会場内をそれとなく見回したフレイヤは、宰相と財務大臣、開発大臣の三人の姿を確認した。


 他にもちらほら侯爵や公爵が来ているが、思っていたよりも当主の参加が少ない。令嬢たちの付添人は兄や弟、ごく近しい親族の若年男性が目立つ。


 おそらく、麗しのコネリー侯爵を目当てに令嬢が集結することを見越しての人選だろう。結果として夜会は、適齢期の貴族子女が大集結した大規模お見合い会場のようになっていた。


(私、ここに一人で突撃しようとしてたのね。下手したら、新婚早々男漁りに来たと思われかねなかったわ。ローガン様が同行してくださってよかった……話を封じられているのは残念だけれど)


 フレイヤがそんなことを思いつつ、コネリー侯爵に挨拶をする宰相とその息子たちをぼんやり眺めていると、ふと、頬にローガンの手が添えられた。

 そして、フレイヤの顔の向きを正面へと戻す。


「…………」

「……?」


 渋い顔をしたローガンは何も言わず、じっとフレイヤを見下ろした。

 公開キスは避けたいけれど、多少の意思疎通は図りたい。

 フレイヤが口パクで『……なんでしょうか?』と疑問を訴えかけてみると、ローガンはわずかに瞼を伏せ、溜息を吐いた。


「俺は……最低だな」

(……?)

「話を聞きたくないと言葉を奪ったのは俺なのに……フレイヤの声が聴きたい」

(話を聞いてくださるならいくらでも喋りますけれど……!)


 絶望的なすれ違い具合に頭を抱えたくなりながら、フレイヤはせめて気持ちが伝わればいいと思い、ローガンにそっと寄り添う。


「……フレイヤ?」


 逞しい腕を半ば抱きかかえるようにすると、ローガンは空いている方の手で目元を覆って天を仰いだ。


(嫌がられてはいない……というか、喜んでらっしゃる、と思っていいのかしら。でも……ローガン様が私のことを想ってくださっているとして、一体いつから……?)


 ローガンは、フレイヤの姉、ソフィアに恋をしていたはずだ。


 だが、唐突に口づけされた夜の言動から、『ユーリを愛人として囲ってはどうか』という提案の時点で既にフレイヤのことも憎からず想っていた可能性が出てきた。


 婚約から現在に至るまであまり会話もしていないので、彼にどんな心変わりがあったのかまったくわからない。


(ああ、早くちゃんと話がしたいわ……! けれど、情報も何か得たいし、お姉様は今、ローガン様のことをどう思っているのかも確認したいわ……)


 実妹でも、王太子妃教育の真っ最中であるソフィアに会うことは容易ではない。

 ローガンとのことで姉に複雑な思いを抱いていたこともあって、手紙も頻繁にはやりとりしていなかったから、姉が彼をどう思っているのかもはっきりしない。

 わからないことだらけだ。


 フレイヤが難しい顔をして考え込んでいるうちに、夜会の会場内には優美な音楽が流れ始めていた。

 三拍子のゆったりした曲に合わせて、一組、また一組とダンスの輪に加わり始める。


「どうか、一曲だけ……いいだろうか?」

「……!」


 驚いたフレイヤがローガンを見上げると、彼は物憂げにも切実にも思える表情でこちらを見つめていた。


「気に食わなければ足を踏もうが何をしようが構わない。一夜の思い出をくれ」

(この一夜と言わず、何度でも何曲でも踊りますが……!?)


 足を踏んだりしない、という意図を込めて首を横に振るが、ローガンは目に見えて落ち込んだ様子になってしまった。


「……すまない。高望みをした」

(だから、誤解なんですってば……!)


 「誰が踊るものですか」という意図だと誤解されたと察し、フレイヤは再び首を横に振る。

 口元を手のひらで押さえてキスされないように防御し、「喜んで」と短く伝えると、ローガンは驚いた様子で目をみはった。


「いいのか……?」

「ええ」

「……ありがとう」


 ふんわりと優しく微笑まれて、フレイヤは卒倒しそうになりつつ、よろよろと会場の中央へと足を進める。


(婚約からこの方、凍りつきそうに冷たい目線をもらってばかりだったし、眉間には渓谷みたいに深い皺が刻まれていたし、まともにお顔を見られないことが多くて気づかなかったけれど……こうして優しく笑うと、結構昔の面影が残ってらっしゃるのね)


 以前、寝顔を見た時にも面影を感じたものだが、微笑みとなるとさらに少年時代を彷彿とさせる。

 それでいて、凛々しく雄々しい大人の男性としての魅力も溢れているものだから、対フレイヤ限定で破壊力は倍増だ。


 ふわふわと半ば夢見心地のようになりながら、フレイヤはローガンのエスコートで会場の中央部へと立つ。曲に身を委ねてゆったりとステップを踏むと、ローガンの絶妙なリードもあって、淀みなく身体が動いた。


 元来活発で運動好きなフレイヤにとって、ダンスは割と得意分野だ。

 しかし、叶わぬ恋だと思って諦めきってていた相手と、もしかすると想いが通じ合っているかもしれないと認識したばかりの状態では、どうにも集中できない。

 時々動きが危うくなってひやっとするけれど、すぐさまローガンが助けてくれるので、傍目には危なげなく滑らかなダンスに見えていることだろう。


 永遠に続いてほしいと願ってしまうような時間はあっという間に過ぎ、曲は終盤へ向かっていく。

 弦楽器が最後の旋律を余韻たっぷりに奏で上げ、会場内は一瞬の静寂に包まれ、次の瞬間拍手が湧き起こった。


「……ありがとう」


 再び優しい声がそう告げて、フレイヤはまた口元を押さえつつ「こちらこそ」と返す。

 その時──。


「し、失礼します……っ!」


 若干声を裏返しながら、一人の騎士が近づいてきた。


「……あら、ファビアーニ様」

「ひぃあっ!」


 フレイヤがぽろっと名前を零すと、以前ローガンの使いでララを届けてくれた騎士は、身体を竦ませて悲鳴じみた声を上げる。

「コロサナイデ……」だとか、裏返りきった高い声で囁くように言っているのは聞き間違いだろうか。


「……なんだ」


 地を這うように低いローガンの声にさらに身を竦ませながら、ジンは果敢にも口を開いた。


「レッ、例の件で、おはっ、お話がありまして……!」

「…………わかった」


 たっぷり間をおいて頷き、ローガンはフレイヤへと視線を向ける。


「フレイヤ、俺は少し外す。すぐ戻るから、会場内にいてくれ」

「……はい」

(お仕事の話……かしら?)


 フレイヤを避けているのか、本当に忙しいのかがいまいち判断しづらかったのだが、こうして夜会の最中にも呼び出されるところを見ると、多忙なのは間違いない。


 遠ざかっていくローガンの背中をしばらく見つめたあと、フレイヤは会場の端へと移動した。


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