第22話 椅子に座れない男①

 その日、七色書房の入口の扉を開けて入ってきたのは、一人の男性だった。

 急に入ってきた予約の人だった。

 その人が書房の入口から入ってきた時、雨に濡れたような土の匂いがほのかにしていた。


「いいですか?」

「もちろんです。お待ちしておりました」

「ありがとうございます、急に」

「いえ、大丈夫です。ようこそ」

「こちらへお座り下さい」

 七色がその男性を案内すると、その椅子に自分が座らずに持っていた皮の鞄を代わりに置いた。


(?)

 変だなとは感じたものの七色はそのままカウンターの奥へと移動した。


「今、お茶を淹れますので、しばらくお待ちください」


「あ、はいっ」


 落ち着かない様子の男性は二十代後半か三十代前半のように見える。書房の窓から見える外の風景を眺めるように、案内された席から離れたところにある窓際の方へとゆっくり歩いていった。

 ソワソワしているのは見ていてわかった。落ち着かないようだ。急な予約と関係があるのだろう。


 七色はカウンターの中で、壁面に並んでいる様々なカップ&ソーサーの中からひとつを選んだ。ティーカップではなく、大ぶりの白いマグカップの方を選んだ。

 お湯が沸き、茶葉が入っているティーポットにお湯を注ぐ。今日は少し熱めのお湯を淹れていく。そしてあまり抽出し過ぎないことを選んだ。浅めの軽い状態で出そう、七色はそう思ってタイミングを外さないようにティーポットに意識を向けながらいた。

 自分の飲む器も同じような白いマグカップにした。男性に用意したマグカップと並べると薄く、一回り小さく見えるが形は似ている。少し濁ったような乳白色のマグカップだ。


 そろそろ丁度よいだろうと、浅めに淹れたお茶を二つのマグカップに少しずつを交互に注いでいった。

 赤みを帯びた透明感のあるお茶は、選んだマグカップの白地によく映えていた。


 二つのマグカップをトレーに乗せてカウンターから出て行くと、男性は窓の側に立ったまま居て、窓の外を黙って見続けていたようだった。その立ち姿がどことなく頼りない。先ほど書房に入って来た時の声の張りは、後ろ姿全体からは感じられなかった。細身の女性が弱々しく立っているかのようでもあり、その姿をほんの少しの間、七色は見つめていた。


「どうぞ。お茶が入りました」


「あ、ありがとうございます」


 七色はテーブルにお茶の入ったマグカップを置いた。そして窓際から戻ってきた男性が立ったまま鞄を用も無く触っている様を見て、先に座ることにした。


「どうぞ。冷めないうちに」

 そういうと、しょうが無い、というような諦めたような気配を出しながら窓際から移動し、置いていた鞄を横並びの隣の奥の席に何度か触っては置き直す。ムダにも思えるような繰り返しをして、置いた鞄の隣の椅子にようやく座ったのだった。


 どうぞ、と、七色は再度お茶の入ったマグカップの方に黙って手を向けた。

 男は頭を下げて、話を始めた。


 近くで見てみると、線は太いとは言えないが、スッキリとした格好をしている。仕立てのしっかりした上下揃った濃いめのグレー系のスーツのようだ。ただほんの少し身体に合っていなくてスーツの上着が泳いでいる感じがした。それは何かがどことなく変、という違和感として感じられた。


 七色はマグカップを手にして、自分が先に飲んでいるところを見せるようにした。

(毒は入っていませんよ…なんて)


「あの、なんていうか、運気っていうか、流れっていうか…、縁っていうのか…えっと…」


 うまく説明が出来ないようだったが、男はともかく喋り始めたのだった。


「相談するとか、鑑定してもらうなんて、そんな、無いんです」

「はい」

「人生で二度目なんですよ、今日を入れて…」

「そうでしたか。はじめまして、七色と申します」

「あ、私は…」

「特に、名前は結構ですよ、大丈夫です」

「あ、そうですか、でも、あの、私は…慎一、です。はじめまして」

「はい、慎一さんですね、よろしくお願いします」

「お願いします。かなり前ですが、前に観てもらった時は、やっぱり人生の節目でした」

「何の、どのような占いだったのですか?」

「あ、ええ、確か東洋の占いでした。難しかったけど、でも、その後にああ、やっぱりそうなんだなって思うことがあって、信じてるんです。でも、なかなか行かない場所っていうか、どこかここぞっていう時に思い出しちゃいますね」


 男性は慎一と名乗った。つい先ほどまで、自分の身体を持てあましたかのようにソワソワしているようだったが、いつの間にかマグカップを両手でくるむように抱えて座っていた。まるで冷えた指先を温めようとしているみたいに思えたが、それはすぐに風景を変えてしまい、まるで小さな子供がマグカップを抱え込んでいるかのように見えていた。


「三十分程で、お願いします。すみません」


「これから良くなる…流れ、ですか?」

 これからの運気、流れ、縁…と言い出した内容が漠然としていたので、三十分という時間の中で何を話すことを求められているのか、七色は今一度尋ねてみた。それにしても書房にやって来る人の中では固い印象だ。

(ここは、街の中ではないのですが…)


 すると男性は答えた。


「これから、の、ことです。うまくいくかなって」


「生活全般ですか? お仕事とか収入ですか? それとも…」

 そう言い始めた七色の言葉を遮るかのように男性は言った。

「仕事、かな。」


 さっそく生年月日を聞いて、七色がそれを読み上げると、空中に投影された一つの図が二人の目の前の高さあたりに現れた。これはこの男性の出生図(ホロスコープ)である。この図が二人が座っているテーブルの真ん中にホログラフィのように映し出されているのだ。それは掌を広げたよりも少し大きいくらいの円のサイズで、その円の中には十個の天体の記号が散らばっている。七色はその図を触って空中で親指と人差し指でモードを切り換え、さらに図を大きくして見やすいようにサイズを調整し準備をしていた。


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