ポスト・ヒューマンの恋

ケイ(K)

第1話

 駅前の焼き鳥屋のテーブル席で僕と山下は向かい合って座っていた。

 テーブルには注文したばかりの皮、もも肉の串焼き、ビールの入ったジョッキが二個置かれている。どれも旨そうなものばかりで好みでもあったが、僕の今の気持ちは食べ物に惹かれなかった。


「じゃあビールも来たし、飲むとしますか」


 山下は無精ひげをさすりつつ、ジョッキを持った。明るく乾杯と言わない彼の配慮に優しさや申し訳なさを感じつつ、僕もジョッキを持った。

 お互いにジョッキをあてて、小さな声で乾杯と言う。

 冷えたビールはまだ暑さの残る九月の季節に合うので、こればかりは素直に旨いと感じた。


「俺、もうちょっと注文していいか?」

「もちろんいいよ。こっちから誘ったわけだし、どんな金額になってもおごるから」

「そうかー悪いね。じゃあ田口のおごり、遠慮なくいただきます」


 そう言って山下は本当に遠慮なく注文を追加していく。追加された品々は想像以上に早くやってきたため、テーブルにはスマホを置くスペースすらなくなっていった。

 山下がビール一杯目を飲み干し、口を開いた。


「で、彼女とは何か月付き合ったんだ?」


 本題が始まった。僕はまだ一つも焼き鳥の串を手にしていなかったが、食事のことを忘れて過去を振り返った。


「五月から付き合ってたから四か月ぐらいかな。こう言うと短く感じるけど、僕にとっては長い付き合いだったよ」

「そうか。相手のこと、俺は知らないけど、田口ならもっと長く付き合うと思ってたよ」

「僕もそう思ってた。そのつもりで付き合ってたけどさ……」


 たくさんの言葉が出そうになるも、上手く口から出てこない。走馬灯のように楽しかった日々の記憶が頭のなかに浮かんでは消えていく。何度も想像してきた九月も十月も付き合いが続いていくという未来はもはやない。一昨日に消えた。


 僕が付き合っていた元彼女、矢崎友子との出会いは大学のゼミだった。

 一年生になったら必ず入るゼミに友子がいて、そこで一目ぼれをした。それまで誰とも付き合いのなかった僕は、大学デビューという言葉を頼り友子に告白、その告白が上手くいき、人生初の彼女ができた。

 付き合いは、僕のなかで上手くいっていたと思っていた。

 友子が好きなUSJには二度ほど足を運んだし、近辺の水族館にも足を運んだ。イルカショーもワザと水を被るような席を選んで一緒になってずぶぬれになった。入ったことのないレトロな喫茶店で、食べきれないほど大量のかき氷を残さず食べきってお腹をお互い壊すこともあったし、ゼミの課題の論文を一緒に完成させることもあった。

 不器用ながらも僕にとっては一緒に楽しく過ごせた日々だった。


「でも急だったな。デートしなくなったあたりから、ゼミで顔を合わせても言葉を交わすことなくなってきてさ。何か怒らせたかなと思ってたら『別れよう』っていうラインがきたんだ。『僕が悪いのなら謝るよ』ってメッセージ送ったんだけど、そのメッセージは既読無視。そのあとはもう未読で……それが一昨日のことで……」


 こらえようと思った涙がどうしても溢れてきてしまった。


「まあまあ、ビールもっと飲んで焼き鳥食べて元気出せよ。さっきから全然食べてないじゃないか」

「ありがとう。でもこれ代金は僕が払うやつだけど」

「自分で払うならなおさら食べろってこと。俺は失恋の愚痴聞きの大親友として今日ここに来たけど、俺ばかり食べるのはさすがに気が引けるぞ。まあ恋愛経験とかゼロだし、本当に愚痴を聞くことしかできないが」

「こんなこと、ゼミはもちろん、漫画サークルだと山下にしか言えそうにないから助かるよ」

「そこまで言ってもらえると照れるな」


 気分が少し持ち直してきた僕はテーブルのうえに並ぶ焼き鳥を食べた。雑で濃い味付けが口のなかに広がる。同時にようやく食欲が湧いたのでご飯を注文することにした。「元気出てきたじゃん」と山下が言う。


「ところでさ、その元彼女さんにとって、漫画サークル所属っていう肩書きはネックになったりしなかったか?」


 二杯目のビールを飲みながら山下が言った。

 山下とちがいアルコールに弱い僕は、思考を意識して動かし、友子との思い出を呼び起こした。


「友子には漫画サークル所属だよって話はしたけど、戸惑われた。そういえば漫画の話題は一度もしたことがなかった気がする」

「オタクが嫌いだったんじゃないか?」

「可能性は捨てきれないかな。友子にそんな偏見があるとは、今も思いたくないけど」

「まあそういったことは、本人に聞かないと分からないよな」


 まあその本人にはもう聞くことできないよな、という言葉が出かかったが、冗談でも言いたくはなかった。

 それに、そんな女の子であれば付き合いはもっと早くにおわっていた気がする。

 ただ山下と話したおかげか、フラれた直後では思い出せなかった数々の楽しくない思い出が頭に浮かんできた。


「そういえば僕が料理できないことにも呆れてたな」

「田口は料理できないのか?」

「いや、どちらかというと、友子が出来すぎたんだよ。手伝っても『座ってて』って言われるぐらいには役に立たなかったし。ゼミでのディベートもそう。議事進行とか僕がやっても全然ダメで、ずっと友子にフォローされっぱなしだった」

「そう聞くとむしろ田口がダメ人間のように聞こえてしまうな」

「いや、たぶん僕は実際にダメだったんだろう。友子にとってダメというより、人としてダメ。僕の言動、行動がだんだんウザく嫌いになっていったのかもしれない。いやきっとそうだんだ……」


 涙が急にあふれて止まらなくなり、ハンカチで目元を覆った。この情けない僕の姿も友子は嫌いだったのかもしれない。


「おいおい、田口って泣き上戸かよ」

「そうみたい。初めて知ったよ。泣き上戸だなんて知りたくなかったなあ」


 どうすれば涙が止まるのか分からない。感情がぐちゃぐちゃで笑い飛ばしたくなってきた。


「もう俺の驕りでいいからめちゃくちゃ旨い肉食って元気出せよ。あと、新しい恋をしろ、早く理想の女子と出会えよ、な?」

「女子との出会い、そうないよ。それは山下だって分かってるだろ?」

「まあな。サークルの女子連中はオタク男子なんて眼中にないだろうし」

「だろう? だから無理なんだよ、僕は友子以上の女子とは出会えない」


 もう諦めるしかない、そう結論付けようとした。

 だが山下は何か考えごとをしているのか「うーん」とうなり、食事の手を止めていた。

 そして言った。


「いや、お前の場合は一人いるじゃないか。ちょっとだけサークルにいた女子」

「誰のこと?」

「名前は思い出せないけど、ほら、AIがめちゃくちゃ嫌いだった女子だよ」


 AIが嫌い、という言葉を聞いてようやく一人の女子が思い浮かんだ。


「花園美咲さんか」

「そう。花園さんとお前、結構仲良く喋ってたじゃないか。今はどうなんだよ」

「どうなんだよって聞かれても、今は会ってないよ。サークル辞めた花園さんと話す機会、少しだけあったけどね。けど大したことは話してないし、それっきり。友子と付き合ってからは本当に会ってない」

「そうか。しかし彼女はまだAIが嫌いなんだろうか」

「めちゃくちゃ嫌ってるよ」

「なんで会ってないのに知ってるんだよ」

「SNSの相互フォロワーなんだよ。ミュートしようかどうか迷うぐらい反AIの話してる」

「花園さん、一貫してるなあ」

「そうだね、まあサークル辞めるにも時間の問題ではあったね」


 漫画サークル在籍時の花園について、僕ははっきりと覚えている。

 山下とちがって、僕と花園はよく言葉を交わしていた。これといって会話のきっかけというものは特になかった。ただ、花園は友子とは正反対なぐらい僕の趣味、というか共通の話題を持っていた。漫画サークルに入るぐらいなので当たり前とはいえ、少年漫画も深夜アニメもこよなく愛する女子オタクというのはとても話しやすかった。知っている作品の多くが被るというのも奇跡に近かった。

 僕も花園との会話は楽しかった。付き合うとかそういったことは一切考えなかったが、こういった関係が男女の友情だったのかもしれないと今では思う。

 ただ漫画サークルにおけるAI活用について、入会したばかりだというのに、彼女は歯に衣着せぬ物言いを同期のあらゆる人たちに投げつけた。


 漫画サークルにおけるAIはサム・アルトマンが始めたAIブーム以後、大きく使われることとなった。背景が描けない人はAIに背景を任せるし、彩色が苦手な人は彩色をAIに任せる。キャラクターデザインをAIに学習させて好きなポーズをAIで生成する部員までいる。

 僕も山下も、漫画制作は手描きだけではなく、AIを含めたあらゆるツールを使ったものだと考えていた。だからAI使用に対する忌避感は特になかった。

 だが花園にとってこういったAI技術だけは著作権侵害であり、環境破壊であり、盗作であり、作家に対する冒涜と尊厳破壊らしかった。


「〇〇先生ってAIで漫画描こうとしてるんだよ。手抜きだし何も考えてなさすぎじゃない?」


 その先生のファンである部員が目の前にいるにも関わらず、花園による漫画家の批判もよくあった。

 それらの発言以後、花園は女子グループだけでなく、サークル全体から孤立した。

 何度か僕は花園をいさめようとしたものの、花園は反省も後悔もなく、入会から二週間ぐらいでサークルを辞めた。

 サークルの空気は穏やかになったものの、僕は楽しく会話していたこともあり、彼女の退会に寂しさを感じていた。おそらくその寂しさを感じたのは僕だけだったかもしれない。

 ただ自業自得だとも思っていた。対立する思想を直接ぶつけあって、穏便に済むことはまずない。


「……ということで花園とも、縁はない」


 僕は首を横に振った。


「そっかー。じゃあ次なる恋で失恋を癒すってことは難しいか」

「そうなるかもね。山下とこうして喋ってると少し落ち着くけど」

「落ち着いたのなら良かった」


 テーブルのうえの焼き鳥がだんだんと空になっていく。気持ち的にまだ退店する気にはなれなかったが一通り話した気持ちにはなっていた。

 そんなとき、暇そうにスマホを見つめていた山下が静かにスマホの画面を僕に見せてきた。


「山下、突然どうした?」

「これをお前に勧めようと思ってな。俺には恋愛とかマジでよくわからないけど、これとかどうよ。失恋の癒しにはなるんじゃないか?」


 山下のスマホの画面には3DCGで作られた美少女が映っていた。笑顔で僕を見ているようだ。ただ何なのかは分からない。Ⅴチューバーみたいに見える。


「新しいスマホのゲーム? ゲームのキャラに恋愛するのはちょっと……」

「スマホのゲームじゃなくてAIだよ。イマジネーション・ネクサスI N社の健康管理サービス。この子が健康管理してくれるんだ」


 AIはあらゆるところに関わりを持っている。

 それは社会の常識なので健康管理サービスにAIが搭載されていることに驚きは特にない。インストールしてないだけで、そういうサービスが色々あることも知っている。ただ健康管理サービスが美少女キャラを提供していることには、ピンとこなかった。無難で誰にでも受け入れるデザインが主流ではないのか。


「その子が健康管理してくれることと、失恋の癒しには関係あるの?」

「いや健康管理は正直どうでもいい。というか俺も健康に興味はまったくない。ただここの健康管理サービスのAIは結構優秀ってことで一部界隈で評判なんだ。デザインのカスタマイズの自由度も高いし、声の調整も上手くできるし、会話も弾みやすし……で、俺はこの子とのコミュニケーションが、田口の失恋の癒しになるんじゃないかって思ってる」


 スマホの画面のなかのメイド服の美少女が手を振りつつ、『健太郎ー、今日こそ野菜食べてよね』と言う。健太郎は山下の下の名前だ。「分かってるよ、アイカ」と山下は言ってのけた。

 こういったAIとのやりとりが癒しになる?

 僕は首を横に振った。


「山下、気持ちは嬉しいし、その子は可愛いとは思うけど、そのAIが失恋の癒しにはなるとは思えない。それに傷ついてはいるけど、人間じゃないAIに頼ってしまうほど、僕はヤワじゃないよ」

「田口のメンタルがヤワだとか、そういうことを言いたいんじゃない。ただ、さっきの泣いてる姿とかを見てるとさ、何かの癒しが必要だろうって思うんだよな。そこでいきなり風俗とか勧められても困るだろ?」

「それは本当に困る」

「だろ? だからAIを勧めたんだ。もちろん失恋の癒しになるかどうかは分からない。いくらコミュニケーションが優秀といったってAIは人間じゃない。ただ、お前の傷が自分の想像以上に深いものだとするなら、こういうものに一時的でもいいから、頼ったほうがいいと俺は思うぞ」


 気は進まなかったが「分かった」と僕は返事をした。

 心の傷が想像以上に深い。その可能性は少しある。自覚はなくても山下から見てそう思われてる。

 ただそれ以上に、親身に相談に乗ってくれる山下の好意をぞんざいに扱いたくなかった。


「やっぱり食事代、僕が全部払うよ」

「いいのか?」

「相談料としてね。あとその健康管理サービスの手続き方法も教えてよ」

「やっと乗り気になったか。よっしゃ、じゃあさっそく教えてやるよ」


 こうして健康管理サービスのアドバイスを山下から受けつつ、焼き鳥とビール代計七千円を払って退店した。

 日付はまだ変わっていなかったものの、外を歩いている人間は少なくなっていた。ビル風だけが強く吹き、街は軋んだ音を立てていた。

 じゃあな、という声とともに僕らは別れた。

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