魔物討伐の騎士

 翌朝、ダリヤは、王都の外の森へ採取に出かけた。

 採取といっても、街道近くで石や砂などを採ろうかぐらいの軽い予定だ。中身にはそれほど期待していない。

 塔にいて、またトビアスに来られるかもしれないと思うと落ち着かないし、知り合いに婚約破棄について聞かれるのもうっとうしい。

 森へ行けば人と会うこともそうないので、とりあえず今日一日は気分転換にあてるつもりだ。

 移動は馬車だが、一人なのでちょっと奮発し、訓練された八本脚馬スレイプニルに、金属扉のある丈夫な箱馬車を借りた。レンタル料はそれなりに高いが、この八本脚馬スレイプニル、移動中に襲ってきた小型魔物や賊などは一撃で蹴り倒してくれるそうだ。

 また、御者台の後ろ扉から箱馬車の中に隠れ、そこにあるホイッスルを吹けば、御者の指示がなくても勝手に王都まで戻ってくれるという。なんとも頼りがいのある護衛である。

 予約に行ったところ、ちょうどキャンセルが出たというので、迷わず借りた。


 青空の下、鳥の声が重なり、風が木々をゆっくりと揺らして流れていく。

 森への道に多少がたつきがあるものの、道幅も状態もそれなりにいい。

 なにより、いい馬車はやはり乗り心地がよかった。

 最初は八本脚馬スレイプニルをおそるおそる走らせていたが、なんの問題もなかった。

 むしろ、八本脚馬スレイプニルに気を使ってもらっているのではないかと思えるほど快適だ。

 王都近くから目的の森までは、ほとんど魔物が出ないといわれている。

 だが、父に教えられた通り、万が一に備え、魔物用の投石魔石も上着に入れているし、護身用の装備もしてきた。人間の賊が出ても対応できる形だ。

 ダリヤは誰もいないのを確認すると、袋から白ワインの瓶を出し、直接口をつけた。

 数口飲むと、大きく息を吐く。とても行儀の悪い飲み方だが、一度やってみたかったことだ。

 ここ数日のストレスは意外に重かったらしい。

 ようやく深く呼吸ができるようになった気がした。


 この道を進めば、少し開けた河原がある。そこで石の採取をしたら、川を眺めつつ、少し早い昼食にしよう──そう考えていたら、横の森から、鳥の一群が甲高く鳴いて飛び立った。

 八本脚馬スレイプニルがいなないて止まり、一番前の右足を持ちあげて森をうかがっている。警戒の構えらしい。

 進行方向の右側の深いやぶから、ガサガサと音がした。小さな動物の立てる音ではない。

 もっと大きな動物、もしかしたら魔物かもしれない。

 ダリヤは、魔物用の投石魔石をきつく握りしめた。

「……やっと、道……」

 かすれた声と共に茂みから出てきたのは、人間だった。ただし、頭からつま先まで血だらけの。

「ちょっ、大丈夫!?」

「……み、水……もらえ…な…?」

 両手と両膝を地面についた男はそう言った。声がかすれ、言葉になっていない。

 ダリヤは慌てて馬車から水の革袋を持っていった。

「飲んで!」

 頭を軽く下げて受け取った男は、息をつくのも惜しいとばかりに、革袋の水を一気に飲みきる。

「……生き返った……ありがとう……」

 男はその場に倒れ込んだ。

 よろいの胸当て部分は残っているが、肩の部分も背中の部分もちぎれている。着ている服もぼろぼろで、左肩から上腕は複数の傷でひどくえぐれている。とにかく全身が血で真っ赤だ。

「大丈夫!?」

「平気……ほとんど、魔物の血……仲間とはぐれて……山から、二日、走って……」

 男がなんとか指をさした方向、その先の山の頂きは雪に覆われている。あの山からでは、よく生きていたとしか言いようがない。

 仲間とはぐれてということは、冒険者なのかもしれない。


「ちょっと待ってて」

 ダリヤは馬車に一度入り、荷物の中からポーションを出し、木のコップに移し替えた。

「どうぞ」

「ありがとう……」

 コップを受け取り、一口飲んだ男が目を丸くした。

「これ、ポーションじゃないか……!」

「ええ、もう開けましたので、最後まできっちり飲んでください」

 開封したポーションは保存ができない。

 ポーションだとわかると遠慮する可能性があるので、コップに入れてみたが、正解だったらしい。

 ポーション一本の価格は大銀貨五枚。ダリヤの感覚で、五万円のお薬である。

 ちょっと高いと思えるかもしれないが、の回復にはそれなりに効く。命には代えられない。

「すまない……王都に戻ったら支払います」

 男は頭を下げて残りを飲み終えると、何度か深呼吸をした。

 上腕の傷が、時間が巻き戻るように治っていくのが、なんとも不思議だった。

「ありがとうございます。楽になりました」

 元気そうな声にはなったが、男の顔は血だらけのままだ。顔色がよくなったなどの変化が、まるで確認できない。

「名乗るのが遅れました。俺は騎士団の魔物討伐部隊にいるヴォルフレードと言います。下位貴族の末っ子なので、気を使わず、ヴォルフと呼んでください」

 男はこの国に所属する魔物討伐部隊の騎士だった。


 この世界は、あちこちに魔物がいる。

 通常は冒険者が倒し、冒険者ギルド経由で市場に肉や皮、骨などの資源として回る。

 だが、人間の活動範囲とかぶってしまい危険と判断されるときや、魔物の数があまりに多いとき、強い個体や大型の魔物が見つかったときなどは、国の魔物討伐部隊が出向く。

 この世界では、多数の魔物、あるいは大型の魔物の脅威は、災害のようなものだ。

 そんな魔物達と戦うだけあって、魔物討伐部隊はかなり強い者ばかりがそろっていると聞いていた。


「市民のダリ、です。いろいろやってます」

 ダリヤは名前をわざと男のように切って言った。

 今日の自分は、父の上着をゆるく着ている。その上に、髪をすべて隠した黒い帽子、黒ブチの眼鏡、声を低く変えるチョーカーをし、喉はガーゼのマフラーで覆ってある。

 森で女一人だと絡まれる可能性があるので、万が一の対策だ。

 貴族の場合、男性は独身女性と二人で馬車に乗るのを避けることも多い。女だという説明はしないことにした。

 少なくとも、目の前のこの騎士は、馬車で早めに王都に連れていくべきだろう。

「ダリさん、たいへん申し訳ないのですが、王都に行くなら、乗せていってもらえないでしょうか? もちろん城に戻り次第、きちんとお支払いしますので」

「もちろんです。どうぞお乗りください」

「ありがとうございます。助かります」

 ヴォルフは何度かまばたきをした後、明るい茶系らしい目をこすった。よく見れば白目部分がかなり充血している。

「あの、目、痛みますか?」

「魔物の血が入ってから、ちょっとおかしくて……」

 先ほどのポーションで治っていないということは、怪我ではなく、魔物の毒か眼病の可能性がある。もしくは、今も顔についている血が、再び目に流れていってしまっているのだろう。

「早めに洗い流した方がいいですね。魔物によっては失明することもあったかと思いますので」

「神殿で金貨十二枚ですね……ちょっとそれは避けたいです」

 この世界、医者もいるが、重い怪我は神殿で神官に治療してもらう方が一般的だ。

 治療は有料であり、怪我が重いほど高額になっていくが、ほとんどの怪我が治せるというのはありがたいことである。

「近くに川がありますから、洗いに行きますか?」

「お願いします」

 ヴォルフが立ち上がったとき、かなり背が高いことにようやく気がついた。やや細身にも見えるが、それは一九○センチ近い身長のせいかもしれない。

「御者台ですみませんが、隣にどうぞ」

 ダリヤは御者台の半分をあけた。

「いえ、汚れますから、川まで歩きますよ」

「下に敷いているのは防水布ですので、大丈夫です」

「そうですか。じゃあ、お言葉に甘えます」

 ヴォルフは並んだとき服が触れないように、かなり端に寄って座っている。それでもすぐに濃い血のにおいとわずかな腐臭が流れてきた。

 やはり早めに全身を洗い流した方がいいだろう。水の魔石を持ってきていればよかったのだが、今日は防腐付与付きの革袋に入れた飲み水しか持ってこなかった。

「この防水布って、便利ですよね」

「そう思います?」

 ヴォルフにとっては世間話のような何気ない一言だろうが、ダリヤはひどくうれしくなった。


 防水布は学院の頃に開発した、ダリヤ発案の魔導具である。

 こちらの世界では、ビニール素材がない。父のレインコートを作るために、防水効果のある布が欲しくて、いろいろと試行錯誤したのが防水布のはじまりだ。

 結果、ブルースライムを一度粉末にし、布の片面に薬品と混ぜて塗布、その後に定着魔法をかけてできたのが、ダリヤ作の防水布である。

 おかげで一時期、屋上と庭いっぱいに、各種スライムが干されていたり、床いっぱいに置いた瓶に粉が入っていたりした。

 ちなみに、防水布の急激な普及時には、冒険者によるブルースライムの乱獲騒ぎもあったそうだ。

 ブルースライムに意思があれば、自分は間違いなく恨まれているだろう。


「騎士団に入ったばかりの頃は、野営のテントとか雨用のマントにろうを塗っていたんです。新人の仕事なんですが、これがけっこう大変で。塗り忘れると隙間から水が入ってくるので……蝋がしっかり塗れるように厚めの布を使うから、運ぶのも大変でした。しばらくしてから防水布になって、軽くなりましたし、手間がかからなくなりました」

「そうだったんですか。便利なのはいいですね」

「レインコートもいいですよ。あ、レインコートというのは、防水布でできた、腕の通るマントみたいなものです。それを使うようになって、部隊では、汗疹あせもになる者が減ったんです。それまでは夏の雨の日でも革のマントだったので……」

「汗疹、ですか」

 防水布を作ったダリヤだが、それは考えたことがなかった。

「ええ。かゆくても、鎧の下だとかくにかけないですし、野営地ではなかなか水浴びもできないので。移動中はもちろん、戦いの最中に、集中力を持っていかれることがあるので馬鹿にできないんです」

 思っていたより切実な理由だった。

 実際に使っている声を聞くと、改善するべきところが見えてくる。防水機能を保持しつつ、より通気性のいい布の開発をしたい、できればさらに軽量化も実現したいものだ。

「防水布でもっと風通しがよくて、軽いものができると便利そうですね」

「あればいいですね。ただ、耐久性はやっぱりいるので、難しいんでしょうけど」

 耐久性も保持しなくてはいけないのか。これは新しい素材も含めて、いろいろと試す必要があるかもしれない──つい考え込んでいると、ヴォルフが声をかけてきた。

「すみません、つい内輪の話ばかりを。ダリさんは、このあたりで採取を?」

「ええ、いろいろと見て回っていました」

「本当にすみません、仕事の邪魔をしてしまって」

「そんなことはないです。今日は下見のつもりでしたので」

 お互いにフォローしあっていると、川原が見えてきた。

 元々、移動時の休憩所として作られたエリアなので、それなりに平らで広い。

 平らな場所に馬車を止め、二人とも降りた。

 ヴォルフは川の浅瀬に向かい、すぐ目と顔を洗いだす。が、乾いた血もあり、なかなかとれないようだ。何度も水をかけて顔と頭を洗い続け、やっと顔をあげようとする。

 ダリヤはその手に、持っていたタオルを手渡した。

「よろしければどうぞ」

「すみません」

 彼はタオルで顔をぬぐうと、ようやくダリヤに向き直る。

 その顔を見て、言葉が消えた。

 先ほどまで血とほこりに汚れていた短髪は、つややかなこくたんだった。

 くすみひとつない白い肌、整いすぎた顔の輪郭、高くすうと通ったりょう、薄く形のよい唇。

 長いまつの下、芸術品のごとき切れ長の目は、濃いウイスキーを光に当てたように輝く黄金で、その中央に夜を思わせる黒い瞳があった。

 ダリヤの前世今世を通し、一、二位を争う美青年だ。

 付き合いたいとは思わないが、肖像画を飾っておくならば悪くないかもしれない。


「動物が血の臭いで寄ってくるかもしれないので、水を浴びて、ついでに服も洗ってきます」

 そう言って、ヴォルフは鎧をとりながら、川の中央へ向かっていく。

 ざばざばという水音に、ダリヤはすぐ背を向けた。


 ・・・・・・・


 ダリヤは馬車へ向かい、八本脚馬スレイプニルに水と紫どうを準備した。

 八本脚馬スレイプニルは野菜も肉も食べる。昼は水だけでもいいと言われたが、おやつをあげると機嫌よく仕事をしてくれると聞いた。

 おやつは何がいいかと尋ねたところ、『この子は、特に紫葡萄が好き』とのことだったので、店で多めに買ってきた。

 紫葡萄を見た途端、黒い目をぱっと見開き、ずっと視線で追ってくるのがなんともかわいい。

 今日は護衛の他、結果的に人命救助をしてくれたので、ここで全部あげることにした。

 水と葡萄を目の前に並べると、八本脚馬スレイプニルのいななきがひどくうれしげに響いた。


 馬車から荷物を持ってくると、川原でたき火を起こす。

 まきは積んできていたし、着火の魔導具もあるので、時間はかからない。

 風の方向を確認し、たき火の横に、自分とヴォルフが座る場所を斜め向かいにして作った。

 反対側には、たき火から少し離して木の棒二本を地面に突き刺し、ロープを張る。ヴォルフの服を干すための簡易の物干しである。

 川の流れる音と鳥達のさえずりを聞きつつ、ダリヤは昼食を作りはじめた。

 持ってきた硬く丸いパンを切り分け、乳のチーズをのせ、火のそばに置く。そのままでも食べられるソーセージは、木の枝に刺し、たき火に近づけておいた。

 余分な容器はないので、あたりで適当に大きい葉を探し、革袋に入れていたドライフルーツとナッツを盛りつける。

 幸い、食事もワインも多めに持ってきたので余裕がある。

 形だけは自分の方にも少し盛りつけたが、ヴォルフの分をできるだけ多くした。

 春といえども、さすがに外の水浴びは冷えるだろう。そう考え、赤ワインに蜂蜜を少し入れ、小鍋で温める。

 ワインがふつふつといってきたあたりで、ちょうどヴォルフが川から上がってきた。

 ダリヤはそれを音だけで確認し、振り返らずに言う。

「服はそこの枝に干してください。あと、乾くまでそこにあるコートをどうぞ。父の物なので、ちょっと小さいかもしれませんけど」

 背後でごそごそと気配がした後、黒いコートを着たヴォルフがたき火の横に座った。

 背が高いので裾が足りていないが、非常時なので勘弁してもらいたい。

「なにからなにまで、本当に申し訳ない」

「たいしたことじゃないですよ」

 赤ワインをカップに注ぎ、パンとソーセージをそろえてすすめた。

「ありあわせですけど、よかったら召し上がってください」

「ありがとう。遠慮なく頂きます」

 自分が先に手をつけないと、おそらくこの貴族の青年は気を使うだろう。そう思って、ダリヤはヴォルフの方を見ずに食事を始めた。

 ライ麦パンにかじりつくと、上のチーズはとろりと溶けており、ホットワインによく合った。少しクセのある山羊乳のチーズだが、ライ麦パンとの相性はよかったようだ。

 ソーセージは木の枝から外さず、そのままかぶりつく。ぱりっとした食感と、じゅわじゅわとたっぷり出てくる肉汁、む度に味を変えていく香辛料の組み合わせがなんともおいしい。ついエールが欲しくなりそうな味だった。

 そこまで食べてからこっそりヴォルフへ視線を向けると、とてもいい笑顔で食べていた。幸いなことに、口に合ったらしい。

 またたく間に料理はなくなったが、その食べっぷりはなんとも気持ちのいいものだった。


「こんなに食事がおいしいと思ったのは、久しぶりかもしれない……」

 すべて食べ終えて一息つくと、ヴォルフがぽつりと言った。

 二日ぶりの食事なのだから、無理もないだろう。

 風のそよぐ川原で、川音とたき火の音を聞きながら、二杯目の赤ワインをヴォルフにすすめる。

 青年は礼を言って受けとったが、飲みながら頻繁にまばたきをしていた。

「目、どうですか?」

「痛みはなくなりました。両目とも視界がぼやけた感じはありますけど」

「お城に戻って、お医者さんに診て頂いた方がいいですね」

「ええ、そうします」

 風で煙の向きが変わったので、ダリヤは視線を簡易物干しに向ける。幸い、煙はかからないようだ。濃い灰色の服が風にわずかに揺れている。

 風魔法でも使えれば乾きが速いのだが、あいにくダリヤには風の属性はない。

 視線を戻そうとして、地面にあるぼろぼろの鎧に気がついた。

 肩の部分はすでになかったが、胸当て部分は深い赤に見えた。どうやら、血で染まっているのではなかったらしい。

「……ヴォルフさん、もしかして、『赤鎧スカーレットアーマー』ですか?」

「ええ」

 彼はあっさりうなずいた。


 『赤鎧スカーレットアーマー』は、魔物討伐部隊の中で最も有名な役職だ。

 魔物討伐部隊で『赤い鎧』を身につけるのは、最初に魔物に切り込んでいく『先駆け』が役目の者だという。

 赤い鎧は最も目立つため、魔物から集中的に狙われ、おとりとされることも多い。討伐しきれずに退却するときにさえ、真っ先に狙われる。

 だから、危険な魔物討伐部隊の中でも、『最も死にやすい』のだと。


「それほど強くはないですが、動くのだけは速いので。魔物の目をそらすのは得意なんです」

「それは……」

 静かに微笑ほほえむ彼に悲壮感はない。それでもダリヤは言葉につまった。


 不意に、父が死んだ日のことを思い出す。

 昨年、今よりもう少しだけ緑のまぶしい時期。一緒に昼食を食べた後、商業ギルドへ一人で向かった父。倒れたと聞いて慌てて向かえば、すでに物言わぬむくろとなっていた。

 昼までは元気に話していて、まったく予期しない別れだった。

 そんなことを、なぜ、今、ここで思い出すのか。

 ダリヤは苦い思い出に目を伏せ、カップの赤ワインを見つめた。


「……この黒いコートで、昨年春の流行を思い出しました」

「……流行、ですか?」

 ぽつりとヴォルフが言ったので、機械的に聞き返しながら、ワインを口に含む。

「ええ。これだけなのを忘れ、街でうっかり女性の前で脱いだら、俺、『変質者』として衛兵を呼ばれるかなと」

「ぶっ!」

 ダリヤは飲んでいたワインを見事にふき出した。

 ちなみに、春先になるとそういった人がなぜか増えるというのは、こちらの世界でも通説となっている。

「人が飲んでいるときになんてことを……!」

 思わず大きな声が出た。

「すまない。思い出したから、つい……」

 目の前の青年は、明るすぎる声で笑った。

 今までの騎士と貴族らしかったヴォルフのイメージが、音を立てて完全に崩れていく。

赤鎧スカーレットアーマーを心配してくれるのはありがたいんだけど、うわさほど危なくはないんだ。君がなんだかあんまり悲しそうで、何を言っていいかわからなくなって……すまない、つい馬鹿を言った」

「いえ、こっちこそすみません……」

「俺はこのしゃべり方が地なんで、こっちでもいいかな? ダリさんも、楽な喋り方でお願いできればうれしいんだけど」

「……わかった」

 ダリヤはわざとぶっきらぼうに言った。

 どうやらさっきの悪い冗談は、自分が気を使わせてしまったせいらしい。


「ダリさん、魔導具とかは好き?」

「大好き。仕事でも関わっているから」

 いきなりの質問に、思わす素で答えてしまったが、ヴォルフ的にはうれしいことらしい。

 美しい黄金の目をきらきら光らせて、ダリヤを見返してきた。

「なら、ちょっと教えてほしい。見かけたことがないのだけど、民間の魔導具で、剣ってある?」

「剣はないと思う。魔導具としてなら魔法付与の包丁とかはある。剣は鍛冶屋だし、付与するなら魔導師か錬金術師じゃないかと」


 この世界、ダリヤの知る魔導具制作者は大きく分けて三つに分類される。

 まず魔導師。

 ダリヤの感覚から言えば、魔法使いであり、攻撃魔法や回復魔法などの外部魔法に優れた者達だ。

 特に、攻撃魔法が得意な者は、国の魔導部隊や冒険者などで活躍の場が多い。治癒魔法が得意なものは神殿や騎士、冒険者としての道もある。

 人によっては魔導具を作ることもあり、魔導具師を名乗る者もいる。

 次に錬金術師。

 錬金術師は、創造魔法で様々な物を作り出すことにけており、ポーションや希少金属、ゴーレムなど、いろいろな物を作り出す。

 付与魔法を得意とする者も多いので、こちらも魔導具師を兼ねる者がある。

 最後に魔導具師。

 魔導具師は素材や技術を利用し、場合によっては魔法付与などで魔導具を作るのが仕事である。攻撃魔法や回復魔法などが使えない、あるいは魔力の少ない者が多い。

 残念ながら、魔導師、錬金術師より一段軽く見られがちだ。

 もっとも、これ以外でも、学術関係や趣味で魔導具を作る者もいる。この世界、魔導具作りは特別なことではない。


「包丁に付与するって魔法って、どんなものがある?」

「一番多いのは、さび防止。あと、研ぎいらずもあるけど、どっちかかな」

「錆防止に研ぎいらずか。剣に付与できたら便利そうだ」

「ヴォルフさんの使ってる剣の付与は?」

「部隊の剣はたいてい硬度強化が入ってる。それでも折れてしまったけど」

「あれ、そういえば、剣って持ってた?」

 ダリヤは心配になった。もしかすると森でなくしてしまったのだろうか。

「ワイバーンを刺したら根元から折れた。だからそのまま、置いてきた」

「今回の討伐って、ワイバーン?」

 ワイバーンといえば、ごわりゅう種であり、きょうじんな翼と鋭い爪のある足を持った魔物だ。

 ダリヤはヴォルフの肩の生々しい傷を思い出した。あれがワイバーンの爪痕だったのだろう。

「ああ、赤のワイバーンだった。一匹倒したらもう一匹いて。手負いにしたら、俺を爪でひっかけて空へ逃げた。俺がいたおかげで、魔導師は魔法が撃てないし、騎士は強化弓が使えなかったし、城に帰ったらたぶん説教と反省文になると思う……」

「うわぁ……でも爪でひっかけられてって、よくご無事で……」

「いや、下から思いきり刺したら、あっさり落ちたから。落ちるときの方があせった。身体強化はしていたし、木がクッションになったから、なんともなかったけど」

「やっぱり危ない……」

「いや、身体強化していればそうそう怪我もしないし、治癒魔法のうまいのもいるし、滅多に人死にはないよ」

 滅多にない、それでもゼロではないのだと、ダリヤは理解した。


「話を戻すけど、ダリさんは『魔剣』って見たことはある?」

「商業ギルドで『炎の魔剣』を見たことがある。誰も抜けないから、外側だけだけど」

 この世界がファンタジーと感じられるアイテムのひとつ、魔剣。

 精霊や聖霊、英霊などが武器や防具に宿ることがあり、そういったものは通常よりはるかに強く、特殊な力を持つのだという。

 以前、商業ギルドに売り物として入ったのは、炎の魔剣だった。

 さやも持ち手も赤く、金を加えた豪華な模様で飾られていた。残念ながら誰も抜けないため、刃を見ることはできなかったが。

 その後、オークションにかかることが決まり、開始値から金貨百枚と、すばらしく高かったのを覚えている。大いに盛り上がったオークションの末、買ったのは高名な冒険者だと聞いた。

「炎の魔剣か、それは見てみたかった……」

「ヴォルフさんは魔剣をよく見るの?」

「一番見るのは魔物討伐部の隊長の魔剣かな。『灰手アッシュハンド』って言うんだけど、刺すと焼けて一気に灰になるんだ。血族固定の魔剣で、隊長の一族がずっと継承してるから、この国では有名だね。他には誰も抜けないし、抜いているときに触ると隊長以外は火傷やけどするんだけど」

 その剣は、炎の剣の上級ヴァージョンではないだろうか。

 そして、おそらく目の前の青年は、灰手アッシュハンドの火傷経験者であろう。

「他にも城にあるじ無しの有名な魔剣が二本あるんだけど、相性が悪くて誰も抜けないんだよね。俺も騎士団に入ってから試したけど、どっちも抜けなかった」

「やっぱり魔力の相性? それともなにか特別な資格がいるとか?」

「城にある魔剣は、魂の高潔さとか、強い使命感とかを見るって言われている。俺はどっちもまったくないから、抜けなくて当たり前なんだけれど」

 そう言いきって、からりと笑うヴォルフは、いっそすがすがしい。


「俺は見たことがないけど、他国には『喋る魔剣』っていうのがあるらしいよ」

「『喋る魔剣』っていうと、孤独な一人旅にも、友達のいない人にも便利そう……」

「ダリさん、それは何気にひどくない?」

「いっそ道案内とかしてくれたら便利なのに」

 前世の喋るカーナビやスマートフォンのマップを思い出し、つい言ってしまった。

「それ、魔剣じゃなくて『喋る地図』の方がいいよね?」

 まさにその通りである。ヴォルフは案外、開発者に向いているかもしれない。

 ダリヤは興味半分で他のものについても聞いてみる。

「喋る盾とか、鎧とかはないの?」

「盾は聞いたことはないな。誰かが隠して持っていればあるかもしれないけど。あと、鎧で喋るとしたら、首無鎧デュラハンじゃないかな。さすがにあれを着たいとは思わないけれど」

「ヴォルフさん、首無鎧デュラハンを見たことある?」

 首無鎧デュラハン。ファンタジーならではの魔物だ。うっかり遭遇はしたくないが、安全なところからならすごく観察してみたい。どういう原理で動いているのだろう。

「討伐に出向いたとき、洞窟に一人いたよ。『命ガ惜シクバ帰レ』って警告されて、かなり迫力はあったけど、大神官が同行していたから浄化一回五分で終わり」

「五分って……なんかちょっと切ない。で、首無鎧デュラハンてどんな形状? 中身は?」

かぶとなしの、大きい黒い鎧で長剣を持っていた。どちらもそれなりにいいものっていう感じだった。あと、中身はカラだったよ。神官が浄化した後、城の魔導師が大事に持って帰ってきていたけど、鎧にも剣にも、何も仕掛けが見つからなかったって、とても残念がっていた」

「そうなんだ……」

 その魔導師の気持ちがすごくわかる。仕掛けや仕組みは、やはり理解したいものだ。

 動力はやはりこんぱく的なものだろうか、それとも純粋に魔法で人格ならぬ『首無鎧デュラハン格』を作っているのだろうか。

 単なる鎧と剣になっても、全部分解して裏表をくまなく見てみたい。できれば素材も詳細にチェックしたいところだ。

「俺がダリさんに、その鎧を見せてあげられる立場だったらよかったのだけれど……」

 自分が考え込んでしまったので、青年を困らせてしまったらしい。

 本日二度目の失態に、ダリヤは首を横に大きく振る。

「ううん、話だけでもすごく面白いし、ありがたい。仕事の種になるから」

 そこではっとした。

 話に夢中になっていたが、ヴォルフの目のことを考えれば、早めに医者にかかる方がいいだろう。

「そろそろ移動しよう。ここから王都まで、けっこうあるから」

「すまない、話に夢中になってた」

「こっちこそ、長く話し込んでごめん」

 たき火を完全に消し、上から土をかけた。

 地面を来たときと同じ状態にし、出していた荷物を馬車に手早く片付ける。

 ヴォルフの服はまだ半乾きなので、とりあえず馬車にひっかけて風にあてておき、鎧は箱馬車の後ろに積むことにした。


 二人で御者台に乗ると、ヴォルフが大きく伸びをした。ずっと寝ていないのだ。かなり眠いのだろう。

「時間がかかるから、王都まで寝てて。王都の壁近くで起こすから、そこで着替えればいい」

「大丈夫。ポーションのおかげかな、そんなに眠くないんだ。邪魔でなければ、もう少し話しててもいいかな?」

「もちろん」

 手綱を握り直したとき、ダリヤは来るときに飲んでいた白ワインを思い出した。

 袋を開けてみると、馬車の移動で少し泡だってしまっている。昼はこちらを自分が飲み、ヴォルフに赤ワインを全部渡すのだったと、ちょっと後悔した。

「どうかした?」

「白ワインの飲みかけ。すっかり忘れてて」

「一口、もらってもいい?」

 ヴォルフに水や赤ワインは渡したが、二日飲まず食わずだったのだ。本当はまだ喉が渇いていたのかもしれない。

「飲みかけでごめんなさい! 喉が渇いてるなら全部飲んでいい」

「俺こそタカってすまない! じつは……白ワインは俺の弱点なんだ」

 真面目な顔でそう言って、瓶からワインを飲みはじめた男に、ダリヤはたまらず吹き出した。


 それからの移動時間、二人はずっと魔導具と魔剣の話を続けた。

 ダリヤは王都で庶民向けに出回っている魔導具の話をし、ヴォルフは王城にある魔剣や魔導具のことを話した。

 お互いに知らないものを紹介しあう形で盛り上がっていると、時間はあっという間に過ぎた。

 王都の門が近くなったところで、一度馬車を止め、荷台で着替えてもらう。残念ながら服はまだ半乾きだった。少し寒そうなので、コートはそのまま着ていてもらうことにする。

 結局、ヴォルフは一睡もしなかった。

 やはり騎士だけあって、楽しそうに話していても、ずっと周囲を警戒していたのだろう。ダリヤはそう納得した。

 門の内側には、兵が常駐している建物があると言う。

 ヴォルフはまずそちらに行き、確認を受けてから王城に行くそうだ。

 さすがに、庶民の馬車があっさり王城に行けるわけはないので、ここでお別れである。


 建物の前に馬車を止めると、いきなり雨が降ってきた。

 ヴォルフが御者台から下り、コートを脱ごうとしたので、慌てて止める。

「服が乾いてないんだし、風邪ひくと悪いから、そのまま着てって。砂蜥蜴サンドリザードだから、雨通さないし」

「すまない、借りるよ。今日はありがとう。本当に助かった。住所を教えて。後で支払いに行くから」

「いいって。魔物討伐でお世話になってるから、一庶民の応援とでも思って」

「せめて、店で酒でもおごらせてよ」

 これは友情構築のお誘いだろうか。

 ヴォルフとの話はとても楽しかった。できるならばまた会って話したいとかなり思う。

 だが、理由があっても、男のふりでだましたのはやはり失礼なことだ。

 残念ではあるが、このまま終わらせるべきなのだろう。

「街で見かけたら声かけて。そうしたら、しっかりおごってもらうから」

 わざと明るくそう言ってみた。

 広い王都、貴族で騎士のヴォルフと、庶民の自分が再会する可能性は、限りなく低い。

「………」

 雨脚がさらに強くなった。ヴォルフが何かを言ったが、聞き取れない。

 そのときちょうど、後ろから馬車が来た。

「後ろがつかえてるから、これで!」

 ヴォルフに申し訳なかったが、馬車を理由に話を打ち切り、八本脚馬スレイプニルを進ませる。


「……またね、ダリ!」

 自分へ呼びかけた声だけが、はっきり聞こえた。

 ヴォルフの美しい笑顔だけが、なぜかひどく目に残る。

 ダリヤにとっては、有意義な休日だった。


 ・・・・・・・


 王都の北、広大な白く高い石造りの防壁に囲まれた中、王城はある。きらびやかではないが、防衛と利便性を優先させた造りのそれは、時代の先端を感じさせる場所だった。

「ヴォルフ! 生きててよかった!」

「スカルファロット殿、無事だったか!」

「まさか幽霊じゃないよな!」

 王城の巨大な石門をくぐってすぐの場所で、魔物討伐部隊の数十人が雨にれながら待ち構えていた。ヴォルフがその場に立った瞬間、飛びついてもみくちゃにされる。どさくさに紛れ、膝の後ろを蹴った者までいた。

 魔物討伐部隊には、貴族騎士もいれば平民騎士もいる。

 身分差はあるが、毎回が命がけの任務であることもあり、全体での結束は固い。みせかけではなく、お互いのことを親身に心配する者の方が多かった。

 部隊の背後には、少し距離をあけて見ている騎士や兵士達、メイドなどの女達の姿もあった。

 それぞれがヴォルフの無事を確認に来てくれたらしい。

「ご心配をおかけして、すみませんでした!」

 ヴォルフは仲間達に取り付かれた状態のまま、周囲に声を大きくして謝罪した。

 ワイバーンに連れ去られて丸二日。

 魔物討伐部隊の一部の者が交代で捜索に出ていたが、ほぼあきらめられていたそうだ。

 あと三日で騎士団の名誉葬儀の準備をしていたと聞かされ、ひたすらに謝罪を続けた。


「ヴォルフ、どうやって戻ってきたんだよ?」

 隊の友人が肩を強くつかんで尋ねてくる。

 そこにあった傷は、ダリからもらったポーションのおかげで、まったくなくなっていた。

「空中でワイバーンの腹を刺したら、そのまま落ちた」

「無謀すぎることを淡々と言うな! ワイバーンはどうなった?」

「死んだのを確認してから、身体強化して街道まで走った。そこからは人に助けられて、ありがたいことにポーションも飲ませてもらえたし、王都まで送ってもらえた」

「よかったな。今回は本気でダメかと……皆、心配したんだからな……」

 紺色の髪の友人は、ぐすりと鼻をすすると、勢いよく顔を上げた。

「とにかく! 無事でよかった!」

「本当に。ヴォルフレード殿とワイバーンが心中なんて、洒落しゃれにもなりませんからね」

「お前がもってかれるのを見たとき、やっぱり色男はつらいもんなんだと思ったよ」

「俺はあのワイバーンが雌なんだと納得してたぜ」

 どうしようもない冗談に、部隊の者達はどっと笑う。

 ヴォルフはそちらこちらの隊員から、肩や頭をたたかれ続けた。

「探しに行ってる者に無事を連絡してもらうよう伝えてくる。ああ、ヴォルフ、家には連絡したか?」

「まだ」

「ワイバーンに連れてかれたんだ、心配してるだろう。家に使いを頼んでおくぞ」

「助かる、ありがとう」

 ヴォルフは言葉を返しながら、ようやく気づく。ずっと別のことを考えていたので、家に連絡することを完全に忘れていた。

「見た目はともかく、本当にどこも怪我はないのか?」

「魔物の血で目がかなりかすんでる。隊長に報告に行って、その後で医務室に行こうと思う。あとはシャワーを浴びて、とにかく寝たい」

 川で体は洗ったが、せっけんは使っていないので、いまだに髪が少し生臭い気がする。水洗いしかしていない服にも、血の臭いが残っている気がした。

「……まずいな、コートに魔物の血の臭いがついたかも」

「城できれいにしてもらえばいいだろって……ん? そのコート、支給品じゃないよな?」

「うん、貸してもらった。砂蜥蜴サンドリザードのコートだって」

砂蜥蜴サンドリザード? 折り返しの襟のところは違うだろ。ちょっと見せてみろ」

 目を細めた隊の友人が、ヴォルフのコートを脱がせた。裏返してじっと見ると、大きくため息をつく。

「……表に砂蜥蜴サンドリザード、裏にワイバーン皮じゃねえか。なんつうぜいたくだよ、普通、逆だろ」

「さすが、スカルファロット家ともなると違うのだな」

「いや、これ借り物なんだ」

「お前は城に帰る前にどこ行ってるんだよ? まあ、付き合ってる女でもいたら俺もきっと先にそっちに行くが」

「いないものを仮定で話すな、むなしいだけだぞ」

 話が脱線しはじめたとき、商家出身の隊員がコートの表裏を確かめ、ヴォルフに言った。

「きちんとお返しした方がいいですよ。これ、ワイバーンを細かく切って、付与魔法で張っています。かなりお高い品だと思います」

「そうなんだ……」

「ヴォルフ、このコート、女に借りたのか?」

「いや、王都に送ってくれた人だよ。お父さんのだって言ってた」

「おい、大丈夫なのか? お前、その『お父さん』から刺されても文句言えねえぞ、それ」

「送ってくれた人は、そのコートの値段を知らなかったんじゃないですか?」

「そうかもしれない……」

 ヴォルフの脳裏に、少しぼやけて見える、ダリの顔が浮かんだ。


 ダリが乗っていたのは、普通の馬ではなく、八本脚馬スレイプニル

 気楽に話してくれと言ってからも、喋り方にはすれたところがなかった。

 いろいろな魔導具のことに詳しかったから、おそらくはそれなりにいい商家の生まれなのだろう。連絡先も告げず、一銅貨も受けとらないままに行ってしまった。

 今頃、コートの持ち主である父親にひどく怒られているのではないだろうか。そう思うと、とても心配だ。

「このコートをあっさり貸す相手って、貴族だろ?」

「いや、庶民だって言ってた」

「庶民とはいっても、ひとかどの商人か、そのご家族だと思いますよ」

「家名はわからないけど、名前はわかるから、商業ギルドで聞いてみるよ。きちんとお礼もしたいし」

「お前が魔物討伐部隊ってことは言ったんだろ?」

「ああ、説明してる」

「そのうち向こうから連絡がきて、お前と親密になりたいってオチかもな!」

 友人がからかうような口調で、ヴォルフの肩を叩いた。

「そうだったらいいな……もっと話したかった……」

 かすかなつぶやきとともに、夢見る少年のようにふわりと笑む。

 『魔物の宿敵』『黒の死神』『女泣かせ』などのあだ名とは、完全に真逆の

 今まで一度も見たことのないヴォルフのその有様に、仲間達が固まった。

「大丈夫か、ヴォルフ!」

「ヴォルフレード殿がおかしい……」

「隊長にはお前、先に言ってこい! こいつはすぐ医務室に連れていく! 魔物の血の悪影響か、打ちどころが悪かったかだ!」

「これ、中身がヴォルフじゃねえ!」

 その後、ヴォルフは医務室に直行させられた。


 ・・・・・・・


「ヴォルフレード、無事で何よりだ」

「グラート隊長、たいへんご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした」

 医務室からようやく解放されたヴォルフは、魔物討伐部隊の隊長室に来ていた。

 岩のようにがっしりとしたたいの男が、執務机の向こうから、赤い目でこちらを見つめている。

 魔物討伐部隊長であるグラート・バルトローネ侯爵。

 すでに五十歳近いが、隊長職だけではなく討伐にも参加する、現役の騎士である。

「先に医務室に連れていかれたそうだが、怪我は?」

「問題ありません。魔物の血による目の軽い炎症だけです」


 あの後すぐ、ヴォルフは医務室にひきずられていった。

 診断は軽度の疲労と貧血。目については、軽い炎症とのことで、すぐ洗浄をしてもらい、目薬を渡された。

 たいしたことはないと言ったのに、仲間がついてきて騒いだために医者が怒り、ヴォルフ以外は全員廊下に叩き出されていた。


「そちらに座れ。経緯報告を受ける」

 部屋の来客用スペースをあごでさし、二人とも移動する。

 艶やかな黒のテーブルをはさんで、ソファーに向かい合わせに座る。広い部屋にいるのは二人だけだ。

「ご報告します。ワイバーンに捕獲された後、空中でワイバーンを剣で刺し、森に落下。ワイバーンの死亡を確認しました。その後、二日間、王都方向へ走り、街道にて市民に助けられ、ポーションと食料を援助され、王都まで馬車で移動。西門より王城へ連絡後、帰城しました」

「運が強くて何よりだ。ワイバーンは確実に仕留めたな?」

「はい、二度、死亡確認を行いました」

 ヴォルフの言葉に、グラートはよし、とうなずいた。

「ワイバーンは龍種だ。捕まって運ばれたとはいえ、一人で落としたのだから、お前は名誉ある『龍殺し』ということになるな」

「いえ、先に部隊で手負いにし、弱っていたから落ちただけです。ワイバーンに捕獲されるという失態、二日間にわたる隊での捜索の責、いかなる処分もお受けします」

 ダリには反省文と言っておいたが、あのままワイバーンが人里に向かいでもしたら、まちがいなく大惨事である。処分を受ける可能性は高いと、ヴォルフは考えていた。

 だが、目の前の隊長は首を横に振る。

「きっちり仕留めたんだ、問題ない。むしろ、せっかく『龍殺し』になったのだ、近衛隊への推薦状でも書くか?」

「ご遠慮致します」

「近衛の推薦から逃げるのはお前ぐらいだぞ」

「……推薦されたら退団を考えます」

「本人が望まぬのならば仕方ないな」

 ヴォルフの顔から表情がなくなるのを見て、グラートは苦笑する。

 以前に大物を仕留めたときにもすすめてみたが、この男は同じ一言で断った。

 騎士の憧れであるはずの近衛隊が、この男には逃げ出したいだけの場所らしい。

「さて、ワイバーンが戦闘中にお前を持っていった点だ。お前を捕らえたワイバーンは、人間を『盾』にする気はあったと思うか?」

「わかりません。しかし、人を盾にしていれば、魔導師が魔法を撃てませんし、騎士の強化弓も使えませんから、効果的な方法だとは思います」

「隊の討伐では初めてのケースだな。トカゲどもが面倒な知恵をつけていないといいんだが……」

 薄くなった濃灰の髪を手でかき、グラートは渋い顔をした。

「もし次に私が捕まったら、遠慮なく撃つように言っておきます」

「馬鹿者。それじゃあ、私が捕まっても撃たれるだろう、許さんぞ。それより、誰が捕まってもワイバーンぐらいは落とせるように訓練しておけばいいだけだ」

「申し訳ありません」

 グラートはヴォルフに気がつかれぬよう、内心でため息をついた。


 目の前の整いすぎた顔の男──ヴォルフレード・スカルファロット。

 十七歳で入隊し、すぐ危険な『赤鎧スカーレットアーマー』を希望、わずか半年でその役目を担うようになった。

 今日まで、危険な場面には何度も遭遇しているが、大怪我をしたことは一度もない。

 最初の数年は無謀者と陰口を叩かれていたが、今では、隊の内外から『有能で勇気ある騎士』として高く評価されている。

 ヴォルフには、貴族であれば持つことの多い攻撃魔法も治癒魔法も一切ない。

 ただ、魔法による身体強化のみである。それだけで、平然と魔物に向かい、駆け、斬り、けるをただ繰り返す。

 そして、討伐に有効、あるいは隊のためとみると、平然と捨て身の行動に走る。勇気があるというより無謀、あるいは死に急いで見えるほどに。

 最初はよほど武勲が欲しいのか、自己犠牲に酔うタイプかと考えたが、共に戦っていて、そうではないとわかった。

 この男は気負いがない。恐怖がない。功績を求めることもない。

 ただ、役目上で「こうあるべき」と思ったら、無心でそれをまっとうしようとするだけなのだ。

 魔物討伐部隊だから、強い魔物と当たり前に戦う。

 赤鎧スカーレットアーマーだから、危険な先陣も囮も殿しんがりも当たり前に引き受ける。

 彼にとってそれは役目であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 ヴォルフが役目優先で、自分自身の重さをまるで持たないことが、グラートには心配だった。


「目が完全に治るまで休暇をとれ。とりあえず明日から六日休み、医師の診断を受けてから復帰しろ。治らないようなら神殿へ行け。かかる分はこちらで出す」

「わかりました。ありがとうございます」

 ヴォルフは軽くせきをし、一度姿勢を正した。

「グラート隊長、ひとつお願いがあるのですが」

「なんだ、『龍殺し』になったから、魔剣でも欲しいか?」

「その話ではありません」

 ヴォルフが唯一、自分の話にのってくるのが、魔剣の話である。

 グラートは、灰手アッシュハンドという魔剣を持っているため、討伐以外でも、何度かヴォルフに見せていた。

 入ったばかりの年は、『灰手アッシュハンドは自分以外が触ると火傷をする』と再三言ったにもかかわらず、試させてくれと願われ、見事に火傷をしていた。

 魔剣関連の話をしていれば、ヴォルフと一晩、語らい酒が飲めそうである。

 もっとも、今日はそれとは違う願いがあるらしい。

「森で助けて頂いた方が商人らしいので、商業ギルドへの紹介状をお願いしたいのです。ポーションの支払いもしておりませんので」

「店の名を聞き忘れたか?」

「いえ、本人は支払いはいらないと。魔物討伐で世話になっているから、一庶民の応援とでも思ってくれと言われました。続けて話そうとしたときに、後続の馬車が来てしまい……」

「逃げられたか。その者は訳ありだったのではないか?」

 グラートの言葉に、ヴォルフがわずかに眉を寄せた。

「訳ありとは、どんなことが考えられますか?」

「不法採取や他国の間者……西の森にいる意味があまりないな」

「そんな人ではないとは思います」

「あと……ありえそうなのは、家や店に来られて、奥方や妹をお前と会わせたくないとか?」

「ないと……思います」

 残念ながら、ヴォルフの一度止まった声は、完全に肯定になっていた。

 半分冗談で言った言葉が、案外当たってしまったかもしれない。

 この男の容貌はとにかく目をひく。高めの身長と、黒髪に黄金の目という珍しい組み合わせ。

 『嫌みなほどに整いすぎ、むしろそこまではいらない』と隊員達にからかわれるほどの顔。

 本人が望まずとも、とにかく女達の視線を奪うことに長けている。

 隊員から聞いた話では、親族女性や友人からヴォルフを紹介しろと言われたときの、断り方マニュアルなるものがあるそうだ。

 正直、自分に娘がいたら、できれば会わせたくない男ではある。


「……やはりお願いします。できるなら、お礼はしておきたいので」

「わかった、今すぐ書くからこのまま待て」

 微妙に暗い気配を漂わせはじめた青年にわずかばかり同情しつつ、グラートは机に戻ってペンを走らせる。羊皮紙のインクは、ドライヤーを使ってすぐ乾かした。

「お前の恩人が見つかることを祈っておく」

 差し出された紹介状を受け取り、ヴォルフは頭を深く下げた。

 そして、来たときよりも少し遅い歩みで、隊長室を後にする。


「……ダリさんに恋人がいたら、どこかの食堂か酒場で会えば、大丈夫だよね……」

 黒髪の青年のつぶやきは、廊下だけが聞いていた。


 ・・・・・・・


 ダリヤは魔導ランタンの火の魔石を入れ替えると、作業場につるした。

 外はまだ雨だ。

 魔導ランタンは、祖父が最初に作った魔導具だという。

 油の代わりに火の魔石を使い、ランタンそのものを小型化、高性能化した。魔石ひとつで長時間もつので、旅や夜警にも重宝されている。

 祖父が作った当時は油の方が安かったが、魔石が普及した現在は維持コストは同じぐらい。購入価格は油のランタンの方が安いが、安全や手入れを考えれば魔導ランタンがいいと、それぞれ使い分けられている。


 この国で魔導具が最も発展している分野は、生活魔導具だ。ダリヤの感覚では『家電』である。

 家電関連の魔導具は、祖父の時代から一気に発達したらしい。魔石の研究と普及の影響ではないかと父は言っていた。

 ファンタジーのような世界といえど、人が生きていれば、生活のための魔導具は発展する。

 氷の魔石を利用した冷蔵庫や冷凍庫、風の魔石による送風機、火の魔石による暖房や、暖炉の補助など、様々なものがある。

 もちろん、魔法のある世界、前世とはまったく違う感覚の魔導具もある。

 たとえば、貴族の盗聴防止器や、魔物の攻撃による石化や混乱防止など、仕組みが気にかかるものも多くある。

 なかでも驚いたのは、解毒関係の魔導具だ。これは魔物の毒への対策だけではない。

 解毒の魔導具を身につけ、グルメとして、毒のある動植物を食べる。食材にある毒の種類にもよるが、的確に合わせたものであれば問題ないという。解毒の腕輪を店でつけ、赤いキノコや真っ青な魚をおいしそうに食べる様を最初に見たときは、かなりひいた。

 それでも、人間の食欲は研究開発につながるのだと、とても納得した魔導具だった。


 ダリヤは作業場の机に様々な部品を並べ、生成りの紙にメモをとりつつ、考えをまとめていく。

 この国では植物から作った紙も、鉛筆に似た筆記具もやや高めだが普通に流通している。筆記具の方は、中心に細い炭の芯があり、周囲が硬い紙で覆われたものだ。

 契約書などは今までの慣習から羊皮紙が多いが、このところは紙の書類の割合が増えていると商業ギルドで聞いた。

 婚約破棄の翌日から作ろうと考えていたのは、石鹸水用の泡ポンプボトルである。

 魔導具ではないが、気分転換となつかしさもあって作ることにした。

 泡ポンプボトルの主なつくりは、容器本体、ふたの上のプッシュ部分、蓋、そして、蓋側につけるポンプだ。

 蓋部分を押すことによって本体内部に圧力をかけ、ポンプ部分の管を通して引き上げ、網状のフィルターを通して泡にし、外に押し出す。押すだけだと戻らないので、バネを入れ、押した部分を元に戻す機構も必要だ。

 幸い、学校の授業で実際に分解や組み立てをしたので、おおまかなところは覚えていた。会社に入ってからも泡ボトルの設計は見たことがあるので、とりあえず試作をしてみることにする。


 作業を始めると、こちらの世界で便利なのは、やはり魔法だと痛感する。

 魔導具の部品関係は、魔力によって硬度や形状をある程度変えることができる。

 金属の種類は様々で、前世のものはもちろん、ミスリルや魔銀、オリハルコンといったものもある。また、プラスチックはないが、それなりに代替可能な、スライムやクラーケンといった魔物素材がそろっている。

 高等学院の魔導具科で、どう組み合わせるかの基礎は習ったが、意外な組み合わせや加工が功を奏すことも多い。

 ひたすらに試し、自分の求める答えを見つける作業──ダリヤにはそれがたまらなく楽しかった。

 メモをとりながら部品を作り、魔法で調整、つくりを確認しつつ、組み立てる。

 加工をするときに出る虹色の光、独特のその輝きが夜の作業場に何度も光る。

 分解しては作り替え、合わせ直し、メモを取る。ただ無心でそれを繰り返した。


 ちなみにダリヤの魔力は庶民にしては多めである。これは代々魔導具師をしている先祖と、貴族出身だった母のおかげだろう。もっとも、自分は母の顔すら知らないが。

 母は押しかけ女房のごとく父と結婚したものの、ダリヤを産みに実家に帰り、そのまま戻ってこなかった。自分だけが父の元に返され、こうしてここにいる。

 その経緯は、メイドの遠回しな説明だけで、詳しく聞いたことはない。

 ただ、父は死ぬまで再婚しなかったし、一度も母の悪口を言ったことはなかった。


 魔力は平民にしては多めでも、高等学院では中程度、高位貴族には到底及ばない量だ。

 魔導師の派手な魔法の話を聞き、せっかくの転生なら『魔力チート』が欲しいと思ってしまったこともある。

 だが、幸いにして、弱い魔力を長時間安定して出せるという特技はあった。

 これは細かな部品を作り、修正していくのには大変便利で、魔導具師向きだ。今は深く感謝しているところである。


 試行錯誤を繰り返していると、あっという間に時間は飛ぶ。

 ポンプ部分とバネの調整で手間取り、ほぼ徹夜になってしまったが、とりあえず試作品が二本できた。あとは石鹸水の濃さによる泡の状態を浴室で確認し、また修正を繰り返すだけである。

 ダリヤは一息入れるため、サイドテーブルに出していたワインのグラスに、ようやく手を伸ばした。

 残念ながら、すっかりぬるくなってしまっている。

 馬車を返却した帰り、赤ワインを買うつもりで店に行き、つい白ワインを買ってきてしまった。

 ワインが喉を滑り落ちるとき、魔剣について夢中で話す男が思い出された。

 たった数時間だったが、二人で話すのはとても楽しかった。

 つい、今もはんすうして笑ってしまうほどだ。

 自分が男だったら、あるいは、ヴォルフが女だったら、きっと連絡先を教えていたに違いない。


 この広い王都、彼と再会する確率は限りなく低い。

 もし、再会したところで、視界がずっとぼやけていたヴォルフは、ダリがダリヤだとはわかるまい。

 二度と会うことはないだろうと思いつつ、ダリヤは彼の回復をそっと神に祈った。

「……ヴォルフさんの目が、ちゃんと治りますように……」

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