第9話 優しさに触れた日

 1月2日。今日やることは決まっている。まず、皐月がいつの間にかアポイントメントを取っていた人物と接触することだ。残念だが、自由に生きると言ってもまだまだやることが多い。とりあえず今日会う人物と協力をして俺たちの安全を確保する必要がある。


 まもなく時刻は11時を回る。俺たち三人は、全員の行動を再確認していた。


「よし、俺は今からアイツに直接会いに行く。皐月はその時間にビアンカを病院に連れて行くこと。それで、優のことなんだけど……今日は勉強を諦めてもらえないか?」


「私はそれでいいわよ。あとは優ちゃん次第ね」


「うん。別に今から勉強しなくても受かるくらいの実力はあるから大丈夫。わたしのことは二の次でいいから」


 こんな大事な時期にストレスになりそうなことが発生しても、文句一つ言わない優には感謝してもしきれない。あとで、何かお礼をするのが筋というものだろう。


 そういえば、優が行く高校を俺は知らないな。


「なあ、優が行くつもりの学校ってどこなんだ?」


「都立憐帝高校だけど……。それがどうしたの?」


「いや、俺もそこに行こうかな~って思ってたんだけど……どうかな?」


 少し様子をうかがいながら、まあ参考程度にどうなのかなぁ~と付け足して、優の返事を待つ。そして、何でもする券を優に渡すと目を丸くさせた。


 だが、その答えは俺の予想をはるかに上回っていて、彼女の後ろからメラメラと闘志が溢れ出てきたように見えた。


「………皐月さん。今日の一件が終わったら追い込みに入るので、家事やりません」


「そ、そんなぁ~………」


 その一方で皐月は燃え尽きたかのような絶望感に襲われ、膝から崩れ落ちる。風が吹けば、今にも身体が燃えカスのようにどこかに消えてしまいそうだ。


 見兼ねた俺は、後ろからその悲しい背中をさすっていた。こんなに落ち込んだ彼女を見たことがない。それほどまで、優の家事レベルは偉大なものなのだろう。


「…ご飯なら俺が作り方教えてやるから……な?元気出せよ」


「……なるちゃんって料理できるの?」


「当たり前だ。俺を誰だと思っているんだ。時之宮鳴海だぞ?無駄に才能を持っていることに定評があるんだ」


 それに、優に家事を教えたのは俺だしな。


「そういえば、なるって勉強出来るの?憐帝高校って、東京で一番偏差値が高い高校よ」


 優があっと思いついたかのように聞いてくるが、その点については心配に及ばない。


「多少できる。置いてきぼりになることはない」


「最後に勉強したのはいつ?」


「………八年前くらいかな。多分そのくらい勉強してない」


「なる……。何で学校行くの?」


「優が誘ったんだよ‼」


 なかなか酷いことを言われた気がするが、今更学校に行く必要があるかなんて聞かれたら、無いとしか言えない。だが行ってみたい理由が無いわけでもない。今なら、あの時言った理由が分かる。


「行く理由なんて、一つしかないだろ」


「一つ?」


「ああ。俺は、俺を見に行きたいんだよ。俺が不幸な生き方をしていたのかを」


「不幸………そっか」


 そう言って俺に近づいてきて、彼女はその夢に目を細める。

 そして、じゃあさと言いつつ優は俺の右手を両手で優しく包んでくる。それを皐月がニマニマしながら見てくるので少しこそばゆい。その時の優の瞳は、慈愛で満ち溢れていた。


「それが分かる時、あなたの横にいるのはわたしたちが良い。だから、わたしたちにも見せて?あなたの全てを………」


 全て……か。それをしても幻滅されるとは思ってはいないが、出来れば綺麗なまま彼女は生きていてほしい。そんな世界があるということを簡単に肯定させたくない。


 価値観を捻じ曲げさせてでも、だ。


「ああ、分かったよ。全部は約束できないけどな」


「うん。ありがとう」


「それで、聞きたいことがあったんだけどいいか?」


「どうしたの?」


「皐月、お前も感じてたところがあるだろ?」


「ええ。今の感覚、普段の真面目な優ちゃんから感じられるものじゃなかったわ」


「え、何………どうゆうことですか皐月さん」


 その確信を持った表情を見るに、俺の予想は確固たるものとなった。その不思議な感覚を味わったのは今ので二回目だ。


 俺の手を離れした優は、あからさまにあたふたして皐月と俺の顔を交互に見てくる。


「え………なるも皐月さんもどうしたの?今日のわたしって変?」


「「ちょっとね」」


「ハモったし、聞きたくなかったぁぁ!」


 不満げに頬を膨らませるが、俺たちはそれを可愛いとしか思っていなかった。それを表情で感じ取った優は、肩を全く痛くない程度にパンチしてくるがそれすらも面白いと感じる。


 それはそうと、違和感の正体を彼女に問うことにした。


「それって、粼心せせらぎこころの真似か?」


 優はビクッと体を身じろぎさせる。まさか気付かないとでも思ったのだろうか。


 彼女が真似していたのは、ある折り紙の人間のことだ。


 粼心せせらぎこころ────彼女は新興宗教団体『未来護みらいご』の教祖だった。彼女にはある特殊な力があり、それと卓越した美貌を用いて相手の行動をコントロールすることが出来る天才。犯罪者ですら彼女のことを恐れており、男女問わず魅了するその美貌は、『宵の明星』という二つ名があるほどだ。


 彼女は俺にとって姉、母のような存在で、折り紙の中で一番の時間を共にしていた。


「そっか、心の真似か。でも……どうしてだ?」


 言いづらそうに、目を伏せる姿もあいつそっくり。そして、重い口を開いたかと思えば、誰もが拍子抜けするような回答が返ってくる。


「え~っと……。心さんが、なるは年上の包容力がある女性が好きって言ってたから……それで………」


「……なんで?」


「確かに、なるちゃん大人っぽい人好きよね?というより、おっぱいが大きな人が好きなのよね?」


 皐月が横やりを入れる。


「おい、解釈の都合の良さをどうにかしてくれ」


 頭を抱える俺を見て、皐月は口を隠して微笑し、優は演技の下手だったのが悔しいのか、今度こそは……と涙ぐみながら拳をつくっていた。


 ああ、やっぱり俺たちはこんな風にバカやっている方が似合っている。真面目とは程遠い俺たちはきっと最期までこうであってほしい。


「ま、今日は生死を分ける日だ。だから二人に言っておく。今日の出来事が終わったら、暫く俺はあいつらが残した依頼をこなしつつ身を隠す。高校入学までの段取りは皐月に全て任せる。あと、優の命は最優先で守ってやれ。優は皐月から出来るだけ離れるなよ?」


「了解したわ。優ちゃんは死んでも守るから任せてちょうだい」


「分かった。なるも気を付けてね」


「ああ。三人で生き抜こう」


 そうして、俺たち三人は手を重ねてそれぞれの生存を願った。


 そのあとすぐに俺は行動を開始した。今から向かうのは、折り紙御用達の懐石料理店。近くでタクシーを拾い、急いで向かう。その間、あの二人の心配をしていたが皐月がいれば、何の意味もない悩みだ。彼女に拳銃を渡せば躊躇いなく撃つし、ナイフがあれば敵の懐に入って容赦なく刺す。何より、折り紙の仲介役である時点で弱いとは無縁だ。


 その前にまず自分の心配をするべきだが、それこそ何の意味のないことだ。どうせ勝つ。相手を皆殺しすればいい簡単なお仕事だ。


 一時間ほどで、料理店に到着する。この店は折り紙の管轄下にある。誰が、いつ、何人で来たかが正確に記録され、リアルタイムで情報がこちらに送られてくる。


 しかし、今の状況ではその情報ですら操作されている可能性がある。その可能性を視野に入れて、あえて管轄下にある店を皐月が選んだ。


「ご無沙汰しております。時之宮鳴海様」


 店に入った途端、この店の店主である人物が俺に深々と頭を下げてくる。確かにこの店に来たのは何年も昔のことだ。やはり、この髪色は便利だな。


「ああ、久しぶり。例の部屋に連れて行って貰えるかな」


「承知致しました」


 歩き始めたので俺も着いていく。移動中、耳を澄ませていたが他の客がいるという心配は無さそうだ。みしみしという床の軋む音だけが聞こえる。


 そして、この店の一番奥の部屋の前に辿り着く。


「こちらにございます」


「ありがとう。悪いね、急遽ここ貸切ってもらって。お客さんもいたはずなのに」


「滅相もございません。折坂様には感謝してもしきれないほどお心遣いをいただきました。当然のことをしたまででございます」


「そっか。あの人にも感謝しなくてはいけないな」


 店主はまた頭を下げ、すぐに去っていた。それを見送った俺は、ひと言声をかけることもせずに障子を風情なく開ける。


「やあ、久しぶり」


 風情ある和室に一人で日本酒を静かに楽しんでいる男性に声を掛ける。フレームのない眼鏡に、生地からして高級そうなネイビーのスーツを着こなしている。横目でこちらを見ると軽く会釈を返してきた。俺よりも目上で、立場も上のはずなのに上座を譲ってくれている彼は、何を考えているのだろうか。


「悪いね。俺が誘ったのにアンタの方が先に着いてしまうなんて。それに、こっちは五人も殺されちゃったみたいだし」


 ふざけているように見せているが、本当に迷惑をかけたと思っている。日本最高峰とか言っておいて、この失態は笑えない。それでも、目の前の男は責める事なく目を伏せて、気にするなと呟く。


「深夜に連絡が来たが、有事ということで何も言わない。まあ、立っているのもあれだ。座ってくれ。ここに長時間もいるのは、危険だ。手早く終わらせるべきだ」


「どうも」


 座布団の上に正座をして、テーブルの上にある料理を眺める。折角来たので食べたかったが、ゆっくりしていられるわけじゃない。


「食べないのか?お前が頼んだのだから………」


「生憎とお腹空いてなくて。それにこれから仕事があるしね。お昼がまだなら、秘書さんに食べさせてあげて。どうせこの辺にいるんでしょ?」


「ああ。そうさせていただく」


 フランクに話しているが、彼は凄い人物だ。


 目の前にいる男は、光原内閣の現官房長官。敷田英俊しきだひでとし。彼の曽祖父が政治家になったのが始まりであり、着々と政界の階段を上りその力を高めていった由緒正しき政治家一家である。


 そして、英俊の父にあたる人物が『折り紙』を裏で創設した。しかし、既に亡くなってしまっているため、現在はその指揮権を息子の英俊が握っている。


「それで、私は今日報告をしに来た」


「報告?」


「ああ。今から言うことは、トップシークレット。光原とあと二人しか知らない話だ。私はその話を奇跡的に知ることが出来た。だから、光原も私が知っていることは知らないはずだ」


「へえ、やっぱり相当デカい話だったんだ。それに光原が関わっているってことは、あれか?」


「そういうことだ」


 お茶を口に含んだが、飲むのを躊躇うほどの緊張がこの空間に蔓延る。今から最低最悪の話を聞かされるのが目に見えて分かってしまう。


 敷田も、酒を飲むのを止めてその緊張感を味わっているようだ。そりゃそうだ。折り紙は、様々な有識者が認めた危険人物及び、日本政府が敵に回したくない人物の集まりだ。それが俺以外消えたとなれば、こうなってしまうのもおかしくないだろう。


「まず、折り紙の現状についてだ。お前以外の五人は死亡。遺体はこちらで回収済み、以上だ」


「了解。続けろ」


 ここで何か言うべきだったのだろうか。家族が殺されたよと言われても、どう反応すればいいかなんて分からない。


 しかし、遺体を回収されているということなら、また顔を見ることが出来る。それは、嬉しいか嬉しくないか考えても答えは出てこない。


「……光原は、ある二つの組織と契約を結んでいる。その契約は折り紙の解体と新たな組織を折り紙の代わりとして置くこと。もう一つの契約は………」


「契約は?」


「時之宮鳴海の回収だ」


「………は?」


 突拍子のない契約内容を言われ呆気にとられるが、話が止まることがない。


「まあ、意味は分かるはずだ。光原は折り紙を憎んでいる。だから折り紙全員を殺したい。それを二つの組織が見逃さなかったのだ。そして、それに光原も乗った」


「そりゃわかるよ」


「一つが『九紋竜くもんりゅう』。もう一つが『やいば』という組織だ」


「なるほど、本当に最悪なパターンが来たわけだ」


 項垂れそうになったが、ギリギリのところで持ち堪える。


 敷田が言う、『九紋竜』と『刃』は俺たち折り紙が狙っている危険組織だ。


『九紋竜』は関東を拠点にしているテロ組織。構成人数は推定五十名。元々、黒社会。いわゆる、中国の犯罪組織が日本に乗り込んでいるわけだが、優先順位が低いため後回しにしていたがツケが回ってきてしまってわけだ。


 問題は『刃』がこの問題に関わっているということだ。


『刃』は、異能力者育成機関である。俺も初めて聞いた時は、全く意味が分からなかった。『刃』での異能力育成の対象になるのは、俺と同じ『不平等』である。


『不平等』は別名『真珠のしんじゅのこ』とも呼ばれている。というよりも、『真珠の子』という呼び方が一般的である。


 あらゆる才能を持った真珠の子なら異能力を創ることが可能と思った科学者が始めた機関。実験内容は一切不明。どこにあるか、実験対象となっている真珠の子が何名収監されているかも把握することが出来ていない。


『刃』に関しては何も分からない。


「現在内閣支持率は少しずつ上昇し始めている。どうしてかわかるか?」


「……元々低かった支持率上昇のために折り紙を利用したんだろ?俺の推測だが、折り紙を潰そうとする実行力、総理大臣としての地位を保つために折り紙を全員殺して折り紙を知っている有権者たちにアピールする計画を立てた。だからそいつらに協力を仰いだとかか?」


「正解だ。昔、お前たち折り紙が情報操作して支持率が二十パーセント前後に下がったことがあったはずだ。それが起因しているな」


「あー。それか………」


 そんなことで家族が殺されたのか?ショックを通り越して、呆れてしまう。自分の保身のために、最前線で命を張る人間が裏切られる……か。


「とりあえず、これを見ろ」


「……これは?」


 敷田はポケットから携帯を取り出して、二つの折れ線グラフを見せてくる。


「これは、内閣支持率をまとめたグラフだ。一つが折り紙のことを知らない者を対象にしたグラフ。いわゆる世論調査だな。もう一つが今起こっている事件を知っている政府関係者を対象としたグラフだ」


「ふーん。世論調査の方は二十七・九パーセント。それで、こっちが三十九・二パーセント。上がっているみたいだね」


 俺の推測通り、自分の地位を守るためだと考えても良いだろう。クズなことをしてくれたが、そう言うものだと割り切る方が早い。だが、そんなことより気になることがある。


「あのさ、その情報どうやって知ったんだ?どう考えてもそれをお前が知ることは無理だろ」


「……実を言うと、刃の人間が私に接触してきた。それでこの話を聞かされた」


「………刃が?一体どういうこと?」


「分からない。時之宮鳴海の回収が出来ればそれでいい、と言われた。外見は……その……」


「何でもいい。少しでもいいから容姿の特徴は?」


「……それが、分からないんだ。正確には、覚えていない」


「……こんな時に、お前は何を言ってんだよ‼忘れる?ふざけてい……」


 テーブルの上に身を乗り出し、手をついてドンッ!という音とともに、すまし汁が零れた。


「ど……どうした」


 ダメだ……。相手は『刃』だ。一般人と同じだと考えない方がいい。俺と同じ『不平等』だと考えろ。異能力なんて実際見たことないし、それを感じたことなんて俺は一度もない。


 だからと言って、その可能性を絶対に捨てるな。


「ごめん。かっとなった」


 苛立つ心を落ち着かせ、テーブルから手を離して再び正座をする。零れたものを拭きながら話し始める。


「あんた……記憶を消されてるんじゃないか?」


「記憶を消されているだと?そんな素振りはあった記憶はないが……」


「あくまで可能性だ。じゃあ質問する。その日着ていたスーツの色は?」


「スーツの色……。確かネイビー。今着ているものと同じだ」


「じゃあ次、刃のリーダーは男性だったか」


「……いや、どうだったか」


 眉間に指を付けて、深く息を吐きながら思い出そうとしている。


「なら、最後。接触してきた日はいつだ?」


「……四日前だ」


 つまり12月29日か。その日に着ていた服。日付を覚えているのに、話をした人の顔を覚えていないだろうか。それに、職業柄人の顔を覚える事には慣れているはずだ。


 記憶を改ざん出来る異能………考えることが増えそうだ。


「まあいいだろう。その話はここまでにしようか」


「……そうだな。ちなみにこれは『折り紙削除計画』というものらしい。一応言っておく」


「いや最初に言うもんだろそれ。相当ストレス溜まってるんだな、折り紙が殺されるなんて思ってなくて」


「お前に言っても意味無いようなものだ。どうせ遅かれ早かれ解決してくれるだろう?」


「まあいいよ。でも、どうする?折り紙は俺しかいなくなったんだ。それにこの状況じゃ、当分はろくに活動出来ないよ」


 肩をすくめてお手上げのポーズをする。敷田もそれについて話しに来たのだろう。今回の損失は非常に大きい。


「そうだな、今でも九紋竜はお前の事を探している。それに……折坂も殺された。彼女の損失はこの国の終わりに等しい」


 折坂……久しぶりに聞いたように感じるが、つい最近まで生きていたんだ。


 折り紙のリーダーだった折坂雪夜おりさかせつやという女性は、紛れもなく戦後最もこの国に貢献した人間と、敷田が断言するほどだ。


 折り紙が創設される前、別の暗部組織に居た彼女は幾つもの伝説を残している。


 不平等を除けば、間違いなく彼女より優秀だった人間は存在しないと断言できる。


「うちのリーダーが殺されるなんてのは考えなかったよ。それは、敷田も同じだろ?」


「ああ。だから、後任のことを全く考えていなかった。それと、他の奴のことも。今回の被害は五名。あと百年は彼らのような人間が、裏社会に集まることなんてないだろうな」


「そうだね………」


 この状況下で、俺が高校に本当に行けるのか?この問題に『刃』が絡んでいるだけでよっぽど面倒だ。俺だけが好き勝手出来るわけじゃないのに、自由を望むわけにいかない。


「……なあ」


「ん?なんだ?」


「学校ってどんなところ?」


 行った事のない俺にとっては想像できない。ただ、集団生活をして社会性を身に着ける場所だと考えているのだが、どうなのだろうか。


「なんだ、行ってみたいのか?」


「うーん。なんというか……誘われたからかな?本当は行くつもりなんてなかったんだけど、ある子から言われてさ。一緒に行かないかって」


「そうか……。まさか……いや、そうなのか」


 敷田は俺の顔を見ながら何か含みがある言い方をする。そして腕を組み、一度しか言わないからなと忠告されたので小さく頷いて目を見つめる。


「学校とは世界への入り口だ。人間構築の始まりだと考えている。まあ、それはあくまでも義務教育の話だがな。高校は違う。高校とは、夢への入り口だ」


「夢への……入口?」


「そうだ。お前なら、なんとなくイメージがつくだろう」


「なんとなくだけどね。でも、夢への入り口か……。さすが、官房長官サマだ。なかなかいいことを言うじゃないか。おかげで、決心がつきそうだ」


「ん?どういうことだ?」


 敷田は首を傾げて怪訝そうな顔で俺を凝視してくる。決心したとは、あれのことだ。場違いかもしれないし、高望みかもしれない。愚かだとあざ笑ってくるかもしれない。けど言おう。そうすることが出来るのはあの二人が背中を押してくれたからだ。


 少し深めに呼吸をして、いつもなら絶対しないような真剣な表情でこう言った。


「俺、悪いとは思うけど高校に行くことにする」


「……………」


 数秒の静寂がこの一室に訪れる。


「……本当にこうなった」


「えっ?」


「はあ、あいつら一体………最初からこうするつもりだったのか。一体こいつの考えを変えさせたのはどこの誰なんだ………」


「お、おい。どうしたの?」


 掛けていた眼鏡をテーブルに置いて、手で目を覆うに今度は俺が、彼と似たような表情を作ってしまう。すると、敷田はスーツの内ポケットから一つの茶封筒を取り出してくる。手に取って表裏を見るが何も書かれていない。


「これは?」


「それは、憐帝高校の合格証明書だ。経歴のない時之宮が入学することは極めて難しいが、特別推薦枠としてお前を推薦することになった」


「特別推薦枠………?なんだよそれ」


「憐帝高校は東京で一番偏差値の高い都立高校だ。学力に重きを置いている学校だが、それとは別に外部での活動や、社会への貢献度。それを基準に選考するのが特別推薦枠だ。毎年二人が選ばれるが、その中でお前は歴代ダントツでトップだった」


「俺の実績って折り紙の貢献度か?そりゃ他の中学生じゃ相手にならんだろ」


「ああ。特別推薦の内容は、校長との面接だけらしいが、お前は唯一受けずに合格した。もう一人は、大企業の令嬢らしいが……裏口だろうな」


「ほほお、やはり公務員。許せないか」


 校長は折り紙を知っている側だったのか。というか、違かったら滅茶苦茶失礼だな。


「てか、推薦って言うけれど、俺を推薦したやつって誰なの?」


「折り紙に決まっているだろう」


「あー。折り紙ね………」


 その瞬間、持っていた茶封筒がひらひらと畳に落ちる。力を緩めたつもりはなかったはずなのに。目ですらもそれを追うことが出来なかった。



「…………今……折り紙って言ったのか?それって、あいつらが俺を推薦したのか?いつ?どうやって……」



「折坂たちが東京に来ていたのはそれが主だ。東京での住居の確保や、お前の戸籍登録、そして今日。ここでお前のために入学祝賀会が開かれるはずだったのだ」


「だから、今日はこの店に人が居なかった……それに皐月が昨日京都に来ていた理由は、俺をここに連れてくるためか………」


 全てが繋がった。優が俺を高校に誘ってきたのは、これがあったからか。何でもする券まで使ったのは、俺が折り紙に執着するのを防ぐため。


 嬉しい。嬉しいけどさ────────。



「素直に………喜べるわけないだろ…………なんで………」



 ただ……願っただけなのに。もう誰も辛い思いをしなくていいように折り紙に入ったのに。俺はこれからどうすればいい?誰についていけばいい?


 やることは分かっていても、道は見えていても、それはあいつらがいたからだ。あいつらがいれば、俺は何でも出来た。ただ暗い世界を歩くことも、この国の存亡を懸けた殺し合いをしたときも、全てみんな俺の背中を押してくれた。


 自分の命を犠牲にしてでも俺を学校に行かせる準備を終わらせる必要なんて本当にあったのだろうか。俺に助けを要請すれば、サプライズがばれてしまうから呼ぶのを渋った奴もいたのだろうか。それに、意味はあるのだろうか。


 なら……その道があるのなら、意味があるのなら、それを全て全うするのが俺の役目だ。


 答えは決まっている。教えてもらったじゃないか。もう………迷う必要はないだろ。



 俺は憐帝高校に行く。どんな障害があろうと。



「……子供の頃。俺は、学校に行きたいと願ったことがあったそうだ。だが、そんな記憶は言われなければ奥底に沈んでいるものだった。印象に残ってた記憶ではないんだ。もし、それが理由だとしたら、俺は彼らに対してやらなければいけないことがある。お前も協力してもらえるか?」


「お前……と言われるのは気に入らないが、私は折り紙を父から託された。つまり、死ぬときは私も責務を果たして死ねということだ。お前と私は一蓮托生。最期までこの国の政治家でいられるのなら、この命は安い」


「いいね、最高だよ。やっぱり官房長官サマは普通の人なのにイカれてるね。でもそういうとこ大好き」


「……さっきか──────」


「あ、そうだ」


 言葉を遮って、何か言いたげな敷田に笑って見せる。


「なんだ」


「ねえ………」



 さて、そのためにはやることがある。この国を変えるために動くか~。



「総理大臣になってみない?」


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