第14話 休日の夜〈八の姫テレーゼ〉


 第三館の窓から、光が飛び散ったように見えました。それから、音も。

 

 何か催し物でも行われているのでしょうか?

 それとも、何か危険なことが。ハルト様はご無事でしょうか!?

 一瞬迷った末、私は第三館まで走ってみることにしました。今は誰も見ていないので、姫らしさはおいておきます。

 館に近づけば、入口に立たれたハルト様が私を見て手招きしてくださいました。

 やはり、姫や王子のための余興でも行われているのでしょうか?


「ハルト様、いったい何が?」

「見ての通りです。阻止できなかったのは、残念ですね。」

 ハルト様がそう言って、手に持った鞭をしならせます。ピシリと良い音がしました。

 リーンハルト殿下が、鞭?

 ホールの中央にはユリウス殿下とイザベル姫の姿。そのイザベル様と思わず顔を見合わせてしまいまいした。       

 王子様が鞭……。

 そういうのもありかもしれません、王子様の個性もいろいろですから。

 でもでも、帯剣もされていないハルト様は、いったいどこに鞭を隠し持っていらっしゃったのでしょうか?

 

 書庫から来られたらしいディルク殿下が、あきれた表情でこの惨状をご覧になっています。その隣のクリスタ姫は、

「まあ。」

と声を上げられました。

 床には、横倒しになった鳥籠と、欠片の残骸が散乱しています。キラキラと綺麗なものもあります。先ほどの何か砕けたような音はこれでしょうか、って。

 これ、ひょっとすると、もしかして、いえ確定で、箱庭の卵ではないですか!?


「ユリウス、できれば情報共有してくれないか。」

と、ディルク殿下がこれどうするんだと言いたげな声でおっしゃれば、

「へえ、書庫の記録で何か見つけたのかな、ディルク?参加者に不都合な情報など、絶対載せないはずだけどさ。」

とユリウス殿下。


 クリスタ姫は床に膝をつくようにして、慎重に卵であったかもしれない残骸を観察なさっています。

 ところで、実は姫と王子の間で、夜のデートが流行っているのでしょうか?


「ディルク様、これは鉱物なのでは?」

 クリスタ姫がおっしゃれば、ディルク殿下が楽しそうな表情になります。

「何の鉱物だと思う?」

「……サンダーエッグでしょうか、内側に鉱物の結晶ができる。」

「正解。」

「ディルク様はご存知だったのですか?」

「リーンハルトに調べてもらったんだ。詳しい方法は聞かないでくれ。」

「わかりましたが、あの光からすると、特殊なサンダーエッグですね、魔力入りの。」

「それでも鉱物だ、つまりはフェイク。」


 ユリウス殿下が口をはさまれます。

「オレはフェイクでも、これにはこれの意味があると思ったよ?」

「俺もそれは同意見だ。」

とディルク殿下。


「あ~あ、何やってんだって、それ俺がやってみたかったんだけど、先、越されちまったな。」

 後ろから声がしたと思ったら、ケヴィン殿下でした。

 そのケヴィン殿下が、後ろに向かって声をかけられます。

「お前、あんまり驚いてねぇな?」

 そこには口元をおさえて目を丸くされているシャルロッテ姫と、その隣にはなんとランベルト殿下がいらっしゃいました。

「警備上の問題がありすぎる。むしろフェイクと考えた方が自然だ。」


 ……王子様たちってホント、何考えているんでしょうね?まったく謎です。


「じゃ、これにも気づいてるか?」

と、ケヴィン殿下が愉快そうに続けられました。

「女官が来ねえ。これがイレギュラーな事態なら絶対に来るはずだろ?

 それが来ねえってことは、想定の範囲内ってことだ。」


 姫と王子の視線がケヴィン殿下に集まります。

「その理由、ケヴィンの意見は?」

とディルク殿下が問えば、

「さあな?それより、ユリウスに話させたほうがいいんじゃねえ?」

とケヴィン殿下。すると、ユリウス殿下がおどけたように答えられます。

「いや、オレも想定外だし?まさか神殿側から何の反応もないなんてさ?」

 ディルク殿下がため息をついて聞かれます。

「神殿から何の情報を引き出したかったんだ?」

 ユリウス殿下がにっこりと笑われます。

「箱庭から王子が消える謎だよ。」

 

 ……実は箱庭には、怪談でもあったのでしょうか?

 ケヴィン殿下はやはり愉快そうに事態を眺められています。

 イザベル姫と、クリスタ姫、ディルク殿下、そしてランベルト殿下は何かご存知の様子。

 ランベルト殿下がシャルロッテ姫を気づかわしげに見ています。ええ、シャルロッテ姫は驚いていらっしゃいます、私と同様に。

 そしてハルト様は。


「前回の参加国の間で、妙な噂が出ていることは少し聞いていましたが。

 それを理由に卵を壊すというのは、少々やりすぎではありませんか、ユリウス殿?」

「なーんだ、噂のことを知ってて傍観してるって、リーンハルト、実は真相を知ってるんじゃない?」

 ハルト様がにこりと笑います。

「あなたの事情を聞かせてください。それに応じて僕の知っていることをお話します。」


「オレ、じらされるのキライなんだよね。前回参加した四国の王子アードリアンは生きていたのかな、それとも?」

「早急なやり方はユリウス殿らしくないですよ。」


 ハルト様とユリウス殿下のやり取りを、私はそばで聞いています。緊迫感があります。手に汗握る状況です。


 先にハルト様が苦笑しました。 

「仕方ありません。大変イレギュラーな事態であったので、全部お話するわけにはいかないのですが。

 アードリアン王子はいなくなりました。ただし、弐国にて名前を変え、幸せに過ごされたと聞いています。」


 この場にほっとした雰囲気が広がりました。けれどユリウス殿下は。

「それは本当なのかな、リーンハルト?それがどのくらい信用できるか説明してみてよ。」

「もっともなご意見ですが。正確に言えば、僕は一通り知らされてここに来ています。ただし、神殿からの強い要請があり、全部お話しすることはできません。つまり、それくらい神殿にとって、箱庭の儀式にとってイレギュラーな事態が前回起こったということです。」


 そこでクリスタ姫が、涼やかな声で話に加わります。

「それはもしかして、箱庭の鍵が見つからなかったことでしょうか?」

 ハルト様が少し驚いた顔をされます。

「いいえ、箱庭の鍵については今初めて聞きました。……僕はすべてを知らされてはいなかったのだろうか。確かに、その可能性もありますが。

 問題は、どちらかといえばアードリアン王子の方にあります。」


 思案するように人差し指を唇にあてていたクリスタ姫が、この場をぐるりと見回し、そして口を開かれました。

「私は、前回参加した姫の日記を持っています。その中に、もし箱庭の鍵があればこんなことにはならなかったのかしら、という一文がありました。

 書庫の記録によれば、箱庭の鍵というのは、儀式の中で必ず出てくるアイテムのようです。」


 次は、クリスタ姫のそばに立つディルク殿下が口を開かれました。

「俺は、前回参加した王子の手記を持っている。儀式の後、いくら神殿に問い合わせてもアードリアン王子と直接会うことも、手紙などのやり取りもできず、不審に思っていたようだ。」


 すると、ランベルト殿下が続けます。

「私はリーンハルトと共に、ディルクから儀式に不審な点があるかもしれないと、それとなく注意喚起を受けました。」

 そのランベルト殿下の視線を受けて、シャルロッテ姫が答えます。

「壱国は今までのお話について、まったく把握しておりません。前回参加した王子の一人が、その後国に返らず、神殿で修行をしたということまでは聞いていたのですが。」

 ケヴィン殿下が肩をすくめます。

「九国は、さっぱり知らねぇな。」


 さあ、発言していないのは、残るは私のほか、イザベル姫とユリウス殿下になりました。

 イザベル姫が少々胡乱な表情で、ユリウス殿下をご覧になります。

「付き合うといった以上付き合いますけれど、話が進みませんわ。」

「できるだけ、こっちが有利になるよう頑張ったんだよ?でも、そろそろいっか。

 四国では、前回の箱庭の儀について話すことはタブーなんだ。まるで、アードリアン王子は亡くなったかのようにね、儀式の最中に。

 オレもいくらか調べてみたんだけどさ。上手く隠されていて事実が分からない。

 神殿とリーンハルトがいくら王子が無事だと主張しても、対応が不審すぎるよ。まるで亡くなったことを知られたくないようにね?」


 ユリウス殿下がにっこりと笑います。対するハルト様はポーカーフェイスです。


 私はハルト様を応援しています。心の中から声援を送っています。ハルト様が嘘もごまかしも、おっしゃるはずがないからです。

 ええ、ここまでくれば私でも分かります。前回、四国の王子が弐国に行かれたのは確かだろうと思います。だから前例なのです。だから今回、私にも同様の提案がなされたのです。


 ふと、シャルロッテ姫が眉をひそめられました。今この場に、何となく不審感が広がりつつあるのを私も感じます。それがユリウス殿下に対するものか、ハルト様に対するものか、あるいは零国や神殿や儀式そのものに対するものか、はっきりとはしませんが。


 その雰囲気を払拭するように、イザベル姫が一歩前へ出られました。

「ユリウス様がここまで言及されるのは、前回のことをはっきりさせる、それが一番の目的ではありませんわ。

 皆さまもお気付きのはず。この場の誰かが亡くなる可能性、それを阻止するためですわ。」


 ふっと、場の空気が変わりました。


「姫、そんなこと言ったら、オレ、まるでいいヤツみたいじゃん?」

 ユリウス殿下がおどけて言えば、イザベル姫があきれたように答えます。

「どうでもよろしくてよ、話が進みませんわ。それより今、どうするかですわ。」

 でも、イザベル姫は明らかに視線をそらせています。内心、かなり照れていらっしゃるのかもしれません。お二人とも、いつの間にこんなに仲を深められたのでしょうか?


「四国ではなぜか、アードリアン王子は亡くなったものとして扱われているんだよ。」

とユリウス殿下。次いで、イザベル姫が少々面倒そうに話されます。

「六国では、というか、わたくしがこちらに来るにあたって、言われましたの。役割を果たせ、さもなくば生贄となれ。単なる嫌味かと思いましたけれど、ユリウス様の話をお聞きすれば、なるほどと。六国でも、失踪したように見える四国の王子について、かなり不審に思っていたようですわね。」


 生贄っていうのはちょっと、いいえ、かなり、とっても酷い言い方ではないでしょうか!!

 クリスタ姫だって形のいい眉を寄せられ、シャルロッテ姫だって可愛らしい顔をしかめられているじゃないですか!!


 そこで何となく、姫君や殿下方の視線が私に向かっていることに気づきました。

 そうでした。この場で発言していないのは、残るは私だけになったのでした。

 私はよく分からないまま、いきなり箱庭に放り込まれたのです。何も知らされていないと、そう言えば良いだけです。

 そうお話しようと、口を開きかけて。  

 思い出してしまった。

 気にしない方がいいと、頭の片隅で警鐘が鳴っているにも関わらず。


「……戻れると思うな、役割を果たせ、たとえ死んでも。私は、そう言われて。」

 ハルト様が私を振り返ります。そのはっとして、何と声をかけたら良いかわからないという表情がよく見えました。


 そして私は、気づいてしまった。

「だから身代わりが必要だった。姫ではない、誰かが。」

 

 そう考えれば、筋が通る。

  だから王は、私を身代わりに仕立てた。そうすれば、本物の姫が亡くなることはないと。


 ハルト様がそっと私の手に触れました。

「テレーゼ、落ち着いて。」

 ええ、私は、落ち着いていないのでしょうか?


 ハルト様がしっかりと私を見て話してくださいます。

「今、あなたに害をなそうとする者は、どこにもいませんから。」


 それは、温かな声だったのだろうと、思うのです。

 けれど、はるか遠くかすかに聞こえてくる風の音のように、私にはよくわからなかった。

 

 今、私はとても怖い。


 王が怖い。

 私は、王に死んでもいいものだと思われるほど恨まれることはしていない。そんなことは何もしていないのに。

 それでも王は、私をその辺に生えている雑草を抜くように、簡単に死んでもいいような存在だと、見なした。

 怖い、ものすごく、怖い。 

 人を罵倒するような悪意はある。でもこれは、まるで底なし沼に沈んでいくかのような冷たい悪意。


 シャルロッテ姫が心配そうにこちらを見て、私の背中に手を添えてくれます。

「真っ青ですわ。座りましょう。」

「ひとまず、こちらの階段でいかが。」

 これはイザベル姫の声、続いてクリスタ姫の声。

「書庫にブランケットがあるから、取ってきますね。」

 差し伸べられた手、ただ気づかう声。けれど。


 気付いたら、振り払っていた。

 怖い、怖い。怖くてたまらない。

 皆を見回す。誰も、私に悪意を向けている人はいない。誰も、私を殺そうとしている人はいない。

 でも。吐きそう。


 気づいたら、ただ走っていた。走って、走って、けれど行く場所などどこにもなく。だから、与えらた私の部屋に駆け込んだ。

 何も考えたくない。何も感じたくない。部屋の隅で膝を抱えて。

 体が震える。とても寒い。寒くてたまらない。

 部屋は暗い。

 闇の底にいるように。

 ただ暗い。

 


 ……どのくらい時間がたったのか。ただ呆然として。

 不意にドアの開く音がした。

 部屋に、一筋の光が差し込む。

 

「イザベルよ。

 勝手に入ってごめんなさい。でも、これまた勝手に話すわね。」

 姫が苦笑した気配がする。

「でもね。あたしとあなたと、同じねっていうつもりじゃないのよ。

 もちろん、この程度たいしたことじゃない、何ても言わないわ。

 あたしの痛みが、あたしにしか分からないように。

 あなたの痛みは、あなたにしか分からないもの。


 あたしは、自国では何かと悪意をぶつけられることが多くて。

 あたしが疎まれていた一番の理由は、髪の色だと思うわ。 

 でもさすがに、ここまで疎まれているとは思わなくて。

 結局、あたしはいったい何を疎まれていたのか、よく分からなくなったわ。

 だから。

 あたしはね、こんなとき怒るの。怒るとちょっと元気が出るわ。ま、あたしのやり方だけど。」


 声が途切れる。人影が揺れる。かたんと物音がする。


「温かいスープよ。

 手、冷たくなってない?体、冷えてない?気分が落ち着いたら、試してみて。

 あ、それから、このスープの手配を女官に頼んだのはリーンハルト王子だから。」


 ドアが閉まった。部屋はまた暗闇になる。


 おそるおそるテーブルに近づく。皿に触れれば、ピリリとするほど熱く感じた。

 震える手でスプーンを取り、スープをすくう。一口、飲みこむ。

 それは喉を通って、胸に届く。

 いつの間にか、熱いものが頬を伝っているのに気づいた。


 

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