ep19. カイリ=リューシャルトの罠

 目の前に座る男の顔を、セスティは睨むように見据えていた。

 カナデの義兄と同じ顔をしたリューシャルト家の長男は、突然訪問したセスティたちを何のためらいもなく屋敷の中に招き入れた。


「まさか皇子殿下御自ら、このような田舎に足を運ばれるとは思いませんでしたよ。ここは見ての通り何もない場所です。辺境に用向きなど、ありはしないでしょうに」


 淡々と語るカイリの顔には薄らと笑みが張り付く。

 言葉とは裏腹にカイリの態度は、セスティたちの訪問を待っていたようにすら見える。


「旅の道中、仲間と逸れた。リューシャルト家とは縁深いティスティーナ家の子息だ。姿を見かけなかっただろうか」


 警戒と敵愾心を隠す気など、今更なかった。


 ジンジルに付けたリアナの魔法紋の反応は、この辺りで途切れた。屋敷などリューシャルト家以外に皆無のこの近辺で、隠せる場所はここ以外にない。

 昨日、散々探し回っても見付けられなかった屋敷が、一日明けた途端に姿を現した。魔法で隠していたのは明白だ。

 誘い込まれた、と考える方が妥当だ。罠を疑わない方が、どうかしている。


「確か、カナデ様でしたか。最近まで令嬢だったと聞きますが、子息でオメガだったとか。生憎、僕は彼女にも彼にも会ったことがないので、わからないんですよ」


 ニタリと笑んだ目は、総てを知っている。

 セスティの中に焦りと怒りが沸々と湧いた。


「ならば、言い方を変えよう。昨日、治癒楽師を連れた魔剣士が訪ねてこなかったか? 彼らは俺たちの仲間だ。今すぐ返してもらおう」


 魔法が吹き出しそうなセスティの勢いに、リアナが焦りの表情を見せた。

 それに気が付いても、溢れる怒りを収める気になれない。


「まるでこの屋敷にいるような物言いですねぇ。居た所で取って食ったりしないのに。あぁ、でも、その魔剣士はもしかしたらアルファの興奮剤で自制がきかない状態かもしれないから、治癒楽師がオメガだったら、ちょっと大変かもしれませんねぇ」


 いやらしく笑うカイリの顔を見て、セスティの中の糸がフツリと切れた。

 テーブルに手を突き、荒々しく立ち上がる。


「セス!」


 アルバートの声が聞こえたが、言葉は全く耳に入ってこない。


「今すぐカナデを解放しろ。事実を話す気がないのなら屋敷を焼き尽くしてでも探し出す。お前如き、殺したって構わないんだ」


 手を覆うほど大きな炎の魔法を展開する。その手を男に向かい伸ばす。

 剣の形に伸びた炎の切っ先を、男の鼻先に突き付けた。


「少しでいいから、落ち着け。短絡すぎるぞ、お前らしくない」


 立ち上がったアルバートがセスティを制した。

 確かに普段のセスティなら、こんな振舞は絶対にしない。対話を重んじ、相手に恭順の行動を促す話し合いをする。

 しかし今は、悠長にしていられない。

 こうしてくだらないやり取りをしている間にも、カナデがどうにかされてしまうかもしれない。

 そう考えるだけで、気が狂いそうだった。


「なるほどぉ、確かに温厚で慈悲深いと有名なセスティ皇子にあるまじき行動ですねぇ。運命の番って、ここまで人を変えちゃうんだ。興味深いな」


 炎の剣に動じることなく、男はじっくりとセスティを眺めている。

 表情には余裕すら感じられた。

 むしろ、余裕なく狼狽えたのはセスティの方だった。


「何故、それをお前が知っている」

「知りませんでしたよ。けど、カナデの貞操の危機に我を忘れるほど怒るなんて、運命の番以外にないかなって思って」


 カイリが、にっこりと笑った。


「カナデも運命の番の話を聞きたがっていたから、もしかしたら身近に番を見付けたのかなぁって思っただけですよ。だとすれば、セスティ皇子である可能性が一番高いでしょ」


 自然と剣が下がった。

 アルバートに掴まれた腕から、炎が消える。


「つまり、カマをかけたわけか。カナデとジンジルがここにいるのは、間違いないんだな」


 アルバートの問いかけに、男は小首を傾げて見せた。


「何故、カナデの運命の番を確かめようと思った?」


 アルバートが重ねて問う。

 男は意外にも素直に答えた。


「只の興味本位だけどね。運命の番はオメガが探し出すものだし。カナデは幼少の頃から皇子を愛していたようだし、すでに求愛されてるんじゃないかなぁと思って。オメガからの求愛をアルファは拒絶できないからね」

「求愛……?」


 幼い頃の、薔薇園での思い出が蘇る。

 少年の姿をしたカナデに初めて出会った時、先に声を掛けたのは自分だった。

 カナデの姿を見た瞬間、「僕と結婚してほしい」と無意識に手を差し出していた。カナデがセスティの手を握り返してくれた時に感じた高揚感と幸福感は、今でも鮮明に覚えている。


「違う。あの時、カナデに求婚したのは、俺だ。初めてカナデに会った時、少女の姿だった時から、心の奥を摑まれたような気持にはなってた。けど、男のカナデに会った時には、考えるより先に言葉が、体が動いてた」


 薔薇園の光景が浮かんで、頭がくらくらする。

 ふらついたセスティの肩をアルバートが支える。すとん、と体が椅子に戻った。


「ふぅん、そうなんだ。性転換させてベータの皮を被せても、本能は抑え込めなかったってことか。魂の番って凄いね」


 ぽそりと呟いて、カイリはセスティの様子を眺める。

 愉悦が浮かぶ瞳は生態を観察する目だ。


「貴方は何故、カナとセスの事情に、そこまで詳しいんですの? 私たちですら知り得なかった話ですのよ」


 セスティの背中を摩りながら、リアナが不安そうに問う。

 カイリが事も無げに答えた。


「僕の情報源はソウリだよ。ティスティーナ家に卸している薬は全部、僕が作っているんだからね。でも僕は多分、ソウリの味方ではないかな」


 カイリの目がリアナに向く。

 リアナが、咄嗟にカイリから目を逸らした。


「運命の番やオメガの生態についても、詳しいな。この国ではオメガは滅多に生まれないと聞くし、生まれても神様に献上する仕来しきたりだ。生態について、認知されないほうが自然だろう。その情報はどこから仕入れた?」


 アルバートの疑問は尤もだ。

 カイリの顔から表情が消えた。


「僕が詳しいんじゃない。中央の人間が知らな過ぎるんだよ。だから、間違う。知らないから、何を間違えたのかすら、理解できない。それこそが、人が積み重ねてきた罪なんだ」


 セスティは息を飲んだ。

 その言葉はまさに、『儀式』の時に少年に言われた言葉そのものだったからだ。

 あの時の光景がフラッシュバックする。

 隣でセスティの背中を摩っていたリアナの手が止まる。

 セスティと同じように感じたのだろう。驚愕の表情をしていた。


「なんて、今の言葉は受け売りだけどね。これ以上の話は、話せる口から聞いたらどうかな。その場所まで、案内しないこともないよ」


 ニタリ、とカイリが口の端を上げた。

 試すような目に乗る感情は好奇とも挑戦ともとれる。


「貴方は何者だ。貴方の望みは、一体なんだ。俺たちに何をさせたい?」


 動揺を隠せないセスティに、カイリは変わらない笑みで向き合った。


「僕の望みは平穏、それだけ。この場所が無くなれば、自由に薬の研究も出来やしない。僕はリューシャルト家の長男でソウリの双子の兄だけど、ソウリが欲しがる平穏と僕が欲しい平穏は、きっと種類が違うんだ」


 カイリの目は、いつの間にかリアナに向いていた。

 リアナのカイリを見詰める瞳が、セスティは気になった。強い敵意でありながら不安が滲む、そんな色に見えた。


「僕の平穏を守るために、協力してくれない? 頷いてくれるならカナデとジンジルは解放しよう。何より僕の頼み事は、君たちにとっても時間の無駄遣いには、ならないはずだよ」


 カイリの視線がまた、セスティに戻る。

 微笑むカイリの目はほの暗い色を纏って見えた。 

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