第13話 金木犀を被る

 木曜日、会える日。斉賀は決まって機嫌が良い。

 以前、火曜に会っていた頃は同じ講義を受けた後に待ちあわせていたから、連絡せずとも落ち合えていた。今はお互い違う場所から来て、食堂で会うよう約束をしている。そのため、向かう際に自ずと連絡をするようになっていた。

 持留から授業がおして少し遅れると連絡が入った。先に着いた斉賀はテーブル席にて待つ。しばらくするとそこに持留が来た。

「待たせてごめん」

 と、謝る彼の髪の毛に淡い橙の小さな小さな花がいくつも乗っかっていた。言おうか言うまいか迷う。なぜなら似合っているから。花が自分で黒髪を選んだみたいに。

「ん? なんかついてる? 」

 斉賀がじっと見るから気になったようで持留は自分の髪の毛に触れた。

「なんか、花がついてる」

「うわ、恥ずかしい。金木犀だ。さっきの講義中ずっとついてたのか……外で払ってくる」

 食堂の外に小走りでいくのに付き添う。髪の毛を手櫛でとくように、払っているのを見ていた。髪の表面を滑って花びらが落ちていく。

「似合ってるぞ、金木犀」

「似合うもなんもないよ」

「どこでつけてきたんだ」

「学科の人と金木犀探しに行ったんだ。そこでついたんだと思う。みんな言ってくれたらいいのに」

「へー、どこにあったんだ」

「あの売店の裏手にあったよ」

「いいな、俺も見てみたい」

「……一緒に行く? そんなに珍しいものでもないけど。三コマ目お互い空きだよな」

「行きたい」

「じゃあ、早速行こうか。空腹我慢できる? 」

「ああ」

 食堂には戻らず、持留の指差す方へついて行った。まだ髪の毛に少し花が残っていたが、教えなかった。気づかれないようにこっそり見つめた。

 売店を通り過ぎた辺りで、金木犀の香りが届いた。もう少し歩くと、建物の裏、横に立つキャリアセンターの壁との間のようなところに、金木犀はぽつねんと立っていた。木の根元には散った橙がまばらに積もっている。

 持留は下に立って木を見上げた。

「これ」

「金木犀、初めてちゃんと見たかもしれん」

「え、ほんとに? 通学路とかになかった? 」

「いや、匂いに覚えはあるけど、気にしたことなかった。……こんなところに誰が植えたんだろう」

「ねー。日もあんまり当たらないだろうに」

「いい匂いだな」

「うん。僕この匂いめっちゃ好きでさ、匂いすると、こないだみたいに探しちゃうんだよね」

「犬みたいだな。警察犬」

「警察犬ほど精度高くないけど……。いつか庭付きの家買って、金木犀植えたい」

「そんなに好きなのか」

 斉賀は近くで花を嗅ぎたくて、頭上の枝に手を伸ばす。軽く掴んだだけでもはらはらと花が散った。枝が折れないように優しく引っ張ったが、しなって手のひらから逃げていった。反動で花弁が雨のように頭上に降る。木を見上げていた斉賀は反射的に目を瞑った。金木犀が香り立つ。

 被ってしまったのではと思い、横に立つ彼を見た。持留はクスクス笑った。

「永一郎、金木犀いっぱいついてる。似合う」

 自分もたくさんつけてるくせに、からかうみたいに言ってくる。斉賀も笑ってしまう。

「裕も」

 二人して花びらを払うこともせず笑った。持留の細めた瞳に自分だけが映る。斉賀は幸せだった。



◆◆◆



 大学の年末年始の休暇まであと五日ほどになった、クリスマスイブ前日の土曜。斉賀は実家に帰っていた。

 次兄にクリスマスパーティに誘われたのだ。正しく言うと、次兄の娘である三歳の姪っ子がシールを貼ったり絵を描いたりして飾り付けたお誘いのはがきを受け取った。

 どうせ年末年始の間は実家で過ごすのだから、この土日に帰省する必要はなかった。しかし、クレヨンで彩られたはがきを見ると行かないわけにはいかない。

 今住んでいる祖母の家から実家までは、下道を使っても車で二時間かからない距離だった。地元の道場に顔を出す時や姪っ子の誕生日には帰っていたから、前回の帰省からそう期間は空いていない。

 そういうわけで懷かしさは微塵もない実家の、玄関のインターホンを押した。ドアノブが下がって扉が開き、母親が顔を見せた。

「おかえり」

「ただいま」

「悪かったね、忙しい時期に」

「いや、別に忙しくない。俺も来たくて来てるし」

 家の中に招かれて、靴を脱いだ。母も斉賀も寡黙な人間だったから、ぽつぽつと言葉を交わすのみ。それでも、母が嬉しそうにしていることはなんとなく分かった。

 上がり框に足をかけると、その廊下の先のリビングに姪っ子がいるのが見えた。壁に半分隠れるようにしてこちらを伺っている。そばに行ってしゃがみ、声をかけた。

「こんにちは、りりちゃん。会わない間にまた大きくなったな」

 姪っ子は斉賀璃々子という。三歳児の、人を識別する能力や記憶力がどれほどのものか想像もできなくて、自分の存在を覚えてくれているか分からなかった。姪は恥ずかしかったのか、怖かったのか走って父の元へ逃げていってしまった。

「こら、璃々子。ちゃんと挨拶しないと」

 小さな体当たりを腕で受け止めた次兄は、娘を捕まえて斉賀の方を向かせようとするが、腹に顔を埋めてびくともしない。諦めた兄は胡座をかいたままの不遜な態度でこちらを見上げて言った。

「お前こそ、まーたでかくなったんじゃね」

「別、前会った時から変わってない」

 コートを脱いで、リビングがクリスマス仕様に飾り付けられているのを眺めつつ、ハンガーを探した。見当たらなかったので、洗面所に向かい、洗濯機の横に大量に入っているのを取り上げる。ついでに手洗いうがいをした。

 リビングに戻り、コートをカーテンレールのところにおざなりにかける。母親が淹れてくれた温かい緑茶をありがたくいただいた。

「今日、健兄と父さんは」

 これは母に聞いた。一番上の兄である健一郎のことを、斉賀は小さい頃からそう呼んでいる。次兄の名は幸一郎。三兄弟揃って父から一郎という名を受け継いだが、長くて呼びづらく一文字目だけしか家族皆呼ばない。

「健は色々立て込んでるみたいで、今回は来れないって」

「ああ、クリスマスイブ日曜だし琴子さんと過ごすか」

「うん。あと仕事も忙しいみたいで、土日関係なく働かないといけないってさ。お父さんは今こっち向かってるところ」

 長兄は琴子という女性と高校生の時分に付き合い、大学進学を機に彼女と共に上京した。そして、卒業後にゼネコンに就職し、今もその地に琴子と住んでいる。

 父は単身赴任で、今は広島を拠点に働いている。斉賀の幼い頃から、福岡にいることの方が少ない人だった。

「……青那さんは来てないのか」

 これは次兄に聞いた。肩を竦めて返事をする。

「今日も仕事だ」

「そうか、皆忙しいんだな」

 兄はテレビのリモコンに手を伸ばし、電源をつける。クリスマスイベントの特集が流れている。

 そんな彼の膝の上で璃々子がこちらを見つめてくるから、どうしたの、と声をかけてみると、気まぐれに寄ってきて斉賀の前にぽてんと座った。

「あのね、りりこね、お絵かきしたいなー」

「お絵かき? 一緒にしようか」

 辺りに散らばっているおもちゃから自由帳を拾い、電話台の上のペン立てに無数に刺さっているボールペンを持ってくる。小さな手に、ペンを差し出した。

「何描くの」

「んー」

 答える前に迷いなくペンを走らせる。真剣そのものの顔を見つめながら、この子と血がつながっているのだとふと考え、不思議な気持ちになった。

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