第6話


宿では侍従の梶が待っていた。

今日はもう出歩く予定はないので、きっちり押し込めていた霊力の制御を緩め、じんわり体外へ放出される余剰分はそのままにする。


梶は霊力がないため、司の力に影響を受けることがない。祓魔師が近くにいる時と違い、余計な気を使わなくていいので随分と楽になる。

霊力がない人間を侍従とすることに難色を示した古老もいたが、こればかりは譲れなかった。


幼い頃から強力で膨大な霊力との付き合い方に難儀していた司は、十八歳の時に妖魔と契約し使役し始めた。使い魔に有り余る霊力を与えて代わりに消費させることで、体内の霊力量を減らして制御しやすくするのだ。


これで霊力の制御に関しては格段に上達したが、常日頃から精一杯自分の中に霊力を押し込めていてたためか、司の霊力は普通の祓魔師よりずっと濃密らしい。霊力を持つ者のそばに寄ると、浸透圧のように他者を侵食する厄介な性質を持っている。霊力がない人間でなければ、常日頃そばにいる侍従など務まりようがない。


梶はやるべきことを手早くきちんとし、余計なことはしないが、痒いところに手が届くような補佐をしてくれるのでとても頼りにしている。

用意された温かい茶を飲み一息ついていると、梶が手帳を手に歩み出た。いつも通り今後の予定確認をするのだろうと思っていたが、開口一番告げられたのは思いがけない内容だった。


「花崎家のご当主が身罷みまかられました」

「……突然だな」

「はい。経緯については念の為情報を集めているところです」


義父である花崎の当主が病床に伏しているという話は聞いていない。司の父のように突然の重大な病で黄泉へ行くこともあり得るが、事件や事故という可能性もある。なんにせよ、情報を得ておくのは重要だ。


(しかし面倒だな。金と引き換えにして、娘を贄のように差し出してきた悪辣な狸親父とはいえ、一応義父だ。葬儀に参列すべきか?)


そんなことを考えていると、梶が珍しく歯切れ悪く「それから……」と言う。


「どうした」

「奥様から、大事なお話があるとのことです」


結婚してから五年というそれなりの年月が経っているが、『奥様』という言葉は未だに馴染みがない。


「どうした。離れで好きにするよう伝えてあるはずだが、何か不都合でもあったか」

「……それについても少々気になることがございますが……それはさておき。奥様曰く、最初で最後の夫婦の話、とのことです」

「……ほう?」


これまで、司と名目上の妻である李瀬は、夫婦らしいことは何もしていない。会ったこともなければ、手紙を交わしたことすらもないのだ。

二人の結婚は、身勝手な父親同士が『優秀な血筋を残す』『金と名誉を得る』というそれぞれの動機で手を組んだ結果にすぎない。


司は、ろくに知らぬ妻とはいえ、不用意に近づいて痛苦を与えたいわけではなかった。むしろ、売り払われたような形で嫁いできた娘を憐れに思っていたくらいだ。

だからこそ父の意向は無視し、李瀬には離れで自由に過ごすように伝えて自分は近寄らないことにした。


祓魔師界随一の実力を持つ司だが、権力が実力と同等にあるかというとそうではない。父たちが存命のうちは、無理に離縁するとややこしいことになりかねないため、それが最善だったのだ。


司は、自分が誰かと本当の意味で夫婦になることは無理だと認識している。


霊力制御の精度は高くなっているが、どうしても力は多少漏れ出る。少しでも霊力がある人間であれば、霊力の侵食を受け、とても平気ではいられない。

かといって、祓魔師界とは縁のない、まったく霊力のない人間を伴侶とするのも難しい。祓魔師について簡単に情報を開示できないし、付随する面倒事があまりにも多い。


そもそも、家庭を持つことにそこまで関心がないので、条件に合致する相手を必死に探そうとも思えないのだ。


そういうわけで、司は父たちが気の済むまで──もしくは天寿を全うするまで、名目上の夫婦関係を保ち、李瀬が望むならば折を見て離縁する道も考えてはいた。


(父親が亡くなって早々に、おそらく離縁話とはな。あちらも思うことは同じだったか、誰か想い人でもいるのか。どんな話をするのだろうな)


まだ見ぬ妻が何を思い、何を話すのか。お互い身軽になった今、少しだけ楽しみになる。


「承知した。近々一度屋敷に戻ると伝えてくれ」

「かしこまりました」


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