第22話

 意識がぼんやりしている。何かが見えている気がするが何を見ているのかわからない。


「なんとまあ、複雑怪奇な。お主はどんな人生を歩んできたのじゃ?」


 アルウェンドラだ、とセイルは気が付く。彼女の姿を認識してからだんだんと意識がはっきりしてくる。


「……ここは?」

「夢を通してお主の魂を見ておる。ほれ、あの光っておる丸い物かお主の魂じゃ」


 確かに見える。淡い緑色に輝く丸い物体が浮かんでいる。


「あの、長い毛みたいなものは?」

「『えにし』じゃ」

「縁?」

「うむ。魂と魂の繋がりのような物じゃな」


 セイルの魂から糸が生えている。しかもかなりたくさんだ。


「かなり、もじゃもじゃに見えるが」

「ああ、異常な数じゃ。普通は2、3本。多くて5本ぐらいじゃ」

「……100本はあるな」

「100? 阿呆をぬかせ。1000は超えとる」


 異常だ。確かにアルウェンドラの話を聞いた後だと異常としか思えない。


「この縁は何と繋がってかいるんだ?」

「精霊や聖獣じゃな。心当たりは?」

「……あー、あるな。あり過ぎるぐらいに」


 心当たりがあり過ぎる。セイルは今まで掃除したり修繕してきた祠のことを思い出す。


「しかし、本当によく無事じゃったな。普通ならとっくに死んでおるぞ」


 アルウェンドラは呆れている。しかし、セイルには命を失うような心当たりはない。


「よく見ろ。魂から縁を通じて力が流れ出しておるのが見えるはずじゃ」


 確かに見える。魂から外に光が流れ出ている。


「これはお主の魂から縁のある精霊などに力を与えておるのじゃ。本当によくこれで生きておれたわ」

「つまり、俺は精霊たちに力を吸い取られているってことか?」

「そうじゃ。お主、一体なにをした?」

「何って、祠の掃除をして、壊れたところを直して、祈って。神官がいないときは聖句を唱えたこともあるな」

「あー、それじゃな」

「それ?」

「聖句じゃ。聖句を捧げると言うことは力を分け与えるということじゃ」

「……もしかして、俺の勇者の力が弱くなっていたのも」

「おそらくそのせいじゃ」


 何ということだろう。つまりセイルは勇者としての寿命を自分で短くしていたことになる。

 

 まあしかし後の祭だ。もう失ってしまったのだからどうしようもない。


「ん? 待てよ。じゃあどうして俺は生きているんだ?」


 精霊や聖獣に力を与えていた。それは今も続いているようだ。


 しかしまだセイルは生きている。勇者の力を失い魔力まで無くしてしまったのにだ。それに力を吸い取られているわりに体調はすこぶる良い。


「それはこれのおかげじゃな」


 そう言うとアルウェンドラは一本の縁を指差す。その縁はセイルの魂からまっすぐ天に伸びおり、その終わりがまったく見えないほど長い。


「この縁はおそらく神の世界に繋がっておる。そこからお主に力が流れ込んでおるのじゃ。そのおかげで力を吸い取られても平気でいられると言うわけじゃな。で、心当たりは?」

「……ある、な」


 ある。神の世界に知り合いがいる。神祖という知り合いが。


「神の世界から流れてくる力がお主を通して精霊や聖獣に供給されている状態じゃ。しかし、神と言うのは加減を知らんな」

「どういうことだ?」

「神の世界からお主に流れ込んでくる力が多すぎるんじゃ。例えるなら増水した川の濁流を腹の中にすべて流し込んでいるようなもんじゃな。普通ならとっくに木端微塵に爆散して魂ごと消滅しておる」


 神祖と言う神は何を考えているのかさっぱりわからない。というかそもそも神の考えを人間が理解できるわけがない。

 

「面白そうだと思って覗いては見たが、これは下手に手を出せんな。で、この力をお主に送り込んでいるのは何者じゃ?」

「神祖、と名乗っていた」

「……存在しておったのだな、本当に」


 どうやらアルウェンドラは神祖を知っているようだ。


「古代遺跡からの出土品に一応の記載があるが、ほとんどが謎に包まれておる。どんな神なのか、何を司るのか、そもそも存在しているのかさえ定かではなかった。しかし、お主は神祖に会ったのだな?」

「ああ、神の世界に連れていかれて、そこで」

「神の世界に行ったのか?」

「行った、というかなんとうか。こっちでバラバラにされてあっちで組み立てられて、こっちに帰ってきたら子供になっていた」

「生命の再構成か。そんなことができるのは神くらいじゃのう」


 うーん、とアルウェンドラは考えこむ。セイルは彼女が考えこんでいる間自分の魂をじっくりと観察していた。


 自分の魂。初めて見る己の根源。たくさんの糸が生えた不思議な光の球体。


 その魂につながる縁の中に一本だけ気になる物があった。その一本だけ力の流れが止まっていたのだ。


「アルウェンドラ、これはどこに繋がってるんだ?」

「ん? それは風の神じゃな」

「風の神!」

「それほど驚くことかのう?」


 風の神。それはセイルを勇者として認め加護を与えてくれたセイルの守護神だ。


「まさかまだ繋がっていたなんて」

「そう言えばお主、勇者の力がどうとか言っておったな」

「ああ、俺は勇者だったんだ。だが、勇者の力は全部神祖に渡してしまった。それで風の神の加護もなくなってしまったと思っていたが」

「なくなったわけではない。止まっているだけじゃ」

「これを、もう一度動かすことはできるのか?」

「簡単じゃ。ほれ」


 アルウェンドラはセイルの魂から生える縁の一本を指でなぞる。すると流れの止まっていた縁の中に光が流れ始めた。


「はあああん!」


 どこかから変な声が聞こえて来た。


「何じゃ今のは? お主か?」

「いや、違う」

「うーん、まあ夢の中じゃからな。変な声も聞こえてくるじゃろう」

「そう言うものか?」

「気にするな。一応警戒はしておくが、それよりもお主のほうじゃ」


 声の出所を調べるのは一旦保留し、アルウェンドラはセイルの魂をさらに観察する


「うむ、風の神の縁は正常じゃな」

「正常?」

「力の流れが行き来しておる。普通はこうじゃ。一方的に力を吸い取る関係が公平だと思うか?」


 確かにそうだ。今のセイルは精霊や聖獣に一方的に力を奪われている状態だ。


「本来は力を与え、そして与えられる関係が普通じゃ。人が祈りと言う形で力を捧げ、神やそれに近い者たちが祈りを捧げた者に加護を与える。それが正常な状態じゃ」


 となるとやはりセイルの今の状態は明らかに異常だ。どうしてこんな状態になってしまったのか。


「お主、聖句を唱えたといったな。なんの聖句じゃ?」

「祈りの聖句と、浄化の聖句と、あとは風の神の眷属の場合は風の神の聖句を」

「契約の聖句は?」

「契約?」

「その様子じゃと知らんようじゃのう」


 アルウェンドラは呆れた様子でため息をつく。


「さっきも言ったように人は祈りと言う形で神や精霊たちに力を捧げる。それを強力にしたものが聖句じゃ。単に祈るよりも神や精霊たちとの繋がりが強くなり、彼らからの加護を受けやすくなる。半面、繋がりが強くなりすぎてお主のように力を吸われて命を落とす場合もある。それを防ぐために契約の聖句が存在するんじゃ」

「そう、なのか」

「まったく。お主に聖句を教えた奴はとんだ阿呆じゃな。一番大事な物を教えておらんとは」


 アルウェンドラは呆れを通り越して少し怒っているようだった。顔をしかめてじーっとセイルの魂を観察していた。


「それでその契約の聖句というのは」

「名の通りじゃ。相手とどのような契約を結ぶのかを決めるための物じゃ。神や精霊との話し合いに用いる聖句じゃな」


 つまり人間同士と同じだ。金銭や物品のやり取りをする際に交渉をするように、神や精霊と交渉すると言うことだろう。


「精霊や聖獣、神というものを善性の存在と勘違いしておる者が多いが、実際は違う。ちゃんと契約を結ばぬと今のお主のように一方的に力だけ吸い取れれるだけじゃ。ちゃんと交渉して契約を交わしておかねば相手のいいようにされる」


 人間同士でも同じだ。相手を無条件に信じるなど愚かなことだ。とわかってはいるのだが、お人好しのセイルはよく人間に騙される。そして今は精霊や聖獣たちのいいカモになっていたというわけである。


「ま、まあ、死んでないし、いいんじゃないか?」

「奇跡じゃ奇跡。運が良かっただけじゃ。阿呆め」

「う、運も実力のうちだ」


 と虚勢を張ってみたところで自分がしくじっていたことに変わりはない。セイルは自分の迂闊な行動を反省し、今後は気を付けることを魂に誓った。


 その誓いをちゃんと守れるかは、わからないけれども。


「それで、今から契約を結ぶことは」

「できる。できるが、やめておいた方がいい」

「どうして?」

「お主、神になりたいか?」


 セイルは困惑する。アルウェンドラの言葉の意味がわからない。


「神の世界から流れてくる力。それをこの世界の精霊たちに供給している。契約を結ぶとしたら力を与えている見返りに精霊たちの加護を、ということになるじゃろう」

「ああ、そうなるな」

「で、お主は誰と契約を結ぶんじゃ?」

「誰、というと……」


 セイルは改めて自分の魂を見つめる。無数の縁が繋がった毛玉のような自分の魂を。


「精霊や聖獣には強い嫉妬心を持つ者も存在する。さて、お主は誰と契約するんじゃ?」


 言葉の意味を理解した。理解したセイルは困り果てた。


 要するに選べないのだ。もし特定の誰かを選べば選ばれなかった者たちが抗議してくるだろう。下手をしたら争いになるかもしれない。そうなるとすべての者たちと契約を交わさなくてはならなくなるのだが。


「もしすべての者たちと契約を結んだとすると、お主は生きたまま神のような存在になる。で、なりたいのか? 神に」


 なりたいかなりたくないかと言われるとなりたくない。なりたいとも思わない。少しでも力を取り戻して仲間の足手まといにならないように、とは考えていたが神になりたいわけではない。


「お主は今の状態で十分安定いている。この均衡を無理に崩せばどうなるかわからん」

「……ならば私がやりましょう」


 突然どこからか声が聞こえて来る。優しい女性のような声だが、どこか超然としていて人間離れした声だ。。


「……風の神か」


 セイルとアルウェンドラは声のした方を見る。そこにはセイルの魂よりも大きな光の塊があった。


「シルフィール様、なのですか?」


 風の神シルフィール。セイルに加護を与えた六大神の一柱だ。


「お初にお目にかかります、風の神シルフィール様」

「そうですね。以前は声だけでしたから」


 勇者に選ばれたときセイルはシルフィールの声を聞いた。しかし、あの時は声だけだったが今はその姿を目にしている。


「久しいですね、アルウェンドラ」

「500年ぶりですかな。お元気そうで」


 どうやらアルウェンドラはシルフィールと知り合いのようだった。さすが魔王を倒した魔法使いと言ったところだろう。


「それで、どうにかするとは?」

「言葉通りです。私がこの縁をまとめ上げます」

「ほう。つまりはセイルの魂の管理者になると?」

「はい。その通りです」


 セイルは突然のことにぽかんとしていた。と言うか本人の同意なしになんだかどんどん話が進んでいるようだった。


「神が人間の魂を管理する。あなた様は人間の下につくと?」

「そう言うことになるでしょう」

「なるでしょう、って。あの、どういうことでしょうか……」


 理解が追い付かない。けれど何かとんでもないことを言っているような気がする。


「これはお主の魂じゃ。つまり持ち主はお前さんじゃ。その管理をシルフィール様に一任するということじゃな。持ち主であるお主の了解を得て」

「それはつまり、シルフィール様と契約すると言うことか?」

「そうじゃな」

「でも、それなら今までと同じで」

「主従が逆転する。主であるお主の命令に従い神であるシルフィール様がお主の魂を管理するという関係になる」


 なんだろう。本当に、なんだろう。


「セイル、ぜひやらせてください。あなたが唯一、神祖様に繋がる鍵なのです」


 シルフィールがセイルに近づいてくる。強い光を放ち言葉ではなく態度でも何かを伝えようとしている。


「神祖様は我々六大神が生まれた時にはすでに御隠れになられていました。私はその力の残滓を感じることはありましたが、これほどはっきりと感じることは今までなかった」


 シルフィールの放つ光が一層強くなる。


「ああ、神祖様。神祖様のこの力。あの時感じた時から私はずっと、ずっとこの力に浸りたいと、浴びたいと、包まれたいと思っておりました。ああ、本当に清らかで透き通っていてなんて素晴らしい。この力に触れることができただけでも喜ばしいのに、この力を管理できるなんて、なんて、ああ、なんて」


 なんだろう。なんとなくイメージと違う。セイルが抱いていた風の神のイメージと。


「ああ、神祖様の力が、力が、愛が、愛が流れ込んでくる!」


 セイルは激しく明滅するシルフィールを眺めながら、なんとなく似たような人間が側にいるような気がしていた。おそらくリフィと言う名前の少女がこの神さまとそっくりなような気がした。


「神祖様、神祖様、神祖様」

「……大丈夫なのか? これ」

「いつものことじゃ。風の神は変態で有名じゃからのう」


 知らなかった。と言うかそれはどこで有名なのだろうか。


「まあ、本人が良いというのだから任せてみればよいのではないかの」

「もっと、もっと、もっと。ああ、神祖様」


 本当に大丈夫なのだろうか、とセイルはものすごく不安だったが、どうも契約すると言わなければ納まりが付かないようでもあった。というか断れば何をされるかわからない怖さを風の神シルフィールから感じていた。


「わかり、ました。お任せします」

「良い判断です、セイル。それで良いのです。賢い判断をしましたね」


 シルフィールはとても満足そうだった。表情はまったくわからないがご満悦で上機嫌だった。


「神である私に任せて、あなたは目を覚ますのです。仲間が呼んでいますよ」


 声。声が聞こえてくる。リフィとエリッセルが呼ぶ声だ。


「ふふ、ふふふ。なんと心地いいのでしょう。ああ、このまま溺れてしまいたい」


 何かおかしな声も聞こえたような気がするが、そんな物は無視してセイルは目を覚まそうとするのだった。

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