第26話 耳より目を信じる

 信号に何度も捕まったせいで、駅に着いたのが少し遅くなってしまう。今日は元々学校に行く前に寄りたいところがあったのだ。俺は電車に乗って、ある駅に向かう。


 それは新宿駅だ。


 3月22日、俺は総理大臣を変えるための作戦を実行した日だ。その犠牲として、折り紙と刃は岩井大輔という男を選んだ。彼は死ぬべき人間ではなかったはずなのに、俺の都合で幸せを奪ってしまった。彼にも家族はいた。


 別に許してほしいわけではない。許されるなんて思ってもいない。


 けど、それでも何も言わずに終わらせてはいけないと思った。自己満足だ。


「新宿テロ未遂事件から2週間以上経過しましたが、未だに事件の手掛かりは発見されていません」


 新宿駅の改札を出ると、アナウンサーらしき人物がカメラに向かって解説していた。


 映らないように移動しながら話を盗み聞きしていると、分かることがあった。事件の証拠であるカメラ映像が全て閲覧できなくなっていること、事件現場にあったナイフから犯人のDNAが出てきたが特定が困難であること、そして元内閣総理大臣の光原の死と繋がっている可能性があること。


 シナリオは完璧であり、全て終わらせた俺たちにとってはもう過ぎたことだが、警察は未だに事件を追い続けている。元総理とその親戚が関わっているとなると、彼らの意地もあるみたいで簡単には終わらせてはくれない。


 そして、もう一つのシナリオは完璧に進み始めているということになるのだから。


 俺はある柱を探す。そこには、亡くなった岩井への献花がされているそうで、それをするのが新宿に来た目的だったのだ。ラッシュの人混みをかき分けてそこに辿り着くと、俺は花の代わりに事件当時俺が飲んでいたカフェオレをそこに置いておくことにした。


 たくさんの花や飲み物が置いてあり、多分彼のことを知らない人もこの事件で心を痛めてくれたのだろう。


 通勤時間に発生した何万人をも殺害する可能性があった爆弾の被害を全て背負った。世界中の人間はこの事実を知ることなくお前の死を悲しむ。



 ごめん岩井。お前に会いたかったけど、何を言えばいいか分からなくなりそうだよ。



 たった一人を殺めても何も思わなくなっている。自分の大切なものを守れればそれでいいと。彼は命を張ってみせたはずなのに、俺は愚かだな。この感情も嘘なのだろうか。


 ………いや違うだろ。今日はそんなことを伝えに来たのではない。


 言いたいことがあったからここにいるのだ。


 到底口に出して言えないが、俺は彼に伝わるように精一杯気持ちを込めた。



 俺のために死んでくれてありがとう。じゃあね。



 届くかどうかは分からない。そのくらいがちょうどいい。岩井に触れるのはこれで最後だ。


 やることもやったし、俺はもう学校に向かわなくてはいけなかった。次の電車を逃してしまったら確実に入学式に遅刻してしまう。なので、すぐにでもホームに行きたかった。


 彼女を見るまでは。


「………きょろきょろしてるな。何か落としたのか?」


 俺が改札を通ろうとした時に、ある一人の少女を見かける。制服を着ている高校生らしき少女は、柱付近で立ち止まって周囲を見回す。顔面蒼白になりながら何かを探しているようだ。目線は一貫して下半身より下を見ているため、小さい子を探しているのかと思ったのだが、それだったら自分から動くべきである。


 行こうとしたが、あと1分で電車が来てしまう。これに乗り遅れれば間違いなく遅刻だ。


 それは優を裏切ることになる。俺が心の奥底で望んでいたことを何年もかけて叶えてくれたはずなのに、その記念になる大切な日に遅刻してくるなんて彼女の気持ちを無下にする行為だ。


 絶対に許せない。俺が俺を嫌いになる。


 目の前の子と優、どちらが大切かなんて比べるまでもない。一目瞭然だ。今すぐ彼女を切り捨てて、優たちが居る所に向かうべきだ。それが最適解だし、俺は今折り紙ではない。ただの高校生だ。誰かを助けるためではなく、自分の人生を満喫するためにここにいる。自分の時間と優たちとの時間。それが一番だ。


 でも………それでも。


「やあどうも。何か困ってることでもあるの?」


「っ⁈」


 目の前の少女は、音もなく近づいたことにびっくりしたのか目を丸くした。それとも、髪の毛が真っ白なことに驚いたのだろうか。まあいっかと思いつつ少女に話続ける。


「さっきから見てたんだけど、何か落とし物をしたの?」


 何も言わずにコクコク頷くと、今度は目をキラキラさせながら拍手してくる。


「あ、そうなんだ。じゃあ、君が何を落としたのか当ててあげるよ」


 近くで電車が停まる感覚がした。どうやら、間に合わないみたいだ。


「人は想定外なことが起こった時は何かに縋りたくなる。それは人であったり物であったりと、色々ある」


 それにこの子……。そういうことか。


「大抵の場合はスマホなんだよ。緊急時の対応も調べることが出来るし、人も呼べる。でも君はそうしなかった。ということは、それを無くしてしまったから出来なかったことになる」


 少女は気恥ずかしそうに親指を立てた。慣れていないみたいだ。


「そっか。スマホを無くしたんだね。じゃあ来た道を戻ろうか。多分朝はみんな忙しいから落とし物にかまう余裕はないだろうし」


 そして、俺は少女が来た道を引き返してみる。この子にだけ行かせても良かったのだが、言いだしっぺの俺が最後まで責任を持たなければ可愛そうである。


 その後、携帯は無事に見つかった。ペコペコと効果音がつきそうなお辞儀だった。そして俺は遅刻確定だ。一応優には連絡を送ったが、既読無視という状態になった。これは確実に怒っているだろうなぁ。


「はぁ……これも人生。………って割り切れればいいけど、俺だけの問題じゃないんだよな」


 小さく呟くと、少女は首を傾げる。頭の上にクエスチョンマークが出てきそうだ。すると、少女はスマホで文字を打ちはじめた。そして打ち終わると、画面を見せてくる。


『落ち込んでいますけど、大丈夫ですか?』


 気を遣わせてしまったらしく、心配そうにじっと俺の瞳の中を覗いてくる。彼女は話すのが苦手なわけではない。出来ないのだ。


『ああ大丈夫だよ。気を遣わせてごめんね』


 俺も彼女が気を遣わないように得意なことで会話をすることにした。親指と人差し指を使い、眉間をつまむような仕草をした後、手を開いて指を揃え上から下に下ろして、頭を下げる。手話というものだ。


 そう。彼女は耳が聞こえづらいのだ。補聴器をしていないということは、完全に聞こえないのだろう。


 先ほどから俺の声が聞こえなくとも会話が成立していたのは、彼女は読唇が出来るからである。読唇とは相手が話す口の動きを見て何を話しているのかを理解する方法だ。


 だから俺が小さく呟いた時に上手く理解できなかったのだろう。だが、表情で俺が多少落ち込んでいたことで分かった。


 俺が手話を使えることが分かった瞬間、ぱぁっとあどけない笑顔があふれた。


『凄いです!ご家族に聾者の方がいるのですか?』


『ううん、居ないよ。でも、色んな人とお喋りがしたいから色々と言語を覚えているの』


『色んな人とお喋り………。かっこいいです‼』


『ふふっ。ありがとね』


 俺たちは手話を使って話始める。時間が無いが、目の前の子が楽しそうに話すので何も言えずに会話を続けた。


『じゃあ俺もう………』


『そうだ。何かお礼しなくてはいけませんね』


『俺忙し……』


 手話で話している途中で遮られ、手を引っ張られる。そういえば、この子も学校に行かないとまずいのではないか?だが、時間を気にしている素振りはない。


 そして着いたのは駅の中にあるコンビニだった。少女は胸に手を当てて、誇らしげに笑う。


 これは…………断れそうにないな。


 説得するよりも流れに身を任せた方がいいと思い、気になったミルクティーを手に取ると、「まかせて」と口を動かした。その子もお菓子を欲しそうにしていたが、結局そのままレジに行ってお会計をしようとした。その時だった。


 彼女はスマホでバーコードの決済画面を店員に見せようとすると、画面が切り替わり食べかけのリンゴが表示された。


「あら………電池切れちゃいましたね」


 店員が苦笑いしながらそう言うと、少女は何事もなかったかのようにスマホをしまった。彼女は口パクで、「現金で支払います」とこちらを見ながら言ったので、俺が店員にそう伝える。


 バッグを漁るのを横で見ていると、何かを思い出したかのようにかちんと動きが止まる。するとぷるぷると身体が震え始め、下まつ毛から涙が零れ落ちそうなっていた。


「やっぱり俺が払います」


 俺は近くにあったポケットサイズのキノコの形をしたチョコレート菓子を追加で買いつつ、すぐに店を後にした。東京は本当に大変だな。


『ごめんなさい。どうやらお財布を忘れてしまったみたいで』


『そういう時もあるよ』


 一度駅の外に連れ出すと、しゅんとうなだれながらも手話でお話する。表情豊かで、色んな人と会話をすることをかっこいいという素直な子だ。それに、別にご馳走してもらうほどの活躍はしていないのだが、彼女にとってはそうはいかずしっかりとお返ししてくれる。


 親の顔が見てみたいなあ。絶対良い人だろう。


『これ、良かったらどうぞ』


 購入したお菓子と飲み物を渡そうとすると、きょとんとした顔でそれを見る。目をぱちくりして今度は俺の顔を覗いてきた。


『どうしてですか?色々してもらってばかりでお礼もしっかり出来なかったのに、お菓子まで貰ってしまうなんて』


『落とし物のことは、ほとんど俺のお節介みたいなものだからさ。それに、食べたそうに見てたからさ』


『ばれていましたか⁈恥ずかしいですぅ…………』


 手で顔を隠す。この子面白いな。


『あ、そうだ。学校行かなくて良いの?』


『………忘れていました。でもこの際サボっちゃいます!モバイルバッテリー忘れてしまったので親には怒られないと思いますし』


『モバイルバッテリー?』


『はい。それにSuicaも使えなくなってしまいました。これでは帰ることもままならないですしね』


『そうなんだ』


 俺の知らないことがポンポン出てくる。モバイルバッテリーという名前は初めて聞いたし、交通系ICカードが使えなくなるという意味の分からない発言をしてきた。どうやら俺はかなり遅れているみたいだ。


 持ち運びが出来る電池がないからスマホが充電出来ないせいで、交通系ICのアプリが使えなくなってしまったと予想しておこう。


『ほら、早く食べないと俺のお腹の中に逃げちゃうよ』


『それもう食べちゃってますよね』


『実は俺もこのお菓子を食べたことがないから買ってみた。それを君とシェアするってことにするよ』


『……良いんですか?』


『ダメな理由を探す方が難しいよ』


『じゃあ、ご厚意に甘えさせていただきます』


 お菓子の袋を開けて差し出すと、その中の一つを取って食べた。


『美味しいです!』


『それは良かった』


 俺も一つ食べると、口の中にチョコの甘さがじんわりと広がってクラッカーの部分ともちょうど良くマッチしている。チョコはたまに食べるが、大抵はチョコレートケーキなので新鮮な気分だ。


『美味しいね』


『気に入ってもらえてよかったです。まあ私が払っているわけじゃないんですけど』


『まあそこはお気になさらず』


『そういえば、お名前聞いていませんでした』


『あ、確かに。よくよく考えたら忘れてたね。俺はね』


 俺の名前を指文字で一文字ずつ表現していく。すると、楽しそうだった顔が急に険しい表所に変わった。さっきの少女から考えられない思い詰めた様子だったので、それに戸惑いつつ何があったのかを聞く。


『どうかした?』


『い、いえ。聞き覚えがあったので』


『え?』


 聞き覚えがあると言われても、俺は目の前の子とはさっき会ったばかりだし、今まで見かけたことは一切ないと断言できる。俺のことを一方的に知っている人間は、基本的に裏社会で俺のうわさを聞いた人間だけだろう。


『それってどう───────』


『すいません。連絡先を交換しませんか?今日はもう帰らないといけないので』


『……分かったよ』


『あ、でもすいません。携帯が電池切れでした』


『じゃあ、俺のだけでも渡しておくよ』


 少女から紙とペンを受け取り、そこに連絡先を書いて今日は別れることにした。その間、表情がまるで死んだように変わっていなかった。体調が悪そうには見えない。


 もしかして、正体がばれている?


『今日はありがとね』


『いきなりすいません。今日の埋め合わせはまたいつか』


『楽しみにしておくよ』


 少女は深々と頭を下げて、俺に背中を見せてその場から去っていった。


 俺はのどに詰まったような違和感を無視することにした。仮に裏社会の人間だったとしても、俺は彼女のことを処分するつもりは毛頭ない。


 だがどうやら電車に乗ろうとしていたので、俺もその後ろを着いていくしかなかった。


 彼女のことを仮にでも裏社会の住人と言った俺は馬鹿だなと思いつつ時間を気にしながら次の電車を調べた。これなら、式が終わる前に到着できるな。


 彼女が携帯を改札機にかざした時だった。


 いきなり大きな音が鳴って改札の入り口が閉まる。少女はそれにびっくりして身体を仰け反らせながら倒れこむので、放っておけずに近付いた。俺に気付いた少女は、また泣きそうになっていた。


『携帯使えないのを忘れていましたぁ!』


『やっぱりな』


『これじゃあ帰れません……』


『一緒に切符買いに行こうか。俺が買うから気にしないでいいよ』


『ご、ごめんなさい』


 切符を買っている間、少女はずっとペコペコしていた。

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