第15話

 ティティアは一通り自分の武勇伝を語り終えると改めてセイルの顔をじっと見つめる。


「やっぱり似てんだよな、あのクソザコビビり勇者に」


 クソザコビビり勇者。それはセイルのことだ。


「息子だと思う人間の前で父親を馬鹿にするのはどうかと思うぞ」

「なんだ? やっぱあいつの子供か?」

「違う」

「じゃあ、お前があいつか?」


 鋭い。ティティアの野生の勘だろう。


「まあ、どうでもいいか。」


 そう言うとなぜかティティアは寂しげな顔を見せる。


「どうした?」

「いや、お前ぐらいのガキを見てると弟を思い出してな」


 弟。そう言ったティティアは辛そうで悲しそうだった。その様子からセイルは彼女の弟の状況をなんとなく察し、何も聞かず黙ってティティアの言葉を待った。


「……あたしの産まれた村は昔、ドラゴンに襲われてな。その時に弟は死んだんだ。7歳だった」


 ティティアは静かに幼い頃のことを語り始める。


「そんときのあたしは10歳だった。何にも知らないアホガキで、楽しい時間や平和がずっと続くと思ってた」


 セイルは口を挟まず真剣な表情でティティアの話を聞いている。


「あたしの村の近くにドラゴンが現れた。そのドラゴンは他の村も襲っていて、次はあたしたちの村だろうって話だった。そんな時だ。勇者が来たんだ。仲間を連れてな」


 勇者率いるドラゴン討伐部隊。ティティアは何かを思い出したのか怒りの表情を浮かべる。


「予想通りあたしの村は襲われた。そん時、あたしを助けてくれたのは勇者の仲間の冒険者だった。勇者はドラゴンにビビってさっさと逃げたけどな」

「……情けない」


 本当に情けない話だ。勇者としてあってはならない行いだ。神に選ばれた勇気ある者、それが勇者のはずだ。


 ただ、そんな勇者ばかりではないこともセイルは知っている。


 自分はどうだっただろうか、とセイルは思う。勇者に選ばれた自分は本当に勇者にふさわしい人間だったのか、と。


「勇者が逃げちまって、勇者パーティーは総崩れ。でもな、戦ったんだよ、戦ってくれたんだ。だからあたしは生きてる。名前も知らない冒険者のおかげで」


 ドラゴンは強大な存在だ。それを打倒すには本当の意味で命を失う覚悟がいる。その覚悟を持つ者が勇者のはずだ。


「その冒険者はドラゴンの首を叩き斬って、死んだ。食い殺された。叩き斬ったドラゴンの首が動いて、あたしを助けてくれた冒険者を食い殺したんだ」


 ティティアは少し間を置く。今でも思い出すだけで辛いのだろう。


「そん時、あたしと弟は竜の血を浴びたんだ」

「そうか、竜の毒で」

「よく知ってんな。そうだ、弟は竜毒症で死んだ。あたしは、生き残った」


 ドラゴンの血には毒がある。その毒は適切な量ならば万能薬の素材にもなるが、本来は人体には猛毒だ。血を浴びたとなると普通なら生きてはいないだろう。


 その毒に耐えられた人間は人間ではなくなる。人を超えた力を得る。

 

 それが『竜人』だ。竜の力を得た、人の姿をしたドラゴンだ。


 その力を得た者にはある特徴がある。髪は白く、肌は褐色になり、瞳は黄金色に変わる。そう、ティティアの姿がまさに竜の毒に冒されそこから生還した者の、竜人と呼ばれる者の姿だ。


「あたしは何カ月も生死の境をさまよって、目を覚ました。そしたらな、クソみてえなことになってたんだよ」


 怒り。いや、憎悪だ。ティティアの全身から憎しみが溢れている。


「ドラゴンを倒してあたしを助けてくれたのはあの冒険者だ。なのにどうだ、目が覚めたらドラゴンを倒したのは勇者ってことになってやがった。あの情けない声を上げてしょんべん漏らして逃げ出したクソゴミが手柄を横取りしやがったんだ。そん時からあたしは勇者が大嫌いなんだ」


 悔しそうだった。ティティアは本当に悔しそうにテーブルの上に置いた手を握りしめていた。


「あたしは違うと言った。あいつじゃないって否定した。でも、誰も信じちゃくれなかった」

「勇者が逃げ出したとなれば、神の威信が損なわれるからな」

「ああ、そうだ。だからあたしは神殿も大嫌いだ。何が神だ。何が勇者だ。そんなもんクソ食らえだ、チクショウ」


 勇者は神に選ばれた者だ。神に選ばれた勇気ある者だ。そんな勇者が敵を前にして逃げ出して、しかも守るべき人々を見捨てて自分だけ助かろうとした。そんな事実が広まれば勇者だけでなく神殿の威厳も失われてしまう。それを恐れた神殿側の人間が事実を捻じ曲げたのだろう。


 確かにクソだ。しかし、だ。


「……俺も、クソだな」


 しかし、と思ってしまう。しかしと思ってしまう大人の自分が嫌になる。


 ただ、神殿があるから神がいるからこの世界が成り立っているのは事実だ。神がいる、神が守ってくれている、そう思えるから人々は心安らかに日常を送ることができるのだ。


 この世界の人間すべてが強いわけではない。大半は弱い人々ばかりだ。何かに寄りかかり、何かを信じていなければ生きていけない、そんな普通の人間たちばかりなのだ。


 セイルはそれを知っている。だから神殿がクソだと思っても、すべてを否定できないでいる。


「なんで俺は、勇者だったんだろうな」

 

 セイルは小声でつぶやく。こんな自分がどうして勇者に選ばれたのか、と考えてしまう。


「まあ、その逃げたクソ勇者は見つけ出してボコボコにして二度と勇者なんてやれないようにしてやったがな」


 そう言ってティティアは笑った。けれど笑っているのにまったく嬉しそうではなかった。


「……ったく、なんでこんなガキに話してんだろうな、あたしは」


 ティティアはテーブルに頬杖をついてため息をつく。


「お前が、あいつに似てるからかもな。あのクソビビりに」


 クソビビり。まあ、確かにそうかもしれない、とセイルは思う。確かにティティアと比べたら雑魚だし臆病だし頼りないかもしれないが、そう何度も言われるとさすがのセイルも少し傷つく。


「あたしはさ、そいつに会いたくてここに来たんだ」


 そう言うとティティアはなぜだかほほ笑む。少しだけ表情が緩む。


「変な奴でな、勇者のくせに、あたしの知ってる勇者じゃなかったんだ」


 ティティアは目を閉じる。何かを思い出しているのかもしれない。


 セイルも思い出す。最初にティティアに出会った頃のことを思い出す。


 あれはセイルが18歳の時だ。村を飛び出して冒険者として旅をしていた時、小型ドラゴンの群れを倒す依頼を受けたその中にティティアがいた。


「あいつと初めて会ったのはあいつが勇者になる前だ。ちっさい雑魚ドラゴンを相手にビビっててな。足も手もブルブル震えてやんの。笑えるだろう?」


 そう言ってティティアは楽しそうに笑う。本当にその笑顔は楽しそうだった。


「でも、逃げなかった。ビビりながら必死に戦ってた。仲間を守るためとか、町の人が襲われないためとか、そんなこと言ってたな」


 セイルも思い出す。あの頃は本当に必死だった。とにかく強くなりたくて、でもなかなか思うように強くなれなくて。


 そんな弱いセイルにとってティティアは憧れの人の一人だった。何者をも寄せ付けない強さを持つ彼女が輝いて見えた。


「二度目に会ったときはそいつは勇者になってた。最初は、失望したよ。なんで勇者なんてゴミクソになっちまったんだって、悲しかった」


 確かに、とセイルは思い出す。最初に会ったときは少しは友好的だったのに、二度目に会った時はセイルが勇者になったと知ると態度が厳しくなった。


 ただそれはティティアが勇者嫌いだからだとセイルは考えていた。仕方ないとも思っていた。


「勇者になると人は変わる。自分の力に酔っぱらって、周りが見えなくなる奴ばっかりだ。でもな、あいつは違ったんだ。何にも変わってなかった」


 ティティアはセイルとの思い出を語る。そんな彼女にはいつもの厳しさも激しさも見当たらない。本当にやわらかで穏やかで心の底からリラックスしているようだった。


「勇者になっても人のため、誰かのため。勇者になったのに下級冒険者もやらないような下らない仕事も笑って引き受ける。あいつだけは、なんでかな。勇者なのに嫌いになれなかったんだ」


 セイルは少し驚きながらティティアを真っ直ぐ見つめている。まさかそんな風に思っていたのか、と彼女の心の内を知ってセイルは驚いていた。


「勇者がみんな、あいつみたいな奴なら、いいのにな」


 そう言ってティティアは笑顔を見せた。その笑顔を見たセイルは心が苦しくて仕方がなかった。


「おい、何泣いてんだよ。泣くような話したか?」


 胸が苦しかった。嬉しくて胸がいっぱいで苦しかった。


「……ありがとう、ティティア。俺は、勇者でよかった」


 S級冒険者。このこの大陸最強の一人。そんなティティアに認められたことで、自分のしてきたことが間違いではなかったのだと、少しは正しかったのだと、セイルはやっと自分を認めることができた。


 自分が勇者でよかったのかとセイルは悩んでいた。けれど、目の前に一人、自分を認めてくれる人がいる。


 それだけで十分だった。すべてが報われたような気がした。


「ありがとう、ありがとう。俺は、本当に、勇者でよかった」

「……やっぱりお前」


 涙があふれて止まらなかった。セイルは何度も何度も涙を拭うが次から次へと溢れてきてどうにもならなかった。


「俺は、俺なんかが勇者で本当に良いのかって、ずっと、ずっと悩んでたんだ」

「はあ? 悩む必要なんかねえだろ。お前は勇者じゃなくても、立派な奴だよ」


 ティティアはセイルの頭をなでる。子供の姿になって子供のように泣きじゃくるセイルの頭をその大きな手で優しくなでる。


「……泣き止んだら飯でも食いに行こうぜ」


 セイルはしばらく泣き続けていた。泣きながら笑っていた。


 

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