迷い猫探し(2)


 まず向かった先は、猫社の方向とは逆の、商店街の終わり付近。そこに赤堀あかほり青果店せいかてんはあった。

「大特価!」「本日の目玉商品!」「栄養満点!」といったポップが掲げられ、平日だというのに、野菜や果物を買い求めるお客さんで賑わっている。


「ほら、見てみろ。あそこにチラシが貼ってある」

「あ、ほんとだ」


 長年店を支え続け色の抜けた柱や、逆に鈍く濁ったガラスには、外から見て分かるように迷い猫のチラシが張ってあった。

 飼い主も、できうる限りの捜索を続けているのだろう。買い物終わりのお客さんも、何人か足を止めてチラシを見ていた。


「……あそこのチラシを見るのは避けたいな。おい、行くぞ」

「え? あっ、ちょっと!」


 ミケはそそくさと商店街を抜けていった。慌てて追いかける。


「ねえ、どこに向かっているのよ」

「分かんねぇの? ターゲットの家付近だ」


 なるほど。確かに、チラシを作ったのなら、一か所に貼るだけとは考えにくい。住居の近くの電柱や、近所のお店、病院などにチラシの掲載をお願いするだろう。


「チラシを見たいのなら、さっきのところで見ればよかったんじゃ?」


 一枚見つけたのなら、わざわざ他のチラシを探しに行く必要はないように思えるが……。


「……」


 ミケは一度振り返って、ものすごく嫌そうな顔をした。それにピンとくる。

 人ごみに近づきたくなかったのだろう。本当に猫っぽい。


「ははーん?」

「……なんだ」

「いえいえ、別に?」

「顔がうるさいな」

「ひどいっ!」


 ミケの猫らしいところを見てにやにやしていると、うんざりとされてしまった。その上、辛辣しんらつな言葉を掛けられる。

 顔がうるさいって、なんだ。こちとら「柴犬っぽい顔しているよね」と評判なのだぞ。といきどおるが、言葉を飲み込む。これ以上何かを言っても、返り討ちに会う気がしたのだ。


「それで、そのおうちはどこなんです?」

「そこの角を曲がれば、すぐだ」

「本当に、いろいろ知っているんですね」

「知っているのは猫社で祈られたことだけだ。齟齬そごがあったら困るから、飼い主側が作ったチラシがあるときは見に行く」


 話ながら角を曲がろうとしたとき、ミケは足を止めた。


「? どうしたんですか?」


 不思議に思って声をかけるも、微動だにしない。目つきも鋭く、なにかを警戒しているようだ。

 紡生つむきもなんとなく不安になって、角から少しだけ顔を出して、様子を伺った。


 一人の男の人が、電柱を見上げているところだった。電柱にはチラシのような紙が貼ってあるのが見て取れる。あれが探していたチラシだろう。

 どうやら、人と鉢合わせになることを警戒していたようだ。人付き合いが苦手だというのは、本当のことらしい。


「なあーんだ。一人だけじゃないですか。何だったらわたし、チラシ見てきますよ! ついでに写真も撮ってきますね」

「あ、おい!」


 ミケだけだと、あの人がいなくなるまで待つことになるだろう。こういうときこそ、紡生の出番だ。

 紡生は、意気揚々いきようようと電柱へと近寄った。


「こんにちは。なんのチラシですか?」

「えっ」


 ニコリと微笑みかけると、男の人は驚いたように振り返った。

 寝不足なのか、栄養不足なのか。青白い顔には濃いクマが刻まれているが、着ているコートには毛玉もないし、靴も磨かれて艶がある。恐らくサラリーマンなのだろう。

 お昼時なので、昼食にでた所なのかもしれない。


 チラシを見ると、やはりハチのことが書いてあった。


『迷い猫、探しています!


 名前:ハチ

 性別:メス

 年齢:2歳

 特徴:キジトラでカギしっぽです


 写真


 見つけた方はこちらまでご連絡ください。

 TEL:○○-○○○○ 飼い主:赤堀

 ささやかながら、お礼もございます』


「迷い猫ちゃんですね。見覚えがあるんですか?」


 事前情報通り、ハチはカギしっぽのキジトラ模様だった。のっている写真を見るに、赤い首輪をしているらしい。

 感心しながら話しかけると、男の人は戸惑ったように口を開いた。


「えっと、見覚えは……ないよ」

「猫、お好きなんですか?」

「え、ええ。まあ。猫は……好きですよ。飼ってはないですけどね。昼ごはんの帰りに、このチラシがあったから」

「なるほど。だから見てらしたんですね」

「……うん。心配……だね。早く見つからないかな」

「?」


 男性はチラシを見て、目を細めて、笑みを浮かべた。なんだか違和感を覚える。


(なんだろう?)


 けれどもその正体が分かる前に、奥の家からドアが開く音が聞こえ、目線を移す。


「ねえ貴方たち。その子に見覚えがあるの?」


 出てきたのは五十代くらいの女の人だった。


「あ、こんにちは。えっと見覚えはないんですけど、ちょっと気になって」

「そうなのね」


 女性は悲しげに目を伏せた。


「もしかして、赤堀さんですか? このチラシの……」

「え? ええ、そうよ。その子ね、荷物の運び入れをしていた時に、脱走しちゃったのよ。いつもは脱走防止の柵をしていたんだけど、ちょうど交換しようと、片づけていたから……」


 ちょうど交換しようと、替えの柵を買い、運び入れているときに起ってしまった事故だったという。なんともタイミングの悪い話だ。


「部屋のドアを閉めておけば、こんなことにはならなかったのに……」


 赤堀は頬に手を添え、溜息を吐いた。

 疲れもたまっているのだろう。随分とくたびれてしまっている。


「ごめんなさいね、こんな話されても、迷惑よね」

「いえ! そんなことないです。わたしも猫を飼っていたので、心配なのはわかります」

「貴方も猫飼いだったのね。だからチラシを見てくれたんだ。……そちらの、貴方は?」

「あ、えと。ボ、ボクは……。あっ、そろそろ戻らないとっ!」


 話を振られた男性は、しどろもどろになった。そして、あっという間に走り去ってしまった。


「なんだったんだい? 人の顔を見て逃げるなんて、失礼だねぇ」

「あ、あはは」

「まあいいや。ねえ貴方。もしも見かけたら、この番号にかけてくれないかい? 礼もするからさ」

「それはもちろんです! あっ、念のため写真撮っていってもいいですか?」

「もちろん! よろしく頼むよ」


 赤堀はそう言い残して家へと戻っていった。

 紡生も、ミケの元へと戻る。角を曲がると、塀に背を預けて待っていた。


「戻りましたよ。はい、写真です」

「ん。じゃあいくか」


 ミケは画面を食い入るように見ると、きびすを返した。


「今度はどこに?」

「ついてこれば分かる」


 そのまま歩き続けること数分。やがてたどり着いたのは、人通りの少ない住宅街の空き地だった。

 草が生い茂り、もう何ヶ月も人が入っていないのが分かる。


「ここは?」


 確かに猫が隠れるには良さそうな場所ではある。だが、猫の気配はしない。ただの空き地に見えるが。


「あんた、猫を探すときのコツって知ってるか?」

「え? えーっと……」


 紡生は顎に手を当てて考える。


 猫は基本的に単独行動をする生き物だ。だからこそ縄張りをつくり、安全を確保する。その範囲は一五〇メートルから五〇〇メートル程度。

 ただ、これは野良猫に限る。外の世界に慣れていない猫の場合は、もっと行動範囲は狭い。個体差はあるだろうが、家のごく近くにいることがほとんどだ。


「だからまずは家の回り半径五〇メートルくらいを集中的に探す、かな」

「正解だ。実際、それでみつかることは多い。だが今回は、家族が大声で探してしまった後だ」

「ありゃ。だとしたら、もっと離れた場所に行った可能性がありますね」


 脱走した猫は、パニックになっていることが多い。

 そんな時は例え飼い主の声であっても、いつもと違う大きな声だと警戒を増してしまうのだ。呼び寄せようとしたのに、逆に遠ざかってしまう原因になりかねない。


「そうだ。だからどっちに向かったのか。まずは目撃情報を探す」

「目撃情報? ミケさんが?」

「失礼な奴だな」


 正直意外だった。だってミケは、どう見ても人と話すのが得意ではない。一番縁遠そうな方法だと思っていたから。

 それに、見かけた人がこの辺りにいるのなら、赤堀に連絡していると思う。

 なにか特別な探し方があると思っていたから、なんだか拍子抜けだった。


 そんな気配を察したのか、ミケは鼻で笑った。そして紡生から少し距離をとり、人がいないことを確認して、喉に手を当てた。


「にゃおん」

「⁉」


 聞こえてきたのは猫の声。けれど確かにミケの口から発せられていた。鳴き真似とかいうレベルではない。本物の猫の声だった。

 そして驚くことに、ミケに呼応するかのように猫が集まり始めた。気がつけば、十数匹の猫たちが、空き地のいたるところにいるではないか。

 先ほどまで気配すらしなかったというのに、いったいどこに隠れていたのか。


「別に、目撃者が人間だけとは限らねぇ。人間よりも有力な情報を得られるのに、わざわざ人間に聞く必要はないだろ?」

「あっ!」


(そっか。猫ちゃんたちも、目撃者になるんだ!)


「すごい……! すごいよ、ミケさん! これなら人間より詳しいことが聞けるかも!」


 思わずはしゃいでミケに目線を送れば、なぜだか、なんとも言えない表情のまま固まっていた。


「え? なんです?」

「……別に」


 ミケはそのままそっぽを向き、猫たちに話かけた。


「この辺でキジトラのカギしっぽのやつ見なかったか?」

「ニャー、ニャー?」

「あ? 別に、そんなんじゃねぇ。というか、今日はやけに少ねーじゃねーか」

「ナオン。ニャア」

「ああ? ……っち。また面倒そうな……」


 ミケは何やら眉間にしわを寄せているが、紡生には何が何だか、まったく分からない。

 普通に「にゃーにゃー」としか聞こえないのだ。


 それに、ミケは人の言葉を話しているのに、猫たちには通じているようで不思議で仕方がない。

 まあ、見ている分には「猫の集会」のようで、大変ほっこりするから、良いのだが。


「なるほど。助かった」


 しばらく話すと、ミケは袖から猫缶と、小さな皿とスプーンを取り出した。

 

「えっ」

「なんだ」

「いや。ずっと持っていたの? 着物の袖に入れて?」

「情報には報酬を用意する。当たり前だろ」

「……」


 言っていることはすごく当然だ。でも、和服の袖の中に猫缶を入れて歩いていたという事実が、面白い。


「なんだよ。変な顔して」

「いえ、別に?」


 ここで笑えば、きっと置いてきぼりにされてしまうに違いない。

 紡生は何とかにやけそうになる顔を引き締めて、いたって真面目な表情を作った。


「猫って人間の言葉分かるのかな、って思っていただけです」

「あ? あー……」


 嘘ではない。というか、猫飼い的には知りたいことだった。


「まあ、全員が全員ってわけじゃねーけど、大抵のやつは理解してるぜ。しゃべれはしないけどな」

「そうなんだ……。なんか不思議ですね」

「あんたの猫も、今までの会話の内容を覚えていただろ」

「あっ!」


 ミケは口の端を上げてこちらを見る。紡生にとって恥ずかしい思い出を、むぎが暴露した時のことを言っているのだろう。

 とたんに恥ずかしくなる。


「何だったか。男にフラれて?」

「あーあーあー! 気のせい! もう忘れてっ!」

「くくく」


 顔を覆ってしゃがめば、ご飯を食べていた猫たちの視線に気がつく。恐らく、これも聞かれているのだろう。

 このままでは、恥ずかしい過去がどんどん知れ渡ってしまう。紡生は慌てて話題を反らした。


「それで、何かわかりました?」


 顔はまだ赤いだろうけれど、構っていられない。それに今は仕事中だ。遊んでいる場合ではない。


「ふっ。まあいい。そうだな、昨日見かけたって話があった。人見知りなのか、挨拶もせずに逃げていったらしい。この辺の猫のことは大抵知っているボスでも、そいつは見たことなかったらしいから、たぶんビンゴだ」


 ミケは、その猫が走り去っていったという方向へと視線を向けた。


「ここから北方向、半径200メートルくらい。身を隠しやすそうな場所がないか、探す。あんたも、手伝え」

「えっ」

「なんだ。勝手について来たくせに、まさか嫌とは言わないだろうな」


 紡生の戸惑った声に、ミケは非難めいた視線を送った。紡生は慌てて手を振る。


「ああ、いや。そうじゃなくて。猫ちゃん達に手伝ってもらうとか、神様パワーとかで迷い猫ちゃんを見つけるものだと思ってたから、ちょっと意外で」


 神の力で猫の居場所がわかったり、他の猫たちに依頼したりするとか。そういう、ちょっと特別な方法を考えていた紡生は、少しばかり面食らった。


「アホか。アメじゃあるまいし、オレにそんな芸当、できねーよ。地道に探し出して、誘導するだけだ」

「へえ」

「思った仕事じゃねーってんなら、もう帰れ。んで、もう来んな」


 ミケはどうしても、紡生を遠ざけたいようだ。けれど紡生とて、素直に聞いてやるつもりはない。

 追い払うように手を振るミケに、「そんなことしませんよー」っと舌をだした。


「でも、ちょっと安心かも」

「安心だぁ?」

「だって、もし特別な方法だったら、わたしにできることはなかったかもしれない。でも地道な作業なら、わたしにもできる。それなら、俄然やる気が出るってもんですよ!」


 紡生はぐっと力こぶを作ると、へらっと笑った。今日一番のすがすがしい笑みだった。


「そうと決まれば、早速行きましょう!」


 目標がはっきりと決まっていれば、それに向かってつき進む。それが紡生の長所だった。

 ミケの後ろにただついてきていた紡生は、今日初めて、先を走っていく。その姿を、ミケはため息混じりに眺めた。


「……元気なやつ」


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