第21話 彼が住んでいたのだから

 大名庭園へ車を走らせる間、二人は何も喋らなかった。ラジオの音に救われる。

 錦江湾沿いをひた走り、石造りの塀に囲われた

場所にたどり着き、車を停めた。

「名物のお餅食べようね」

 シートベルトを外しながら言う彼は、何でもなかったふりをして笑ってみせた。頷いて見せた斉賀も元気はない。

 受付で料金を支払い、リーフレットを受け取る。明るく案内をしてくれる受付の方の話を聞きながら、二人は何度も頷いた。

 広大な敷地内を彷徨うみたいに歩いた。振り返れば桜島が我関せずという顔で相変わらずそこにいた。青々した芝生が続く中、石垣を登ったところに、地面に穴を掘り、何らかの用途のために石を並べた、という見た目の展示物がある。説明を読むと、大砲に使う鉄を溶かすために安政四年に作られたという反射炉の跡地だと分かった。

「ほんと広いね。流石、お殿様の別邸」

「どっち行ったらいいのか分からん」

 お互いの向く方向に合わせるような形で、探り探り歩いた。すると、まるで大河ドラマに出てくる城下町のような店が連なる場所に出て、思わずあたりを見渡した。撮影セットに入り込んでしまったみたいだった。

 名産の餅菓子の看板が店先に出ていて、持留がそれを指さした。店に入ると、すぐ目の前が注文カウンターで看板に出ていたメニューを頼む。冷たい緑茶がついてくる。窓際の席に、向かい合って座った。

 いただきます、の手の形で唇を抑えるみたいにして、持留は甘いタレのかかった餅を伏し目がちに眺める。

「お腹空いてないか」

「小腹空いてる。いただきます」

 しょうゆ、みそ、黒蜜きなこの三種類の味付けの餅が二つずつ皿に乗っており、それぞれに割り箸のような二本組の串が刺さっている。食べると、ほのかにあたたかくて美味しい。

 特にしょうゆが甘辛くて旨い。ふと母親がみたらし団子を好きと言っていたのを思い出した。

「お土産に買いたいな。母が好きそうだ、これ」

「お母さんの好きなもの覚えてるのいいね。冷凍のとか売ってるかな」

「まあ、福岡のスーパーでみたらし団子買うでもいいんだけど」

「ふふ、そうだね。これ出来立てが美味しいから、お土産よりいつかお母さん連れてきたらいいよ」

 優しい言葉選びで話しながら、ふとどこか遠くを見る瞳は、景色よりも遠くを見ている。

 食べ終えて、また広大な敷地をふらりと歩く。順路に沿って、見るも鮮やかな朱色の門をくぐると御殿が現れた。手入れされた庭は見事で、我を忘れて眺めた。こんな場所を自由に散歩できるというのは、あまりにも贅沢だ。

 御殿には入らずに、日差しを避けて影を踏みながら先へと歩を進める。斉賀の後ろをついてくる持留を時折振り返ると、彼も庭に見とれているようだった。

 川にかかる小さな橋を渡り、少し歩くと左右を石壁に囲われた、不揃いに積まれた石の階段が現れる。ところどころ苔むしているそれは、見る者に時代を感じさせる。かかる木漏れ日も美しく、階段の只中で壁に背を預けて立ち止まった。持留も同じようにする。木々のせせらぎを二人で聞いた。

「この階段、いつからあるんだろうな」

「あの御殿が出来たのと同じ頃からあるなら、多分江戸時代前期くらいじゃないかな」

「そんな古い時代からあるものが野ざらしであるってすごいな」

「本当だね。反射炉もむき出しだったし」

 持留に話したいことがありながら、話すべきか迷っていた。今回の旅行で彼が嫌がることを何度も言ってしまった。もう、下手なことはせずに、大人しく福岡に帰ればいい。それで何も問題はない。

 ただ、斉賀には持留の本当の気持ちが分かるような、そんな気がするのだ。勘違いかもしれないが、そうでないのならこのまま彼を帰したくはなかった。

「この階段、ドラマの撮影で使われたんだって」

「え、ああ。そうなのか」

 壁に寄りかかる持留と目が合う。どこか疲れているような顔をしている。

 嫌われてもいい、とは思えないし、彼の嫌がることもしたくはない。けれど、一種の自己満足で口を開いた。

「変わらないものっていいよな」

「うん。ドラマで使われるくらいだしね」

「思い出の場所ってずっと変わらず、そこにあったらいいのにって思うんだ」

「……うん」

 持留は目をそらして俯いた。一挙一動が気になり落ち着かない。

「でも、藩主にでもならないとこんな風に残すのは無理だろ」

「そうだね。三百年前から今でも残ってるものってそうないよね」

「せめて自分が死ぬまではそこにあってほしいのに」

 彼は頷く動作を持って、肯定するに留まった。長々と話している自分がふいに恥ずかしくなるが、堪えた。

「俺、多分変なんだけど。小さい頃。実家の車を売るってなった時に寂しすぎて、中古車屋でタイヤにすがりついて大泣きしたことがあってさ」

「ふふ」

「なんか……やっぱ変なのかもだけど。なんかさ」

「うん」

「お別れするのって人より物の方が寂しい。家とか車とか。亡くなる、だとまた違うんだけど」

 持留の方を見れないまま、続ける。

「人は、別に俺がいなくなっても楽しいこと見つけて幸せに暮らせるだろうけど、物は……離れたら古くなって寂れていくだけで。物に思考も感情もないって頭では分かるのに、なんか寂しがってる気がするんだ。持留も一緒の考えなんじゃないかと……、思って……」

 羞恥で自分が何を言っているのか、分からなくなりながら言い切る。

 返事はない。黙っている持留をおそるおそる見ると、彼もこちらを見ていて目があった。

 斉賀は生まれて初めて、涙ぐんでいる人を見た。

 泣いている人、ならば見たことはある。しかし、下瞼の上に、一滴分の涙が揺れてうるんでいる、そんなきれいな表情は見たことがなかった。

「なんで、分かるんだ」

 持留が言った。

「僕の気持ち、なんで分かるの。わりと変なことなのに」

「分かるだろ。俺たち似てるとこあるし。ていうか、家無くなるのは普通にみんな寂しいだろ」

「うん」

「裕、実家見に行くか」

「……うん」

 最後に見たい、と言う声は苦しそうだった。

「お母さんにもお父さんにも、今は会いたくないけど。家は見たい」

 涙は溢れない。その溢れない涙を拭いてやりたいと思いながら、ただ黙ってそばに立っていた。



 車に戻ると持留は、自分だけで実家に向かうと言いだした。中央駅まで送ってもらえたら、そこからは大隅半島までのバスが出ているから、と。

「そんなの絶対だめだろ。その間、俺何してたらいいんだ」

「先に福岡帰っていいよ」

「あり得ない、却下。誕生日プレゼントで送ってその場に放置とか、絶対に駄目だろ」

「うーん、そうかな」

「心配だし。許さない」

 言い切って、いいから詳しい住所を言えとせっついた。渋々といった顔で持留が告げるのを、カーナビに打ち込んだ。先程のフェリーに再度乗るルートが出てくる。

「あ、なんかナビには出てこないけど、己水に着港するフェリーがあるからそれに乗ろう」

「そうなのか」

「あとここからかかる運賃とか、ガソリン代とかは全額僕に払わせて」

「でも」

「お願い、そうじゃないと絶対絶対やだ」

「……ああ」

 斉賀もまた、渋々頷く。

「ていうか本当にごめんね、わけ分からないことになって。素直にさっきの道の駅から行っとくべきだった」

「いや、そのルートだったら庭園が閉館して見れなかったから。別にいいよ」

「でも、ごめん。余計に運転させて」

「運転は楽しい。それに計画外のことをするのはわくわくする」

 持留の暗い顔がわずかに緩んだ。

 斉賀は迷いなく車を発進させて、フェリー乗り場へ向かう。

 車内の空気が明らかに今までと違う。持留は事ある毎に謝るが、それでも和やかだった。

 乗船し、本日三度目の船旅となった。車を降りて、客席の椅子にかけてのんびり過ごした。こちらのフェリーは桜島の方よりも乗船時間が長く、しかし、うどん屋があるのは一緒だった。

「鹿児島ってうどん推しなのか? まあ福岡もだけど」

 福岡は至るところにうどん屋がある。二四時間営業の店も点在するほど、福岡県民にとって馴染み深いソウルフードだ。

「そういうわけじゃないんだけどね。なんでフェリーにうどん屋絶対あるんだろう」

 首を傾げながら、またまたうどんを頼んで二人で食べた。持留が奢ろうとしてくるのを、それなら食べないと言って躱した。

 船が着港して、代金を支払い己水港に降りた。もう船の乗り降りも慣れたものだった。フェリー乗り場から離れると、自由に伸びた木々や植物と民家、畑が連なる長閑な場所が延々と続いた。

「恥ずかしくなるくらい田舎だ……」

 そう言いながら、持留は嬉しそうだった。まだ日は高い。明るいうちに彼の家に辿り着けそうで安堵した。

 途中から持留の案内に従って、車を走らせた。畑や更地に両脇を囲まれた、高い建物が見当たらない景色の中を走り続けて、信号のある場所で斜め右へ進むようにと彼が行先を指した。

 そこは山への入口、といった見た目をしていた。確かに道路は続いているが、葉っぱが被さり端から見ても鬱蒼としている。ためらいながら、そちらにハンドルを切る。

「え、本当にここで合ってるのか」

「うん、びびるよね。でもこっちで合ってる」

 木々が天井を作って、まるでトンネルのようになっている。木の合間から溢れる光で照らされた道。道路はアスファルトで舗装されているがところどころひび割れている。何百メートル置きの感覚で、森に守られるように民家があった。先ほどの大名庭園にあっても馴染むような、大きな岩を使った石垣があったり、牛小屋があったり、来たことはないのにどこか懐かしいような日本の心象風景という趣きだった。

 細い山道は対向車が来たら、すれ違うことすら難しそうだ。カーブミラーは概ね苔むしてオレンジ色に鈍色が被さっている。曲がりくねった道を進み、ようやく道が切り開けたと思ったら、あたり一帯が緑の、畑が広がる風景にたどり着く。

「で、あそこが僕の家」

 畑の間に建つ民家を指す。近くに車を停めて、降り立った。空気が爽やかだった。白い漆喰の外壁で、横に長い長方形の建物。瓦屋根は傾斜が緩く、ソーラーパネルが乗っている。

 解体の前準備なのか、足場が家の形に沿って組まれている。おそらくこの後、足場の周りを養生シートで覆うのだろう。その前に来れてよかった。

「庭につつじの生け垣があったんだけどね。もう刈り取っちゃったみたい。花壇のお花は……まあ前来たときから無かったか」

 何かを掘り返したような痕跡のある場所を見て、持留が落ち着いた声で話す。彼が歩くのについていく。

 民家に併設する形でついている、屋根のかかるコンクリートの囲いは推測するに、車を停める場所だったのだろう。少しの間、外から眺めてその後駐車場の中へと入る。がらんどうの中は影になっていて涼しい。

「ここに、おばあちゃんの農具とか置いてたんだよな」

 斉賀に話しているが、家に向かって言葉をかけているようにも見えた。

「こんな山奥の土地、売っても二束三文だろうにね」

 駐車場を出て、足場越しに窓ガラスから家を覗き込む。家財道具は何もなく、持留家の人々が生活していた痕は残っていない。

 斉賀は持留から少し離れたところで、家の全容を眺めた。玄関は引き戸で磨りガラスが嵌まっている。少年時代の持留は、ランドセルを背負ってここから学校に通っていたのだと想像すると、微笑ましいような悲しいような気持ちになった。

 日が傾いて、夜が近づいてくる。持留が家をぐるりと周って、記憶に残すように真剣な顔で見つめている。自分は彼と同じ思い出を持たない。もしも知っているのなら、一緒に懐かしんでやれるのに。

 持留が育った家とお別れするのを、物哀しいような心持ちで、斉賀は見守った。

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