第2話 郵便飛行機

 *


 アルテルの飛行機は、暗い北の空に溶け込むように飛び去って行った。


 ポーラの父フェイス牧師は、その姿を見送りながら、止められなかった自分の無力さを感じていた。

 あの時もそうだった。アルテルの父アレックスが妻と子を置いて、ジュリアード海横断飛行に向かったときも止めることはできなかった。


 アルテルの父アレックスが飛行機に魅せられたのは、アルテルの面倒を牧師が見はじめたときより幼かったと記憶している。

 偶然、この村に不時着した飛行士を助け、飛行機に興味を持ち弟子入りしたのだ。

 不時着した飛行士は、後に郵便飛行機の会社社長になるクリス・タウンズだ。

 アルテルの父は、飛行士に必要なことがそろっていた。


 視力。天性の勘。

 空を読み解く力。

 自分のことを、客観的に考察する能力。


 彼は、飛行士になるべくしてなったような人物であった。

 数々の空を飛びまわり有名になり、やがて莫大な懸賞金のかかったジュリアード海横断飛行の記録に挑み、そのまま永遠に帰っては来なかった……。


 それまで、飛行機で空を自在に飛びまわる英雄だとアルテルの父をもて囃した者たちが、大金に目がくらみ命を失った愚か者だと手のひらを返し一斉に罵り始めたのだ。


 病の妻のためにどうしても金が必要で挑んだ挑戦だったというのに、本当のことなど知らない心ない者たちのせいで、まだ子供だったアルテルは大好だった父の話から遠ざかり、飛行機への憧れを封印した。

 アルテルは、飛行機とは無縁の仕事を紹介してもらい、牧童として一人でも何とかやっていける程度になっていた。


 牛の世話をしながら、父とは違う道を静かに生きて行くつもりだった。



 けれども、ここ数年でポーラの病気が重くなったことが、アルテルの気持ちを変えていった。

 治療と薬代は、牧童のわずかな給金や村の牧師には到底払える金額ではなく、ただ祈ることしかできない現実。


(ポーラのために、なんとか金を工面しなければ!)


 アルテルは、ポーラの為にお金がどうしても欲しかった。

 そんなとき、アルテルの父に飛行機を教えた男クリス・タウンズが事業を起こし、その会社の飛行士にと誘われたのだ。


 事業というのは、郵便を飛行機で運ぶというもの。

 昼夜を問わず飛行機を乗り継ぎながら郵便物を運ぶことで、列車よりも船よりも早く届ける。

 今までにない、画期的な飛行機の利用方法だ。

 けれども、飛行機には故障がつき物のこの時代に飛行士になりたいというものが集まらず、金に目がくらんで来たものは使い物にならない。

  結局、飛行機に慣れ親しんで育ったアルテルに声がかかったのだ。



 月の出ている夜ばかりではない。

 星一つない夜空でコンパスと高度計だけを頼りに、飛ぶことが郵便飛行士には求められる。


 これは冒険ではない、立派な仕事だ。


 彼は命を失う危険もあったが、それに見合っただけの金が得られるこの仕事を、ポーラの薬代のためにと選んだ。

 故障がつき物である飛行機に乗ってでさえ、父の死の原因となった嫌いな飛行機に乗ってでさえ、ポーラの治療費が稼げるならかまわなかった。



「牧師さん。タウンズさんに飛行士にならないかと誘われた。俺は、勉強して飛行士になろうと思う」


「そうですか。あなたは、飛行機の本質をよく知っています。 あなたなら、お父様のような立派な飛行士になるでしょう。 けれど、それでよいのですか? あんなに飛行機を避けていたのに」


「うまく言えないけれど、これでいいんだ」


 これでポーラを救うことができる。


 アルテルは、父と同じ道には進まないと反発していたが、いざその道を歩むことを決めると心のピースがはまったように居心地よく感じた。


 *


 彼は、前の区間を飛んだ飛行士から大事な荷を引き継ぎ飛ぶ。


 アルテルが生まれ育った村を中継地とし指定したのは、タウンズ社長だった。

 次の中継地点パレシアの街まで荷を運ぶのにここはちょうど良いらしい。


 おかげで、アルテルはポーラと離れずに済んだ。


 彼は、ドレイク山脈を越える難しい経路を任されていた。

 山越えは、卓越した操縦技術を要する。

 郵便飛行は、速さが売りだ。

 悪天候でも、飛べる人間が求められる。


 アルテルは、幼いころから飛行機に慣れ親しんだ経験があり、この土地に精通して飲み込みも早かった。

 そのため、年若いがこの難しいルートを一人で任されていた。



 初めは、金のためだけにはじめた仕事だったが、アルテルはすぐに夢中になった。

 飛行機で飛ぶということは、小さな村でのしがらみから解き放してくれる。


 村人が目にすることのない、壮大な眺望。


 黄昏時の空は、炎より赤く大地を染め上げてゆく。


 それを空から見下ろすと、パッチワークのような麦畑が美しい濃淡で描かれる。


 それがすぎると、満点の星空。


 山の稜線と星の海の境目を目指し、アルテルは飛んで行くのだ。


 自分だけの世界に浸ると心は落ち着き、自分がこだわっていたことが、いかにちっぽけか、自分という存在が大空の中でいかに無力かを思い知る。


 安堵と同時に感じる虚しさ。


 そのバランスが、空の世界では成り立つ。

 大空の中では、木の葉のような飛行機。

 しかし、その翼に自分の命だけでなく、大切な荷を、人々の大きな想いを乗せていると思うと、どんな困難にも負けてはいけない気持ちが沸くのだ。

 大空にいて荷を守れるのは自分だけ、自分しかいない。


 そうして、荷を運ぶことで己の価値を見出すようになっていた。


 誰に知られなくてもかまわない。

 人の役に立てることがうれしい。


 父の死を笑われようと、自分が飛行機乗りだと村人に疎まれようと、この世界で生きていくことを許されたように思えるのだ。


 ポーラのために始めたことだが、そのことが他の人々の助けになる。

 アルテルは、飛行機に乗れることを神に感謝した。


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