第42話 澪標3 帰って来た斎宮
「あの御簾は今回もあるし、定着なのかな?」
「噂だと花山院が参っているとか。」
「崋山院ではなく、あの花山院が?」
「あまり馬鹿な盛り上がり方出来なくなったな。」
「畏まって聞かないと。」
「畏れ多くも藤式部様の‥‥。」
「藤式部まで皇族扱い?」
「もはや藤原の藤式部ではなく、王家の紫だな。」
「紫式部?」
「藤壺、紫の上」と紫つながりで、作者も紫。」
藤式部
「誰?そんな紫なんて畏れ多い名を名乗れるわけないでしょ。
今まで通り、物語を始めるからね。」
それはそうと、あの
こんな時に浮気心を起こしても、こんな俺のことだから責任持てないし、とにかく関わりになって遊び歩いても、また面倒ごとを背負い込みそうで、無理して通おうとも思いません。
ただ、娘の
なお、
風流な暮らしが忘れられなくて、気の合う女房なども多く、風流人の集まるところになって、寂しさを紛らわしながら過ごしていると、急に重い病気になり、死後のことも心細く思えて、ここまま俗世で年老いて行くのもやばいと思い、尼になりました。
いろいろ尽きることなく慰めの言葉をかけてあげます。
枕の近くの几帳を隔てたところに座席を設けて、自身は脇息に寄りかかりながら言葉を交わすものの、すっかり衰えてしまったような気配が感じられ、変わらない心のほどを見せることができないんだと思うと悔しくて、涙が溢れてきます。
そんなにも思っていてくれたのかと、
「後見もなく、あとに残されてしまっても、どうか必ず折に付けても身内のものとして扱ってください。
他に頼る人も無く、あなたしかいません。
私は何もできませんが、あとすこしでもこの世に命のある間、あれこれ物事が分かってくるまではお世話しようと思います。」
と、消え入るかのような声で泣きました。
「そんなこと言わなくても、あなたとの仲が切れてしまったわけではないんだし、もちろん自分にできることだったら、どんなことでも支えて行こうと思ってる。心配しないでほしい。」
などと言うと、
「そんな簡単ではありません。本当に信頼できる父親にお世話を任せたところで、母を失ってしまうと本当に可哀そうなことになるんですよ。
それなのに、自分なら大丈夫と思ってらしても、思うようにならない人がしゃしゃり出てきて、気兼ねしなければならないこともあるでしょう。
こう言うと気分を害するかも知れませんが、くれぐれもスケベ心で近づくようなことは考えないで下さいね。
私自身のつらい過去を思っても、女は思ってもみなかったことで悩みを背負い込まされるもので、どうかあの娘には近づかないで見守っていただきたいと思ってます。」
と言います。
そんな意地悪言わないでよ、と思うものの、
「この年になっていろいろわかってきたこともたくさんあるんだから、昔のような浮気者だと思ってそういうことを言われても困るよ。まあ、わかってるとおもうけど。」
と言っている間に外は暗くなり、家の中では大殿油の光に仄かに映る人影がこちらへと動くのが見えて、「ひょっとして」と思い、そっと几帳の綻びから覗けば、幽かな炎に照らされ、髪の毛が奇麗さっぱりと尼削ぎになっていて、脇息に寄りかかっている様子は絵に描いたようにアンニュイで、やばいくらい妖艶です。
几帳の東側に添い臥しているのが、その斎宮なのでしょう。几帳が緩く押しやられたところから目を凝らして覗き込むと、頬杖をついて何とも悲しそうな顔をしています。
薄ぼんやりとだけど大変美しい方だと思いました。
肩にはらりとかかる髪や頭頂部、全体の雰囲気、高貴で凛としていながらも、輝くばかりの可愛らしさがあり、見れば見る程心惹かれ、なるほど御息所の言った通り、これは誘惑にかられるなと思い直しました。
「ちょっと苦しくなってきたので申し訳ございませんが、そろそろお引き取りいただけませんか。」
と言って、人に抱きかかえられて横になります。
「せっかくこんな近くまで来たんだから、元気になってくれれば嬉しかったんだけど、残念だな。どんな感じなんだい?」
と言ってまた覗き込もうとしたので、
「大変危ない状態ですよ。もうこれが最期かと思う時にいらしていただいて、これも深い因縁なんでしょう。
今申し上げたことを少しでも理解してくれたなら、それはそれで心強いことですが。」
と答えると、
「これが遺言になるなんて思うと、よけい悲しくなるな。
亡き院の皇子たちのたくさんいる中で、これだけ親密な人は他にいないし、その皇子たちの一人に加えていただいたというのであれば、その頼み、承りましょう。
少しは大人になるそういう歳なので、お世話するような姫君もないのも物足りない所だ。」
そう言って帰って行きました。手紙を持ったお使いの人が度々来るようになりました
亡くなったのはその七、八日後でした。
すっかり気を落として何もかもが儚く、生きているのも心細く思えて、内裏にも行かず、葬儀などいろいろ取り仕切ってました。
他にそれができる人も特にいなかったのです。
前の斎宮の宮司など、日頃世話になっていた人だけが僅かに式を執り行います。
「何をどうしていいかもわかりません。」
と女別当を通じて伝えました。
「遺言を預かっておりますので、今は家族同様に思っていただければ幸いです。」
と言うとお仕えしていた人たちが出てきて、これからどうするかを伝えます。
任せておけという感じで、今まで疎遠にしていたのを取り返したように見えます。
とにかく威厳をもって、
悲しく物思いに耽りながら、喪に服すために御簾を降ろして、お勤めをしました。
気が引けることもありましたが、乳母などが「ありがたいことですよ」と勧めたようです。
*
雪や霙が掻き乱れて降る荒れた日、
《今のこの空をどう思いますか。
降り乱れ止まない空に亡き人の
空を彷徨う宿は悲しい》
空色の曇ったような紙に書きました。若い人の気に入るようにとあれこれ考えた彩りをほどこして、きらきらしてます。
「代筆はでは先方ががっかりしますよ。」
と咎めるので濃い灰色の紙に良い匂いの香を焚き込むことで、筆跡をごまかして、
《消えそうにふるもどんより悲しくて
自分が自分でないみたいです》
遠慮がちな書き方で大変奥ゆかしく、字がそれほど上手いわけではないけど、品良くて可愛らしい書風に見えます。
伊勢へ下向した頃から目を付けてはいただけに、今なら思いを告げて、あの手この手で口説くこともできるとは思ってみても、まあ冷静に考えれば、
「困ったもんだ。
それこそ亡き御息所が気にして釘刺していたことだ。
理屈はわかるんだけどね。まあ世間の人だってそう思っているはずだし、ここは抑えて、清く正しくということで行こう。
今の御門がもう少し物事が分かる歳になったら、内裏に住み込みで働かせて、寂しさを慰めてあげられれば。」
と思いました。
いかにも真面目で親切な便りを送り、必要とあれば実際に尋ねても行きました。
「畏れ多いことだが、亡き御息所の遺志を継いで、淋しくならないようにお世話できれば幸いだと思う。」
などと言ってはいるものの、ひどい恥ずかしがり屋で人前に出たがらず、わずかに声をあげるだけでも滅多にない珍しいことで、女房達もどうしていいかわからず、こうした性格を心配しています。
女別当や内侍などという人たちも、
「この、秘密裏に進めている内裏デビューを実行したとしても、他の人に劣る所ということはなかろう。
何とかその姿かたちをはっきり見てみたいものだ。」
と思ってはみても、それは純粋な親心というわけではなさそうですね。
自分の意志すらはっきり決まってないので、内裏に入れることもまだ人には話してません。
法要などのことも特別扱いでやってますので、その気持ちは有り難く、
空しく過ぎて行く月日に、ますます淋しく心細くなってゆくばかりで、お仕えする人達もそれぞれ別行動になって行き、六条邸は下京で、それも東の端にあるので、行き交う人も少なく東山の寺の入相の鐘がなるにつけても、すすり泣きながら過ごしています。
一口に親と言っても、
仕えている人の身分は様々です。
それでも
「乳母であろうと、勝手に何かをすることはしないように。」
などと父親ぶったようなことを言えば、「遠慮すべき立場だし、とにかく何事もなく穏便に」と言葉でも心でも思っていて、ほかの男を近づけるようなことはしませんでした。
先帝の朱雀院も、かつての
「自分の下に参内して、妹の賀茂斎院など、親族の宮たちと一緒に仕えてほしい。」
と
それでも、
「そんな高貴な方々と一緒にお仕えするほどの立派な後見人がいるわけでもないので。」
と心苦しく、
「院が重い病気なのも心配ですし、これ以上の悩みを背負いたくはありません。」
と言って辞退したのを、今はその
「院がそんな様子なら、それを裏切って横取りするなんてことは畏れ多い。」
と思うものの、
「こういうことがあって悩んでるんだが、母の御息所は身分も高く思慮深い方だったけど、俺のちょっとした浮気心で不本意なスキャンダルになってしまい、嫌われたまま亡くなってしまったことが、とにかく心残りなんだ。
生きている間にその禍根を晴らすことができず、死の間際にこの斎宮のことを託されて、その信頼に応えるべく、悔いのないようにということで、さすがに放っては置けないと思ってるんで、隠しておくわけにもいかない。
赤の他人であっても、苦しんでいる人を見過ごすことはできないもので、何とか草葉の陰でも生前の恨みを忘れてくれればと思い、内裏でも、大きくなったとはいえまだ子供の所があって、少しでも分別ある者が付いていてあげた方が良いと思ってるんだが、何とか計らってくれないか。」
と言うと、
「それは良い考えで、院が執心していることは畏れ多いだけに困ったことですが、その遺言を利用して、知らん顔して参内させたらいいでしょう。
今ではそのことをそれ程思ってもなく、仏様へのお勤めばかりしてますので、私がそう言ってもそれほど咎めるとは思いませんわ。」
「だったら、入道后の宮から内裏で一人前に扱うように言われたと、軽く勧めてみる程度のことを言ってみることにしよう。
あまりあれこれ言ってうるさくない程度に、院の気分を害さぬ程度にするけど、世間はどう思うかが心配だ。」
と言っおきながら、後で何も知らなかったことにして、こっちに呼ぼうなんて思うのでした。
二条院の
「こうしようと思う。一緒にいるのにちょうど良い歳頃だと思う。」
と知らせると、喜んで迎え入れの準備を急ぎます。
「兵部卿宮の姫君も同じくらいの年ですから、これでは雛遊びばかりすることになりますよ。もっと大人の後見人がいるなら嬉しいのですけど。」
と言っては、
「タカキコ回収と思ったら、その展開なのね。」
「アマネイコの方は回収。玉‥‥。」
「それはネタバレ、しーーーっ、ね。」
「何?またその後年前の先行作品のこと?」
「私知ってる。夕顔の頃からのファンだったから。」
「まだまだね。浅水姫は知らないでしょ。越前から帰った頃の。」
「幻の、ってか、ただお姫様を曇らしまくるだけのつまらない話じゃなかったっけ。」
「どっちかと言うと黒歴史的な。」
「式部の歴史は夕顔から。」
「さざなみ姫は?田舎もんの姫様のドタバタ喜劇。」
「それいつの?」
「証拠あるの?写本残ってるの?」
「でも花山院が御門だった時代に一部で受けてたんだけど。」
──────────────────────────────────────
浅水姫、さざなみ姫は完全なフィクションです。
ただ、当時たくさんの物語が書かれていて、現存するのがそのごく一部だと思うと、紫式部にもひょっとしたら若い頃の埋もれた作品があったかもしれませんね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます