!」


 クッキーの背中で慌てふためくシグルから、ついつい地が出てしまっている。


「分かったら早く行く!」

「み、三日だ! 三日で戻るでござるよ! いいか? もしもアイラ閣下の柔肌に触れようものなら……。覚悟するでござるよ、ジャン殿!」

「指一本触れねぇよ!!」


 頬を赤らめ、ジャンは声を荒らげた。


「茶番はもう終わった? 防護魔法忘れないでね。勇者――」


 蜘蛛のように低く身体を伏せ、力を集中させたクッキーが力強く大地を蹴った。

 月明かりを受けて闇夜に尾を引く緑の迅雷が、音を置き去りにする。強烈な衝撃波が、アイラの新居をぐらりと揺らした。

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