共に出かける日

 昨日、運送ギルドから緑の塔にほろ用の布が届けられた。

 防水布にする予定のそれを、ダリヤは一枚一枚しっかり点検する。

 その後ブルースライムの粉末や薬品の計量を行い、溶剤を作った。そろそろ暖かくなってきた気温に合わせ、少しだけ水分を多めにする。そして、ただひたすらに広げた防水布へ塗布し、定着魔法をかけるということを繰り返していた。

 ようやく数枚を終え、汗のひどさに一息つこうかと思ったとき、トビアスが訪れた。

 彼に問われた内容がまったくもって理解できなかった。

 エミリヤのはくのブローチなどというものは、一度も見たことがない。説明しながら、マルチェラが公証人をすすめてくれたことに心から感謝した。まさか今頃とは少し思ったが。

 失礼な上に謝罪もないことに腹が立ったので、『使用済みのベッドは、結婚祝いにさしあげるわ』と言ってしまった。

 品がない言葉かもしれないが、今までのことを考えればそれぐらい許されるだろう、たぶん。

 その後は、翌日ヴォルフとの約束で出かけても問題のないよう、防水布の定着の確認をしっかり行いつつ、深夜まで作業をした。


 そして今日、やや遅く起き、朝食のパンをミルクに浸し、もそもそと食べた。

 完全に目が覚めてから身繕いをし、メイクもきっちりする。

 貴族向けの魔導具店へ行くことを考え、ヒヤシンスブルーのアンサンブルに、紺色のロングスカートを着ることにした。スカートはスリットが入っていて歩きやすいし、スリット部分には裏からレースがたたんで縫い付けてあるので、馬車の乗り降りも安心である。

 髪は黒のシンプルなバレッタでひとまとめにし、財布やハンカチ、メモ帳、メイク用品などをバッグに入れ、出かける準備を終わらせた。

 しかし、準備が少しばかり早すぎたかもしれない。

 昼まではまだだいぶあるが、今日の気温はどうだろうか。そう考えつつ窓を開けたら、塔の前にすでにフード付きの黒いマントの男がいた。長身なのでかなり目立つ。

 ダリヤは慌てて階段を駆け下りた。

「おはようございます。あの、昼前って約束でしたよね?」

 もしかして自分が聞き間違えていたのだろうか。ダリヤは不安になって確認する。

「すまない。王城から距離があるからと思って早く出たら、つい早足になっていたようで……」

 お前は遠足の日の子供か! 身体強化を入れて競歩か? あと怒られるのがわかっている犬のようなをするのはやめて! 心の内でぐるぐるといろいろなつっこみを入れつつ、ダリヤは門を開けた。

「とりあえず、玄関のところにいてください。すぐ準備してきますので」

「こちらが勝手に早く来たんだから急がないで。これ、借りていたコート。本当にありがとう」

「いえ、お役に立てたなら何よりです」

 父の黒いコートを受けとり、一度、二階に戻る。バッグを持ち、火の元を確認してから急いで玄関へ向かった。

「北区の魔導具屋を見に行って、その後に食事に行こうか? 予定は大丈夫?」

「ええ、仕事は区切りのいいところまで終わっているので大丈夫です」


 塔の近くを回る乗合馬車を利用し、一度中央区まで出る。そこから北の貴族街まで行くのには、ヴォルフが馬車を頼んでくれた。

 馬車の乗り降りの度に、彼が手を出し、自分のエスコートをしてくれる。

 自分には必要ないと言ったのだが、ずっとそうしてきたので自然にこうなると言われ、納得した。貴族男性というのもなかなか大変らしい。

 父が貴族の食事会の前に、マナー本を朝から読み直していたのが思い出された。

 きっとあのときの父は、今の自分と同じくらいに胃が痛かったに違いない。


 ・・・・・・・


 陽光が一段まぶしくなると共に、道の石畳の色が、茶色から灰色に変わった。北区の貴族街に入った証拠である。

 意外なようだが、貴族街といっても、庶民も出入りは自由だし、お店の多くは利用できる。ただし、財布がそれなりに重い者に限られるが。

 王都では、貴族だからといって、あまり横暴なことは許されない。たとえば、庶民を馬車ではねるようなことがあれば、御者と共にそれなりの罪が課され、賠償を迫られるし、問答無用で庶民を斬り捨てることなどは許されない。

 もっとも、地位を悪用・利用することもそれなりにあるし、何かあれば庶民側が不利になりやすいのは確かだ。


「やっと着いた……」

 馬車から降りたヴォルフが、黒いフードを外し、大きく伸びをした。

 彼の今日の装いは、白いシャツと、限りなく黒と思える紺のトラウザース。つややかな黒の一枚革のホールカットシューズ。どれもシンプルで普通の装いのようだが、彼が身につけると、完全にモデルのそれになる。

 服が人を美しく魅せるというのはよく聞くが、逆はどうなのかと考えてしまうほどだ。

「こう暑いと、マントもそろそろつらいですね」

 王都の夏はそれなりに暑い。黒いマントで屋外、これでは熱中症まっしぐらだ。

「うん。そろそろ眼鏡に切り替えようと思う。ただ、あまり効かないんだけどね」

 己の美形度を隠すのに対し『効かない』という表現を使う男に、隠しきれない苦労を感じた。

 歩きながら話していると、すれちがう女性の視線が見事なほどにヴォルフにからむ。

 そして、横のダリヤを確認し、顔に疑問符を浮かべたり、ふっと笑ったりする。ひどいものだと、そのままひそひそと一緒にいる者と話しながらすれ違う形になった。

 おそらく釣り合っていないとか似合わないと言いたいのだろうが、あまり気持ちのいいものではない。

「すまない……やはり、店の前まで」

「気にしませんよ」

 言いかけた青年に、ダリヤは言いきる。

 そもそも恋人でも婚約者でもないのだ。気にする必要は本当にない。

 それより、ヴォルフが熱中症になる方がはるかに心配だ。

「こう暑いと、今年の夏は早そうですね」

「そうだね。もうこんなにまぶしいし」

 ヴォルフは何度かまばたきを繰り返している。

「もしかして、目がまだ治っていないんですか?」

「いや、治っていると思う。外に出るときはフードをつけることが多いから、まぶしく感じることが多いだけだよ」

 そう言いながらも、どことなく細めた目は辛そうである。フードでは顔に陰ができてしまうので、明るい場所との差が大きいのだろう。ダリヤはそれが少しだけ気になった。

「魔導具店は『銀の枝』と『女神の右目』の二店でいいかな?」

「はい。どんな魔導具があるか楽しみです」


 魔導具店『銀の枝』。こちらはダリヤが父と行ったことのある店だ。

 生活関係の魔導具はもちろん、貴族らしい魔導具もおいてある。

 もう一店の『女神の右目』は、名前だけは知っているが行ったことはない。

 北区でも王城に近い場所にあり、すでに利用している者か紹介状がないと入れない、敷居の高い魔導具店だ。

 マントをたたんで脇に持ち、ヴォルフはダリヤに手のひらを向けた。

「さて、店では貴族流になるよ。なので、ダリヤ嬢、私にエスコートさせて頂けますか」

「わかりました。ご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします」

 丁寧に会話をしあうと、何か違和感がある。

 そう思ってつい青年を見ると、どうやら同じだったらしい。どこかかゆいような微妙な顔をしていた。

「……魔導具と魔剣のためなので頑張りましょう」

「……そうだね、頑張ろう」

 ヴォルフに手をひかれつつ、ダリヤは魔導具店『銀の枝』のドアをくぐった。


 ・・・・・・・


 魔導具店『銀の枝』に来たのは、一年と数ヶ月ぶりだった。

 生活関係の魔導具はもちろん、貴族らしい魔導具もおいてある三階建ての店である。店の幅よりも奥に長く、意外に広い。店のドアには細工物らしい、きらきらと光る銀色の枝が飾られていた。

「いらっしゃいませ。ようこそ、『銀の枝』へ」

 白襟付きの紺色のスーツを来た女性店員が、にこやかに挨拶してきた。父と数回来たことがあるが、この店員に会ったのは初めてだ。

「もし、お探しのものがございましたら、ご案内致します」

「探しているものは特にないので、一通り回らせて頂いても?」

「もちろんです。ご自由にご覧ください。何かございましたらお呼びください。お嬢様も、どうぞお気軽にお呼びくださいませ」

 ヴォルフに対しても、ダリヤに対しても、まったく同じ笑顔で彼女は言った。

 ダリヤはつい感心してしまう。

 ここに来るときの女性達の、自分とヴォルフを比較するような態度が、少しばかりこたえていたらしい。

「ありがとうございます。なにかありましたらご相談させてください」

 ダリヤが答えると、了承の返事とともに、再び気持ちのいい笑顔が返ってきた。

 自分も営業用スマイルの練習をするべきか、本気で考えてしまう。


 入ったところから右回りに回っていくことにし、並べてある棚に目を向けた。

 最初の棚は生活関連の魔導具、前世の感覚で言うなら家電である。

 ダリヤが最も好きで得意とする分野だ。

 この世界、魔法で便利な部分もそれなりにあるが、前世と比べるとかなり不便である。

 前世で自分がいた日本は「生活の便利さのためならば、どんな苦労もいとわない」という物づくり思想の国だった。

 その日本と、現世のこの国を比較するのは、状況や歴史を入れても無理なのは十分承知している。

 しかし、人間、一度知った便利さを手放すのは、なかなかできないものなのだ。


 小さい頃、お風呂や洗面台の水とお湯の温度は一定で出てきてほしい。いちいちおけたるで水と火の魔石を使い分けたくない。そう父にねだったら、試行錯誤の上、給湯機の魔導具を作ってくれた。

 翌年に商業ギルドに登録され、今ではごく当たり前にあちこちにある魔導具だ。

 風の魔石で髪を乾かすと時間がかかる。ドライヤーが欲しくて、風と火の魔石でドライヤーを父と共に作った。もっともダリヤが作った最初のドライヤーは、火炎放射器だったが。

 父は雨の中を砂蜥蜴サンドリザードのコートで移動していた。あれは防水ではあるが、なかなか完全に乾かない。乾燥を少しでも怠ると生臭くなる気がする。

 父用のレインコートを作りたいが、防水布がない。そうしてできたのがスライムを利用した防水布だ。

 先月登録した小型魔導コンロにいたっては、父とテーブルで冬に鍋がしたいがために小型化した。残念ながら、父と鍋を囲むには間に合わなかったが、旅人や野営ですでに使われはじめているそうだ。

 いつか店のテーブルで、小型魔導コンロの上の鍋をつつく人々を見るのがダリヤの夢である。

 案外、ダリヤ自身が、「生活の便利さのためならば、どんな苦労もいとわない」から、魔導具師をやっているのかもしれない。


 店に並ぶ商品は、一年前とはだいぶ変わっていた。

 小型化されたものや、機能が増えたものがとても多い。

 それでも、最初の棚に父の作った初期型に近い給湯機を見つけ、ついうれしくなった。

 ドライヤー、アイロンなどもあれば、羊皮紙の本がカビないように乾かす、本の乾燥機ブックウィンダーなどもある。

 時期的に売り出し数が多いのは、保冷鍋、冷蔵庫の二つらしい。

 保冷鍋は、保温鍋の逆で、水や氷の魔石で長時間冷やしておける。料理はもちろん、食材を少しだけ冷やしておきたいときなどに便利だ。

 本来であれば冷蔵庫がいいのだろうが、まだまだ高い。

 前世で家の台所にあった少し大きめの冷蔵庫はこちらでは金貨四枚、感覚的には三倍だ。しかも容量は三分の二くらいと、あまり入らない。何より、氷の魔石の消費が激しい。氷の魔石は水より高い。維持費を考えてもまだお手軽にはなっていない。

 塔にも小さめの冷蔵庫が一つあるが、そのうちに違う仕様で魔石の消費が少なくなるように挑戦してみるのも面白いかもしれない。

「兵舎でもこの大きさのものがいくつかあれば、冷えて助かるのですが」

 気がつけば、ヴォルフが一番大きな冷蔵庫に熱い視線を向けている。

「今、お使いの冷蔵庫は小さいのですか?」

「ええ」

「入りきらないと困りますね」

 これからの時期、食材が入りきらないのは本当に困るだろう。尋ねたダリヤに、ヴォルフは少し距離をつめた。

「酒しか入っていないけど……」

 耳元で低くささやかれた声に、笑いをこらえるのが大変だった。


 次のエリアには、場所を大きくとった魔導具が並んでいる。洗濯機に似たものと、掃除機だ。

 この世界、洗濯機は発達しづらいのかもしれない。

 浄化魔法、水魔法があるので、洗濯機を買うより、洗濯屋を頼む方が安くて手軽なのだ。

 ダリヤは小さい洗濯機のみを持っている。小物と下着を洗いたいためである。

 掃除機は、風の魔石をセットして、ハタキのかわりに上からほこりを落とすもの、ほうきに水の魔石を合わせたもの、炎の魔石を使い、石やレンガ床の上のゴミを乾燥させてはがすものなど、様々である。

 ちょっと高いが、浄化魔法を込めた魔石と風の魔石をセットし、風を部屋に流してきれいにするというものがあった。塔の大掃除などでいつか使ってみたいところだ。

 ここにないもので、あれば便利だと思うのは電子レンジだ。しかし、今のところ雷の魔石というものはなく、電磁波なども発見されていない。父にもいろいろと聞いてみたが、見たことがないときっぱり言われた。

 この世界にも雷自体はあるので、いつか電気の謎を解き明かしてくれる科学者が出てくることを祈っているところである。


 一階を十分堪能し、二階に上がった。

 こちらは貴族関連の魔導具が多く、家電というより、ファンタジーと言いたくなる眺めだ。

 以前、ヴォルフの持っていた盗聴防止の魔導具もこちらにある。

 最初に目についたのは、音声増幅器。前世で言えばスピーカーのようなものだ。声や音楽を大きくして広く届ける。広い屋敷で用件や緊急を知らせるのにも使われるそうだ。

 その横に当たり前にある盗聴防止の魔導具。それほど中身のある話をしていなくても、外での食事のときには当たり前につけるらしい。これは貴族と庶民の感覚の差だろう。

 次にずらりと並んだのがあかり関係である。

 通常のルームランプ、デスクランプ、ベッドランプ、シャンデリアまで、魔石を使ったものはかなり明るく、光の色も幅広い。

 最近は、肌がより美しく見えるランプや、の疲れづらいデスクランプなども出てきたようだ。説明書きを見つつ、前世と同じように改良されるのだなと感心してしまった。

 氷刃アイスブレードの出る護身用ベッドランプ、落とせば半径十メートルを焼き尽くす火の魔石入りシャンデリアなどに関しては、怖いので忘れることにする。どう使うかもちょっと聞きたくない。


 一番奥に、妖精結晶を組み込んだランプがあった。

 手前から見ると、ランプの不透明なカバーが薄白く光っているだけなのに、反対側に回り込むとクリアに透き通って、部屋の向こう側が見える。

 妖精結晶は、妖精のや、いたと思われる場所でとれる、虹色の魔力結晶体だ。

 妖精が作っているという説と死ぬときに残すという二つの説がある。妖精が隠れるために使われる魔力らしく、認識阻害効果がある。

 ただし、妖精結晶自体が高く、この加工がかなり難しいらしい。

 数年前、父が、ダリヤの部屋の窓にやってみようと言い出し、きつく止めたにもかかわらず自分の留守中に挑戦、金貨三枚を一日で散らせた。

 魔導具師として腕がいいはずの父でも無理なのかと、少々驚いた。

 粉々になった妖精結晶に文句を言いつつ掃除し、その夜は父に酒を飲ませなかった記憶がある。


 浮かんだ思い出を振り払って奥へ進むと、まばゆいアクセサリー群がガラスケースの内側に並んでいた。

 装飾品としてではなく、魔導具としてのアクセサリーだ。

 各種護身用のアクセサリー、主に氷だが、中には相手を丸焼きにせんばかりの火力のものもある。護身用の腕輪である氷結フリージングリングもここにあった。

 解毒・貧血防止・石化防止・混乱防止などの指輪やピアス、一時結界の腕輪なども、多種多様なものがある。こちらは、魔導具師というより錬金術師の制作品が多いのかもしれない。

 重ねがけで、石化と混乱防止が一緒になった腕輪もあった。一体どんなふうに魔法付与をしているのか思いきり気になる。


「すみません、夢中になっていました」

「いいえ、楽しそうで何よりです」

 二階に来てから一言もしゃべらず、ヴォルフの存在を忘れて見入ってしまっていた。だが、そんな自分を彼は楽しげに見つめている。

「何か気に入ったものはありましたか?」

「どれも興味深かったです」

 店内では当たり障りのない会話しかできないのが残念である。外に出てからゆっくり話したいものだ。

「こちらの指輪をお願いします」

 ヴォルフは来た通路を少しだけ戻ると、解毒効果入りの金の指輪を買っていた。

 魔物は毒持ちも多い。討伐でやはり必要なのだろう。

 購入後、丁寧に礼を告げる店員に見送られながら、店を後にした。


 ・・・・・・・


「『銀の枝』はどうだった?」

「とても楽しかったです」

 日差しが灰色の石畳に反射する中、話しながら、次の店に歩を進める。

「父と来たのは一年ちょっと前なのですが、そのときより給湯機やドライヤーなどの生活魔導具は小型化していました。効率がよくなったのに感心しました。庶民向けの魔導具店だと、前の型で、もう少し大きめなんです」

「そんなに大きさが変わったのか。でも、小さすぎると逆に不便にはならない?」

「数センチですが、感覚的にはかなり違いますね。あとは使い分けだと思います。成人男性にはちょうどよくても、子供の手は小さいじゃないですか。たとえば、自分でドライヤーをかけられる時期が早くなるかもしれませんし、軽くなると、高齢の方が自分一人で使える時間が長くなります」

「なるほど、そういうところがあるのか」

 ヴォルフはまたフード付きマントを身につけていた。ダリヤは気にしないと言ったのだが、日差しがまぶしいと言い訳をした上でのことだ。

「冷蔵庫は大型化してほしいですよね」

「夏は冷やした酒が飲みたいからね。魔導部隊の連中も一緒だと、氷は出し放題なんだけど、エールに入れると薄くなるから……」

「夏はやっぱりエールが飲みたくなりますからね」

 この国では十六歳が成人、酒もその年齢から飲めるようになる。

 ダリヤも成人の誕生日から、父と時々飲むようになっていた。

 父はそれなりに酒に強く、王蛇キングスネーク系だった。酒に関しては、自分もそれなりに影響は受けたと思う。

「バケツに氷水を入れて、エールの瓶をつけたりはしないんですか?」

「騎士団は王蛇キングスネーク大海蛇シーサーペントだらけで、エールの減りが早すぎて追いつかない」

「ああ、やっぱりそうなると冷蔵庫ですよね」

「騎士団の予算をぜひそこに使ってもらいたいと思っているよ」

 やはり、騎士団にはとんでもない酒豪がごろごろいるようだ。

 そして、予算問題はどの世界でも共通の悩みらしい。


「貴族向けの魔導具はどうだった?」

「すごいですね。盗聴防止の魔導具にあんなに種類があるとは思いませんでした。アクセサリー関係も驚きました。かなり火力もありそうですし、重ねがけでどう付与されているのかわからないですけれど、あれだけ小さなものに二重に入れる技術はすばらしいです」

「気に入ったものはある?」

「妖精結晶を組み込んだランプ、あの仕組みが面白かったです」

「魔導具師から見るとそうなんだ。俺は見た目で芸術的価値を上げるためかと思っていた」

「妖精結晶には認識阻害効果があるので、手前で見ると普通のきれいなランプでも、回り込むと透けて見えたり、幻影として違うものを見せられます。相手に知られずに観察するとかも簡単にできますね」

「ダリヤ、本当にちょうほうとつながりないよね?」

 以前も聞かれたが、そんなにおかしいことなのだろうか。そもそもあのランプがすでにあるのだ。マジックミラー的な使い方は、技術者なら簡単に考えつくのではないかと思う。

「つながっていません。というか、技術としてはもうあれだけあるので、王城にはとっくに入っているんじゃないでしょうか? 中にいる人が気づかないだけで」

「なんだか怖くなってきたから、聞くのをこのへんでやめておくよ」

 少しばかり、笑いが苦くなっているヴォルフだった。


 話をしているうちに、もう一店の魔導具店『女神の右目』の前に来た。

 磨き上げられた白い大理石の店構え、美しい女神と花々の彫られた柱、金色のつたの装飾で飾られた純白のドア。

 見るからに敷居が高い。一人だったら絶対に入ろうとしないだろう。

「ここが『女神の右目』。店主さんも魔導具師だから。あと男爵位もある」

「そうなんですか。店主さんのお名前って、わかりますか?」

「オズヴァルド・ゾーラさんだったと思う」

「それなら冷風送機の開発者の方ですね」

「冷風送機って、オズヴァルドさんだったんだ、知らなかったよ」

 冷風送機は、水の魔石と風の魔石を利用した、夏用の涼しい風が出る扇風機だ。

 ダリヤが子供の頃からあったので、長く魔導具師をやっている人なのだろう。

 ちなみに、冷風送機の開発者を教えてくれたのは父である。

 夏になると毎年、冷風送機の前で『オズヴァルド・ゾーラに感謝~~』と声をひどく震わせながらエールを飲んでいた。その飲み方はどうなのかと今も思う。


「ようこそおいでくださいました、ヴォルフレード様。今日は美しいお嬢様をお連れですね」

 ドアを通っていくと、黒服に白い手袋をした壮年の男性が会釈してきた。

 少し濃い灰色の髪をすべて後ろになでつけ、銀色の細い目に、銀ブチの眼鏡をかけている。上品な銀狐シルバーフォックスを思わせる風貌だった。

「お久しぶりです。こちらはダリヤ・ロセッティ嬢。私がお世話になっている魔導具師です」

「ご紹介をありがとうございます。ロセッティ様、私は店主のオズヴァルド・ゾーラと申します。どうぞオズヴァルドとお呼びください」

「ダリヤ・ロセッティと申します。新人でございますので、ご教授頂ければと思います。私もダリヤとお呼びください」

 細い銀色の目をさらに細くし、オズヴァルドはじっとダリヤを見つめた。

「失礼ながら、ダリヤ様のお父様はカルロ・ロセッティ様では?」

「はい、そうです。父をご存じですか?」

「高等学院でご一緒させて頂きました。男爵会でもお会いしておりましたが……たいへん残念なことでした。どうかお力を落とされませんように」

「お気遣いありがとうございます」

 オズヴァルドの方も父のことは知っていたらしい。高等学院で一緒というのは初めて知った。

「さあ、どうぞ中へ。ご自由にご覧ください。ダリヤ嬢にはぜひ、魔導具師としてのご意見を承りたいですね」

「いえ、まだ私は駆け出しですので」

 オズヴァルドがダリヤに向けていた目をさらに細めて笑う。答えながら、店の奥へヴォルフと共に進んだ。


 店は広く、先ほどの店よりも魔導具ごとのスペースをあけた展示になっている。

 生活魔導具からアクセサリー系まで、厳選されたいい品が並んでいる感じがする。説明書きの羊皮紙は添えられているが、値札が一切ないのが少し怖いところだ。

「こちらは新しい盗聴防止の魔導具ですね」

「はい、カフスボタン型です。机に手をおけば自然に発動します。服に合わせて宝石や金属の色もお選び頂けます」

「こちらは、壁掛けタイプの冷風送機でしょうか?」

「はい、そうです。通路の関係上、壁を利用されることも多いので制作致しました」

 最新の魔導具を見るのは、とにかく楽しかった。

 ヴォルフかダリヤが足を止めると、オズヴァルドはその場にすっと近づき、聞けばその都度に説明をしてくれる。その間合いがなんともうまい。

 この店はアクセサリー関係も充実していた。二重付与どころか、三重付与が普通に並んでいる。

 『銀の枝』よりデザインの凝ったもの、宝石の入ったものが多かった。

「一つの指輪に解毒・石化防止・混乱防止の三重付与ですか……すさまじいですね」

「騎士や冒険者の方になりますと、戦闘時に『軽さ』を求められる方が多いので。こちらは錬金術師が作っています」

 どうやって作るのかはわからないが、見ただけで魔力量が多くないと絶対作れないなというのは感じる。

 別々で三本にすれば安くなるが、軽さを求めるのはもちろん、剣や弓を持つのにも、指輪は数をつけたくない。指輪が一つ増えても、グリップの感覚に大きな影響が出るのだそうだ。ヴォルフもこれに同意していた。

 ちなみに腕輪でも同じで、二重付与、三重付与にして本数を減らしたいという一定の希望があるという。戦闘は命がけなのだから、やはり大切なことなのだろう。


 あちらこちらを見てから、店の一番奥まで進むと、大きな白いきょうたいがあった。そこから、ひんやりとした風が流れてくるのがわかる。

「こちらは私が開発した新型の冷風送機で、氷タイプです。部屋の空気を風で循環させ、氷の魔石で空気を冷やして戻しています。今年の夏から出回る予定です」

「……素晴らしいです!」

 思わずダリヤの声が大きくなった。

 新型の冷風送機から出てくる涼しく爽やかな風に、ものすごく感動した。ほとんど前世のエアコンである。

 水の魔石と風の魔石を使った冷風送機は、どうしても湿度が上がる。書類仕事などには向いていない。この新型はそれを完全にクリアしている。

 今後、王城や役所の書類関連の部屋には必須になるだろう。

「動力は氷と風、二種の魔石でしょうか?」

「はい。こちらから入れる形になっています」

 オズヴァルドは白い筐体の前部を開け、中身を見せてくれた。

「管の加工が見事ですね。この折り返しのカーブは特に大変だったのでは?」

「ええ、加工素材が決まるまで、二百本ほどは折りましたね……」

 魔導具師として加工しているからわかるが、縦につぶしたようなきつい8の字カーブを規則的にここまで組み合わせていくのは、果てしなく難しい。素材を決めるまで、加工が決まるまで、かなりの研究をしたのだろう。

 この加工も、父にはおそらくできただろうが、今のダリヤにはまず無理である。

「本当にすごいです……この冷風送機は湿気があると困る場所に最適ですね。書類仕事の方や、書斎などにも安心して使えそうです」

「ありがとうございます。よく開発意図を察してくださいましたね……」

 そこまでで、オズヴァルドは姿勢を正し、一度、せきをした。

「……ヴォルフレード様、大変失礼しました。ダリヤ嬢とのお話に夢中になってしまい、申し訳ありません」

 自分達の背後、一歩下がって、観察するように見ていた青年がいた。

「す、すみません!」

「いえ、気にせずにお話しください」

 そう言って笑顔を作っているが、黄金の目はどこか笑っていない気がする。

 武器屋ならともかく、魔導具のお店である。さすがにそろそろ飽きたのかもしれない。

「ヴォルフレード様、よろしければ先に、ご注文頂いていたサポートアクセサリーをご覧になりますか?」

「そうですね、お願いします」

 ヴォルフが相談していたのは、討伐戦闘向けのサポートアクセサリーであり、チェーンタイプの足輪アンクレットだという。解毒・貧血防止と、石化・混乱防止の、二重付与の二本だそうだ。

 なぜ、足輪アンクレットだなのだろうと思ったが、戦闘では、手より足の方が失いづらいということを遠回しに言われ、苦く納得した。

 オズヴァルドが呼ぶと、男性店員がやってきた。こちらも黒服に白手袋である。

 いくつか説明すると、店員とヴォルフは、サイズ調整のために別室に行くことになった。

「ダリヤ嬢、すぐ戻ります」

 ヴォルフはそう言うと、二階に上がっていった。


 ダリヤが続けてあたりの魔導具を見ていると、オズヴァルドが近づいてきた。

「ダリヤ嬢、次からはこちらをお使いください」

 白い手袋をとった手で渡されたのは、金色のカードだった。女神の右目という店の名が、繊細な女神の像と共に刻印されている。

「あの、こちらは?」

「当方への入店が自由になります。ヴォルフレード様がいらっしゃらず、お一人でも、私が店にいなくても、いつでもご来店の上、自由に魔導具をご覧頂けます」

 ダリヤは何も購入していない。魔導具師同士とはいえ、年代も違い、今までに交流もないのだ。カードをもらう理由がわからない。

 不思議がっている自分を見ながら、オズヴァルドはその少し濃い灰色の髪に手をやった。

「私はカルロさんに借りがありまして……お礼をしたいと言ったところ、『いつか娘が店に行くことがあったら、魔導具を見せてやってほしい。行かなかったら死ぬまで内緒にしておけ』と。カードはそのときに作っておりました」

「父が……」

「今日はお目にかかれて本当によかったです。いつかあちらに行ったら、カルロさんに借りは返したと言えますからね」

「あの、もしよろしければ、借りについて教えて頂いてもいいでしょうか?」

 目の前の男は一度だけ大きく呼吸し、目を伏せた。

「……お恥ずかしながら、私が若い頃、妻が店の従業員と資金を持って駆け落ちしまして。店をたたむか、多額の借金をするか、いっそ死ぬか、そう思っていたら、カルロさんが来て、屋台に飲みに連れていかれました」

「そ、そうなのですか……」

 聞かなければよかった。

 どんな顔をして、どうあいづちを打っていいかがまったくわからない。

「ええ、私は屋台で飲むなんて初めてで……エール片手に盛り上がりましてね、カルロさんのことも知っていましたし、洗いざらい喋りました。そして、その後に説教されましたよ。そういうときには新しい女だと。自分には『最愛の若い女』がすでにいると自慢されました」

 父! 何を説教したのだ。

 父はダリヤの母に逃げられているし、オズヴァルドも妻に逃げられたのなら、慰めたいのはわかる。しかし、内容については、とりあえず後で父の墓石を蹴りに行くべきだろうか。


「屋台でさんざん飲んだ後、緑の塔に招かれまして、メイドに抱かれた幼いあなたと会いました。『最愛の若い女』、確かに間違いない。それはそれは笑いましたよ」

「……そうだったんですか」

「夏の暑い時期で、塔は風が少ないから、娘が汗疹あせもになると言い出して……酒はおごったのだから、お前が魔導具でなにかいいものを作れと命令されました。いろいろとふっきれ、作ったのが冷風送機です。おかげで店を立て直し、今こうしています。私はあなたにも感謝しなければいけませんね」

「いえ……」

 まさか自分が冷風送機の開発理由に絡んでいたとは思わず、驚きで喉がつまる。

「カルロさんとは、お互い仕事で忙しくて、男爵会でしか飲めなかったのが残念です。こんなことなら、こちらから遠慮せず、飲みに誘うのだったと……カルロさんはあくまで同情で、私を親しい友達とは思われていなかったのかもしれませんが」

「いえ! 父は夏の度、冷風送機の前で、その……『オズヴァルド・ゾーラに感謝』と言いながら、エールを飲んでいました。オズヴァルドさんのことは友達で、きっと、一緒に飲んでいる気持ちだったのだと思います」

「そうですか、カルロさんが……冷風送機の前で……ははは……」

 オズヴァルドは笑い出す。だが、その声は、すぐ奇妙に間延びした。

 彼は眼鏡を外し、ハンカチできつく目を押さえ続けた。

「……大変失礼しました。ありがとうございます、ダリヤ嬢。心のつかえがとれました」

「いいえ、こちらこそカードをありがとうございます。父の話もお伺いできて、うれしかったです」

「ぜひ、またご来店ください。魔導具とお父様のお話をゆっくりお伺いしたいものです。お待ちしております」

「はい、ありがとうございます」

 オズヴァルドから差し出された右手を、ダリヤも握り返す。

 彼の涙は消え、晴れ晴れとした笑顔が広がった。

「……ダリヤ嬢、そろそろ次の店に移動してもよろしいでしょうか?」

 ちょうど階段から下りてきたヴォルフが、少し低い声で呼びかける。

「はい」

 手を離し、互いに会釈しあうと、ヴォルフと共に店の外へ向かった。

「またのご来店を、心よりお待ちしております」

 背後で父の友の声が、優しく響いた。


 外はまた一段と温度が上がっていた。

 バッグにしまおうとして、ふと金のカードを裏返す。そこにある署名は「ダリヤ・ロセッティ」

 自分の名だが、少し左にねじれた癖のある筆跡は、間違いなく父のもので。

 魔導具師としては尊敬していたが、日常はマイペースで、時々だらしない父だった。

 作業場で酒を飲みながら魔導具を試作し、時々、寝落ちていた。

 起こしながら寝室のベッドで寝るように言うと「寝ていない」と断固として言いはった。

 本や資料を開いたまま食事をし、汚してはあせりまくっていた。

 靴を磨いたからそちらを履くように言っているのに、汚れた方の靴を履いて出かけていった。

 脱いだ上着はハンガーにかけるよう何度言っても、作業場の椅子の背にかけられていた。

 酒を飲みすぎるな、料理に塩を足すなと、何度ダリヤが注意したことだろう。

 なのに、生きているときではなく、亡くなってからいいところを見せるのは、反則ではないだろうか。


「ダリヤ、何があった? オズヴァルドに何か失礼なことを言われた?」

 ヴォルフが自分の腕を強くつかみ、矢継ぎ早に聞いてきた。

 そのとき、自分の目からこぼれるものに初めて気がついた。

「違うの……ごめんなさい、ちょっと、父のことを思い出しただけ……」

「……そうか」

 マントとフードでダリヤを隠し、青年はかばうように前に立った。暑い中だけれど、マントは温かだった。

「落ち着くまで待つよ」

 マントからは、ヴォルフの香りがしていた。


 ・・・・・・・


 その後、ヴォルフは落ち着いたダリヤを連れ、近くの喫茶店に入った。

 『連れの目にゴミが入ったので』と店員に頼み込み、貴族女性向けのドレッサー付きのレストルームを借りた。ダリヤはそこで顔を洗い、メイクを直すことができた。

「……ご迷惑をおかけして、本当にすみませんでした」

「いや、気にしないで」

 すでにテーブルには紅茶が二つ並び、盗聴防止の魔導具が置かれていた。

「もう平気?」

「ええ。あの、さっきのことなんですが……」

 ダリヤはこれ以上心配されぬよう、オズヴァルドの件について、オブラートに包みまくって説明した。さすがに『妻に逃げられた』だの、『屋台で飲んで洗いざらい』だのは説明できない。

 とりあえず、オズヴァルドが悩んでいるときに、ダリヤの父と話し、魔導具開発のきっかけができたこと、小さい頃に自分も会ったらしいこと、父に頼まれ、娘である自分にお店に入れるカードをくれたことなどを話した。

 話し終えると、ヴォルフが肩の力を抜き、深く息を吐いた。

「そういうことだったのか……」

「ええ、まさかお店で父のそういった話を聞くとは思わなくて。この署名の筆跡、父のなんです。それで、つい……もう一年もたっているんですけど」

「まだ一年、かもしれないよ」

 紅茶をすすめられ、ようやく二人で飲む。

 口当たりのまろやかさから高級な茶葉だろうとは思うが、もうすっかり冷めていた。


「そういったことを聞いた上で、言いにくいんだが……あの店に行くときは、できれば俺と一緒に行ってくれないか?」

「私のことでヴォルフに都合の悪いことがあれば、遠慮なく言ってください」

 店にいるときの自分の態度やふるまいで、彼に迷惑がかかったのかもしれない。ダリヤは慌てて答える。

「いや、俺の都合ではないのだけれど……店の中でも気が合いそうに見えたし、オズヴァルドさんの態度が気がかりだし、今回きっかけを作ったことになる俺が、向こうにいるダリヤのお父さんに恨まれる可能性がゼロではなくてね……」

 ここまで遠回しに言葉を重ねるヴォルフは初めてだ。

 薄く形のよい唇が、言葉を選んでは止まっている。

「遠慮なしで要点をお願いします」

「オズヴァルドの二番目の奥さんはダリヤより少し上の年。三番目の奥さんはダリヤとほぼ似た年。よって、ダリヤが四番目の奥さんとして口説かれることを危惧している」

「ないです!!」

 オズヴァルドに、父の言葉はなかなか深く浸透したらしい。

 次からもヴォルフとできるかぎり一緒に来ると約束したダリヤだった。


 ちなみに、ダリヤはオズヴァルドについて、一生知らぬままになることが一つある。

 父カルロが、オズヴァルドを緑の塔に再び誘わなかった理由──

 それは、酔った彼が『ダリヤが大きくなったら嫁にくれ』と言ったからである。


 ・・・・・・・


「そろそろ昼食に行こう。何か食べたいものはある?」

 喫茶店を出たところでヴォルフに尋ねられ、ダリヤは少しだけ考えた。

 実は食べたいものも飲みたいものもあるのだが、独身女性としてどうなのか、はたしてヴォルフに受け入れられるのかと思う内容だ。

 だが、その迷いはすぐふりきった。

 自分は食べたいものを食べ、飲みたいものを飲もうと決めたのだ。ヴォルフが反対するならば、そのときに考えればいい。

「中央区の屋台でエールというのは、ありですか?」

「いいね。天気もいいし、大賛成だ」

 彼は大きく笑ってうなずいてくれた。


 馬車で中央区に戻り、近くの公園に向かう。

 公園周辺は、昼時から夕食時あたりまで屋台が並ぶ。

 王都では、屋台で昼食や夕食を済ませる家も多い。季節も天気も良い今日は、特に稼ぎ時らしい。公園脇にはぎっしりと店が並んでいた。

 それぞれの屋台が縦型の布に料理や売り物の名を入れた旗を出しており、赤、白、青、黄、緑、紫と、カラフルに風にはためいている。

 エールにワインに果物ジュース、いろいろなパン、カットフルーツ、串肉、魚の串焼き、クレープらしきもの、ソーセージとサラミ、削ったチーズ。それらをセットにして、トレイに乗せて売っている屋台もある。食べ物以外でも、安いアクセサリーやハンカチ、匂い袋などの小物を売っている店もあった。

 昼を過ぎた時間なのでそう混んではいないが、ある程度の人の流れがある。

 他国から観光に来ている旅人も多そうだ。ちらほらと珍しい衣装の者がグループで通り過ぎていく。

 公園にある緑の木々でさえずる鳥、人々のざわめき、そして、屋台の呼び込み。混ざり合った音の中、料理の焼ける香ばしい匂いや、果物の甘い香りが風に流れてくる。

 少しだけ、風が熱い。


「ヴォルフ、ポルケッタは好きですか? 食べたことあります?」

「屋台のは初めてだ。おいしそうな匂いだね」

「じゃあ、二人前買いますね」

「じゃ、俺はエールを二つ買ってくるよ」

 屋台のポルケッタは、ダリヤの父の好物だった。

 ポルケッタは、中型の豚の骨を抜き、それにいろいろな野菜やハーブをつめ、丸ごとこんがりとローストしたものだ。

 屋台では、それを薄切りにし、ハムやチャーシューのような感じで皿に二枚ほどのせられる。

 外側はこんがりと茶色に焼け、中はしっとりとした肉の白。その色の対比が、なんとも食欲をそそる。

 前世ではイタリア料理店で二回しか食べたことがないが、こちらの屋台のポルケッタは、味付けが一段濃い気がする。

 最初に食べたとき、つい水分の少ないチャーシューをイメージしてしまったが、慣れればパンや、酒によく合う味である。詰め物や香辛料の違いで、店ごとに大きく味が変わるのも面白い。

 ダリヤが屋台でポルケッタを買っている間に、ヴォルフは白エールを買ってきた。両手に一番大きいサイズのカップを一つずつ持っている。

「ダリヤ、クレスペッレは好き?」

「はい、好きです」

「じゃあ、こっちも買おう」

 クレスペッレは、少し厚めでしっかりしたクレープを焼き、それで、細かく切った野菜と肉を炒めたものや、魚介類を炒めたものなどを、たっぷりのソースとともに四角に包んだものだ。塩コショウ、ケチャップ、ぎょしょうなどのソースから選ぶことができ、組み合わせがいくつも楽しめる。

「俺は、野菜と肉を炒めたものに塩コショウで。ダリヤは?」

「魚介に魚醤ソースでお願いします」

 屋台の店員は代金を受けとると、その場で具をいっぱいに入れて巻いてくれた。

 肉と魚介を焼いた匂い、ソースの焦げる香り。なんとも食欲をそそる風が吹いてくる。


 屋台近くのテーブルも開いていたが、日差しが強いので、公園内で木陰になっているベンチを選んだ。

 ヴォルフがようやくそこでマントを脱いだ。汗がシャツの背中をひどくぬらしている。

 ダリヤがベンチの真ん中に料理とエールを並べていると、彼が胸ポケットから、解毒の指輪を取り出した。

「すまない。一緒に食事をするときには、できればつけてほしい。ないとは思うけれど、万が一、俺目当てで、君の料理にも入れられると困るから」

「ヴォルフは、解毒の指輪はいらないんですか?」

「ああ、俺はいらない。食べるものの方は大体慣らしているし、一応、足輪アンクレットもつけている」

 気軽そうに話してはいるが、なかなかに怖い話題だ。

 目の前の男が貴族であることを、ダリヤは改めて認識する。

「じゃあ、お借りします」

「付与の確認のためにダリヤの研究用にしてかまわないよ。壊したらもう一つ買えばいい」

 その言葉を聞いて、料理の解毒より、理由をつけて付与確認用に指輪を渡そうとしている気がしてきた。

 そもそも、狙われる可能性があれば、ヴォルフが一人で気軽に出歩くことはないし、伯爵家の方でも護衛をつけるのではないだろうか。

 いずれ付き合いが疎遠になりはじめたら返すか、兵舎にヴォルフレード・スカルファロット様宛で送る方がいいのかもしれない。


「ありがとうございます、お借りします」

 素直に受け取ったものの、ダリヤは首をかしげる。

「すみません。解毒の指輪って、普通どの指につけるものですか?」

「騎士ならだけど、利き手じゃない人差し指、中指、薬指のどれかだね」

「剣が持ちづらくなるからですか?」

「うん、それもあるし、戦いでは利き手の方が無くなる率が高いから」

 切実に怖い理由だった。

 左手の指を眺めつつ、金色の指輪を合わせてみる。サイズは多少の調整が利くので、なんとなくしっくりきた中指で合わせてみた。

「思い出した。王城の錬金術師はよく左手の中指に指輪をしている。魔導具師も同じなんだろうか?」

「魔導具師が全員というわけではないと思いますが、私は父から魔導具を作るときは付与系のアクセサリーはしないように教わっていました。少しの魔力でも仕上がりに影響するからと」

「なるほど。それぞれ違うのか」

 話しながら、ようやく白エールで乾杯した。

 白エールは少しぬるかったが、炭酸は強めで、オレンジピールが香る甘めの味だった。渇いた喉にはなんともありがたい。

 このエールが入っているのは木のコップだが、先にアルコールと一緒に買い、飲み終わってから返却すると、半貨一枚が返ってくる仕組みだ。いいリサイクルシステムだと思う。

「おいしい。店で食べるよりこっちのポルケッタの方が好みかも」

 ポルケッタにかぶりついたヴォルフは、白エールがすすんでいる。

 どうやら彼は、塩や辛みのはっきりした味が好きらしい。

「よかったです。父の好物だったので、私もよく食べるようになりました。最初に食べにきたときは、子供だったので半泣きでしたけど」

「辛い味の店に当たった?」

「いえ、お店に焼きたてがあり、まだ頭と足がついていまして」

「ああ、それは驚くよね……」

 あのインパクトはすごかった。

 自分が小さい頃なので、店で飾られていた丸焼きの豚は、それはそれは大きく見えた。

 半泣きながらも目をつむって食べたらおいしかったので、そのうちに水に流れたが。


 魚介に魚醤ソースのクレスペッレを手に、ダリヤは一度木のコップを置く。

 ヴォルフとは別の方向を見ると、遠慮なく、ばくりと大口で食べた。中からぶわりと出てくる魚介の味と香り、少しだけ遅れてくる魚醤ソースの味。生臭さはまったくなく、香ばしいほどだ。

 クレスペッレの皮の部分は、端がかりっとしていて、少しだけ塩味が強くなるのがおいしい。これだけでも食べられそうだった。

「こっちもいい味だね」

「ええ、おいしいです」

 汗ばむ陽気ではあるが、屋外でエールと軽食というのは、しみじみいいものだ。

 ここ一年、こんなに楽な気分で食事をしたことはなかった気がする。

 思い返せば、トビアスは屋台での食事やピクニックなどがあまり好きではなかった。

 いつの間にか、彼に合わせてしたいことを何もかも遠慮していた。彼にああしたい、こうしてほしいと言うこともなかった。

 遠慮した上で、どこかで察してほしいと思っていた自分もいたのだ。

 それが今はたまらなく嫌に思えた。

 彼と結婚したらいい家庭が築けるかもという淡い夢──今となってはぞっとするだけの話だ。


「考えごと?」

 つい手を止めていたらしい。ダリヤは暗い考えをふり払った。

「ええ……天気のいい公園で、エールと屋台の料理というのは、幸せだなと思いまして」

「うん、俺もそう思う。そして、その幸せのもう一杯を、赤エールとして追加するかどうかで苦悩している」

「私も飲みたいので、ちょっと買ってきます」

「いや、俺が行くよ」

 立ち上がろうとしたヴォルフに、他もちょっと見たいからと言って、なんとか座らせる。この暑さでもう一度黒いマントを着せるのはしのびない。

「すぐ戻ります」

 ハンドバッグを脇に、ダリヤは早足でひしめく屋台へ向かった。


 ・・・・・・・


 白と黒のエールの店はあったが、赤エールがないため、少し離れた屋台を探すことになった。

 ようやく見つけた屋台は、客が一人いたので、その後ろに少し距離をあけて立つ。

「そこのお嬢さん」

 男が知り合いにでも話しかけているのだろう、そう思って他の屋台に目を向けていると、とんと横から肩をたたかれた。

 通路側に目を向けると、自分と同じような赤髪に、青い目の男が笑っていた。

 その顔に、まったく覚えがない。

「君に話しかけているのだけど」

「なんでしょうか?」

 ダリヤは道でも聞かれるのかと思い、普通に返事をした。

「君、一人?」

「いえ、連れがいます」

「連れって、女の子?」

「いえ、男性です」

「女に酒を買わせる男なんて、失礼すぎるよ。放っておいて、一緒に食事に行かない? おごるよ」

「結構です。相手を待たせたくはないので、失礼します」

 これで話は終わるだろう、そう思って、屋台に向いて赤エールを注文しようとする。

 そのとき、横から左手首をきつめにつかまれた。少しばかり痛い。

「俺、君に運命を感じたのだけど、真面目に話す時間をとってもらえないかな?」

「お断りします。痛いので手を離してください……でないと反撃します」

「君がする反撃なんてかわいいものだと思うけれど」

 男が手首を持ったまま、ダリヤの耳元に口を寄せた。

 その酒の匂いのする生ぬるい声が、ひどく気持ち悪い。

「このまま手をつないで、待っている彼から逃げるというのはどう?」

 男の胸に向けて体を引っ張られる。靴のかかとを地面に突き立ててなんとかこらえたが、手のコップは落ち、ハンドバッグも遅れて脇から滑り落ちた。

「……!」

 ダリヤは息を止め、右手で腕輪を握って斜めに振り下ろす。

 ガツン! と音がして、二人の間を裂いたのは真っ白な氷の柱。

 男が驚いて後ろに飛び退き、ひどく尻餅をついた。

「ちっ、魔導師かよ!」

 男は言い捨てると、そのまま走って逃げていった。

 その背中に『魔導具師ですよー』と小さく言ってみる。

 とりあえず、流血沙汰にならずなによりだ。

 目の前には、直径十五センチほどで長さ八十センチはある氷の円柱が転がっている。調整した氷結フリージングリングは、なかなかにいい仕事をしてくれた。


「ご迷惑をおかけして、すみません」

 ダリヤは目の前にいる屋台の女に頭を下げた。

「いやいやいや、あんた、かっこよかったよ! こっちこそ、さっきの馬鹿をすぐ止めてやれなくてごめんよ!」

 赤エールを売っていた年配の女性が、ぶんぶんと手を横にふる。

「そっちの兄さんは遅いよ!」

 振り返ると、ハンドバッグを拾って立つ、黒いマントの男がいた。遅いので心配して来てくれたらしい。

「……ごめん、遅れた。一人で行かせるべきじゃなかった……」

「いえ、なんともなく、大丈夫ですので!」

 耳をぺたりと伏せて落ち込む犬の姿が、目の前の男と完全に一致し、ダリヤはひどく慌てる。

「あの、今、氷をどかしますから」

「氷はそこにおいといていいよ。こっちで端によけとく。この陽気だからすぐに溶けるよ。触ったらあんたの服が汚れちゃうからやめな」

「すみません……」

「ちょっと待ってて」

 女性は一度奥に行くと、赤エールの注がれた一番大きなコップを二つ持ってきた。

「どうぞ。おいしかったら、次からは買っておくれ」

「でも……」

「本日お二人様限定、試飲サービス。次からは彼氏と一緒に買いにおいで」

「ありがとうございます。次は友人と一緒に買いに来ますね」

「そうかい……そっちのお兄さん、がんばりなよ……」

 ヴォルフに何をがんばれと言っているのかは謎である。

 ダリヤは赤エールを受け取ろうとして、手が震えていること、心臓がひどくバクバクしていることに気がついた。そして、この種類の恐怖感は遅れてくるのだと初めて知った。

「すみません、ヴォルフ、持ってもらってもいいですか?」

「ああ、本当にすまなかった……」

 ダリヤの様子に気がついたらしく、さらに落ち込み空気がずっしり重い青年と共に、公園へ戻る。


「本当にごめん、やっぱり俺が行くべきだった。ダリヤを助けられないとか、騎士失格だ」

「気にしないでください。たまたまじゃないですか、私は無事ですし」

「怖い思いをさせてしまったんだから、無事じゃない。それに、君がナンパされるのは警戒しておくべきだったんだよ」

「ああ、私、考えたこともなかったですね。人生初ナンパでした」

「は? 今までは?」

 ひどく驚いた顔で青年が尋ねるので、つい笑ってしまう。

 実際、前世今世を通しての初ナンパである。

「まったく、一度も、全然。外で男性に声をかけられたのは初めてなので、お化粧の力ってすごいなと思いました」

「ダリヤ、そのカウントだと、俺が最初に君をナンパしたことになるんだけど?」

「え? ヴォルフはナンパじゃなくて、人捜しだったじゃないですか」

「……そうなんだろうか?」

「とりあえず、ぬるくならないうちに、これを飲みましょう」

 元のテーブルに戻り、軽く乾杯すると、ようやく落ち着いた。

 やはり赤エールはフルーティでおいしい。思いのほか冷えていて、喉ごしもよかった。

「さっきのって、氷結フリージングリング?」

「ええ、改造したものですけど。相手に当てないように斜めに出したんですけど、なかなか角度調整が難しいですね」

「丸ごと凍らせてやってもよかったんだよ、あんな男は」

「手をとられただけで衛兵を呼ぶほどでもなかったですし……ところで、氷の調整機能をうまく入れると、氷剣アイスソードもどきとかもいけそうですね」

「……それ、剣につけられないだろうか?」

 ヴォルフの『魔剣に行きつく病』がうまく発動したので、落ち込み解消のため、さらに押してみる。

「剣の調整機能はどうかわからないんですけど、氷結フリージングだけだったらつけられるかもしれません。ただ、私の魔力だと『冷たさが少しの時間続く剣』くらいかもしれませんが」

「夏の遠征でそれを枕にして寝れば、寝付きがいいかもしれないね」

「ヴォルフ、氷結フリージングは刃につけることになるので、枕にしたら首が切れます」

「そして、俺は罪をつぐない、安らかに永遠の眠りにつけるという……」

「それっぽくまとめない!」

 そろそろ自分もつっこみに慣れるか、きっぱりあきらめるかするべきかもしれない。

 二人で話していると、いつの間にか話がおかしい方へずれていく。


「帰りに短剣を買いに武器屋に寄っていきたいんだけど、近くの喫茶店で待っている? それとも別のお店で行きたいところはある?」

 赤エールがようやくなくなる頃、ヴォルフはそう尋ねてきた。

「一緒に武器屋に行ってはダメですか?」

「ダリヤは武器屋に行くのは嫌じゃない?」

「いいえ、まったく。一度見てみたかったんです。父には止められていましたので」

「意外だな。君のお父さんなら、むしろ見学しておいでと言いそうなイメージなんだけれど」

「子供の頃から『お前が夢中になって見たら、手を切るかもしれないだろう』と言われていました」

「武器はそれなりに危ないし、男性が多いから、父親としては心配になったのだろうね」

「いえ、私も悪いので、反省はしているんです……」

 ダリヤは遠い目で、公園の奥の木々を見る。初夏の緑の鮮やかさが目にしみた。

「学院の頃、『この年ならもう一人で武器屋を見てきても大丈夫!』と力いっぱい言った翌日に、スライムで火傷やけどをしたので。その後で、『絶対に武器屋に一人で行くことは許さない』と言われて、約束しました」

「スライムで火傷……ああ、防水布開発のときだね」

「はい。各種のスライムを粉末にして、いろいろな薬剤を入れて実験をしていたんですが、割合や種類を試しているときに、徹夜明けで寝ぼけ、ガラスベらではなく、手袋をつけた両方の手のひらで混ぜまして」

「スライムってそもそも強い酸だから、人も動物も当たり前に溶けるんだけど」

「ええ、ちょうどその特性が増強したようで。なかなかに溶ける力のある液体ができてしまい、見事に手袋が溶けまして。しかし、ブルースライムと違って、ブラックスライムの毒は粉末になっても消えず、手が完全にしびれて動かせず、しかも痛みどころか感覚もないという……」

「先が予想できる怖い話になってきた……」

 ヴォルフがうつむき、左手で額を押さえる。

「これは自分ではダメだと判断し、父になんか手が変になったと言ったらバケツから引き抜かれ、ポーションかけられ、馬車を呼んで神殿送りにされました。ずっと手をシーツで巻かれて、行っても私には手を見せずに治療されたので、火傷の具合が全然わからなかったんですが」

「……ダリヤ、それ、寄付金いくらかかった?」

「えっと、確か金貨二枚だったかと」

「火傷じゃないね。先にポーションかけてもそれだと、たぶん指の骨が見えてたね」

「えっ?」

「えっ、じゃないよ、金貨レベルは重傷だから、笑えないから!」

「重傷……?」

 驚きである。父には何度か聞いても『けっこうな火傷』としか言われなかった。

がひどいとき、自分の骨や血を見るとパニックを起こして、そのまま死んでしまう人もいる。だから、ダリヤのお父さんは手にシーツを巻いたんだろう。騎士だって、スライムで死ぬことはある。まして、火と水と風が全部効きづらいブラックスライムじゃ、くっつかれたらはがしづらいんだから」

「え、ブラックスライムって〝火と水と風が全部効きづらくて、はがしづらい〟んですか?」

「ダリヤ、今はその話じゃない」

 黄金の目というのは、ここまで冷たく光るのかというのを体感できた。

 冗談抜きで即座に泣きを入れたくなる。

「一人でいるときにそんな怪我を負っていたら、塔から出るのだって難しいだろう? 今はそんな危ないことはしてないよね?」

「……してないです」

 ヴォルフに真面目にしかられた。普段と違ってなかなかに怖かった。


 ダリヤが神妙な顔でうなずきつつ聞いていると、彼はスライムに関する長い注意をしつつ、はっとしたように口元に手を当てた。

「……すまない、俺がムキになることじゃなかった」

「いえ、しみじみと反省しています」

 それほどの怪我だったのであれば、さぞかし父は自分を心配したのだろう。一人で武器屋に行くなというのもわかる気がした。


「ああ、今、やっとわかったよ。俺が赤鎧スカーレットアーマーの話をするときに、どうして君が、あのすごく困った顔になるのか。俺の場合、心配だと口うるさくなるのか……」

 ひどい相互理解と自己理解をされた気がする。

 でも、なぜかそれも悪くなかった。


 ・・・・・・・


 客足がちょうど途切れた。そろそろ午後の休憩を入れるか、フロレスがその白いひげをひっぱりながら考えていると、カランとドアベルが鳴った。

 ドアがいつもよりゆっくりと開き、そのまま止まる。

 すると、武器屋にはあきらかに不似合いと思える女が入ってきた。その後ろ、ドアを押さえていた背の高い黒髪の男も続いてきた。

 古いかしのドアをわざわざ開けたまま止め、女を先に通す、そんな丁寧なエスコートをする者などそうそうない。どちらかが『お貴族様』なのだろう。

 武器屋うちを興味本位でお前らのデートコースにするなと、声を大にして言いたい。

「いらっしゃい」

 内心は別として、フロレスは店主として、とりあえず型通りの挨拶をした。

 二人の客からも丁寧な挨拶が返ってきた。

 意外にも、男の方は以前にも来たことのある、女からすると見本のような美丈夫だった。

 黒髪に金の目は、南の草原にいるというくろひょうを想像させる。

 もっとも、自分からすると、それだけの背丈があるのなら、長剣ではなく、大剣に切り替えるために、もうちょっと肉をつけろと言いたいところだ。

 女の方は男についてきただけだろう。

 見事なほどの赤毛だが、顔も化粧もそれなりで、水色の上着に紺色のスカートは涼しげに見える。

 なかなか目をひく、悪くないスタイルだ。

 フロレスの好みから言うと、特に後ろ姿のラインがいい。


 二人は店内を確認するように回っていく。

 女が緑の目を楽しげに動かして進む度、男は足下と周囲の安全を瞬時に確認している。かすり傷ひとつ負わせまいというのが透けるほどの過保護さに、腹の内で笑った。

 まさに姫を守る騎士様の仕事である。

 そのうち、二人が自分のところに寄ってきたので、てっきり男の買い物だろうと思った。

 だが、軽く会釈して話しかけてきたのは、赤髪の女の方だった。

「お忙しいところすみません。魔法付与のできる短剣を探しています。分解できる作りで、お手頃なものを見せて頂けないでしょうか?」

「お、おう。今、持ってくる」

 丁寧な言葉と態度に、つい声がうわずった。

 この武器屋に最も多く来るのは冒険者である。男女とも言葉が荒く、態度も自由な者が多い。この女のようなタイプは、あまり見ない。

 短剣を三種類テーブルに並べると、女は緑の目を明るく輝かせ、少しばかり前のめりになって見つめている。

 なぜか、家で飼っている猫へ、最初におもちゃを与えたときのことを思い出した。

さやから出して確かめてくれ」

 自分がそう言うと、女は触ろうと手を伸ばし、いったん止めた。

 そっと横を見るので、どうしたのかと思えば、背の高い男がひどく心配そうに女を見ている。

 子供でもあるまいに、さや付きの短剣でそうそう手は切らないだろうにとおかしくなった。貴族令嬢のお忍びかお遊びか、やはり相当過保護にされているのだろう。

 それでもそろそろと手を伸ばし、女はゆっくりと一本ずつ確認していく。

 安物の短剣だというのに、まるで宝物のように触れているのを、どこか不思議な気分で眺めていた。


「こちら、使っている鉄の産地はわかりますか?」

 いきなり、女から意外なことを尋ねられた。

 武器に関するやりとりは、武器屋としてそれなりに面白い。が、この女の材質や分解について細かく尋ねてくるそれは、どう聞いても普通のご令嬢のものではなかった。

 よく見れば手の爪は短く、荒れはそれなりにある。『魔法付与』の言葉を思い出し、女に尋ねた。

「もしかして、あんた、魔導師か? それとも錬金術師か?」

「いえ、魔導具師です」

 女は笑顔で答えた。なぜか後ろの男まで少しばかり笑っている。

 魔導師や錬金術師より一段下と言われる魔導具師だが、この二人には胸を張れるものらしい。

 悪くない笑顔だった。

「これで、同じものを二つお願いします。つかつばさやだけ、それぞれ追加できますか?」

「ああ、できる」

 時間をかけて女が選んだ短剣は、柄が赤の一番短い短剣だった。

 女は銘もない安い短剣ばかり選ぶ。

 男の方はもっと高いものを使うようにとすすめているが、女の方が頑として聞かない。

「魔法付与のできる短剣で、柄をネジで留めるタイプもあるが?」

 自分が言うと、そちらも見たいというので、三本ほど奥から持ってきた。

 また女の質問が始まったので、材質やネジの説明をして答えていく。

 すべてに答えると、女は満足したように明るい笑顔を向けてきた。

「こちらを二本追加で、ネジ、つかつばさやは各二つずつでお願いします」

 高い買い物ではなかったが、妙にこちらも満足する。


 そこでふと気がついた。

 この女は、質問している間中、いや、今も、まるで自分を尊敬する恩師か師匠のような目で見ている。意識してしまうと、それがなんともこそばゆい。

 支払いは男がしたが、ひどくうれしそうな顔をしていた。

 女が選んだ武器に金を払うのに、ここまで幸せそうな顔の男は初めて見た気がする。

 一体何を付与して、誰がどう使うのか。次に機会があれば、少し女の方に聞いてみたいところではある。

「毎度あり」

「また来ます」

 定型のような挨拶をかわし、二人は外へ出ていく。

 来たときと同じように男がドアを開けたまま止め、女をエスコートするのが、なぜか今度は微笑ほほえましく見えた。


 二人の関係はわからないが、店主のフロレスには一つだけ、妙な確信があった。

 あの美丈夫はいつか、あの女の尻にしかれるに違いない。

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