第3話 桐壺3 若宮様
「いやいや、泣いた。」
「全殿上が泣いた。」
「あの
「まあ、女が漢詩を知ってるなんてあまり大きな声では言えないけど、式部さんの物語の話だということにすりゃいいんじゃない?」
「単に教養をひけらかすんじゃなくて、抜け道まで作ってくれるのって流石よね。」
「女は漢文読んじゃ駄目だって、漢文検非違使がうるさいもんね。」
「あっ、そろそろ始まるよ。」
「香炉峰の雪は?」
「枕を傾けて寝る。
「はい、アウト。
「普通に簾を開けてあげる。」
「そんならセーフや。」
「出典ナギコ。」
「あっ、そろそろ始まるよ。」
藤式部
「はいはい、漢詩が出典のやつ、これから控えめにしますね。
ではこの前の続き。
ちょっとしんみりしちゃったから、今日は明るくね。」
三年の喪が明け、若宮様が宮中にやってきました。
およそ同じ人間とは思えないくらい美しく御成長なさったのを見て、
「いくら若宮様をご贔屓にしていても、当然限界がある」
と、世間では囁かれ、弘徽殿の
若宮様も数えで六歳になっていたので、今度は死を理解して、
母君はこれまでずっと分け隔てなく接し、我が子のように可愛がっていて、この子を残して行かねばならない悲しみを、何度も何度も口にしてました。
そういうわけで、若宮様も今は内裏でのみ暮しています。
数えで七歳になった時に読書始めをさせたところ、世に例のないほど飲み込みが早く頭が良いので、御門も末恐ろしいと感じてました。
「今は誰一人として憎む人もいない。母親がいないというだけでも可愛がってくれ。」
と言っては、弘徽殿に行くときにも一緒に連れて行き、
やばそうな武士や仇敵であっても、見ると顔がほころんでしまうような状態なので、
この二人の皇女様もこの年齢とは思えないくらい美しく成熟していて、隠れたりはせずに、見てて恥ずかしくなるような若宮様の様子にも結構好意的に打ち解けてしまい、誰もが遊び相手にと思うようになりました。
学問はもちろんのこと、七弦琴や笛の音も宮中に響き渡り、こうしたことをすべて言い尽くそうというなら、どれを取っても尋常ではないとでも言うべきでありましょう。
*
そのころ
仮の後見人として仕えていた
「国家の父となって帝王としてこの上なき位に登るべき相を持ってらっしゃる人だが、そうなると国は乱れ、憂うることがあるだろう。
だが、公僕として御門の下で補佐をする方に回るというのであれば、またそのかぎりではない。」
と言いました。
右大弁も有能で賢い学識者なので、渤海の使節と筆談を交わしたことなど、とても楽しいひと時でもありました。
漢詩などを詠み交わす際にも、今日明日にも帰国しようとしているところであれば、こんな滅多にお目にかかれないような人に会えたという喜びもかえって悲しくなるのですが、その心情を、使節の人が面白く詠み上げるのに応えて、皇子様もそれにとても哀れな句を繋いでみせたのをこの上なく賞賛し、とにかくすごい贈り物をもらうことになりました。
もちろん朝廷からもたくさんの贈り物をお返ししました。
誰が秘密を漏らしたというわけではなくても自然とこの噂が広まり、皇太子様の祖父の
御門は機転を利かせて、日本の人相占い師に命じて、渤海国の占い師の言ったことに沿うように、この占い師に今までこの皇子を正式な皇位継承者としなかったことを「大変賢い判断だ」と言うように示し合わせました。
そして、
「親王として皇位継承権を維持するにも、母方の親族の後だてがなければ根無し草のようなもので、我が治世も先行き不安だ。
臣下の籍に降格させ朝廷の補佐を担当させれば、これから先も安泰だ」
とご決定なされ、ますます諸般の学芸を習わせるようにしました。
どれをとっても天性の才能があり、皇族から臣下に格下げするのは惜しいことではありますが、皇位継承権を保持したままだと世間がいろいろ疑いを持つことを考慮すれば仕方ないことですし、占星術の大家に相談しても同じように言うので、源氏の姓を与え、臣下に降格させることに決定しました。
天皇の子にしてその代や二代でで臣下に下る者は「
年月が流れてもあの
御気持ちを慰めることができるかと、それなりの女御更衣たちを御門の下に送り込んだものの、とてもヨシコになぞらえることなんてできないと、どれもこれも全員会いたくないとお思いになっていました。
ちょうど、先代の御門の四の宮のヤスコ様がルックスも良く高い評価を得ていて、先代のお后様が他に例のないほど大事にお育てになってました。
御門にお仕えする
「お亡くなりになった
そうそういらっしゃらない美人では‥。」
とご報告したところ、
「それは本当か。」
と、気になったのか、すぐに親密になりたいと打診してきました。
先代のお后様は、
「おお、こわっ。
あの東宮様(一の皇子)を生んだ女御は本当にたちが悪くて、桐壺更衣に露骨に冷酷な仕打ちをしていたことだけでも恐ろしいというのに‥」
とあからさまには言わなかったものの、清々しく快諾することもなく、そうこうしているうちにこのお后様もお亡くなりになりました。
心細くなっていた
「ただ単に、我の二人の女皇子様と同じようなものと考えるようにする。」
と誠意を持って誓いました。
お付の人たちも後見人や兄の
確かに、見た目も行動も異常なほどあの
ただ、今回は
御門の心が紛らわされたというわけではないけど、自然と気持ちがそちらの方へと移ってゆき、気持ちが和らいでゆくようなのは、何とも喜ばしいことでした。
源氏の君はいつも御門にくっついて回っているので、頻繁に御門が通ってくる人は、源氏の君を見ても恥ずかしいなどと言ってはいられません。
どんな女御更衣も、自分が人より劣っているなどと思うことがあるでしょうか。
それぞれにみんな素晴らしい人なのですが、やや年上であるため、源氏の君のあまりの若さと可愛らしさに本当は隠れていたいのですが、自ずとどこかで源氏の君に見られてしまっているものです。
もちろん、母の
御門もこの上なく思いを寄せる人同士なので、
「何で避けようとしたりするのだ。
そなたと源氏の君とは不思議な縁があるかのような気がする。
無礼などとは思わずに、いたわってほしい。
そなたと源氏の君とはお顔立ちも眼差しも大変よく似ているので、ほとんど二重写しのように見えるし、お似合いだと思う。」
とお告げになれば、源氏の君もまだ幼い気持ちながらも、はかなき花や紅葉にも心があるように恋心が芽生え、こよなく好意を寄せるようになりました。
なので、ただでさえ弘徽殿の
世に類を見ないと言われている名高い東宮様の立派な姿と比べても、なお何とも例えようもない雰囲気を持つ源氏の君の美しさに、宮中の人たちは「光る君」と呼ぶようになりました。
この君の
御門は居ても立ってもいろいろ考えをめぐらしては忙しく動き回り、定まった儀式にもさらにいろいろなことを付け加え、一年前の東宮様の元服の儀は紫宸殿で行なわれ、その評判となった荘厳さにも負けないものとなりました。
宮中の各所で行なわれる酒宴も、
皇太子ではないので紫宸殿ではなく、御門が普段お住まいの清涼殿の東の
午後三時、源氏の君の登場です。
髪を真ん中から左右に分けて束ね、あらわになった頬から顎にかけての輪郭がほの赤く、童姿ではなくってしまうのは、ちょっと惜しいところです。
やがて髷が結われ冠をかぶると、屏風で隔てられた休息所に来て童子の赤い衣から無位の成人の黄色い衣に着替え、清涼殿の東庭に下りてくると、見ている人は皆涙を流しました。
もちろん御門もそれ以上に涙をこらえきれず、源氏の童子姿に一頃気持ちも紛れていたものを、また更衣がいた頃のことを思い出して悲しみにくれてました。
このような年少者はたいてい、元服すると大人の髪型が板に着かずにみすぼらしく見えるという「あげ劣り」になるものなのですが、源氏の君の場合はどうしようもないくらいにさらに美しくなってしまうのです。
冠をかぶせる役を務めた左大臣藤原カネイエと御門の妹との間にできた、大切に育てられた一人の娘のトーコは、東宮様の方からも引きあいがあるものの、なかなか難しいことになってました。源氏の君のもとにやろうという意向があったからでした。
「それなら、この元服の儀で、源氏の君の後見人がいないことだし、元服の夜の添い寝役にでも。」
と促され、了承しました。
儀式を終えて、
あなたはもう元服して正式に源氏の姓を賜り臣下、源の
御前より内侍が御門のお言葉を承り伝え、
今日の
酒を酌み交わすついでに、
「元服の髪結う糸に末永く
契る心をともに結ぶか」
と歌うと、そこに込められた「末永く契る」の意味に
「髪を結う心も深い結い紐の
濃い紫が色あせぬなら」
と大声で歌い上げると、清涼殿から紫宸殿への廊下から庭に下りて
左馬寮の者が馬を引きつれ、蔵人所の者が鷹を手に据えてあらわれ、これも賜りました。
清涼殿の階段の下に皇子たちや上達部が並び、それぞれに禄が支給されました。
その日の御門への
その夜、
婚礼の儀式は世にも稀なほど源氏に敬意を払って執り行われました。
源氏の君はまだ幼くて痛々しい感じでしたが、とても品格があって美しいと左大臣はおっしゃってました。
左大臣の
この
同じ母君からは蔵人少将のナガミチがいて、まだ子供のような可愛らしい方なのですが、右大臣も仲は良くないとはいえ無視することもできず、大事に育ててきた弘徽殿
源氏の
「こういう人だったらずっと見ていたいな。
他には誰もいない。
左大臣の娘はとても大切に育てられたいい子だとは思うが、俺には合わないな。」
と思い、まだ未熟な心には一つの方向しか見ることができず、大変苦しい思いをなさってました。
元服してからは、かつてのように
五、六日内裏で過ごしては家で二日三日という具合に、頻繁に内裏に登られていたのですが、この年頃にはありがちなことで罪はないと思って、
お付の人たちは、世間を広く見渡して、必要な人材を選りすぐって雇ったもので、源氏の君の望まれるがままに管弦の宴を催し、精一杯の労を惜しみませんでした。
内裏にお泊りになる時には、かつて母君のいらした
荒れていた母君の実家は、
もとからあった庭木や築山も見事に整えられていたのですが、池の底をさらに深くしてさらに奇麗になったので、たちまち評判になりました。
源氏の君はというと、
「こんなところに本当に好きな人と一緒に住めたらなあ。」
と嘆き、ずっとそう思い続けることとなりました。
*
一説には、「
桐壺巻終り。
「えーーっ、前髪あげちゃったの?」
「また、殿上の全ショタが泣いた。」
「それにもう結婚?」
「どうせ浮気するんでしょ。」
「そのあとの結婚って、宇津保物語の源氏みたい。」
「まあ、わかりやすい。」
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