第9話 若返り

「おぉおおおぉお……。でけぇ……」


 目の前には巨大なドラゴン。

 ゴツゴツとした鱗、ギョロッとした瞳、大きく広げられた翼。

 どこもかしこも威圧感しか感じられない。


 ここで襲われていた冒険者パーティーはすでに全滅していて、粒子となって消えていっていた。

 少し到着するのが遅かったらしい。

 まあ、俺が到着したところで何かができるわけでもないけど。


「感心してる場合じゃないですよ! 助ける相手はもういないんですから、逃げましょうよ!」


 泉さんは必死に俺にそう言う。

 うむ、俺一人だったら立ち向かったかもしれないが、今は泉さんがいる。

 彼女をドラゴンなんかとの戦いに巻き込むわけにはいかないもんな。

 俺がこいつに負けることは確定的に明らかなんだし。


 そして二人して回れ右して、逃げだそうとしたところ——。


「に、逃がすわけにはいかないんだから!」


 ドラゴンの戦闘で捲れ上がった地面の陰から、少女が一人立ちはだかるように出てきた。

 その少女の足はガクガクと震えているが、手に持った直剣の剣先はしっかりと俺たちに向いている。


「あっ! 嘔吐少女!」

「なによ、その呼び名! アンタ、わたしのこと影でそう読んでたの!?」


 思わず漏れた俺の言葉に、少女はめざとくツッコミを入れる。


「ええと、いや……これは言葉の綾というか、そもそも名前を知らないというか……」

「言葉の綾って言えば免罪符になるわけじゃないからね! てか、わたしの名前は夏目風波なつめふうはよ! 覚えておきなさい!」

「あっ、はい」

「その興味なさそうな返事はなに!? もう少し興味持ちなさいよ!」


 俺の返事が気に入らなかったのか、夏目ちゃんは顔を真っ赤にして大声を出す。

 大声を出しすぎて、肩で息をしていた。

 これはただおっさんになると派手なリアクションができなくなるってだけで、興味がないわけじゃないです。

 しかしそれを言っても納得してくれなさそうなので、俺は諦めて黙った。


「あの、小田さん。この子は一体……?」

「ええと、俺もよく知らないんですよ」

「へ……? てっきり小田さんの知り合いかと……」

「そうじゃなくてですね……なんて言えばいいのか。たまたまダンジョンで何度か会ったってだけですよ」


 俺が言うと、泉さんはふぅんと胡乱げに夏目ちゃんの方を見つめた。

 何で泉さんが夏目ちゃんにそんな視線を送るのかは分からないが、仲良くしてくれるといいなと思う。

 俺の数少ない知り合いの二人なんだし。


 と、呑気にそんな会話をしていたら、背後からズシンズシンと地響きが鳴り響いた。

 そういえばドラゴンの存在を忘れるところだった。

 危ない危ない。

 てか夏目ちゃんもいるし、ここは俺がドラゴンと戦って時間を稼いだ方がいいのでは?


 ……別に戦ってみたいとかじゃないからね?

 ほんとだよ?

 ほんとほんと。

 まあなぜかドラゴンを見ると血が滾るというか、闘争本能が刺激される気がするけど。

 だからって俺だけで戦いたいとか、そんなことはないからね?

 そもそもさっきぎっくり腰したばかりだし、もうアラフォーのおっさんだ。

 そんなねぇ、少年みたいに強大な敵に立ち向かうぜ、みたいな気概はもうないからねぇ……。


「……二人とも。あいつは俺が食い止めますから、そのうちに二人は逃げてください」


 俺が言うと泉さんは慌てて声を上げた。


「そういうわけにはいきませんよ! わっ、私には小田さんの雄姿を記録するって、大事な仕事があるんですからね!」


 そうだったの?

 雄姿なんて一生出てこないから、記録することなんて不可能だと思うけど。

 確かにバズらせるみたいなことは言っていたが、それって裏技でどうこうって話じゃないの?


 泉さんに続いて、夏目ちゃんも声を上げる。


「って、なんで自分から立ち向かおうとするのよ!? 普通ここは、逃げるところでしょ!? そもそもアンタ、武器だってハリセンしか持ってないじゃない!」


 そりゃそうかもしれないけど、なんか戦ってみたくなっちゃうんだよねぇ。

 なんなのか、この気持ちは。

 もしかして恋……!?(違う)

 まあ戦って勝てる相手じゃないのは、十分承知だが。

 それでもどうしてか、勝てるかもしれないっていう根拠のない自信もあるんだよな。


 そして首をもたげ見下してくるドラゴンに向かって、俺は一歩前に出た。

 それをヤツは冷たい目で変わらず見下してくるだけだ。


 さらに一歩、前に出る。

 さらに一歩。

 さらにもう一歩。


 そして——俺はハリセンを握り直して、ドラゴンに向かって駆けだした。


「うぉおおおおおぉおおお!」


 ペチン。


 俺のハリセンがドラゴンを叩く。

 優しく、撫でるように。

 一瞬で頭が冷えていくのを感じた。


 あっ……これ、勝てるわけねぇわ。

 なんで勝てるとかおもったんだろうな。

 無理無理。

 絶対に勝てるわけねぇって。


 ドラゴンはブルゥと低い鼻息を鳴らして、思い切り翼を振るった。

 ものすごい力で叩きつけられ、俺は回転しながら吹き飛ばされていく。


「小田さんっ!?」

「おじさんっ!?」


 泉さんと夏目ちゃんの叫び声が聞こえる。

 うん、素直に逃げるべきだったな。

 二人を巻き込んでしまったかもしれない。


 叩きつけられ、吹き飛ばされた衝撃で、全身が悲鳴を上げている。

 ぎっくり腰どころの騒ぎじゃない。

 腰が痛むのを治しにダンジョンに来たはずなのに、かえって悪化させている気がする。



――――――――――

!!DANGER!!

『管理者』の過剰な損傷を確認。

一時的に『管理者権限Lv.MAX』を付与し『管理者名:小田哲』の肉体を完全に復元します。

――――――――――



 見慣れてきた半透明の板が俺の目の前に現れる。

 なんだこれ?

 そう思った瞬間、俺の身体がまばゆい光に覆われた。


「……おじさん!? 一体なにが!?」

「めちゃくちゃ光ってますね!?」


 夏目ちゃんと泉さんの驚きの声が聞こえてくる。

 しかしなんか心地いい感覚だ。

 全身が力を取り戻していき、ピチピチに蘇っていく感覚。


 そして、光が収まった後——。


 おおっ、なんか身体が軽いぞ。

 あのずっとあった気だるい感じが全然ない。

 まるで若い頃に戻ったような……。


「えぇええええぇえ!? 小田さん、なんか美少年になってますよ!?」

「……は? 美少年?」

「そうです、美少年です! ピチピチです!」


 いやいや、確かに気だるさが消えたし、身体に活力が漲ってる感じがすると言っても。

 美少年になるなんて、そんなことあるわけないじゃないか。

 おっさんに冗談で変な夢を見させるのはやめてくれよ……。


 でも、ちょっと気になる。

 もしかしたら、ワンチャン若返ってるかもしれないし?

 そんなことはないとは分かってるけど、若返ってないとも言えないしな?


「なあ、鏡って持ってたりしない……?」

「あ、ありますよ」


 泉さんが鞄から化粧直し用の手鏡を取り出して渡してくれた。

 それで自分の顔を確認する。


 おおっ! おおおっ!

 俺が十代半ばだった頃の顔立ちに完璧に戻ってる!

 すげぇ、若返ってる!


「うはっ、テンション上がってきた」


 思わずそう口にしてしまう。

 なんだか今だったらハリセンでドラゴンにも勝てる気がする。


 俺はもう一度ハリセンを握り直し、ドラゴンに対峙した。


 ピリピリとヒリつく空気。

 高まる緊張感。

 俺はそれらを切り裂くように、地面を思い切り蹴り上げた。


 ダンッ、と一瞬でドラゴンの懐に潜り込む。


「は、速いっ……!?」

「アイツ、いきなり強くなったわよ!?」


 驚きの声が聞こえるが、俺はそれを聞き流しつつドラゴンにハリセンを叩きつけた。


 ドゴンッとあり得ない音が聞こえたと思ったら、瞬間、ドラゴンの下半身が跡形もなく吹き飛んだ。


「…………へ?」


 これには俺もキョトンとした声を上げてしまう。

 なにが起きた……?

 振り返ると、泉さんや夏目ちゃんも驚きで目をまん丸に見開いていた。


 もう一度ドラゴンの方を見ると、すでに瞳からは光が消え失せ、死んでいるのが分かった。

 そしてキラキラと粒子となって消えていき、経験値とドロップ品に変わった。

 ドロップ品を確認すると、必ず落とす魔石以外にレアドロップも落ちていた。

 竜の鱗だ。

 どれほどすごいのかはよく分からないけど、なんだか高そうだぞ。

 俺はこの日のために今までレアドロップを手に入れなかったのか……!

 そう思えば、今までの苦難の数々(別に苦難でもなかったが)も許せるというものだ。


 って、そういえばレベルは上がったのかな?

 そう思ってステータスを開こうとした瞬間。

 再び俺の身体が光に包まれて、さっきまでの冴えないおっさんに逆戻りしてしまった。


「あれ、小田さんが元に戻ってる……」

「アンタは一体なんなのよ……本当に……」


 不思議そうな泉さんと、疲れ果ててそうな夏目ちゃん。

 さっきのあれは一体なんだったのか、それは俺だって気になる。

 直前に現れた板に書かれた文言がヒントだと思うのだが。


 そう思考を巡らせていると、俺たちの前にケバい女性が現れた。

 顔立ちはまあそこそこだが、化粧が厚くブランドものっぽい洋服がいやらしさをかき立てている。

 って、初対面の女性にそんな感想を抱くなんて失礼だよな。

 そう思ったが、チラリと夏目ちゃんの方を見たら、表情が引きつり身体が強張っているように感じた。

 なにか、恐怖しているような……。


「おい、夏目。お前、自分の仕事もちゃんと熟せないのかよ。おかげで私のドラゴンが殺されちゃったじゃねぇか」


 突然現れたケバい女性は、夏目ちゃんの方を強く睨みつけると、低い声でそう脅すのだった。

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