第1話 前日〈参の姫クリスタ〉


 私が一番遅くなったのかしら。

 いえ、そうでもないみたいね。姫のなかでは4番目の到着。


 案内されてテーブルに着けば、女官が告げた。

「参国のクリスタ様です。」

 軽く会釈すれば、それぞれに会釈が返ってくる。

 一人は親しみを込めて、一人は遠慮がちに、一人はそっけなく。

 ギスギスしているほどではないにしても、微妙な雰囲気。

 お茶会のテーブルのあるこの場所は、まるで楽園のように色とりどりの花々が咲きほこるガーデンなのに。


 女官が私のカップに紅茶を注ぐ。 

 向かいの可愛らしい姫が少し困った様子で、それでもにこりと笑った。金色の髪がふわりと揺れる。

「壱国のシャルロッテです。」

 ええ、そうだと思った。この場を取り仕切るとすれば、壱国しかないもの。

 ひとまず、壱国にしては威張ったところがないので、ほっとする。彼女がこんな感じなら、マウントの取り合い、なんてことにはなりにくいはず。

 しばらく一緒に過ごさなくてはならないのだから、ギスギスした雰囲気はイヤだわ。


 けれど、名乗ってくれたのは壱国の姫だけ。

 ここは私から話しかけるしかないわね、と口を開く前に、

「こちら、八国のテレーゼ様です。あちらが、六国のイザベル様。」

と、壱の姫が紹介してくれた。


 テレーゼ姫は、うつむいて胸にぎゅっと手をあてている。

 かなり緊張していらっしゃるよう。もしくは余程、心配事があるのか。


 イザベル姫はツンと澄ましている表情、でも雰囲気が固いわ。

 こちらも、何か事情がありそうね。


 感謝をこめてシャルロッテ姫を見れば、やはり少し困った様子で微笑む。

 なるほど、私が来る前からこんな感じだったのね。

 そして壱の姫は、姫どうしの関係に気を配ることがご自身の役割だと思っていらっしゃるよう。


 でも皆、自国の事情があるのだから、それも仕方ないかもしれないわ。

 ただ、会話したくないような事情って何かしらと、考えてしまうけれど。


 さて、そういう私は、皆にはどんな姫に見えているかしらね?


 そうそう、もう一人の姫についても聞いてみたいわ。 

「拾国の姫は、これから来られるのでしょうか?」

 可愛らしい姫の眉がひそめられる。

「いえ、お着きになっていると聞いています。

 二日前には到着されたそうですが、わたくしはまだお会いできなくて。

 女官にも確認してみたのですが、ずっと部屋にいらっしゃると。

 お体の加減が悪くないと良いのですが。」


 壱の姫は本当に心配そう。

 でも、私はこんな風にも聞いている。拾国の姫は、銀の髪の神秘的な巫女姫、神殿の奥にこもっていると。だからここでも、こもっていらっしゃるのかもしれないわ?


 ついでに、これも聞いてしまいましょう。

「五人の王子方については、ご存知ですか?」

 シャルロッテ姫がうなずく。

「四人到着していらっしゃると、聞いています。

 ただ、正式にお会いできるのは明日、零国が定めた“箱庭の儀”の開始となる明日とのことです。」

 

 100年に一度、壱から拾まである国々の宗主国である零国が行う“箱庭の儀”。

 今回は、5人の姫と5人の王子が選ばれることになった。

 本当は、姫1人に王子5人だったらしいのよね。姫は毎回1人と決まっているし、儀式に参加できる18才から19才の年齢に該当する王子が5人だったから。 

 でも、参加できる年齢の姫が5人もいたものだから、クレームが出た。

 姫1人と王子5人ではバランスが悪すぎる。そもそも、箱庭の儀式は姫と王子が愛を育み“箱庭の卵”を孵すことで、この世界の存続を願うもの。儀式の成功のために、姫の人数も5人にして、できるだけ愛を育む1組ができるようにすべきだと。

 確かにそれも一理ある。でもね。

 卵を孵した姫と王子の国は、十国の中で圧倒的に発言権が強くなる。そう提案したくなる気持ちもわかるわ。


 参国の王であるお父様からは、必ずその卵を孵す役割を取ってくるように、なんて言われている。

 でもね、そうするためには、愛を育む必要があるのよ。

 政略結婚しなさいっていうのは強制できても、愛を育むことは強制できないんじゃないかしら。

 だから、ちょっと私には無理だと思うわ。


 そんなことを考えながら紅茶を飲んでいたら、いつの間にかカップは空。

「クリスタ様、紅茶をもう一杯いかがですか?」

「そうですね、いただきます。」

 シャルロッテ姫が女官に目配せする。カップに紅茶が注がれる。


「クリスタ様は、黒髪でいらっしゃるのですね。夜空のように綺麗です。」

 紅茶と同じく、これもシャルロッテ姫の気配りなんだろうけれど。ちょっと嬉しくなっちゃったわ。

「そんな褒め言葉は初めていただきました。ありがとうございます。

 私の国では、皆こんなまっすぐな黒髪なので、それで褒められることはなくて。」 

 シャルロッテ姫が少し目を丸くされている。

「そうなのですか、こんなに綺麗でいらっしゃるのに。」

 どうやら姫は本当にそう思っているようなので、私も思いついたことを言ってみる。

「シャルロッテ様の金の髪は、光のかけらのようですね。」

 金髪がゆるく波打って、可愛らしい姫の顔を縁取っている。けれど姫はちょっとうつむいて。

「いえ、わたくしは、そんな。」

 あら、こんな姫なら褒められ慣れていると思ったのだけど、そうでもなかったのかしら。


 ガタンと椅子が鳴った。

 イザベル姫が立ち上がっている。冷え冷えとした視線がテーブルの私たちを一巡りし、そして姫は立ち去ってしまった。


 どうしたのかしら、突如お腹の調子が悪くなってしまったとか?それは大変。姫ってこういうところ、面倒なのよね。お茶会の席で、お腹の具合がって言うわけにもいかないし。

 シャルロッテ姫を見れば、口元に手を当て気づかわし気に目を伏せている。

「髪の色の話題が、良くなかったのかもしれません。

 イザベル様の六国は、金髪が好まれると聞いたことがあります。

 姫は見事な赤毛でいらっしゃるから、何か思われることがあったのかもしれません。」


 ああ、それは。国ごとの慣習の違いという問題もあったわね。

 気に障ることを言ってしまったのなら、悪かったと思うわ。けれど。

 王族が公に公務を行うのは20才になってから。あの国には王子や姫がいるという話は聞くけれど、ここに集められた私たちは初対面どうし。

 何しろ零国からの招請が3日前だったものだから、儀式に参加する姫や王子の事前情報について、詳しく知ることなく皆ここに来ている。

 でも、初対面でもそうでなくても、相手の気に障ることを全部把握して会話する、っていうのは現実的に無理じゃないかしら。コミュニケーションは難しいわ。


 八国のテレーゼ姫は、イザベル姫の突然の行動にすごく驚かれた様子。

 ちなみに、テレーゼ姫は栗色の髪。この姫にとって、私たちの話は問題なかったよう。

 壱の姫は髪の色を話題にコミュニケーションを取ろうとされたのでしょうけど。私の黒髪を真剣に褒めることのできるシャルロッテ姫なら、赤毛でも栗色でも心から賞賛したに違いないけど。それが相手に届くかどうかは、また別ということね。

 

 壱の姫は先ほどの言動を悔いるようにうつむいて。八の姫はやっぱり胸を抑えてうつむいて。

 私は、間をもてあましてカップを手に取る。紅茶は美味しいのだけどね。


 さわやかな風がガーデンを抜けた。金髪も栗色も、私の黒髪も揺らして。

 

 姫君どうしのあれこれは、まあ、しょうがないんじゃないかしら。

 こういうことを考えるから、もっと気づかいなさいって言われるのは分かっているけれど。


 それより私は、この場所の方が気になるわ。

 100年に一度、儀式の時だけ入ることが許される“箱庭”。

 そんな、とっても珍しい場所に来ることができたのだもの。

 それに、私の手元にある80年前の日記。前回の箱庭の儀に参加した姫の日記。


 私は、謎解きがしてみたいわ。

 

 なぜこの世界では、箱庭の儀なんてものが行われているのか。

 なぜ100年に1回なのか。

 それがどうして、今回に限って80年後だったのか。

 なぜ姫と王子でならなければならないのか。

 卵を孵すとはどういうことなのか。

 もしも、卵を孵さなければどうなるのか。


 知りたいことがいっぱいある。こんな機会ってそうないもの。

 わくわくする!

 


 その夜、私は書庫に行ってみることにした。

 ここでの姫の生活は、侍女の一人も連れてこられない代わりに、食事も服装もその他も零国の女官たちがあれこれ世話をしてくれる。

 その女官の一人を捕まえてあれこれ聞いてみたら、書庫があるというのだもの!

 しかも、箱庭の中なら自由に歩いて構わないということがわかった。

 それなら、さっそく行ってみたくなるわよね。


 箱庭にある館は3つ。姫の滞在する館、王子の滞在する館、その間にはガーデン。そしてもう一つが書庫のあるこの館。

 ちなみにこの館のホールには、握りこぶしくらいの卵型のものが、鳥籠に入れられて台座の上に設置されていた。女官に尋ねたら「箱庭の卵です」とのことだった。思わず立ち止まって、まじまじとみてしまったわ。

 石のようにも見えるこれは、いったい何なのかしら。釣り鐘の形をした鳥籠には扉がない。どうやって中に入れたのかしら。


 ホールからしばらく歩くと書庫だった。案内してくれた女官が灯りを付けてくれる。

 書庫といってもソファとテーブルまであるのね。さあ、思う存分本が読めるわ。

 ただ本と言っても、ページをパラパラとめくった感じでは、これまでの箱庭の儀の記録みたいだけど。

 並んだ本棚の手前の方に、新しい記録があるよう、本が古びてなくて新しいから。奥へ行くほど、本も古びていく。いったい何回分の記録なのかしら。   

 とりあえず新しいものから、たぶん前回の箱庭の儀の記録から見てみることにする。

 本の背には巻数らしい数字のみ。とりあえず、1から5までをソファに持っていく。

 書庫のこの部屋は快適。この館に来るのに庭の小道を通ったら、少し肌寒かったけれど。

 

 どのくらい読んでいたのかしら。

 ふと、人の気配を感じて顔を上げた。

 

「いつまで、読んでるんだ?」

 そう問いかけられたので、

「警備の方ですか、どうぞお構いなく。」

と答えることにした。

 気取らない服装、腰には剣、女官しか見かけなかったけど、実は警備の方もいたのね?いえ違う、この言葉遣いは……。

 彼がため息をついて問い返す。

「君は、どう見ても姫だな?」

 その言い方からすると、つまり。

「あなたは、王子だということですか?」


「俺も調べに来たんだが、いつまでたっても君の用が終わらない。」

 あら、私のようにわざわざ書庫に調べに来る王子がいるなんておもしろいわ。

「どうぞどうぞ、一度に全部は読めませんので、あなたも一緒にいかがですか?」


 王子があきれたように、向かいのソファに座る。

「君は知らないのか。姫と王子が会うのは明日になってからだ。」

 あら、そんなこと。

「出会ってしまった今、それを言っても、どうにもならないと思いません?」

 だいたい、本当に出会わせたくないなら、姫も王子も自由に歩き回らせてはダメでしょう。

 そもそもこの王子も、本当にダメだと思っているなら、私が書庫を出るまで待っていたはず。


「私もいろいろ読みたいと思っていますけれど、今のところ急ぐものはないので。

 私がテーブルに持ってきている本の中にご希望の箇所があるなら、言っていただければ。譲り合って調べればよろしいと思いますわ。」

 話ができそう人なら、どんなことを調べているのか聞いてみたい。意見交換もしてみたい。


 王子が一番手前の棚から本を数冊取ってきた。向かいのソファーに座り、パラパラとページをめくる。

 さりげなく見えるよう聞いてみる。

「私は、今日の昼過ぎにこちらに着きました。あなたはいつ頃?」

 王子が顔を上げる。

「今日の夕方だ。まったく、3日でこっちに来いとは。魔獣討伐の真っ最中だったというのに。」

 ……それは大変。

 でもそれならば、この王子が書庫に来るのは今が初めて。

 書庫の本は、綺麗に整っているところと乱れたところがあった。誰かが、私とこの王子以外の誰かが何かを調べている。


 持ってきた本のページを次々にめくっていた王子が、ぱたんと本を閉じた。

「君は、よくこれが読めるな。」

 確かに、読むのはちょっと大変、情報量が多すぎる。

「前回の箱庭の儀の詳細な記録ですね。姫と王子たちが、どんなことをしたか、誰に会い何をしてどんな会話をしたか。その際に出されたお茶やお茶菓子、姫のドレスの詳細についてまで。情報量が多すぎて、概要がつかみにくいです。」

「それもあるが、俺たちもこんなふうに記録に残されると、思わないか?」

 ……あ。


 そんな私の表情を見たせいか、王子が小さく笑った。

「まあ、俺がたちがそれを読むことはないだろう。読むとすれば、次の箱庭の儀に参加する誰かだ。」

「そうですね。私たちが卵を孵すことができず、世界が滅びたなんてことにならなければ。」


 手に持っていた本をテーブルに置けば、その音が静かな書庫に響いた。灯りが揺れる。


「君は、卵が孵らなければ世界が滅びると思うか?」

「さあ、どうなんでしょう?」


 私にとって、それはわからないこと。

 私が知っていることは、この世界では何度も箱庭の儀が行われてきたということ。そして今も世界は続いているということ。


 今度は私から聞いてみる。

「あなたは何を調べにこちらへ?」

「前回の記録でもわかれば、箱庭の儀を有利にすすめられるかと思ったんだ。」

 なるほど。

「では卵を孵す王子の役割を狙われるのですね。それなら確かに、前回の記録は参考になるに違いありません。前々回あたりも情報として使えるかも。」

 なぜが王子がため息をついた。

「……冗談だ。」

「あら、冗談なのですか?」


 王子が怪訝そうな顔をする。

「何で君が、そんなに不思議そうな顔なんだ。君の感性はよくわからないな。

 俺は、令嬢がイメージするような王子様には見えないだろう?姫の誰かが、俺を気に入るとは思えない。」

「好みは、人それぞれだと思いますけれど。」

 だって私はこの王子様のことを、何というか、こう、一言でいえば、カッコイイ、そう思うもの。


 王子が笑った。

「わざわざ書庫に来るくらいだ。君は本が好きなのか?」

「ええ、とっても好きですわ。」

 この人は、本好きな私のことをヘンに思っていない。それが分かるから、何か嬉しい。

 王子が自慢するように私を見た。

「俺の国に図書館がある。十国の中でも一、二を争う図書館だ。俺は王子の権限でそこに入りたい放題ってわけだ。」

 ……それはきっと、七国のヴァイセ・ビブリオテーク。

「これも何かのご縁です。わたくし、この箱庭の儀が終われば、ぜひ七国に留学したいと思っております。その際、できれば殿下の権限でもって、わたくしもビブリオテークに入館し放題にしていただけないかなあ、などと愚考しているのですが、いかがでしょうか。」


 王子が声を出して笑った。

「いつでもいいぞ。案内もいるか?」

「その時はぜひ。」

「そうだな。箱庭の儀が無事に終われば。」

 王子の声がかげる。その言い方に何か引っかかりを感じる。

 

 王子がソファから立ち上がった。

「箱庭には選ばれた姫と王子しか入れない。あとは零国の女官たちしかいない安全な場所だが、君は姫だ。次から女官は下がらせない方がいい、特に夜は。そうしてくれないか。」

「……ええ、そうしますわ。」 

 王子の口調が真剣で、そう答えてしまった。


「姫、もう遅い。女官も見当たらないから、館まで送る。」

 王子に促されて立ち上がる。

 先に歩き出した王子をふと引き留めたい気持ちになって、思わず袖を引く。

 王子が振り向く。

「何だ?」

 そう聞いてくれるから、こう伝えたくなって。

「私はまたここに来ます。あなたは?」

 

 王子が苦笑して本を指した。

「俺も、これを読まなきゃならない。」


 その後、姫の館に続く庭の小道を、夜は冷えるなとか、光玉があるから道は歩きやすいですねとか、そんな話をしながら王子と歩いた。

 館に着いたら、お互いに「おやすみ」と言い合って。まるで前から知っていた友人のような、そんなふうに。

 私のなかに、不思議と何か満たされたような気持ちが湧きおこる。


 そしてもう一つ、私のなかに小さな疑問が残った。

 王子は結局、何を調べにきたのかしら?

 この人も、“箱庭の鍵”を探しているのかしら?




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