どことなくふわふわした気分でいたフレイヤは、その三日後、遠い目をして宙を眺める羽目になっていた。


(私、「結婚後夫に放置されている妻選手権」があれば、優勝しているかもしれないわ)


 ──そう。ローガンが再び帰ってこなくなったのだ。


 おまけに、今日こそは話がしたいので王城へ使いを走らせて手紙を届けてもらったのだが、返事はなし。その代わり、いつかのように、メッセージカードもない花束だけが届けられた。

「今日も帰れない」という伝言とともに。


(これは……避けられているのかしら。それとも、この間よりもさらに忙しくされているとか? それなら心配だし、夜会の前に話しておきたいわ。明日にでも王城に乗り込んで──ううん、最悪でも、夜会の前には準備に帰ってくるはずだから、その時か馬車の中で話せばいいかしら)


 しかし、とフレイヤは思い直す。


(……ローガン様が王城から直接コネリー侯爵邸に行く可能性もあるわよね。確実にお話しするために、王城に乗り込む作戦でいきましょう。まずはお父様を訪ねて、それからローガン様がいることを確認して、登城したので少しだけ会えないかの打診をする……よし、これよ)


 ローガンの謎行動の真意を確認したいというのが第一での作戦決定だが、これなら父伯爵にも少し探りを入れられる。

 ただし、王城で長年勤めており、フレイヤよりは間違いなく腹芸にも秀でているだろう父親を相手に、どこまで情報を引き出せるかは謎だ。


 もしそちらが不発に終わった場合でも、収穫なしとは限らない。

 社交界でのお披露目前の少女たちが口にしていた噂が、政治の中枢たる王城でも広がっているのかも気になる。


 彼女たちの親が情報源ならば、王城でも知る人がいるだろう。そうでないなら、メイマイヤー子爵令嬢のようにフローレンスと交流があった令嬢を中心とする密かな噂程度という線が出てくる。

 知りたいことは山積みだ。



 翌日、フレイヤは朝一番に父であるレイヴァーン伯爵へ面会打診の手紙を送った。


 新婚でありながら何度も放置されているフレイヤが生家であるレイヴァーン伯爵家と積極的に接触を図るのは、ややもすると、何かを訴えるつもりだと思われかねない。


 なので、マーサには「ローガン様とお話がしたいけれどご迷惑にはなりたくないから、ひとまずお父様に会いに行くことにして、近衛騎士団がお忙しそうでなければローガン様にもお会いしてくるわ」と告げてある。

 これは実際にそうなので嘘ではないが、少し恥じらいつつ殊勝な様子で言うという演技付きだったので、きちんと信じられているだろう。


 一時間ほどで届いた手紙には、昼過ぎに待っていると快い返事が書いてあり、フレイヤはひとまずほっとする。そして、すぐに出発の準備を始めた。


 フレイヤと伴のエヴァが出発したのは、王城務めの役人たちが昼休憩をとる頃の三十分ほど前だった。


 貴族の屋敷が並ぶ区域から王城までは、馬車だとそう時間はかからない。

 父との約束の時間までにはかなり余裕があるが、フレイヤはあわよくば下級官吏や女官などの噂話も聞きたかったので、昼休憩中が始まる前には王城にいたかったのだ。


 城門も特に混雑はなかったため、フレイヤは無事、昼休憩前に王城へと入ることができた。


 ローガン宛てに面会希望を出したあと、真っ先に向かったのは、開放されている小庭園だ。

 この小庭園は、城に立ち入りができるほど身分が確かな者であれば、誰でも自由に鑑賞することができる。


 とはいえ、一番簡素な庭園のため、登城した貴族が足を運ぶことは滅多になく、もっぱら下級官吏や女官たちの休憩場所となっているそうだ。

 以前父が「小庭園でお喋りに花を咲かせて、昼休憩後に毎度遅れて戻る者がいる」とぼやいていたので、フレイヤはここなら何か情報が得られるかもと期待している。


 ベンチや屋根付きの休憩所がある場所から近く、人が入ってこなさそうな高い生け垣の陰に狙いを定め、フレイヤは身を潜めた。


 エヴァが、『何をなさっているのです?』とでも言いたげな顔になる。


「情報収集のためよ、エヴァ。お姉様やフローレンス様の状況について少しでも知りたいの。手段は選んでいられないわ」


 エヴァも白百合の茶館で例の不穏な噂を耳にしているため、真剣な顔で「かしこまりました」と頷いた。


 やがて、城内にある礼拝堂の鐘が鳴り、昼時を告げた。

 そのまましばらく待っていると、ざわざわとした話し声や控えめな足音が聞こえてくる。


「お、まだ空いてる」

「あー、よかった。午後も書類仕事続きだし、今のうちに外の空気吸っとかないとな」


 フレイヤが潜む生け垣付近のベンチに座ったのは、下級官吏だと思われる男性たちだった。彼らは、書類の処理が多くて大変だという話や、重要文書にインクを零してしまって上長の叱責を受けたなど、仕事に関するたわいない会話をしている。


 よく考えたら、王城内のこんなに開放的な場所で物騒な噂話なんてしないかもしれない──と、 早くも作戦の破綻を感じ始めたフレイヤだったが、直後にその懸念は吹き飛ぶことになった。


「そういや、殿下の婚礼はどうなるんだろうな」

(……! 「殿下」で「婚礼」ときたら、王太子殿下とソフィアお姉様のことよね)


 フレイヤは、彼らの会話を一言一句聞き逃すまいと、耳を済ませる。


「何事もなければこのまま普通に進むだろうけど……まずは無事に婚約式が終わるといいよな」

「だな。でも、例の件の犯人が捕まらない限り、婚約しても婚礼を済ませても不安がつきまとうだろ?」

「うーん……王族の居住区は流石に安全なんじゃないか? だからこそ殿下は今回、レイヴァーン伯爵令嬢を早々に城へ入れられたんだろうし」


 基本的に同僚たちしかいない場所という安心感もあるのだろうが、名前を伏せることもなく、特に憚るでもなく行われる会話は、それ自体がフレイヤにとって大いに示唆を含んでいた。


(普通に世間話として昼休憩で話す程度には、フローレンス様の体調不良が毒殺未遂の可能性があることが知られているのね……。この間のご令嬢たちは、レイヴァーン伯爵家が怪しいかもって一瞬考えたあとで、それはなさそうだと判断してくれていたけれど……王城務めの人たちはどう思っているのかしら)


「侍女をしてる従姉妹から聞いたんだけど、かなり厳重な警備を敷いて、伯爵令嬢に関わる人員は徹底的に選び抜かれてるらしい」

「もしまた何かあったら、全容がわかるまで婚約もできなくなりそうだから当然だよ。変な勘ぐりをしてる連中はどうかしてる」

「勘ぐり……あれか。警護じゃなくて監視だ、殿下は伯爵家を疑ってるー!ってやつ」

「それそれ。殿下主導での陞爵しょうしゃく話が出てる時点でないってわかるだろ」

「はは、わからないから見当外れな噂をしだすんだ、きっと」


(陞爵……!?)

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