坂田金平、悪路王から逃走するの事

金平をめがけて重い手足を引きずりながら「悪路王あくろおう」が迫る。金平はその巨人の追跡から逃れるように地面に手をついた側に直角に回り込み、巨人の進撃をやり過ごそうとする。狙い通り巨人は金平たちの横を通り過ぎて行った。


「悪路王」は、獲物を見失うと再び動きを止め、例の蛍のような光を目鼻の無い顔中に駆け巡らせる。


そして再度金平の……おそらくは金平が背負う少女の姿を見つけると、体をよじるようにして反転し、金平たちのいる方向へ向き直そうとする。巨人は間違いなく金平とこの少女をめがけて動いている。



「テメエこの野郎、ホントにこいつがお目当てだってえのか!?そのためにわざわざ海ん中から這い出てきやがったのか!?」



巨人が答えるわけでも無いのは百も承知だったが、金平はそう叫ばずにはいられなかった。背中の少女は相変わらず自分が命の危険に晒されていることにも気付かず金平の髪の毛を引っ張って遊んでいる。



(くそっ、流石さすがに走ってじゃあ振り切れねえ!!どっかで馬にでも乗らねえと……!)



金平は必死に逃げ回りながら周囲に何か逃走手段でも無いものかと視線を巡らせる。馬でも船でもいい、とにかく足の速い移動手段を手に入れられれば……!



「金ちゃん、川上へ!!とにかく川に沿って内陸へ逃げ込んで!急げーっ!!」



後ろから影道仙ほんどうせんの叫び声が聞こえる。とうとう呼び名が「金ちゃん」になってしまった。そのうちもっと略されて「金」とか呼ばれそうで金平は嫌な予感がする。我ながらこんな状況でよくもまあくだらないことを考えるものだと苦笑が浮かぶ。


彼女は「川上へ逃げろ」と言っていた。そこに何か身を守るものであるのか、あるいは「悪路王」を足止めする仕掛けでも即席に作ったのか知れないが、選択の余地がない金平は迷わず河原へ躍り出て一目散に上流に向かって走り出した。


広い河川敷に出たせいで身を隠すものはもうどこにもない。あとは金平の体力が続く限り全力で走るだけである。金平の息が切れるのが先か、「悪路王」が追跡の手を緩めるのが先か、鬼女の追手をかわしながら黄泉比良坂ヨモツヒラサカを駆け戻るイザナギノミコトのような気持ちで金平は全力で足を動かした。


運命は次の瞬間にすでに決していた。金平は河原に転がる丸石に足を取られて前のめりになってずっこけた。片方の手でを支えながら走っていた金平は受け身を取ることもできず豪快に顔を擦りむいた。普段の彼の足腰ならばこのような不覚は取るまい。しかし金平も根性で辛うじてここまで持っていたが、全速力で走り続けた体力はとっくに底を尽きていたのである。


金平を下敷きにしながらの中の少女は仰向けになって天を見上げている。その少女に向かって巨人が手を伸ばした。



「金平!!」



頼義は一か八か、大弓をつがえて「悪路王」へ狙いをつける。「八幡神はちまんしん」の加護が無い今の自分が矢を射たところでどれほどの打撃を与えられるものか知れないが、それでも構わず頼義は弦を引き絞る。



「…………!!」



頼義の必死の努力も虚しく、矢を放つ前に「悪路王」の巨大な手が金平と少女を叩き潰した。



「金平!!」



頼義が悲痛な叫び声を上げる。



「うるせえっ、まだ生きてるよビービー泣くな!!相変わらず泣き虫だなオメエは!」



巨人の手の向こうから金平の変わらぬ悪態が聞こえてくる。



「金平!!……な、泣いてなんかないもん、バカっ!!」



どう言う状況かこちら側からは見えないが、どうやら金平たちは「悪路王」の手に押しつぶされずに無事でいるようである。頼義は図らずもホッと安堵のため息を漏らす。



「くはーっ、ま、間に合ったか。どうやら『加護』はちゃんと効いていたみたいですね。いやいやいや良かった良かった。ぜえぜえ」



頼義に追いついた影道仙が彼女の隣でペタリと膝をついた。彼女なりに全力で走ってきたのであろう、息は途切れ途切れになり、額には大粒の汗が滲んでいる。


「悪路王」は動きを止めたわけではない。その身体はいまだに溶岩を噴きこぼしながら前へ進もうと力を込めて踏ん張っている。だがどうやら何かの障害物に行く手を遮られているように、いくらもがいてもそれより先に進む事も手を伸ばす事もできないようだっった。


金平は背中のを外し、中にいる少女を抱きかかえたまま這いずるように巨人の手から後ずさって行く。「悪路王」はそれでもなお懸命に手を伸ばそうとするが、その手は不可視の力場によってその動きを封じられているのか、いくら手を伸ばそうとしてもその度に赤黒い稲光が発生し、その手を押し戻そうとする。それでも構わずに力任せに押し通ろうと「悪路王」は空中の見えない壁を勢いをつけてぶち破ろうとする。だが見えない壁はビクともせずに「悪路王」を押し返し、巨人は自らの勢いで空中でベシャリと音を立ててその身体を熟した果実のように押し潰した。



「いやいやいや、どうやら鹿島神宮と香取神宮の『ご加護』は無事再建されているようで。金平、まずは安全な所まで」



金平たちの所まで走ってきた影道仙が金平の襟首を捕まえてズルズルと引きずる。



「痛て痛て痛えっつーの!!自分で歩けるわ引っ張るな!!おいどういうカラクリだよこれは!?」


「今言った通り、鹿島神宮と香取神宮の霊的守護結界が無事に発動しているという事ですよ」


「結界?」



追いついた頼義が金平を抱き起こしながら聞いた。



「そう、結界。太古の昔から仕掛けられていた、悪路王の侵入を防ぐための二つの砦が放つ霊的な壁です。二年前、貴女がその力を修復してくれたものですよ頼義どの」



陰陽師はそう言って額の汗を拭った。

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