園田くん(18)

言ってしまった言葉は、もう返ってこない。

そんな事は分かり切っていても、オレは口を動かすのを止める事が出来なかった。

「きっかけは、その…一年生の時です。」

懐かしい…けれど、今でも昨日起きた事の様に思える忘れられない思い出を一つずつ語る。

「一年前…野球部の練習中に、オレ怪我したんですよ。」

小中学校と連続で野球をしていたオレは、経験者である事を鼻にかけこの学校でもそれなりの立ち位置につけるだろうと高を括り、全ての事において無知で生意気なヤツで、先生と会った時はそれが現実にならず不貞腐れていた頃だった。

「その時は平日の午後だったので、すぐに保健室まで自分で歩けるのに佐久間先生に担ぎ込まれて、そのまま押し付けられる様な形でオレは診て貰ったんです…。」

今思い出しても恥ずかしいけど、これを暴露しなければ先生は永遠に分からないだろうとオレは自白する。

「でもオレ…その時『こんなの怪我なんて言わないですよね。』って…先生に生意気な事を言いましたよね。」

怪我の状態を先生に聞かれた時、何て事の無いものだと感じていたオレは最低限の事だけ言って、さっさと練習に戻ろうとした。

だって、そうしないと…置いていかれる気がしたから。

(同じ一年生だけでも良い選手が揃っていて…オレは必死にそこに追い付こうとしていた。)

先輩達はまだ仕方ないとしても、ほぼ同じレベルであるはずの同学年には負けたくないと、仲間であるはずの相手に対して敵対心とも劣等感とも言える程の感情が一年生のオレに付き纏っていた。

体も平均より低くて体格も良い方じゃ無かったオレは、ここの野球部に入ってから部活中だけじゃなく家でもトレーニングをする様になった…けれど。

その内、体が悲鳴を上げた。

動画でアップされていたおすすめ筋トレをどれもこれもと試し、部活でもこれ以上汗が出ないと思う程体を酷使、勉強なんて今よりも手に付かなくて去年はそれで赤点を複数回取り追試を受ける羽目になる。

 

つまり、オレは自分を必要以上に追い詰め過ぎていた。

 

そんな疲れた肉体と精神を持っていたオレは、治療なんかより早く練習に帰らせて欲しいという意味で先生にあんな言葉を吐いて後悔する事になる。

「どうでもいいって思っていた怪我を思いっきり抓って『これが怪我って言わねぇで何が何とも無いだ。』って。」

違和感を起こしていた患部をこれでもかと抓り、先生はさっきみたいに怒ってくれた。

「言われた時は…痛くて悔しかったけど。」

悔しいと思うのは、本当はオレも自分が限界まで来ていたという事を分かっていたから。

真実を嫌っていう程理解させられて、反論も出来ないくらいにコテンパンにされたのを思い出して自然と笑顔になってしまう。

「でも、次々と野球選手が故障した原因を解説されて、日頃どれだけオレが間違った練習をしていたか、気付けたんです。」

少しでも他の奴等の上を行こうと、動いた分休まないといけないはずの場所である家で、オレだけがやっている素人の特訓にばかり力を入れてしまった結果、あんな怪我を負ってしまった事を、いつも気だるげに過ごす先生が、人が変わった様にあそこまで真剣にオレと向かい合ってくれた。

「オーバーワーク気味だったオレに最後『こんなに痛い思いをしてまで部活をするものでは無い。』って…怒られたなぁ。」

顔が勝手に笑顔になるけれど、オレはそれを止められない。

 

だって、今話している記憶は、どれもこれもオレの宝物だったから。

 

そんなオレに、先生は目を白黒させながら聞いてきた。

「じゃあ…男が好きって、俺に告白したのは?」

そうだよな…とオレは心の中で呟く。

でも、きちんと答えないといけない、とオレは真っ直ぐ先生を見て答える。

「―あの時話した事、全てが嘘という訳じゃありません。」

結果的には嘘を言ってしまった様に捉えられても仕方がない、けれどちゃんと伝えればと口を動かす。

「元々その傾向はあったんです…好きな人と巡り合うまでは。」

上手く言葉に出来ない、自分でも分かっているけれど伝えたかった。

オレの、好きな人に。

「どうにかして接点を持ちたくて、でも立場上何か無いと話すきっかけも無いから…この手を使ったんです。」

カウンセリングという手があると気付いたのは、冬の頃だった。

あれから特に接点も無く、ただすれ違えば挨拶をするだけの仲になってしまったけれど、オレは叱られた日から先生の事が頭から離れなくなって、思い悩む日々を過ごしていた。

始めはあの時の無礼をお詫びしたいという感情だったけれど、それが先生を遠くから見つめている内に変化しこれが恋だと自覚したのと同時に、もう先生がオレの事を忘れていたら落ち込んでしまうと傷付くのを恐れて何も出来なかった…そんな時。

「先輩、志望大学の推薦取れなくて、病んじまったって。」

三島と会話している中で、卒業する三年生を送る会の出欠を確認していると、主役であるはずの卒業生が一人不参加と連絡があった。

何でだろうと首を捻っていると、三島がオレに説明してくれる。

「何でも、あと少しで成績が良かったら推薦取れたのに、出来なかったからそれがきつかったってよ、今は保健室でカウンセリング受けてるって。」

大変だな、と思う反面気になる単語が耳に入ったのでつい聞き返してしまった。

「なぁ…カウンセリングって何?」

「あれだよ、相談って事!…のりちゃんと話す事で、心の状態を元に戻す!…みたいな事だと思う。」

三島の答えを聞き、オレの中の悪魔が囁いた。

 

それを使ったら、先生と話が出来る関係になるのでは?

 

気付いてからの行動は早かった。

早く先生とお近づきになりたくて、でも見たまま健康体であるオレが相談出来る事は何かと考えたら、同性愛者である事くらいしか思いつかなくて。

恥を忍んで三島だけ事情を話し「そういう事ならカウンセリングにかこつけて、少しずつお互いを知っていけばいいんじゃね?」と後押しを受け、自分の欲に真っ直ぐ走った結果、今に辿り着いた。

「先生の時間を頂く事になったのは、申し訳ないと思っています…でも、オレ。」

聞き苦しいかもしれない言い訳をして、それでも、あと一歩…とオレはあの言葉をもう一度口にしようとした、その瞬間。

 

ダンッ!!

 

先生がわざとらしく大きな音を出して立った。


突然の行動に虚をつかれたオレはそれまで動かしていた口を止められてしまうけれど、それでも「先生?」と呼ぶと、立ち上がってしまって良く見えなかったその顔が、ゆっくりとオレを見る。

 

「お前のそれはな…まやかしなんだよ。」

 

始めその顔を見た時、どんな感情なのか分からなかった。

けれど、この言葉で今先生がどんな思いを抱えているのかが、自分の心が悲鳴を上げる程理解出来てしまう。

これまで注がれていた気遣う様な視線は一転して、容赦が無い鋭い刃物が輝く様なそれに変わり、それを受けてオレの体はじんわりと冷や汗を流す。

「お前と似た様な理由で俺に言い寄った連中は、これまでもいた。」

「え…。」

聞き捨てならない言葉だった。

決して初めてが良いという訳じゃないけれど、オレの知らない所で先生が他のヤツに告白されていた事を考えると心臓が握り潰される様な気分になっていると、先生がオレから離れ、すぐに戻り一つの物を見せてくる。

「何だか分かるか?」

目の前に出された物は、オレの制服にも付いている馴染み深い物で、オレはすぐに答えを告げた。

「ボタン…ですか?」

「保健室はこういった物も置いてあるんだ…怪我した時に制服や体操服が破れる事もあるからな。」

そうなのか、とオレは知らなかった事に驚いていると先生から「これの出元、どこだと思う?」と問題を出され、分からないと答えると。

 

「第二ボタン、と言えば分かるか?」

 

オレの脳天に雷が打たれた様だった。

最近はそんなに聞かないけれど、それでもオレは知っている事だったので堪らずすぐに先生に聞いてしまう。

「え…先生、これだけ告白された…という事ですか?」

オレが見るだけでも数十個ある。

もしこのボタンすべての数だけ先生に告白したのだとしたら、それだけ先生が生徒の心を奪った明確な証だ。

「いや、これ全部じゃないぞ…勿体ないからボタンは全部貰ってはいるが、それでも渡された事は嘘じゃねーが。」

全部では無いと言われた事に喜べばいいのか、それでも複数人は先生に渡した生徒がいた事に嘆けばいいのか。

それでも、オレはこれだけは聞いておかないといけないと自分を奮い立たせて声を出す。

「先生はもう…お相手がいる、という事ですか?」

オレの記憶違いじゃなければ、先生は独身だと話していた様に覚えていた。

だって、聞いた瞬間心の中でガッツポーズをしたのだから、憶えていて当然ではある…けれど。

今時恋愛の形なんて様々で、結婚する事を目標にしない事実婚や、一部地域で正式に申請出来ないからと養子縁組としてくっつく決断をした同性カップルもいると聞いた事がある。

明確に断られた訳じゃ無い、けれどもし既に先生に恋人がいるのなら…と心の準備をしていると溜息を吐かれた。

「いねぇよ。」

まずその一言に安堵した、そのまま先生は話を続ける。

「そもそも…そういった事ともだいぶご無沙汰だ。」

「そう、なんですね…。」

ここでオレが考える一番ショックを受ける言葉は無くて、緊張していたオレは一気に体の力が抜けた。

「だがそれは、俺が全部断っているからだ。」

背中の汗が、つう…と流れ落ちる感覚がする。

「理由を…聞いてもいいですか?」

その顔は変わらないまま、先生は答えを出してくれた。

 

「さっきも言ったろ、お前はまじないに掛かっているだけだ。」


まじない…まじないって何だ?

考えが顔に出たのか、先生は説明してくれる。

「人間ってのは弱まっている時に優しくされると、自然とその優しくしてくれた対象に情が湧く生き物なんだよ。」

それって…とオレは考えてしまう。

オレがただ一つの出来事で恋だと錯覚してしまったみたいな…そんな事を先生は言っているのか、と。

ぐつぐつ湧いてくる黒い感情を抑え込むように両手を握る。

「俺はあくまで仕事でお前を診ただけだし、それ以上もそれ以下の感情も無い…これまでの奴等も同じだ。」

何で、何で。

あんなに穏やかな時間を過ごしたのに、あんなに心弾む時間をくれたのに。

オレの心を、こんなにも満たしてくれたのに。

 

それをくれたあんたの口から、こんなに酷い言葉を聞かなきゃいけないんだ。

 

「同じって…オレは!」

我慢出来なくなって立ち上がり反論を言おうとするけれど、それさえ先生は許してくれない。

「遮るな、まだ話は終わっていない。」

オレを厳しい視線で睨みつけ先生は言い切る。

 

「そもそも…俺は、恋愛に興味が無いんだ。」

 

全敗だった。

体も、心も冷えてゆく中で先生から放たれる言葉は、こんなに近くにいるのに、とても遠くから聞こえる。

「―俺目当てでここに来ていたというなら、今後一切ここへの立ち入りは許さん。」

一つ一つとここまで少しずつ近付いていたオレ達の仲が、壊れて離されてゆく。

「来て良いのは本当にここを必要としている奴等だけだ、それでも来るというのならクラス担任に業務妨害として言いつける。」

これは…オレがいけなかったのだろうか。

少しでも仲良くなりたくて、近付きたくて…嘘を吐いてまで卑怯な手を使ってしまったオレへの罰。

先程まであれほど言いたかった言葉達が勝手に消えてゆき、先生に対して何も出来なくなったオレは。

 

そこから逃げ出した。

 

それから憶えている事は何も無く。

ただ…顔が変形してしまうくらいに、涙が溢れた。

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