四畳半のクリスマス

Kaらsu

第1話 帰宅

 この出来事は、トップニュースの一面を飾る大事件の始まりに違いない。レジ袋を握りしめた拳が更に白くなるほど手に力をこめれば、途端にその重さがずっしりと腕に伝わった。

 12月25日午前0時過ぎ、井之頭いのがしらは自身のアパートの前に突如として現れた不審者に戸惑っていた。相手は大きな図体をした異国人で、汚れ一つない真っ赤な衣装に丸眼鏡とナイトキャップを身に纏い、胸辺りまで伸びた長い髭はくるくるとパーマのような渦を作り出し、それはまるで雪を欺くような色だった……といえばちょっと大袈裟に聞こえるので、少し黄色みがかったと表現すればいいのだろうか、とにかく純白の髭を貯えていた。

 そうした不審者の容貌に、井之頭は一つの答えを導き出していた。非現実的な感覚を呼び覚ますように、目の前に堂々と佇む姿をみせる彼は、どこからどうみても__本物のサンタクロースである、と。あぁ。これはやはり、思った通りだ。ツチノコの抜け殻を発見したとかビックフットの影を見たとか、UMA部類と同等レベルの事件になる。それもこんな日本の片隅にある、ちっぽけな住宅街の中で。我が平穏な日常を揺るがすような出来事など起こって良いわけが無い。いや、自身としては真っ平御免だ。しかしそんな思いとは相反して、奇妙な雰囲気を醸し出したサンタクロースは井之頭と対峙するように立ちはだかっている。

 始めは道端に座り込んでいた彼を見つけて、何も興味も関心も視線も向けず、ただただ無視を貫いて目の前のアパートの入口へと向かって通り過ぎようとした。しかし何故か彼は勢いよく立ち上がると同時に、無視はさせまいとわざわざこちらへ歩みよって目の前に立ち塞がったのだ!  そんなムーブメントに意図が読めず、井之頭は目の前の人物の顔を見つめたまま竦み上がってしまった。ただ、男がそんな行動をみせる理由は一目瞭然である。

 井之頭は自分の服装を今一度確認する。目の前の不審者と同じ格好をしていた。また不審者に視線を向けると、丸メガネの奥で輝くライトブルーの瞳が瞬いた。これはまさかと肩を落としてこうじ果てた。完璧に仲間だと思われている。こちらは恥を忍んで接客業のアルバイトを一日中この格好でやり遂げた、そんな有志ある姿なのだ。とはいえ、酷くヨレヨレになった赤い衣装と疲れ果てたように崩れている黒髪に、整えていない自身のひげは目の前のサンタクロースとは比べ物にはならないほど情けない姿をしている。思わず吐いたため息は、一瞬にして白息しらいきとなった。

 そのとき突然、パンパンに荷物を詰め込んだレジ袋が重みに耐えきれなくなったのであろうか、握りしめていた手からビリビリと裂けるような音を立てて中身が雪崩のようにドサドサとこぼれ落ちた。堪らずあっと声を上げると慌てて屈み込み、冷たいアスファルトに転がったそれらを抱える。忙しなく視線を動かしながら一心不乱に拾い上げていると、突然視界に差し込まれた赤い手袋へ目がとまった。何かを手に持っている。目を見開きながら少し顔を上げてみれば、立ちはだかっていた異国人がこちらと同じように屈みこんで何かを差し出してきたことに気付いた。恐る恐るその手の中を見る。黒い円筒形で、蓮根状れんこんじょうの穴が開いていた。思わず顔をしかめる。しかし、それがレジ袋の中からこぼれ落ちた品の一部であることを井之頭は思い出すと、我にもなく手から奪い取ってすぐさま立ち上がった。サンタもゆったりとした動作で姿勢を正すと、キョトンとした顔付きでフゴフゴと髭を揺らした。井之頭はその様子を眺めて段々と肩の力が抜けてくると同時に鼻から息を静かに吐いた。そして少し目を泳がせた後に、とりあえずセンキューと言葉を伝えてみた。目の前の異国人は、瞬きもせずにじっとこちらの瞳を見つめていた。

 確か、本物のサンタはフィンランドにいるのだと、どこかで聞いた覚えがある。果たして、今発音した英語は伝わっているのだろうか。そもそも意思疎通は可能であろうか。ところで彼は人間なのか? サンタクロースとは実の所、地球外生命体の部類だったりしないだろうか。いやいや、そんな馬鹿な話があるわけないだろうに。一抹の不安を抱えるものの、何もしないよりかはマシに思えた。頭の中にしまい込んでいた、うんと昔に学んだ英語の教科書へ思いを馳せながら、もう一度彼との交流を試みることに決めた。

「My name is いのがしら りゅうすけ」

 井之頭は視線を定められず、右往左往と泳がせながら言い終わった後に何度か口をパクパクとさせた。冷気が口内に入り込むと、次第に喉の渇きを覚える。もう一度サンタの目を見た。やはり微動だにせずこちらを見ていた。なので、自分が思い描いていた言葉が喉の奥につっかえて、幾分か「あー」とか「えー」とか言葉を濁らせてどもってしまった。しかし、はるばる国境を越えてやって来たであろう異国人との交流など、こんなことがない限り人生において経験することなどないはずだ。意を決してもう一度口を開いた。

「あいうぉんとぅびー Go back home. Are you……Where house?」

「あ、日本語話せますよ」

 流暢に話し始めた目の前の不審者にギョッとして後ずさった。心臓が何度か大きく波打ちながら、顔に血流が巡って堪らず声を張り上げた。

「どうしてそれを早く教えてくれなかったんだ!」

「それはアナタも。どうして最初から日本語で話さなかったんです? 私はてっきり英語しか話せないのかと。こうみえて、世界中の言語を話せるんです。見た目で判断しちゃいけませんよ」

 彼はチッチッチッと人差し指をメトロノームのように振ってみせながら、いたずらに成功した無邪気な子どものような笑顔をみせると、次に質問を投げかけた。

「ところでここは何処なんですか?」

 井之頭は後ずさったまま、堪らず顔をしかめた。

「というと?」

 目の前の男は眉をひそめて腕を組む。

「いや、トナカイ達に置いてかれましてね。ソリに乗って走行していたのですが、急に地面に降り立って止まったものですから、どうしたのだろうとソリから降りた直後に何処かへ走り去っちゃったんです。それで今この場所にいるわけで」

「……その、ソリとかいう乗り物は、探したのか?」

「いえ、そもそもここから一歩も動いてません」

「じゃあ探せばいいだろ」

「私、方向音痴なんです。ちょっとでも歩けば何となく場所の目星はつくだろうとは思ったものの、少しでも曲がりくねった道を進めば、私はもう何も分からなくなっちゃうんですよ。この場所ですら戻って来れなくなる。もしソリが私を連れ戻しに帰ってきたとして、私は元の場所に戻れず、クリスマスの始まりまでこの住宅街の迷宮を彷徨っていたら……あぁ大変だ! まだプレゼントも配り終えていないのに!」

 身振り手振りで伝えながら、先程までの態度はどこへいったのかベラベラとまくしたてるように語りだし、最終的には頬を抑えては慌てふためいている。井之頭は唖然となって目を何度かしばたかせると、抱えていた品々を軽く持ち上げて体勢を整えた。

 今一、この男の挙動が読めない。こんなこと、信じたくも聞きたくもないが……と心の中で呟きながら、しばらく彼の様子を伺うことに決めた。

「方向音痴といったって、お前が操縦……しているんだろう?」

「いえ、行先は全部トナカイ達に任せてます」

 ああ……これが、彼こそが子どもに夢を与える、あの、偉人なのだろうか? 拍子抜けすると同時に、目の前の男がもし本物のサンタクロースとするならば、夜の0時過ぎに赤い服を身にまとってウロウロしている本当の不審者は俺ではないか! そんな考えがよぎって何だか心身共にゲッソリした。しかしそうなってしまうのは、この男の言っていることが現実からあまりに逸脱しすぎていることも含まれる。ソリだのトナカイだの走り去っただとか降り立っただとか、例え本物のサンタクロースがフィンランドからやってきたとて、搭乗するのは飛行機だろうし企業が企画するような催し事でやっと会える存在だろうに。それでも、このサンタクロースはまるで御伽話おとぎばなしの設定にあるようなことを先程から堂々と語っている。目の前の男は、こんな落ちぶれた大人相手でも夢を壊さまいと絵空事を語っているのか? 随分と子どものように思われたものだ、馬鹿馬鹿しい。

 聞きたいこと突っかかりたいこと、両方共に山ほどあったが、ふと一車線に続く住宅街の道へ視線を向けたとき、こちらに対して不信げに首を傾げた地域の防犯ボランティアの姿を目にしてしまった。開きかけた口を閉じて、目の前のサンタクロースに顔を向ければ、また何かベラベラと語り始めていた。雑談とかそこら辺の話である。もう一度、一車線の道へ顔を向けた。防犯ボランティアがこちらへ向かって歩き始めていた。今にも迫りくる危機に、毛むくじゃらの男は何も気付かず平然とした態度でずっと雑談に花を咲かせていた。

 折れたのは井之頭の方だった。苛立ったように片手で頭を掻きむしり、抱えている品々を軽く持ち上げ背筋を伸ばすとサンタの言葉を遮って言った。

「話は中で聞く。とりあえず俺の部屋に来い」

 半ば強引に体を押して、井之頭は目の前に建つアパートへと彼を連れ込んだ。

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