第14話 九紋竜

「殺せえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 九紋竜のボスらしき人物が大声で指示を出す。扉の中は、大きな空間になっており高さは一〇メートル以上、広さはテニスコートが四面は軽く入りそうだ。


 元々四十九人いたはずの九紋竜は、十二人まで減っていた。殺された五人が葬った三十一人と鳴海が先ほど倒した三人と昨日の三人。六人によって既に三十七名も退場させらせてしまっている。


 九紋竜としても後がない。


 鳴海が扉を開けた瞬間に襲い掛かろうとした二人を持っていた拳銃で殺害する。正確に眉間を狙ったためもう立ち上がることはない。これで残り一〇人。


「抵抗するなよ。工藤はそんな愚かなことはしなかったのに。腐っている組織というのは上から下まで腐っていると思っていたが、どうやら上司の出来によるみたいだな」


「おい!テメェは時之宮だろ、あの腐りきった折り紙のガキがのこのこやってきてなんのつもりだ。お仲間はどうした?もしかして、死んじまったのか?」


 身長二メートル以上を誇る大男は、鳴海の弱みを精一杯煽る。しかし、鳴海との距離が数二十メートルあるはずなのに、その言葉とは裏腹に大男は一歩ずつ後ずさりをする。


 結局、自分ですら死ぬことが怖いのだ。勝てないと、生物の本能が語り掛けてくる。


 京都からわざわざ殺すために単身で乗り込んでくるたった一人の犯罪者。大男は、折り紙削除計画を実行する際に内閣総理大臣と刃の二つの組織から言われていたことがある。


『時之宮鳴海の相手になると勘違いしない方がいい』


 その意味が如実に分かる。では、なぜぶつけてきたのか。


「折坂たちは、自分の職務を立派にこなして殉職した。それだけのことだ」


「………強がるには早ェよ。こっちにはあと一〇人いる。テメェからはそれを超えられる度胸と覚悟が感じられねえな」


「覚悟………ね」


 その場に仁王立ちしていた鳴海は下を向く。何を思ったのか、持っていた拳銃を一瞬で分解して地面に落とす。これで、鳴海は手数の一つを失った。


 空いた右手は、スーツの内ポケットに忍び込んで鋭利な刃物を出してくる。その光景に首をかしげることしかできない。


 刃の色は紫で平にはブドウが描かれている。


「なんだァそれ、空き缶で遊びに来たのか?」


「────────快いな」


「…………は?」


 意味不明なことを言われて、歪な表情をするが鳴海はそれを見る気配はない。


「覚悟、そんな言葉に何の価値もない。俺はいつだって命懸けさ」


「……バカが。テメェら、あいつを殺せ」


「「「「「「「了解!!!!!」」」」」」」


 その指示が出た瞬間に、九人の武装をした兵士たちが大男の前に立ち鳴海に立ちはだかる。五人は接近戦に持ち込んでナイフで切りかかり、残りの四人は後ろから短機関銃で完璧に仕留める。


 さすがの鳴海でも、生き残るのは至難の業だと考えたのだろう。


「いいやり方じゃないか。だが、最初から仲間を失う前提の作戦は気に食わないけどね」


 鳴海は含んで笑う。その笑みに誰も何も言わない。


 鳴一歩二歩とまるで水面に波紋を立てないような速度で鳴海は地面を優しくつま先で蹴って敵に近づく。それによって詰められた距離はもう二メートルもない。その一瞬にして奇跡のような神業に五人は反応が遅れる。


「はぁっ⁈さっきまであんな遠くにいたのになんでこんな近くにいるんだよ‼」


「足音すらしなかったね」


 横並びの五人の兵士は怯みながらも近付いてきた鳴海の腹部や首めがけて同時にナイフを突き刺そうとする。しかし、鳴海はナイフが突き刺さるギリギリのところで一歩だけ足を後ろに引いて間合いを取る。そして、ナイフを持った腕を伸ばし切った瞬間その手首を鳴海お手製の缶のナイフで一気に切り落とす。切れ味は最悪だが鳴海の一〇年の研鑽によって、そのナイフは名刀すら霞むほどの代物になっていた。


 地面に五本の手が落ちた瞬間、みっともない声が洞窟内は埋め尽くされる。


「あと四人だな」


 五人に意識を向ける必要性を感じなくなった鳴海は、短機関銃を構える四人の前に立ちふさがる。


「あ………あぁ」


「ん?どうした、恐怖で戦う気が失せたのか。ならこっちも話が早い」


 その中の一人が声を揺らして、身体を小刻みに震わせる。構えるだけで精一杯なようだ。


 見るに堪えないその姿に呆れた鳴海はその兵士に歩いて近づく。今なら簡単に殺せるはずなのに、誰も鳴海を撃とうとする様子は見られない。


 それどころか、敵意を向けることすら止めていた。


「て、テメェら!!何やってんだ!!さっさと殺せ………」


 大男の指示は彼らの耳に届いている。だが、それ以上に────。



 鳴海の放つオーラは、生物の本能を壊していた。



 生きることを許さない、不純の無い犯罪者がそこにいた。


「ねえ、その武器。渡して貰えるかな?」


「は…………はいぃぃ!」


 両手で差し出された武器を受け取る鳴海は意外にも穏やかな表情を見せる。


 そして、じゃあなと声を掛けると躊躇いなんか一切見せずに、それを渡してきた兵士の顔に銃口を向けて引き金を引いた。


 銃声は響いてその場にいた全員の心を壊す。倒れこんだ兵士を上から眺め下ろし、そのまま周りを見ることなく雑兵の八人の頭を正確に打ち抜く。そのままばたばたと倒れていくのを音で感じて鳴海は、弾が無くなった銃を投げ捨てて九紋竜のボスと対峙する。


 その際に、缶で作ったお手製ナイフを捨てて、切断されていた手が握っていたナイフに持ち替える。


「初めまして、九紋竜の親玉、王竜ワンロン。お前のことは昔から知っているよ。俺が生まれる前に折り紙にボコボコにされてこんな場所に拠点を置いているんだよね」


「………時之宮鳴海。テメェのことは光原から聞いていた。そして、ここに来ることも予想していた」


「やっぱり。あーあ、悔しいねえ」


 鳴海の予想通り誘導されていた。どうしようもないが、相手の方が一枚上手であった。鳴海の性格、人間関係、最善手を完璧に読んでいた刃の勝ちだった。


 しかし、それで納得する鳴海ではない。


「一つだけ、聞いておくよ。お前たちは、刃に着いていけばいい未来がやってくると本気で思っていたのか?」


「折り紙が支配しているこの国じゃ、どのみち俺らにいい未来なんてあるわけねェんだよ。だが、それもここで終わりだなァ」


 煽るような声音は、鳴海への小さな抵抗。王に成すすべがない。


「ああ、そうだな。裏社会に折り紙の人間が死んだと悟られれば俺たちが守るこの国で馬鹿共が暴れそうだな。爆破予告とか、色々面倒が起こりそうだ」


 あらゆる出来事を想定して対策を考えうるが結局答えが一つにまとまってしまう。だとしたら、なぜ九紋竜は刃なんかに協力したのか。


「俺とお前の戦いだ。既に決着は着いているが、まだ抗ってみる?」


 時間を持て余すかのように、鳴海は手の中でナイフを回しその時を待った。



『────────いや、もういいだろ?早くしてくれよ』



「…………見ているならさっさと応答すればいいのに。高みの見物は面白かったかい?」


 鳴海の問いに答えたのは王ではない。遺体が話すわけがない。そして、この空間には二人しか人間がいないという鳴海の野生の勘に一切の狂いはない。


 なら、遠隔で誰かが見ているということになる。


 鳴海は天井を見上げた。そこに、一つの定点カメラ。そして、どこかに設置してあるスピーカーから男の声が聞こえる。


 誰?なんて無駄なことは聞かない。最初から分かっていた。


 刃だ。鳴海が倒すべき存在。


「そんな高いところで俺を見てないで降りて来いよ」


『残念だが、ここにはいない。だが、作戦通り来てくれてありがとう。オレとしても、本物の時之宮鳴海と話せるのは光栄だ』


「作戦ね………折り紙殺せば、俺が二人を守るため東京に向かうから九紋竜を使ってここまで連れてきたと。二人を生かしたことも、敷田の記憶を改ざんしたことも。九紋竜を利用すれば俺はこいつらを潰すしかなくなることも完全に読んでいたわけか」


 鳴海にとって刃の動きは分かっていたとしても、九紋竜は不明。だからこそ先に潰すと予想したわけだ。


「不服だな。俺はお前に出し抜かれたみたいだし、生憎俺は頭を使うことに慣れていない」


『不服か。だが、京都からはるばるやってきてくれた時之宮に顔を見せることが叶わないのは、オレとしても悪いとは思う』


「ふーん。で、どこにいるのか教えてくれんの?ここで長話は遠慮しておきたいんだけどね」


『仕方ないな。なら、端的に言おうか。時之宮鳴海、刃に入れ』


「お断りだね」


 鳴海は迷うことなく答えてカメラに嫌悪のまなざしを向ける。しかし、その答えは予想されていたようでスピーカーから、だろうなと諦めの声が聞こえてくる。


「随分と引きが早いね。懐柔させられると思ってたよ」


『お前はこの国に魂を売っている阿呆なのもこちらとしては調査済みだ。そんなことは出来ないと分かっているつもりだ」


「あれ?無理なことを可能に出来るのが真珠の子だと思ってたけど、どうやら君は出来損ないなのかな?まあ、所詮作り物の異能に頼ってるだけの異能集団なんてそんなものなのかな?」


 鳴海は煽るように目くじらを立ててペラペラと話し出す。そのまま周りを眺めて、いつでも動けるように足首にも着けていた訓練用の錘を外しておく。


『無駄話は終わりだ。断ったということはここで死ね』


「ちっ、やっぱり!最初から回収なんて銘打って、本当はここで始末するつもりだったか」


 次の瞬間、鳴海と王の頭上から爆音と大量の粉が降り注ぐ。鳴海はそれを避けて入り口に向かって全力で走り始める。


 洞窟内という空間に大量の粉。何が起こるか想像することは難しいことではない。粒子が部屋を充満する前に部屋を抜ける。恐らく仕掛けはそれだけではないのだろう。


「クソッ‼話がちげえじゃねえか!なんで俺も殺す必要があんだよ‼」


『お前たちのような出来損ないを生かす必要はない。肉壁ご苦労だった』


「王!いいから走れッ‼」


 カメラを睨みつけ、激昂する王に鳴海は走りながら声を荒げて催促する。しかし、堪忍袋の緒が切れた王にはその言葉が届いておらず、一向に逃げる気配を見せない。


 王を助けるか、見殺しにするかの選択に迫られる。だが、現在の最優先事項は自身の生存一択。しかし鳴海にとって、その選択はある種の敗北である。たとえ九紋竜であっても、この国の人間だ。その人間が、殺されるという事実は非常に不愉快だった。


 シナリオ通りの展開に鳴海はらしくもなく、イライラしてしまう。


「おいッ‼王!殺されることを容認してんじゃねぇよ!」


 思い通りにいかない。全てを助けることは出来ない状況だ。


(法の外に出た人間が、絶望でめげてんじゃねえよ……)


 扉を走り抜けて一瞬だけ下を向いた時、死んだはずの工藤と目が合った。もう意識は無い。


 鳴海は立ち止まって一瞬だけ思考が固まってしまう。横目で遺体を見てその視線を自分の手に向ける。手にはナイフがある。


(………そうだ。まだ、あの約束は時効になってない)


 鳴海は回れ右をして後ろを振り向き、粉塵粒子が大量に舞っている部屋に残る王に聞こえる声で話しかける。


 王は裏切られたことのショックでこの場所から逃げることすら諦めたようだ。向こうを見て鳴海と目を合わせることすらしない。


「王!聞こえてると思うが、お前を助けることはしない。だが、これも何かの縁だ」

 鳴海が不敵な笑みを浮かべるが誰も見ていない。ここでのことは一切記録には残らない。


 九紋竜は元から無かったことにする。だが、彼らのプライドを愚弄する行為かもしれない。


 いや、はなからそんなプライドなんて存在していなかったか。


「王。クズならクズらしく最期まで舞ってみろよ。そしたら誇りにでもなるんじゃないか?」


 持っていたナイフを投げると、くるくると回転して王の足元に刺さる。それを抜いて、自身の腹に刺せるように構えてその時を待つ。いつでも準備完了というわけだ。


『無駄なことを………いや、そういうことか』


 どこからか、さっきの声が流れてくるが鳴海は無視する。もう誰もしゃべらなくなる。カメラ越しに話す男もその空気を読むことにしたのだろう。


 三者三様の意志は言葉にしなくとも全員が理解していた。


 嵐の前の静けさを迎えた三人の物語は忽然と終わりに進み始めた。



「王。自害しろ」



「時之宮。恨むぜ」



『面白いものを見せて貰った。犯罪者ども』




「な、何の音⁈」


「……………誘われていた?」


「え…………?それってどういうことですか?」


 鳴海が入っていった洞窟の前で二人の人影があった。爆音に驚く優と冷静に分析をする皐月。彼女たちは鳴海の帰りを待っていた。


 今日は、白い子猫のビアンカを病院に連れて行きそのまま二人は、一日中車に揺られていた。だが、それにも理由があり鳴海が不在の間に他勢力が二人を襲う可能性を懸念して、皐月が優を監視しつつ尾行を警戒していたのだ。


 そして、鳴海のスマホに仕込んでいたGPSを使ってここまでやってきた。しかし、反応がここで消滅している。洞窟内では、生存が分からない。


「刃の本当の目的はなるちゃんの回収ではなく殺害。そもそも、刃があの子を回収する理由が分からない………」


「そんなっ…………なるは………絶対生きています。一緒に学校に行ってくれるって約束しましたから」


 雲行きが怪しくなるにつれて、優の表情も暗くなってくる。だが、優の鳴海を信じるその声色は何よりも強かった。


 洞窟の奥を見つめる優の顔を皐月が伺うと、頬を伝う涙が野外用ライトの光を反射して煌めく。それが少しだけ積もった雪の上に落ちていくのを見ることしか出来ない皐月は痛いほど唇を噛む。


 大丈夫と声を掛けてあげることが出来ない自分に嫌気がさす。だが、耳心地の良い言葉を簡単に掛けたくない。


「そうね。もちろん私もそう信じてる。あの子はこんなところでくたばる子じゃないもの。何度も地獄から戻ってきたんだから」


「……地獄、ですか?」


「ええ。裏社会は地獄そのもの。なるちゃんですらいつ死ぬか分からない悲境。だからこそ、死なないように折り紙で訓練を重ねてきたの」


 皐月は知っている。鳴海は死に物狂いで、幼少期を過ごしてきたのを。


 そんな彼にとって、この程度の苦しみなんて序の口だろうと皐月は考える。

「ふふふっ、噂をすれば………ね」


「ま、また大きな音が」


「離れましょう。ここは危険だし、寒いわ」


 爆発の音が近付いてくる。岩が崩れて入り口が塞がれるかもしれないし、夜の雪山は受験生の優が長時間居ていい場所ではない。既に一時間もの間、外で立ちっぱなしであったため優を車内に促す。風邪でも引いたら鳴海に合わせる顔がない。


「た、確かに寒いですね。なるのことを待っていたら、すっかり忘れていました」


「無茶はダメよ?優ちゃんの健康が一番大事なんだから」


「………分かりました」


 そう言って車に戻ろうとするが、少し納得がいかないのか、しょぼんとした優の表情が面白おかしくて皐月はくすくす笑う。顔をしかめる優は、なんですか~と不満を露わにする。


「何でもないわ。ただ、鼻を赤くしてまで健気になるちゃんの帰りを待ってる優ちゃんが可愛くって」


「もう、からかわないでください。でも、彼のために尽くしたいのは本当です。でも、役に立てるかどうかは分かんないですけど……」


「なら、本人に聞いてみたらどう?」


「え?」


「え、なんの話?もしかして、男子禁制だったかい?」


「……………な、なる?」


 優が後ろを振り向くと、純白の髪の毛が特徴的な犯罪者が立っていた。時之宮鳴海だ。足音や呼吸の音は一切せずに近付いていたのは、鳴海の性なのだ。前髪がぴょんとはねており着ているスーツは砂埃が大量に付着していて、それを気にした鳴海は脱いで肩にかける。


 粉塵爆発が起こった瞬間から鳴海は全力で洞窟内を駆け抜けた。歩きなら二時間かかる道のりをおよそ三十分程度で走って見せた。途中で爆発に遭って大量の落石が発生し、砂埃が舞った中を走り続けたため服が汚れているが、それを気にする余裕は意外と無かったようだ。


 生きているだけで奇跡と言えるだろう。例外を除いては。


「いやぁ、結構あぶな────────っえ?」


 鳴海は後悔をした。鳴海にとって朝飯前のことであっても優にとってそうとは限らない。


 いつも通りの調子のよいノリで場を和まそうとする鳴海に、優は飛びついて全体重を預ける。いきなりのことに驚くが、しっかりと捕まえて態勢を保つ。


「おっと、どうした…………優?」


「……………もうやめてよ、命を危険にさらさ………ないでよ」


「………悪いな。短期間で終わらせたかったんだ」


 鳴海の言うことが正しいと優も頭では分かっている。だが、それは成功している間の話。失敗すれば、全てが水の泡になって終わる。学校へ一緒に行くという計画も無くなる。


 そして、一番大切な人の命も終わる。


「ねえなる…………わたしと、学校に………行ってくれるんだよね?やだよ、わたしっ。ずっと楽しみにしていたのっ、あの日から、ずっと、ずっと……」


「………ごめんね」


「分かっているけど、大変だし、わたしたちのためにどんな逆境にも、走ってくれるのは嬉しい。けど…………けど」


「けど?」


「────────けど、その命はもう、あなただけのものじゃない」


「……………あぁ。そうなっちまったな。どうやら、俺の代わりはいないみたいだ」


 優の背中に手を回し、さすりながらその言葉を噛み締める。鳴海にとって、何よりも嬉しい言葉だった。


「だから、約束して。今日から、今から………命だけは大事にして。もう、なるだけの命にはしない。高校生の時間を、真っすぐ生きて。あなたのことを理解するから。わたしの全部を知ってほしい」


 耳元で鼻をずずっとすする音が聞こえるだけで表情が見えない。鳴海を抱きしめる力が強くなっていき、自分の影響力の大きさを知る。


 そして優は自分の欲望をぶつける。今まで届かなかったのに、今なら手を伸ばせる。そして掴んできつく抱きしめて離さない。


 彼女は想像する。未来に見えるはずの日常を。


 何も特別なものはいらない。ただ、授業中にちらっと横を見たときにその横顔が見ることが出来ればいい。それくらいしか思いつかないのはただ、生きていることが幸せだから。


 それを早く知れたのは、永遠の経験を積んだかのような早とちり。


「…………わかった。なら、約束をする」


「……約束?」


「ああ、俺が憐帝高校の制服に袖を通している間は命を懸けない。それだけは絶対に約束を守るよ」


「……永遠に着させるから」


「なかなか凄いこと言ってくるな。それともう一つ。敷田以外からの依頼は一切受け付けないことにする。皐月、手配しておいてくれ」


「任せてちょうだい」


「ありがとう。悪いな優、一応折り紙としてこの国を守る使命がある。どうしてもそれだけは許してくれないかな?」


「……分かった」


 そっぽ向いた可愛らしい声で承諾をもらう。


 さすがに現官房長官の名前を出されると優も何も言えなくなる。


「さて、そろそろ離れて貰えないかな?俺に可愛らしいお顔を見せておくれ」


「やだ、見ないで」


「くら…………」


 身体が離されると同時に、鳴海の視界は真っ黒になる。誰かさんが手で押さえているようだ。視界が明るくなると優は背中を向けていて、鳴海は少し残念そうにしながら安堵のため息をつく。


 一仕事終えて、張り詰めていた空気がようやく緩和される。


「ふぅ。入り口周辺には爆弾が設置してなくて良かったな。というか、二人ともこんな寒い所で待ってたのか?車の中に居ればよかったのに。なんか、悪いね」


「今から乗ろうとしていたのよ。けど、そっちも凄いことになっているわよ。髪も服も汚れてるじゃない。帰りは走りで帰ってもらおうかしら」


「体力的には全然余裕だから別に良いけど、靴だけランニングシューズにしてくれない?急いで京都から来たから間違えちゃったんだけど、この靴は訓練の時に履く錘入りのやつだから結構大変なんだよ。普段使いは良いけど走ったらヤバいな」


「ならヒールにする?確か私のがあったはず」


「嫌だよ、皐月ってピンヒールしか履かないじゃん。どうやって走るんだよ」


「……じゃあ、わたしの靴を貸してもいいよ?」


「お、それは…………いや、風邪ひかれても困るから裸足で良いよ」


 優の提案を鳴海は飲もうとするが、皐月が目配せする。同じ轍を踏ませないつもりだ。


 鳴海は屈むと、靴の上から足を揉み始める。ため息をつくほど厄介な物だが、優は興味津々の様子で靴に顔を近づける。


「へえ、わたしも使ってみようかな。最近、ダイッ……運動出来ていないから、それ履くだけでちょっとは補えるかな」


「へえ、まあ受験生だしそういうものなのか。なら持ってみるか?危ないから気をつけろよ」


 片方の靴を脱ぐと鳴海はスーツを裏にして靴に覆わせて優にゆっくりと渡し、ちゃんと抱えたのを確認すると、靴の下を軽く支えながら補助の役割に徹する。


「んっ………ちょっと重いかも。これは何キロなの?」


「片方5キロ」


「………ちょっとっていうか、なるって意外とおバカ?」


「おいおい、男っていうのは生まれてから死ぬまでバカなんだよ。不平等の俺が言ってるんだからこれは間違いない」


「けど、これはさすがに重すぎるんじゃ………」


「優ちゃん、残念だけどなるちゃんや裏社会に頭を犯された人はみんなネジが飛んでるの。因みに折り紙にも例外は無いわよ」


「自覚あったんですね…………」


「………なるちゃん、私なんかディスられてるわ」


「諦めたほうがいい皐月。俺たちは、残念ながら手遅れと断言されているんだ!」


「っ⁈」


 鳴海と皐月は膝から崩れ落ちて四つん這い姿で落ち込む。そのいつもの光景に優からは飽きられるどころか、嬉しそうにバカみたいと呟かれて笑われる始末。けど、おどけた二人にとってその反応はとても喜ばしいもので、優の笑顔になるのならば好き好んで道化になる。そういう馬鹿たちだ。


「さて、ここから離れよう。俺たちにはやることが沢山ある。ここで止まっていられない」


「帰りましょ、まだまだ仕事が溜まっていて嫌だわぁ」


「わたしも勉強頑張らないと」


 鳴海が立ち上がって言うと皐月と優も決意を新たにする。


 皐月に関しては愚痴だが、鳴海はその大変さを理解しているため何も言わない。それに、皐月のことを何よりも信用しているし、いつも必要以上の活躍をしている皐月にはあの折坂でも頭が上がらない。


 三人は車に乗り込む。鳴海は後部座席に座り仮眠を取ろうと目を閉じる。鳴海にとって二日寝ないというのはザラにある。一秒でも睡眠を取れる時は意地でも寝るが、今回はそういかない状況だった。


「にゃあ~」


「ビ、ビアンカ⁈ビアンカの声がする‼」


「当たり前よ、元々はビアンカちゃんを病院に連れて行くのが目的だったんだから」


「なるほど、俺はついでか」


 皐月に悲しい現実を突きつけられた鳴海の膝の上にビアンカを乗せられる。背中を撫でると何とも可愛らしい声で鳴く。それは癒しが欲しい鳴海にとって救済のようなものだった。


 そしてそれを羨ましそうに、じーっと見ている優。三角関係が出来上がっていた。


「………優も後ろに座るのか」


「ええ、そうよ」


「………早く出発してくれ」


 車が走り出すや否や、優は鳴海にもたれ掛かる。その重さは心地よい。


「眠たいなら寝てもいいよ」


「でも………」


「どこにも行かないから」


「うん」


 するとすぐにくうくうと可愛い寝息が聞こえてくるので、助手席に置いてあったブランケットを掛ける。皐月はBGM代わりのラジオを消してドリンクホルダーにあったブラックコーヒーをぐっと一気に飲んだ。


 既に午前3時。優にとって長くて危険な一日をしっかり乗り越える事が出来て、緊張感から一気に解放されて疲れが襲ってきたのだろう。


「優に迷惑をかけちまった。受験生にストレスを与えてしまったのは、折り紙の人間としての責任が少し甘かったか」


 手厳しい自身への評価は、独りではないことを再認識させる。


「みゃ?」


「しーっ、お前もおやすみ」


 自分の口元に人差し指を当てる。ビアンカは何も言わず、膝の上で身体を丸めて夢の中に行ってしまった。ここまで来たら鳴海としても是非寝たいが、まだ眠れない。

 皐月が起きているため、独りにはさせない。


「皐月もお疲れ、今日はありがと。お前が優に付きっきりだったおかげで俺も九紋竜に集中出来たからな。帰ったら俺が起きておくから寝てもいいぞ」


「そうするわ。ありがと」


 二人がギリギリ聞こえる声量で話す。お嬢様たちを起こさないように必死である。

 皐月もお疲れのようだが、優の前ではそれは絶対に見せない。


「なるちゃんは寝なくてもいいの?一日以上寝てないし、それにずっと周囲に気を回しているから相当疲れているでしょ?」


「まあ、そうだな。軽く疲れてはいるがこれからの動きに支障が出ることはまずないから平気だ」


 幼少期から鳴海は、幾度の訓練と常識外れの才能によって無理をし過ぎた。それにより、長時間の行動が可能になって、九歳のときには既に二週間近く寝ていない時もあった。


「そう、ね。でも、無理は禁物よ。あなたが死んだらどうするの?」


「その時はその時さ。死ぬつもりはないから安心してくれよ」


「…………けど」


 その心配は無用だと伝えるように、首を横に振る。それは皐月も理解しているはずなのに、やけに慎重になる。それも、そのはずだ。


 絶対的な信頼を置いていた家族が殺されたのだ。


 その心配をよそに鳴海は、優の肩を抱き寄せて離れないようにする。


「それに、この子がいるんだ。優の前では強く、前を向かなくてはいけない。皐月だってそうだろ?この空間からは一切たばこの臭いが感じられない。全く、お前は強いよ」


「それは…………だって…………」


「ああ、そうだよな」


 しばらく何も言わない時間が二人を試してくる。


 その時間を終わらせるかのように、皐月はラジオをつけて音を小さくする。


 ジャズミュージックの妙音が気持ちよく耳に染みてくる。


「……………しばらく話しかけないで貰える?」


「おう」



 鳴海はただ、窓越しに夜空を見ていた。

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