第44話 蓬生2 露の宿
「なんか前にナギコが出てきた時はみんな笑ってたけど、今は結構同情してない?」
「ほんと、でも変わり身のはやさってぇ、結構いいこともありますぅ。
昔もめたこととかぁ、それで敵だから笑ってやろうとかぁ、それが今は忘れて水に流せるってことですよねぇ。」
「確かにナギコを少納言に重ねて笑ってたわね。」
「少納言はずっと隠棲したきり戻ってこないし、気の毒と言えば気の毒ね。」
「回りが勝手に騒いでるってとこ、あったし。」
「この蓬生の物語は、ひょっとして復帰を促してるのかな。かつてのライバルに。」
「でも復帰はないですぅ。
この前も訪ねて行ったんだけどぉ、無理っぽいね。」
「なんかその喋り方誰かに似てない?」
「式部さん?もう一人の方の。」
藤式部
「では、今日も始まり。」
四月になって、
ここんとこ降り続いていた雨もまだ少し降る中、タイミング良く月が顔を覗かせました。
以前に五月雨の中、あてもなく外出した時のことがフラッシュバックすれば、なかなか風情ある夕月夜ということもあって、途中でいろいろなことを思い出していたところ、原形をとどめぬ程荒れ果てた家の、木立が茂り森のようになっているところを通り過ぎました。
大きな松に絡まった藤の花が咲き、月の光になよなよとしていて、風に乗ってふっと匂って来るのが誘われているみたいで、何やら意味ありげな香りがします。
花橘だったら昔の香もするという所ですが、それとは違う興味深い香りで、車から顔を出してよく見ると、柳の枝も枝垂れ放題で、筑地は崩れて邪魔されることもなく乱れ臥してました。
「なんかこの木の茂り、見た事あるな」
と思えば、
「そうだこの屋敷だった。」
胸が締め付けられるような思いで車を止めさせました。
例によって惟光はこういったお忍びの外出に外されることはないので、側に控えてます。
近くに来させて、
「ここは常陸宮の屋敷だったんじゃあ。」
「そう存じます。」
「ここにいた人はまだ居るんだろうか。
行かなくちゃいけなかったんだけど、わざわざ訪ねて行くのも気詰まりだ。
もののついでだ。
入って言づてをしてくれ。
ちゃんと確認してからにしろよ。
人違いだと馬鹿だからな。」
そう言いました。
一方、
亡き人を思えば袖も乾かずに
破れた軒の雫まで一緒
というのも痛々しいものです。
惟光が入って行き、あちこちうろうろと人の音がしないかと見て回るのですが、まったく人の気配もなく、
「そういえば今までも行き来の時に見ていたけど、人の住んでる様子もなかったからな」と思って帰ろうとすると、月の光が明るく差し込んできて、見れば
やっと見つけたと思い、恐る恐る近寄って声をかけると、よぼよぼの爺さんのような声で咳払いをしてから、
「誰かえ。何という者かえ。」
と尋ねてきます。
名を名乗ってから、
「侍従の君という人に会いたいんだが。」
と言う。
「そんれは、他所へ行っちゃただ。
じゃが、似たような女ならおるがのう。」
という声はすっかり老いてしまってはいるものの、知ってる老人の声だとわかりました。
中の人は、思いもよらない狩衣姿の男を静かになごやかに迎え入れてくれたので、このすっかりご無沙汰していた人たちが、ひょっとしたら狐が化けているのではないかと一瞬思いましたが、近づいて、
「どうかはっきり言ってほしい。
今で変わらないお気持であるなら、源氏の君も訪ねて行こうという気持ちを、今でも変わることなく持っていると思います。
今も通りがてらに車を止めたのですが、何と報告しましょうか。
どうか固くならずに。」
と言えば、女たちは笑い出して、
「心変わりがあるんじゃったら、こんなススキが茫々と茂る所にいつまでもいることはないわな。
ちょっと考えればわかるでしょうに。
ここまで年は取って来たけど、それでもこれまでの人生で誰も経験したことのないような、珍しい体験をしてきたんですよ。」
と少しづつ語り出せば、とりとめのない話になりそうで、うざいなと思って、
「そうですか。まず報告に行ってまいります。」
と言って源氏の所へ戻って行きました。
「どうしたんだ。遅かったじゃないか。
それでどうだった。
蓬がこんなに生い茂って昔の片鱗もないんだが。」
と言えば、
「どうにかこうにかやっと見つけました。
侍従の叔母の少将という年取った人がいて、昔と変わらないようでした。」
とその様子を話して聞かせました。
ひどく悲しそうに、
「こんな草の生い茂ったところで、どんな気持ちでこれまで暮らしてきたか。今まで放ったらかしにしてたなんて。」
と自分の薄情さを思い知ったようでした。
「どうしたらいいものか。
こんなふうにお忍びで外出するのも難しいから、こうしたついででないと立ち寄ることもできない。
変わらない様子だというなら、本当に待ってたんだというのは、あの人なら考えられる。」
と言いながらも、すぐに入って行くことをためらっています。
こういう時は歌など送って返事を伺いたいのですが、以前なかなか返歌を返せなかったのが変わってなければ、お使いに行く方も待たされて気の毒なので、思いとどまります。
惟光も、
「蓬に露がびっしり降りていて、とてもあなたをそのまま歩かせるわけにもいきません。
私が露払いをいたしますので、後から来てください。」
と言うので、
「何としても自分が行かにゃ道もない
蓬に深く埋もれた心を」
と独り言を言って車を降りれば、その前の草の露を惟光が馬の鞭で払いながら入って行きます。
雨の雫もあたかも秋の時雨のように打ち付けるので、傘を差しかけます。
「ほんと、木から落ちる露が雨よりもひどいですね。」
以前来た時もあるのかないのかわからないようだった中門も、今では影も形もなく、無様な姿で家に入って行くのを、偶然でも見る人がいなかったのは幸いでした。
大弐の奥方から貰ってそのままの衣類は、貰った相手が相手だけに見るのも嫌だったのですが、そのときに女房達が香の唐櫃に入れておいてくれたので、何とも素敵な香りがしていて、これしかないと思って着替えて、あの煤けた御几帳を自分の前に置いて座りました。
「長いこと合わなかったのは、心の中では変わらず思い続けてたのに、あなたがそっけないそぶりををしてたのが憎らしくて、今まで試すつもりでいたからなんだが、三輪の杉の恋しさならぬこの鬱蒼と茂る木立に、スルーするわけにもいかず、まあ俺の負けのようだな。」
と言って几帳の裾を少し横へずらすのですが、前に会った時のように、とにかく恥ずかしそうにしていて、なかなか返事をしません。
こんな所へわざわざ来てくれたんだから、それだけでも大変なことなんだと思って、ようやく小声で何か言ったようです。
「こんな草の中に隠れて過ごした年月の悲哀は並大抵ではないとおもうが、相変わらず何も言ってこなかったから、どう思われているかもわからなかったんだけど、それでもここまで来た俺の気持ちをわかってほしい。
長いこと来なかったのも、そういうことだから、みんなわかってくれると思う。
これから先、あなたが不満に思うのだったら、約束を守らなかったという罪も追うことにするよ。」
などと、心にもないようなことを、いかにも思いやりのあるように言いくるめることも‥‥あるんでしょうね。
ずっとここに居ようにも、場所からして目がくらむような状態なので、適当なことを言って出て行こうとします。
引き抜いてきて植えたわけでもない松の木が高い木になる程の年月も悲しく、悪夢のような須磨明石のことも脳裏を離れず、
「藤の花を見過ごすことができないのは
まつだけが宿のしるしだからだ
思えば何年前のことだったか。
都もいろいろ変ってしまったことが多くて、どれもこれも悲しいもんだな。
今に落ち着いて、田舎に遁れていた頃の話なんかもしなくてはな。
あなたの長年の春秋の辛かった日々なども、誰かに何とかしてもらっているかと特に理由もなく思っていたのは、やはり変だったね。」
なんて言うのを聞いて、
「何年もまつのしるしもない宿に
花をだけみて去って行くのね」
と密かに体を震わせている気配、袖の薫りも、以前よりは大人になったのかと思いました。
夕暮れに見えていた月も沈もうとしていて、西の妻戸を開くと本来ならあるはずの西の対屋とを繋ぐ渡殿の屋根はもとより、軒先すら残ってないため、差し込む光が部屋をこれでもかと明るく照らし出すので、その辺りをぐるっと見回してみると、昔と変わらない室内の調度類が並んでいて、忍ぶ草にやつれた家の外見に比べると優雅な感じがして、古い物語に夫に貞淑さを示すためにわざわざ塔の壁を壊して外から見えるようにした人がいたことなども思わせるような、昔と同じような生活を続けていたことが悲しく思えます。
ひたすら自分を抑えて何も言わないその姿も、やはり気品があって惹かれるものもあり、今度こそは忘れまいと心を痛めるのですが、しばらくいろいろ辛いことが多くて完全に忘れてしまっていたのを、薄情だと思っているんだろうなと思うと、可哀想なことをしたと思います。
あの
*
賀茂の祭り、斎院の禊などがあり、その支度にかこつけて、献上品が沢山あったので、それを
中でも
その代わりに心を込めて手紙を書き、
「二条院の東の家を建てているから、そこに引っ越させようと思う。そこにふさわしい童女を探しておいてくれ。」
などと、女房の苦労まで思いやって、使者を送れば、このみすぼらしい蓬の家の人達も、どう感謝していいかわからず、女房達は空を仰いで、二条院の方に向かって礼を言うのでした。
世の普通の男たちなら、たとえ軽い遊びのつもりでも誰も目を止めることもなければ聞き出そうともしないような女でも、世間のかすかな噂からこれはと思って、興味深々でわざわざ訪ねて行くのが
これも前世の契りということなのでしょうね。
それじゃこれまでと見切りをつけて、いろいろ伝手を頼って我先にと去っていった女房たちも、戻ってきたくて先を争っています。
この翌年までは古い邸宅で過ごした後、東の院というところに移って行くことになりました。
夫婦関係を持つのはちょっと無理でしたが、すぐ隣に住んでいるということもあって、普通にその辺りを通ることもあれば、ちょっと訪ねて来たりして、そんなに軽く扱っているふうでもありませんでした。
あの大弐の
また別の機会があれば、その時に思い出して語っていきたいと思います。
「続編の予告?」
「イソシコのキャラは悪くないし、イソシコとナギコの物語になるのか。」
「それより大輔の命婦はどうなったんだ?今回出なかったけど。」
「イソシコ、ナギコにスミコか。ぜひやって欲しいな。」
「コホッ、まず前回の『漢の隠士の
まあ、これは陶淵明でも有名だから、仮名物語で読んだ可能性もあるのでまだ良しとしましょう。
問題は今回の『塔の壁を壊して』、これは『毛詩』でしょ。完全にアウトね。
それに今までも『日本紀』の注釈から取ったと思われる言葉が使われてる。」
「出た。漢文検非違使。」
「だったら、あんたは何でそれを知ってんの?やはり読んだんでしょ。」
「うっ、‥‥殿方がそう言ってたのですよ。」
「それにしても細かい所、良く調べてる。あんたもファンなんでしょ?それもかなりディープな。」
「式部は文章博士の家で育ったから、日本紀の注釈にあるような言葉は自然に覚えたでしょうに。」
「だったら、余計に怪しいですわ。
疑惑は深まりましたわ。」
「それはそうと、あの鍵の爺さん生きてたね。」
「門が壊れたから仕事ないんじゃね。」
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