第八話 霧に消えた祈り


「野々村さん、お分かりですよね。私も、この幼稚園の責任者として、その重い過去に心を痛めています。いつも、人知れずブランコを訪ねては手を合わせています」


 幸子の声は震えていた。野々村は、その瞳から園の過去に重くのしかかる呪いのようなものを感じ取ることができた。


「この幼稚園には、まだ解けない呪縛が残っているのかもしれませんね」


 野々村は、幼稚園に伝わる悲しい歴史を聞き終わると、窓からブランコを見つめながらつぶやいた。その声は、遠く霧の中で迷子になった子どものように、ぼんやりとした恐れを含んでいた。


 安田が震える声で答えた。


「野々村先輩、こんなことが本当にあるんですか? どう対処すればいいんでしょう?」


 野々村は首を左右に振った。彼にもわからなかった。そして、深くため息をついた。彼は、思いついたように、ポケットから古びた写真を取り出した。それは、二十年前に殺人鬼に襲われたひよりの写真だった。その悲し気な姿が、今はもうこの世にはない無邪気な笑顔と重なり、涙を誘ってきた。


「その写真、私に貸していただけないでしょうか?」


 幸子は、涙を浮かべながら静かに言った。


「このまま何もなかったかのように過ぎ去るとは到底思えません。ひよりちゃんを忘れずにいたいです。できれば、その写真を大切に飾り、毎日彼女を思い出したいです」


 野々村たちは、もう一度、古井戸やうさぎ小屋、そしてブランコのある一帯に足を運んだ。そこは、子どもたちと先生が遊ぶ明るい庭からは見えにくい死角になっていた。ひよりがひとりで皆から離れた一瞬の隙に、殺人鬼から襲われたのも、その魔界となる盲点が原因だったのかもしれない。


 野々村は、刑事としての鋭い目でそう推測した。


 ブランコの前で立ち止まり手を合わせて、ひよりの悔しさと無念の想いに暫し黙祷を捧げた。野々村も、園長と同じ想いに駆られながら、ひとりの人間として、この後どのように慰霊すれば良いのか、答えを見つけられずにいた。


 ただ幸子に災厄が降りかかるのを畏れて、自分のスマホの連絡先を彼女に教えた。けれど、そんな想いをあざ笑うかのように……


 またもや深い霧が園を覆い隠し、ひよりの無念が静かに園を彷徨う。野々村は、園長と共にその霊を慰める方法を模索するも、答えは霧の中に消えていった。

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