第19話 ヤバい宇宙観
いろいろ、思いを巡らせている内に、これはヤバいかも知れないと思った。
僕たちのいる宇宙がどのようにして生まれたのかについては、世界中に研究なさっている方々がいらっしゃるのだろうと思われる。
また、物質の存在を考えるとき、それは何処から来たのかが問題になるように思われる。
例えば『古事記』の最初の方だと、「
僕は、現在の宇宙が生まれる前にも、同じようなもの(宇宙)があったのではないかと考えてみた。その宇宙の終幕時の何かがきっかけとなって、現在の宇宙が生まれたのではないかなどと。
それでは、その前の宇宙はどうやって生まれたのだろうか。それより、前の宇宙の終幕時の何かがきっかけとなって、その宇宙も生まれたのではないかと考えてみる。
ドミノ倒しのようである。
その牌(物質?)を作ったのは誰か? 最初の牌を倒したのは誰か? と考えたくなる。
つまり、無から何かが生まれることはないはずだという思いが何処かでしてしまうのだが、これをこの文書では疑いたい。
無から生まれるも何も、無というものではなかったのではないか。
数学史上の大発見として、ゼロの発見が挙げられるのは奇異なことではないだろう。
ゼロの発見は、ゼロの発明とも言われるらしい。
無という観念も、この数学のゼロと同じようなのではないだろうか。
無というのは、人間がそう設定しているだけなのではないだろうか。
誰かが作ったというようなことでもなく、宇宙とはそういうものとして、存在してきたのではないだろうか。
これには、僕自身、何だかヤバい宇宙観な気もしてくるのである。
一応、書いておくと、僕だってカクヨムで皆さんの小説を読んでいる時、こんなことは何処かに飛んでしまっていて、考えていない。今日は、ちょっと考えてしまっただけだ。
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