第21話 「ものの見方」

 前回の「第20話」において僕は、「……という、ものの見方(この言葉は、ベストセラー本で広まった言葉らしいですね。『ものの見方について』笠 信太郎)をしているように思う。」と得意気に書いてしまった。

 しかし、この「ものの見方」という言葉の広がったのが、この本のベストセラー化とともにあったのかは、僕の勘違いだったかも知れない。僕が、この本のタイトルを知ったのは、或る思想全集に収録されていた文章でであったように思うが、それが確認できない。前回、あのように書いてしまったのは失敗・間違いである。

 この「ものの見方」がいつから使用されている言葉かを知りたい。

 Webで検索する内に、「goo辞書」サービスの【見方】で検索したものを見ることに気づいた。「青空文庫」をデータベースとして「見方(みかた) の例文・使い方・用例・文例」が表示されるのである。

 そこで、目に付いたのは、西田幾多郎の文章「フランス哲学についての感想」と 「国語の自在性」である。西田は両文章でずばり《物の見方考え方》を使っている。昭和11年に初出である。

 次に、注目したのは、夏目漱石の「文章中味と形式――明治四十四年八月堺において述」で、《けれどもその社会の見方とかあるいは人間の観察の仕方とかが……》という風に「見方」を使っている。

 更に、 森鴎外 は明治43年初出の短篇「花子」で彫刻家ロダンが花子を《……一目に領略するような見方をして……》と書いている。

 それでは、【方】(かた)ではどうか。「方法・手段」の意味も、古語辞典に載っているくらい昔からあるらしい。

 それでは、【物】(もの)はどうか。本居宣長の「物の哀れ」が思い出された。この「物」は「漠然とした対象」の意味でいいと思う。

 こうやって分解してみると、どの要素もかなり昔から使われているように思えてくる。

 しかし、「ものの見方」となるとWeb検索くらいでは、答えが出ないのかも知れない。

 僕の印象では、「ものの見方」という言葉には、何だか思想・哲学っぽい雰囲気がある。

 日本語では、「トラウマ」という精神分析の専門用語がフツーに使われていたりするので、例え思想・哲学っぽい言葉だったとしても関係ないのかも知れないが……。

 何か「ものの見方」という言葉の使用例について、見解がある方がいらっしゃいましたらコメントください。


*こうやって、立ち止まって考えることができたのは、「第20話」でコメントをくださった方がいらっしゃったからです。有難うございます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る