5.ホクト視点:謎の名古屋ブーム

 翌日の午後、俺がマエストロに顔を出した時、フロアにはタモンさんしかいなかった。

 ケイはあと2時間ほどしないと帰って来ない事は知っていたが、白砂さんと話したい事があったので、学校帰りにマエストロに立ち寄ったのだ。

 ティールームの営業がある程度軌道に乗ってきて、自称コミュ障で接客なんてムリムリ、全然ムリだからぁと言い続けていたタモンさんが、自称ほどにはコミュ障でもなんでもなく、むしろ着々と仕事を覚えてフロア業務をキチンと捌き始めたので、白砂さんはタモンさんがフロアに居る時は、来客に気付いてもいちいちフロアに顔を出さなくなった。

 なので俺はそこでグラスを磨いているタモンさんに軽く会釈をしつつ奥の厨房に向かい、白砂さんに声を掛けた。


「映画なんですけど、観るもの決めて前売りを買っておいた方が良いと思うんで、ちょっと事前の打ち合わせをお願いできますか?」

「私もそれを考えていたので、相談するため、現在上映中の映画の内容を一覧にしたメールを作成した」

「え、俺、白砂さんからのメール見落としてましたか?」

「いや、そのメールは作成したのみで、まだ送っていない」


 そう言いながら、白砂さんは銀色の盆にティーポットとカップとソーサーを乗せて、俺を促し、厨房からフロアに向かう。

 フロアにはカウンター近くにポチポチと客がいるのみで、それも既に飲み物を前に本を広げていたり、同行の客と話し込んでいたりして、特別な用事はなさそうだ。

 白砂さんがタモンさんに声を掛けると、頷いたタモンさんはアナログレコードの作業部屋の方へ行き、白砂さんは俺を店の奥側にある、レコードラックが並んでいる棚の傍の椅子に座るように勧めてくれた。


「今朝、小熊君と敬一に映画や上映場所に関して、何か希望があるかと訊ねたところ、どちらも私が自由に決めて構わないと言っていた。それで私の方で、上映中の映画のタイトルを調べておいたのだが…」


 前売り券の準備のことのみならず、ケイや小熊さんの希望も既にリサーチ済みとは、さすがに白砂さんは俺より一歩も二歩も気遣いが行き届いているなぁと感心した。

 俺はケイにふさわしい男になるために、日々自分を鍛えていきたいと思っているので、白砂さんの思慮深い行動には勉強させられるところが多い。


「俺も、映画の内容には特別希望はありません」


 レジカウンターのところに設置してあるサーバーからコーヒーを持ってきた白砂さんは、コーヒーを満たしたカップを俺の前に置いてくれた。

 そして俺の右隣りの席に着くと、厨房から持ってきたティーポットから、自分のカップに紅茶を注いだ。

 俺が紅茶よりコーヒー派だって事を、口に出して伝えた記憶は無いが、わざわざ別の飲み物を出してきたってことは、普段のちょっとした折りに相手の様子を見て覚えているのだろう。

 そして白砂さんがコーヒーを飲んでいないって事は、白砂さんはコーヒーより紅茶派ってことなのだろう。

 俺は、ケイの好きなもののことなら知っている。

 食べ物の好き嫌いはほとんどないケイだが、総じて甘党なので、紅茶ならレモンよりミルクティ、コーヒーならカフェオレとかラテとかカプチーノとか、ミルクっぽい味の方を好んで飲む。

 でも俺は、ケイ以外の人の好みなんかは、そんなにちゃんと覚えてるわけじゃない。

 白砂さんのこういう細かな気遣いも、これからはぜひ見習わせてもらいたい。


「デートと言うシチュエーションを考えると、恋愛物か、恋愛要素の含まれる内容のものが妥当と思う。だが、たぶん敬一は、恋愛物は苦手なのではないかな」

「ああ、それは、ケイはたぶんダメですねえ。照れちゃうか、飽きちゃうかしそうだ。それからケイは、感動ものだとすぐにボロボロ泣いちゃうんです。俺はケイのそーゆートコも可愛いって思ってるんですけど、他の人がいる前じゃちょっと困るかな。なのでその辺りを避けて、白砂さん的にオススメの作品ってありますか?」

「うむ。私が一番興味を惹かれたのは、デジタルリマスターされたSFの再上映ものだ。だがSFだし、スリル要素も強いので、あまりデート向きではない。だから休みの時に一人で観に行こうと思っていたのだが」


 言いながら、白砂さんが用意していた上映リスト一覧を見せてくる。


「エイリアン、ですか。男ばかりのデートですから、SFでもいいんじゃないですか? 俺、エイリアンは地上波の2しか観てないんで興味あるし、ケイは最近白砂さんから借りたSFの映画やドラマは、どれも面白いって言ってたし、小熊さんはなんでも構わないと言ってくれてますし。そのリバイバル上映のチケット、俺が手配しておきますよ」

「うむ。そういうことなら、チケットは君にお願いしよう。ところで天宮君、まだ時間はあるかね?」

「大丈夫です。なんでしょう?」

「柊一から、天宮君…君の従兄弟の天宮ミナミ君のことだが、彼は名古屋の出身と聞いているのだが、もしかして君も同郷なのかね?」

「はい、俺も名古屋ですけど…。あの、同じ苗字で面倒なので、俺のこともミナミのことも、名前呼びで構いません」

「そうかね。ではホクト君。実は私、近頃話題になっているモーニングのセット内容から名古屋に興味が湧いたので、今は名古屋の贈り物の習慣や方言などを調べているところなのだ」


 表情はいつもどおりの仏頂面なのだが、心なし白砂さんは前のめりになってきていて、それに両眼がやたらキラキラしてきたように見えてきて、俺はちょっと引き気味になった。


「そんなに名古屋が面白いですか? 確かに、特徴的っちゃ特徴的な土地柄とは思いますけど…」

「動画サイトで見たのだが、方言がまるで猫キャラのようだね。『猫がにゃあとにゃあた』なんて、本当に面白かった」

「あ、それ、ちょっと違います『ねこがにゃあとにゃぁあた』です」

「にゃああた?」

「にゃぁあた、です」

「にゃぁあた?」

「そうそう、そんな感じです」

「ちょっと練習がしたいので、君が『ねこがにゃあとにゃぁあた』と言っているところを、動画に撮らせて貰ってもいいかね?」

「それは別に構いませんけど…。でも、名古屋がミナミの話にどう関係してるんですか?」

「ああ、私は柊一からミナミ君の出身地を聞き、ミナミ君に名古屋の話を聞かせてもらおうと思っていたのだが、彼が来店するのは柊一に会うのが目的なので、なかなか会話の機会が得られなくてな。それでホクト君も同郷なのであれば、君から話が聞けるのではないかと考えたのだ」

「なるほど…」

「ミナミ君のことも、少し質問していいかね?」

「ええっと…、ミナミのプライベートに差し障るほどのことでなければ、どうぞ」

「ホクト君とミナミ君は、従兄弟だそうだが、名古屋では学校も同じだったのかね?」

「いえ、ミナミの家族は市内のマンションに住んでます。でも俺の家は郊外にある一戸建てなので、ミナミと俺は学区が違いましたし、それに年齢も離れてるので、同じ学区だったとしても同時に同じ学校に通学することは無かったと思います」

「君とミナミ君は、そんなに年齢が離れているのかね?」

「一回り違いますよ」

「それは気付かなかった。それでは、君の父上とミナミ君の父上は、同じ会社に勤務しているのかね?」

「同じというか、ミナミの家は分家なので、叔父は叔父の会社の社長をしてます。そういう親族会社がいくつかあって、グループ会社になってます。うちがそのグループの本家に当たるので、父は自分の会社の社長とグループ全体の総取締役をしてるんです。だから叔父の会社に顔を出すこともありますが、机を並べて仕事をしてるわけじゃありません」

「なるほど、私が思っていたよりも、ずっとセレブなようだね」

「いやぁ、セレブなんて言われるとこそばゆいです。一族経営が集合体になってる、古いタイプの会社ですよ」

「そういうところでは、やはり親族間の競争や確執もあったりするのかね?」

「俺はそれほど感じてませんけど。でも伯母…ミナミの母親なんかは、子供の頃は俺とミナミのことをあれこれ比べたがるところがありましたね。そもそも自分が長子だという考えが強い人なので、弟であるうちの父にも、あれこれ口を出してきますよ」

「そういう母上では、ミナミ君はさぞうるさく言われていただろうね」

「そうかもしれませんが、俺はミナミのことはあまりよく知りません。昔から変な奴だったから、一緒に遊んだりしたこともないし」

「なるほど。ではホクト君、君と敬一とのことも質問していいかね? 君達は、幼馴染だとか?」

「ええ、同じ幼稚園でした。初めて逢った時に俺がケイに一目惚れしちゃって。ケイが頷いてくれるまでプロポーズしまくっちゃいました」

「だが、海老坂君も敬一に気持ちを寄せているようだが?」

「あんな横恋慕なんかに、俺は動じません」

「横恋慕と言うと、海老坂君はホクト君が敬一のフィアンセだと知っていて、それでもなお敬一にアプローチしてきたという事かね?」

「もちろん、そうです」

「いや、私が問いたいのは、海老坂君が敬一と出会いアプローチを始めた時に、敬一にはフィアンセがいると知っていたのかどうかなのだが?」

「それは…ケイが神奈川に戻った時に一緒にいたわけじゃないので、ケイと海老坂が出会った時の状況までは俺にはわかりません。でも俺が海老坂に会った時に、俺とケイは婚約してるとハッキリ宣言してます」

「海老坂君が、婚約のことを知らずに敬一に好意を持ったのだとすれば、それは一概に横恋慕とは言えないのでは?」

「後から知った事だとしても、俺という婚約者が居ると分かったら、身を引くべきでしょう」

「確かに、君からしたらそういう気持ちになるかもしれない。しかし例えば、敬一が生まれた時に結婚の約束をしている者が居ると、敬一の父上から言われたら、君は身を引く事が出来るかね?」

「それは…っ!」


 反論しようとした俺は、そこからふと考えて、言葉に詰まってしまった。

 ケイの意思を無視して親が勝手に決めた結婚なんて、俺は絶対に認めないし、断固阻止するつもりだ。

 だが白砂さんからの質問が、では俺がケイに出会うのが海老坂よりも後だったら? などと問われたら、どう答えればいいのか。

 偶然にも幼児期にケイが名古屋にいたから、俺は海老坂よりも先にケイと出会えた。

 だがケイがずっと神奈川で生まれ育っていたなら、俺がケイと出会うのは高校生になってからで、子供の頃からケイの身近にいた海老坂に大きく水をあけられていただろう。

 そうしたら俺は海老坂に遠慮して、ケイのことを諦められるだろうか?

「ホクト君」


 すっかり固まっていた俺の肩を、白砂さんがポンと軽く叩いてきて、俺はハッとした。


「ホクト君。私は、君の気持ちを否定している訳では無いよ。むしろ、幼少の頃から一途に敬一だけを思ってきたなんて、私は君のその直向きな気持を応援したいと思っている」

「え…ホントですか?」

「もちろんだとも。君の敬一に対する恋バナは、熱い想いが込められていて、実にロマンチックで素晴らしいよ」

「はあ…あの…、ありがとうございます」


 思いもよらない白砂さんの嬉しい応援と、いきなり恋バナとか言われちゃったりして妙なノリになってきたので、俺の方もつい質問をしてしまった。


「白砂さんの方は、どうなんですか?」

「何の事かね?」

「だから、白砂さんの恋バナですよ。白砂さんは今、フリーなんですよね?」

「今も昔も、私はずっとフリーだよ」

「えっ? じゃあ、今までずっと、恋人が居た事が無いんですか?」

「出会いを求めて出掛けた事はあるが、恋人が出来た事は無いね」

「信じられないなぁ、白砂さんほどの美貌の人なら、引く手数多だったんじゃないですか?」

「いいや、全く。私、モテないからね」

「そんな事ありえないでしょう。今だって、小熊さんから熱烈アプローチをされているじゃないですか」


 俺の言葉に、白砂サンの白磁のような頬に、微かな赤みがさしたように見えた。


「本当に、小熊君は、私に好意を持ってくれていると思うかね? あんなにハンサムで素晴らしい身体をした素敵な小熊君が、本気で私などを相手にしてくれているのだろうか?」


 俺は目をパチパチさせながら、唖然として白砂さんの顔を眺めてしまった。

 確かに小熊さんのルックスは悪くないと思う。

 だけど普通の日本人が小熊さんを見たら「ハンサムで素敵な人がいる」と思うより先に「でっかいクマみたいな外人がいる」と思うだろう。

 だがまぁ、俺を含む一般人の小熊さんに対する感覚はさておき、白砂さんは本気で小熊さんのことを「ハンサムで素敵な人」と思っていて、小熊さんからのデートの誘いを喜んでいるようだ。

 だとしたら、俺の恋路を応援してると言ってくれた白砂さんに報いるために、俺も白砂さんと小熊さんの仲が上手くいくように、出来る限りの応援をしたい。

 大丈夫、小熊さんは本気でアプローチしてきてますよと請け負ってあげたら、白砂さんはまたちょっと頬を薄桃色にしながら、カップの紅茶を飲んだ。

 白砂さんの飲んでいる紅茶は、香りからするとアールグレイで、ミルクや砂糖は入れずにホットをストレートで飲んでいるようだ。


「ところでホクト君。話は変わるが、君の父上の会社は名古屋方面が拠点になっているようだが、君の将来の予定はどうなっているのかね?」


 白砂さんがそう訊ねてきた時に、カフェの扉が開いて小熊さんが入ってきた。


「そうですね、大学を卒業したら、父の会社で仕事をする事になるでしょう。ですから俺としては、あちらにケイとの新居を構えたいと思ってます」

「それは敬一も同意している事なのかね?」

「もちろん、俺達は婚約してるんですから」


 なぜ急にそんな質問をされたのか意味が判らなかったが、表情がほとんど変わらぬ白砂さんが、心なし眉根を寄せたので、もしかしてマエストロから俺がケイを引き抜いてしまう事に不安を抱いているのかな…と気付いた。

 東雲さんはケイにとってはいいお兄さんだと思うが、気まぐれというかチャランポランというか、このビルのオーナーで店舗のトップであるにも関わらず、実質的に店の運営をしているのは白砂さんとタモンさんだし、それを取りまとめて赤ビルを維持させているのはケイだ。

 せっかく軌道に乗り始めた店から、いきなり要のケイが抜けたら困ると思っているのかもしれない。


「ですが、卒業までにはまだ数年ありますし、事情も変わるかもしれません。その時に改めて、ケイと今後のことを相談します。もしもケイがこちらに残って仕事がしたいというような場合は、最大限ケイの意向に添えるよう配慮するつもりです」

「そうかね。君の考えは、良く理解した。では最後に、先ほどお願いした事をやってもらえまいか?」


 白砂さんは、後ろに小熊さんが来ている事に振り返りもしないで気付いているみたいで、話を切り上げるように言った。


「ああ、はい。じゃあやります」


 白砂さんがスマホを俺に向けて構えたので、俺は一つ咳払いをしてから、

「ねこがにゃあとにゃぁあた」


 と言った。


「ありがとう」


 スマホを確認した白砂さんは、俺に向かって礼を言ったのだが、珍しくその顔にハッキリと変化があり、しかもそれはこちらがビックリしてしまうほど少年のように素直で可愛らしい笑顔だった。

 俺も驚いたが、こちらの様子を見ていた小熊さんなんか噴火したみたいに真っ赤な顔になり、興奮しきった鼻息まで聞こえてきそうだ。

 そんな小熊さんに、白砂さんは落ち着き払って振り返った。


「ああ、小熊君。今日はカフェは終了している」

「そうですか…残念です」


 小熊さんは、本当に白砂さんの容姿が好きで好きでたまらないのだろう。

 俺だってケイの容姿が大好きだ。

 それは子供の頃のお人形のように可愛かった時も、現在の逞しい青年となってるケイも、どちらも同じくらい大好きで、つまり俺はケイの存在全部が大切で大好きなのだ。

 小熊さんの白砂さんに対する好意の中には、そういう感覚もあるんだろうか?

白砂さんと小熊さんに順調に交際してもらいたいと思っている俺は、出来るなら小熊さんの恋心も、ぜひ俺と同じであって欲しいと願う。

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