第14話 好きだから

 「なんか音したと思ったら、こんなとこにレッスン室なんてあったの!?」

 騒々しい声が、聞こえた。誰かがレッスン室に入ってくる。西島さんの声だ。彼女の隣には宮本さんもいる。

 宮本さんは驚いた顔をして私のヴァイオリンを指さした。

 「空矢さん、それ……」

 「え、じゃあさっきの音って、空矢の?」

 「……なんで二人がここを知ってるんですか」

 私が創路さんを見ると、彼女は気まずそうに目を逸らした。私がここを根城にしていることは彼女しか知らないはずだ。

 「こ、ここにいるかもね、とは言っちゃったかなー……あはは……」

 「す、すごいすごい!」

 西島さんは目を輝かせながら距離を詰めてきた。

 「やっぱり空矢、すごい上手いんじゃん! しかも弾けてたし! じゃあ事故で怪我して弾けなくなったとか、あんな噂は嘘だった────」

 そこで西島さんは、傷だらけの私の手に気付いたようだ。いつも手袋で隠されていた手の醜さを見て、言葉を失い、目を見開いた。

 「……噂は事実ですよ。弾けなくなりました」

 私は自分の手のひらを見つめる。

 「リハビリして、生活に支障をきたさないくらいには回復したんです。でも手が動かなくなりました。回復しているはずなのに。だからヴァイオリンを辞めたんです」

 「……そっか。それは、辛かったろうね────」

 「やめてください」

 手の傷を少しでも隠すように拳を握った。

 「私のことを理解した気にならないで。薄っぺらな同情をしないで。私はそれが……一番嫌いです」

 「……そうだよね」

 西島さんは言い返しもせず、俯いて黙りこくった。そんな彼女に宮本さんが寄り添う。

 「違うでしょ、カノンちゃん。言いたいことがあるんでしょ。言わなきゃ」

 「恨み言なら結構ですよ。もう関わらないでって言ったはずです」

 「素直に聞いてあげてよ、リツちゃん」

 創路さんも加勢して、これで三対一だ。私は仕方なく、西島さんに向き合った。彼女は口をもごもごさせながら、もじもじと居心地悪そうに肩を揺らし、やがて口を開いた。

 「ごめん。この前は言い過ぎた」

 西島さんは深々と頭を下げる。私は正直に驚いた。

 「ホントにごめん。あれ言った後ずっと自己嫌悪だった。うち、ほんとバカだった。許してって、うちの立場じゃ言えないけど、それでももう一度話をしてほしい。ごめんなさい」

 私は困惑したように宮本さんと創路さんを交互に見る。宮本さんは一歩前に進んだ。

 「私からも謝らせて。私たち本当に不躾だったと思う。でも私たちなりにオケの今後を考えてるの。空矢さんを信じてるから」

 「ど、どうして、私なんか……」

 「だって、このままじゃ終われないじゃない」

 宮本さんの言葉に、私は息を飲んだ。

 「空矢さんがどれだけ真摯に指揮を振ってたか、一か月しか一緒にいなかったけど伝わってるつもりだよ。みんなが空矢さんをどう思ってるかは人それぞれだけど、空矢さんの熱をみんなは分かってる。それを私だけでも……ううん、私とカノンちゃんだけでも、信じたいの」

 「いいの? 空矢」

 西島さんは顔を上げて、私の肩を掴んだ。

 「あのまま笑われてさ、うちらだって不本意だよ! だってもっとできるもん! 空矢もそうじゃないの!?」

 「そ、それは……」

 「見返してやろうよ、今笑ってる奴全員! 第三オケだってバカにされて頭に来てんの! うち、空矢の指揮でもう一度クラを吹きたいよ!」

 二人の熱烈な視線に耐え切れなくなって、私は助けを求めるように創路さんを振り返った。彼女はピアノに頬杖を突きながら肩を竦めた。

 「……いいんですか、私で。私はあなたたちを裏切ったんですよね」

 おずおずと言う私に、西島さんは首を横に振った。

 「ううん。信じ切れてないくせに裏切られたって被害者ヅラする、うちらもうちらだよ。今はそう思える。創路にも言われたし」

 「あたし?」

 自分を指さした創路さんに、西島さんは頷いた。

 「みんなが変な目で空矢を見てるからって、空矢をちゃんと自分の目で見ようともせずに同調するのはダサいって。うちもほんとダサかった」

 創路さんは目をパチクリさせ、照れくさそうに笑った。

 「……西島って良い奴だと思うよ、あたし」

 「空矢さん、どうかな。考えてくれる?」

 宮本さんに手を握られ、私は顔を背けった。彼女の滑らかだけど凸凹した指が傷の上を行き来して、いたたまれなくなってきた。いよいよ耐え切れなくなった。

 「わ、分かりました! 分かったから離して!」

 「やった!」

 私の手から約束通り手を離し、宮本さんは文字通り手放しで喜んだ。一方の西島さんは「う、うちは!?」と迫って来た。

 「許しますから! 離れて!」

 「ほ、ほんとに!? ありがとう、空矢!」

 西島さんは感極まって抱き着いてくる。私はなんとか身体を捩ってヴァイオリンを避難させた。

 「は、離れてください! くすぐった、ひゃっ!? どど、どこ触ってるんですかっ!?」

 「ごめんごめん。つい嬉しくなって」

 咳払いしながら西島さんは身体を私から離した。

 「じゃあ放課後! 第三オケのみんなに集合掛けとくから! 必ず来てね! 復活宣言するから!」

 「分かりましたよ、もう……」

 「じゃあね! ほら行こっ、アイリ」

 「う、うん。失礼しました!」

 西島さんは上機嫌に宮本さんの手を引いて、嵐のようにレッスン室から出て行った。騒々しかった二人が去って、レッスン室に静寂だけが残る。

 私はやっと終わった……と安堵しながら創路さんを見る。

 「……で、あなたはなぜ残ってるんですか。もうすぐ授業が始まりますよ」

 「それを言うならそっちもでしょ。教室戻らなくていいの?」

 「……えっと」

 私は目を逸らした。微熱が出て学校を休もうと思ったら熱が収まってしまった時のように、一時間目をサボったのに二時間目に行くというのは気が進まないものだった。創路さんはからから笑った。

 「あたしもサボる。不良だし」

 「……単位はどうするんですか」

 「実技でカバーするよ。そのくらいはできるつもり」

 創路さんは指をポキポキ鳴らし、椅子に座り直した。

 「で、どうする? 続きやる? 弦の替え、あるんでしょ?」

 「……その前に、一個いいですか」

 私は少しだけ恥ずかしくて、創路さんの顔を見れないまま尋ねた。

 「あなたはどうして音楽をやっているんですか? わざわざ御門に入って……」

 「不良なのにって?」

 「ま、真面目に答えて」

 「はは。うーん、どうしてかぁ……」

 創路さんは考え込むように腕を組んだ。そして顔を上げる。

 「好きだから」

 「…………」

 「色々あったけど、結局ピアノが好きだから。好きじゃなきゃここまで続かないよ。リツちゃんもそうじゃないの」

 私その問いには答えず、ヴァイオリンケースの中を漁った。弦の束を取り出し、素早く弦を張り替えた。

 「やります。私が満足するまで」

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