第3話 勇者 シロウ

 ……夜も更けてきた。

 暗闇に閉ざされた王都は、昼間とは違い、通りを歩く人もなく静かで物哀しい。夜警の兵が持つ松明の灯りが、遠く城壁の上に見える。


「さて、そろそろ頃合いかね」

 日付が変わって少し経ったところか……。アタシは夜空を見上げ、月の位置で現在時刻を確認して呟く。


 アタシは立ち上がると、勇者の部屋の位置を思い出す。勇者の部屋は五階の一番奥……。部屋の真上へと屋根の上を移動する。

 そして、屋根のへりから勇者の部屋があるであろう場所を見下ろす。月明かりを淡く照り返す白漆喰の壁に窓がある。

 この窓の中に勇者がいる。これから、アタシに殺されるとも知らずに寝ているはずさ。


 窓枠にはほんの少しだけ出っぱりがある。アタシは屋根の縁にぶら下がると、その出っぱりへと降りる。

 ほんの一瞬の浮遊感。そして、つま先から土踏まずかけて窓枠の硬い感触が当たる。わずかに膝を曲げて着地の衝撃を和らげると同時に、つま先に力を入れて窓枠から落ちないようにする。


「ふぅ…… 」

 軽く呼気を入れ、狭い足場の上で体勢を整える。……着地成功、っと。

 窓は、アタシの胸あたりまでの高さがある。鍵の位置を確認し、先端が輪っかになっている糸を取り出す。


 この糸は、王国東方にあるミル原野の更に東 、ベスツィ連峰の洞窟に棲む魔蜘蛛アラクネーの糸から作られたものさ。

 軽くて丈夫。そして何より、指先の細かな動きが先端までよく伝わる。


 アタシは、月明かりこの魔蜘蛛の糸を窓と窓枠のわずかな隙間を通して、内側にある鍵に先端の輪っかを引っ掛ける。

 指先に伝わってくる感覚を頼りに鍵を開ける。


 …………。

 ………………。

 ……………………ッ!


 指先に伝わってくる感覚で、鍵が開いたことを察する。

「ふっ……」

 アタシは再び呼気を入れて、自分自身を落ち着せる。そして、音が立たないように、慎重にゆっくりと窓を開けると、勇者の部屋へと侵入する。


 部屋は、月明かりに照らされた外よりも暗い。アタシは、部屋の暗さに目を慣れさせるために動かず、じっとする。少しすると暗闇に目が慣れてきて、部屋の様子が見えるようになる。


 高級宿の客室の中がどうなっているのか、ってことにが全くないかと言われれば嘘になる。

 勇者サマは、さぞ豪華なところでお眠りになっているんだろうな、というね……。


 暗闇に目が慣れたアタシの目に入ってきたのは、意外にも簡素な室内で、ほんの少し拍子抜けすると同時に、まあこんなものかという納得も湧く。

 ともあれ、アタシの目的は観光ではなくて暗殺さ。

 アタシは、室内を見回す。


 アタシが入ったこの部屋は、どうやらリビングルームのようだ。ソファーとテーブルが置かれている。飾り気はないが、しっかりとした造りに見える。

 アタシのいるところから数歩先にドアが見える。その先が寝室だろう。

 勇者は、寝室で寝ているはず。アタシは音を出さない歩き方でドアまで行くと、ドアをゆっくりと開ける。


「…………ああ、うん………………ふぅ……」

 部屋に入った途端、寝息が聞こえてくる。寝息の声から察するに、若い男だね。恐らく、この寝息の主が勇者だろう。


 アタシは寝息がする方に視線を向ける。幅のあるベッドに、人らしき膨らみのあるシーツ。…………ん?


 一人じゃない……。

 シーツの膨らみ方は、そこにいるのが勇者一人だけではないことを示している。 アタシは静かにベッドに近づく。

「ハァン……」

 小さな呟きが漏れる。そこにいるのは、勇者の他に、女が二人。暗がりでよく見えないが、どうやらエルフと竜人ドラゴニュートのようだ。

 この二人が奴隷市場から連れ去った女奴隷なんだろうか……? 二人は、勇者に抱き着きながら寝ている。……ハァン、仲良く寝てやがるじゃないか。


 アタシは懐から小瓶を取り出す。黒い液体が入っている。この液体は、ベラドンナの根から抽出した毒を基に作られた毒薬さ。

 アタシは小瓶の蓋を開けると、毒薬を一滴、二滴、仰向けで寝ている勇者の鼻の下に落とす。


 勇者の鼻の下に落とされたこの毒薬は、時間をかけて蒸発していく。蒸発した毒は、鼻から勇者の体内に入り、その毒性で勇者を死に至らせる。


 毒で殺す、というのがアタシの結論さ。

 勇者の力が何なのか、はっきりとは分からない。だけど、勇者の実力が兵卒並であるにも関わらず、一切の怪我を負うことはない。という事から、アタシは、勇者の力とは力なんじゃないかって推測したのさ。

 だから、怪我を負わせることなく殺せる、毒殺を選んだ。


 朝には、物言わぬが、そこにあるだけだろうさ。

 さようなら、勇者……。


 アタシは来たルートを戻り、再び霧と繭亭の屋根の上へ。

 仕事は、ターゲットの死を確認して終わりを迎える。


 この屋根の上で朝を待ち、勇者の死を確認してから、一般人に紛れて帰ればいい。

 アタシはそう算段し、屋根の上で寝転がる。


 ……これで二億Gか。悪くない。

 アタシは、青白く輝く月を眺めながら、もう既に仕事を達成したかのような感覚でいた。


 だけど、それが全くの誤りであることに朝になって気付くことになるのさ……。

 勇者の力ってヤツを見くびっていたんだよ。アタシはさ……。

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