第15話 めがねを選んで

 クリスマスが終わり、あっという間に年が明ける。

 正月休み明けてすぐ、斉賀は講義の予習と復習、それから課題に試験対策、と手一杯になっていた。

 それでもなんとか持留との木曜日の約束は違えないようにしていたが、それもあまりゆっくりとは過ごせなかった。木曜昼休み後の三コマ目は空きコマだったが、製図の講義で課題になっている模型作りに当てなければ提出が間に合わなかったのだ。

 一月下旬の試験前の週はお互い忙しくて、お昼も会えなくなった。

 そんな折、試験がようやっと終わって、春休みも会いたい、と連絡をしたのは斉賀だった。

 二月中旬から春期休暇が始まり、休み期間に二回、二人で出かけた。一度はお花見で、一度は映画鑑賞。

 大学近くの公園で花見をした。彼が桜を見上げているのを見ていた。コンビニで日本酒を買って、桜を見ながら一緒に飲んだ。紙コップに入れただけなのに、やけに美味しかった。

 ショッピングモールまで足を運んで、流行っていた映画を鑑賞した。彼が上映中、面白い場面で小さく笑い声をあげるのを横目で見た。ポップコーンも一緒に食べた。キャラメルかソルトかお互いの好きな味がどちらか知っていたので、讓り合って揉めたが、ハーフアンドハーフを選べたので、それを買った。

 彼と、落ち着いた気持ちで暖かい季節を過ごして、ようやっと忙しさに一段落がついたと感じた。



◆◆◆



 四月。まだ春のはずなのに、長袖をまくりあげるくらいには暑い。桜も既に散っている。

 斉賀は大学で行われる健康診断の列に並んでいた。毎年あるこの行事は、人混みに揉まれなければならずひどく疲れる。ただ、今並んでいる視力検査が終われば、検診は終了。それに――。

 ポケットの中のスマートフォンが震えた。見ると持留から連絡が入っていた。

『全部回り終わったので、カフェで待ってます』

 というメッセージと、おつかれさまですと頭を下げる猫のスタンプが送られてきた。

 健康診断ついでに持留と会う約束をしていたのだ。お陰で家を出る時も、例年よりうんざりはしなかった。

 こちらも視力検査が終わり次第向かう、と返事を返した。列が動いて、斉賀も建物の扉をくぐった。早く終わればいいのにとそわそわした。



 検診を終わらせ持留と落ち合った斉賀は、対面の席に腰掛けた。少し気分が落ち込んでいた。

「悪い、待たせたな」

「……なんか元気ない? 」

 いつもと様子が違う斉賀に、持留は眉を寄せて話しかけた。

「視力がかなり悪くなってて……看護師さんに注意された」

「えー、そんなことあるんだ。眼鏡かけろって? 」

「ああ」

 持留は飲んでいたアイスコーヒーをストローで混ぜて一口飲んだ。涼しげに氷が鳴って、美味しそうだった。

「俺もアイスコーヒー買ってくる」

「うん、待ってる」

 もし車を運転するなら絶対に眼鏡を作ってください。この状態でハンドル握るのは危機意識がなさすぎますよ。

 そう言われてぐうの音も出なかった。言い訳をするならば、免許を取った時点では、視力矯正なしでいけたから、ということしかなかった。

 アイスコーヒーを購入して席に戻る。喉が渇いていたから、すぐに口をつけた。一息つく。

「元気出た? 」

「ああ」

 改めて持留の顔を見た。久しぶりに見る彼は睫毛がちゅん、と外に跳ね上がっていて可愛い。たまにこういう風になっているのだ。以前、なんでそうなるのか聞いたら、うつ伏せで寝た時の寝癖、と言っていた。

「裕は元気そうだな。進級大丈夫だったろ」

「うん、なんとか。永一郎は絶対いけてるもんね」

「ああ、いけた。さっきたまたま山口に会ったんだが、聞いたらあいつも大丈夫って。必修単位取れてるの分かった瞬間、泣きながら河田さんに電話したらしい」

「よかった。いちいち面白いね山口は」

「野々垣さんは? 」

「余裕でいってる。ちゃんとしてるもん」

「皆よかったなあ」

 斉賀の友人は皆、無事に進級できたようだった。ヤバい、留年するかもなんて皆口々に言っていたが、蓋を開けてみればそんなことはなかった。

 持留も花見をしながら、

「もし三年生になれなくてもたまに遊んでね」

 なんて、冗談なのか真剣なのか曖昧な口調で言っていた。彼は斉賀の想像から外れて、意外と真面目ではないらしい。講義、ちょこちょこサボっちゃったんだ、と懺悔みたいに言うのを聞きながら、ギャップを感じて、秘密を教えてもらえたように思えて、斉賀は謎の昂りを得た。

 アイスコーヒーを飲んでいると、持留が何か言いたげに微かに口を開く。頷く動作をもって続きを促した。

「あのさ。永一郎、もうすぐ誕生日だよね」

 今月、二一歳の誕生日をむかえる。以前話したことがあった。

「そうだけど」

「迷惑じゃなかったらなんだけど。いっつもお世話になってるからお礼したくて。眼鏡、プレゼントしてもいいですか」

「えっ、いや、そんな申し訳ない」

「役に立てる物がそれしか思いつかなくて。一緒に眼鏡屋さん行って、好きなの選んでもらいたい」

「まじか。一緒に店行ってくれるのは助かる。ありがとう」

 眼鏡を購入したことがなく、何を選んでいいのか分からなかったから、買い物に付き合ってもらえるのはありがたいことだった。

「いつ行く? なんなら今からでも大丈夫だよ。早く買わないと運転するの不安だよね」

「その通りなんだよ。今日運転するのもなんか怖い。店近くにあるのか」

「映画見たショッピングモールに入ってたよ。バス乗り継いで四十分くらいかかるけど、どうかな? 」

「おお、行こう」

「よし! じゃあ時間調べる」

 持留がスマートフォンで出発時刻を調べてくれている。バスに乗るのはいつぶりだろうか。わくわくした。



 大学の近くのバス停から乗って、ショッピングモールへ向かった。二人掛けの席に並んで座ると、肩が触れ合う。窓側の持留が、気を遣ってガラスに肩を押し付けて、スペースを取ろうと小さくなっているのが申し訳なかった。

「俺、眼鏡買いに行くの初めてだ。何も分からん」

「僕知ってるから任せて」

「裕は目いいよな? 買ったことあるのか」

「母が買いに行くのに着いて行ってた。すぐ飽きて買い換えるから常連だった」

「眼鏡に飽きるって、お洒落な人だな」

「ううん、そんないいものじゃない」

 話しぶりこそ柔らかいが、強く否定する言葉が出て、斉賀は思わず黙る。適切な返事が浮かばない。すると、さり気なく話題を変えるように、持留が窓の外を指さした。

「見て、犬。可愛い」

「え、ああチワワだな。裕、犬好きなのか」

「うん。猫も可愛いけどね。犬に構ってもらうの好きなんだ」

「犬を構うじゃなくて、逆なのか」

 言い方がなんだか可愛い、いつか犬に構われている持留を見てみたい。

 犬とバスがすれ違う度に、彼は斉賀に教えてくれた。相槌を打ちつつ、持留のお母さんはどんな人なんだろうと気になった。正月も地元に帰らなかったと彼は言っていた。故郷を嫌っているようには見えないものの、何か事情があるのかもしれないと、少し気になる。

 一度乗り換えを挟んで、店の最寄りに到着する。バスを降りるとすぐ目の前にショッピングモールが見えていて、併設した馬鹿でかい駐車場を突っ切って歩いた。

 自動ドアをくぐってすぐのところにあるフロアマップを見て、眼鏡屋を探す。一つしかないだろうと思っていたのに、眼鏡を扱う店舗は四つも入っていた。とりあえず一番近い階にある店を目指すことにする。先日持留と来たときには、屋上の駐車場に車を停めて、映画館に向かったから今回とは全くルートが違う。彷徨いつつエスカレーターを見つけて乗った。

「気に入るもの見つけるまで探そうね。全店舗回っていいんだからね」

「おお、ありがとう。でも眼鏡ってどこでも一緒じゃないか」

「それはそうかも。僕もあんまり違い分かんない」

 眼鏡屋にたどり着くと、客の通路側を向いて、大量に眼鏡がディスプレイされていた。その一角を見るだけで、もうどれがいいのか分からん、となった。斉賀が眼鏡を買い渋っていた理由の一つにこれがある。何が何だか分からないし、自由に試着していいのだろうが、どうしても気が引ける。

「とりあえずメンズのとこ行こ」

 店員に小さく会釈をして、店内を進む持留の背中についていく。頼もしかった。

「永一郎、どういうのがいい」

「まじで何がいいのか分かんねえ」

「じゃあ似合いそうなの選んじゃおうかな」

 顎に手を当てて唸る持留は、眼鏡と斉賀を交互に見やる。しばらくして、一つ手にとって斉賀に差し出す。ボールを投げてもらうのが待ちきれなくて尻尾を振っている犬みたいに、わくわくした顔でこちらを見つめてくる。眼鏡をかけて、プラスチック越しにその顔を見る。すると、露骨に、違うなという表情になった。尻尾が下がった。

「なんか違う。フレームが太い? じゃあこっちはどうかな」

 という言葉を皮切りに大量の眼鏡を交代にかけさせられた。青いの黒いの透明なの、銀縁、丸いの、四角いの。かける毎に、持留は真剣な表情になっていく。

「うーん。もっとかっこいい顔して? 」

 急に顔面への要望が来る。

「どういうことだよ」

「もっとキリってして」

 よく分からないお願いに応えるべく、斉賀は気の抜けた顔にならないよう、目に力を入れ、口元を引き締めた。顔には満足してもらえたようだが、なかなかいい眼鏡は見つからない。

 結局三店舗回った。三店舗目でようやく、

「これ、似合うよ。かっこいいって思う」

 と肯定の言葉が出た。彼の高揚した表情を見て、やっと終わったと安堵した。鏡越しに持留お墨付きの眼鏡をかけた自分を見ると、確かに違和感はない。あまりフレームの主張がない、黒縁のスクエア型。スクエア型という言葉は今日初めて知った。正直、似たようなのを既に見つけてただろ、と思わなくもないが、持留が満足げなので別に良かった。

 店員に声をかけて購入を申し出ると、本日二度目の視力検査をすることになった。機械を覗き込んで、ランドルト環のどの方向に切れ目があるかを答えていく。検査後、近くのベンチで待っていた持留の元へ行くと、その手に既にレシートが握られていて驚く。検査中に会計を終えてしまったらしい。買い物に付き合ってもらって、選んでもらえただけでよかったから、会計は自分でするつもりだったのだ。

「付き合わせた上に金まで払わせて申し訳ないな」

「ええ、いや、誕生日プレゼントなんだから当たり前じゃん。ていうかごめん、夢中になっちゃって一時間も連れ回しちゃったね……。飲み物飲んで休憩しようか」

 彼の提案に乗って、購入した眼鏡屋と同じ階に入っていたコーヒーチェーン店に入った。眼鏡は三十分後に受け取りにいけばいいとのことだった。

 二人とも、またアイスコーヒーを頼んだ。ゆったりとしたソファ席に通してもらえて、柔らかい背もたれに体を預けて寛いだ。

 持留はしきりに謝ってくる。

「ごめん、ほんと疲れたよね」

「いや、別に。裕こそ疲れただろ。すごい真剣だったし」

 笑いがこみ上げる。なんとなくおかしかった。自分なんかの、眼鏡なんかを真剣に探す人がいる。それが面白くて、ありがたかった。

「俺一人じゃ選びきれなかったか、適当に最初にかけたやつ買ってたよ。ありがとうな」

「そっか、役に立てたならよかった。永一郎のおかげで眼鏡の奥深さ知ったかも」

「そんなに? 」

「うん。一見デザイン一緒でも、永一郎がかけるとなんか違った」

 真面目な顔で話すのが、また面白い。眼鏡をかける度、鏡越しに眼鏡をかけた自分を見る度、持留の色んな表情を思い出すに違いない。

 時間が経って、眼鏡を受け取りにあがった。かけ心地を確かめるように言われて、度が入ったそれを身につける。世界が違った。細かいところまでくっきり見えて、情報の多さに目眩がするようだった。持留の顔もよく見えて、じっと見つめてしまう。控えめに微笑む、その口元に小さくて薄いほくろがあるのに気づく。知らなかった。

「見え方大丈夫でしょうか? 」

 店員に聞かれて、余計なことは言わず頷いた。

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