4-10 それぞれの選択⑥

 炎の壁が一層高く燃え上がると、千里は伊織の元へ下がっていく。

 伊織は妹の手を取り、『愛の夢』の音叉を託した。


「これでヴァンダを介抱してやってくれ」

「お兄ちゃんはどうするの?」

「教授を捕らえる。これ以上、好き勝手やらせてたまるか」

「一人でなんて無茶よ。いくら共鳴士がいなくても、教授は魔音叉をいくつも持ってる。古代魔導レガシーオーダーだけでも凄い威力なのよ」

「大丈夫。お兄ちゃんに任せとけ!」


 自信満々立ち上がる伊織の隣に、千里も一緒に並び立つ。


「音叉もなしに一人で戦わせるなんてできない! ある意味お兄ちゃんはもう、私の弟なんだから!」

「そうかもしれないけど、そうじゃないよね!?」


 年上の妹となってしまった千里に、伊織は右手を突き出して否定する。


「それに僕は……一人で戦うわけじゃない」


 千里の背後から飛んできた音叉を、伊織は右手でキャッチした。直後、周囲に白霧が立ち込める。

 驚いた千里が後ろを振り返ると、音叉を投げ力尽きたロッティの傍で『幻想即興曲』を弾くショパンが、霧に包まれ消えていく。


 素人共鳴士でも視認されなければ問題ない――伊織は濃霧に紛れ、教授に近付いていく。


「これが『幻想即興曲』の楽曲の加護ムジカブレスですか。興味深いですね」


 蜃気楼が見せる幻影伊織に囲まれたヒップ教授は、慌てる素振りもなく、ブリヴェットを胸にあてがった。そのまま『悲劇的』の音叉を振りかぶると、自らの胸に打ち下ろす。

 落雷のような轟音が辺りに響き、教授の胸に深々とブリヴェットが突き刺さった。


「なっ、何を!?」


 突然の自決行為に、伊織は驚き立ち止まった。

 大量の血反吐を吐く教授は、どう見ても致命傷。それでもジャケットの中から、新たな音叉を取り出し詠唱を始める。


「……音を導き閉じこめられし魔導の音叉よ、御身が主の調べをしばし解き放て。来たれ魔導士ベルンハルト・ヒップの、名と身において――」

「ダメです、止めて下さい!」


 今際いまわの詠唱に誰もが固唾を飲んで見守る中、ティアだけは大声を張り上げている。


「『悲劇的』はただの火属性音叉じゃありません! 運命のハンマーこそ本来の使い途。最後まで唱えさせてはダメです、ヒップ教授はたった今――」


「演じよグスタフ・マーラー、交響曲第一番第四楽章シュトロメスト・ヴェクト。奏でよ、嵐のように全てを粉砕する『巨人』が如く!」


「自ら、魔導共鳴士になったんです‼」


 幼女の必死な訴えも、時すでに遅し。

 教授の身体は幻影マーラーを突き抜けぐんぐん背を伸ばし、身の丈五倍以上に膨れ上がった。しかも――。


「胸の傷が、塞がっている!?」


 胸に突き刺さっていたブリヴェットは、巨人化により教授の体内に取り込まれていった。致命傷に見えた傷口も、すっかり塞がってしまっている。

 十五メートル級の巨人を仰ぎ見て、伊織は一連の奇行の意味をようやく理解した。


 マーラー交響曲第六番『悲劇的』は、副題通り英雄の悲劇を主題テーマに掲げている。

 この曲で特に有名なのが、二度に渡って木製机にハンマーを叩きつける、オーケストラとは思えぬ打撃音。とどめの一撃が英雄に振り下ろされた瞬間を表現するため、演奏終盤に組み込まれている。


 今まさにヒップ教授は、『悲劇的』の音叉によるハンマーの一撃を食らい、胸にブリヴェットが埋め込まれ魔導共鳴士となった。

 間髪入れず魔導共鳴士として召喚魔導サモンスタイルを行使し、『巨人』の楽曲の加護ムジカブレスが発動。自らの肉体が巨人に再編成される事により、致命傷を瞬時に治したのだ。


 さすが召喚魔導サモンスタイルの創始者……マーラー交響曲への深い造詣と、長きに渡る音叉魔導研究がなければ、到底成し得る事ではない。


 大型巨人となったヒップ教授は足を上げ、大地を踏みつけた。それだけでグノイナの丘は、激しい地震に見舞われる。

 強い振動に足元を掬われ、伊織は転んでしまう。揺れが収まらなければ、立ち上がる事すらままならない。

 濃霧のおかげで見つかりはしないが、こちらも攻撃に転じる事ができない。


「形勢逆転、だな」


 ベルトに差した音叉を叩くと、巨人ヒップの足元に大岩が屹立した。

 巨人は片足を後ろに振り上げ、サッカーボールのように岩石を蹴っ飛ばした。


「あぶないっ!」


 濃霧に蹴りこまれた大岩は、伊織の横を凄い勢いで通り過ぎていく。

 すぐ傍を新幹線が走り抜けていったかのような衝撃に、冷や汗が止まらない。

 こんな攻撃を連発されたら、いつか岩石の餌食になってしまう。


「どうだい伊織くん。君の知る音楽家の知識を私に教えるなら、殺さないでやろう」

「……」

「もちろん君の左手も、『復活』の音叉で治してやる。全てを私に伝え終わったら、千里と一緒に君達の世界へ戻り、自分の夢を叶えるといい」

「……」

「竜害の事なら心配いらない。私が必ず全ての竜を駆逐すると約束しよう。君の知識さえ手に入れば、多くの共鳴士止まりの悲願――魔導士の夢を叶えてやれる。音叉魔導はこれまでにない発展を遂げ、来たるべき人竜戦争で我々が勝利する事は間違いない」

「……夢は」

「ん?」


 伊織は音叉を横に薙ぎ、取り巻く白霧を切り裂いた。

 照りつける太陽を一身に受け、巨人を見上げて言い放つ。


「夢は人に叶えてもらうもんじゃない! 苦しみもがいて、悩み嘆いて、自分の手で掴み獲るものだ!」

「勉学さえ励めばいい一般人なら、それもよかろう。だが音叉魔導の本質は音楽……芸術だ! 実力があっても芽が出ず、挫折する者は後を絶たない。手段を選んでる場合ではないのだ!」

「だとしても! 僕はピアニストになりたい、なってみせる! 夢は自分で掴み獲るもので、それを叶えてやるだなんて何様のつもりだ。そんなもの、夢を食い物にする詐欺師の常套句だ!」

「よかろう。君がそうしたいと言うなら止めはせん。叶わぬ夢に一生もがき苦しめばよい。私の……奴隷となってな!」


 巨人の咆哮が交渉の決裂を告げる。伊織は全力で駆け出した。

 地面から次々と岩が突き出てくる。目の前に突き出た岩壁を横に避けようとした瞬間、大地を揺るがす振動に足を取られ、あっけなく転んでしまった。


「ろくに走れもしないひよっ子が、どうやって私に勝とうと言うのかね!」


 特大の足裏が、転んだ伊織に影を落とす。

 早くも絶体絶命かと思われたが、巨人ヒップはバランスを崩し、ずしんと片膝を付いた。

 戻ってきたダボーグから飛び降りたティアが、長尺音叉で教授の膝裏を思いっきり叩きつけたのだ。


「お兄さん、乗って下さい!」


 返事をするまでもなく、超低空飛行で迫ってきたダボーグは、伊織を口に咥える。

 飛び去った瞬間、伊織のいた場所に尖った岩が何本も屹立していく。


 口から背中へ、伊織をひょいと放り投げると、ダボーグは巨人のパンチを華麗に避け股間のアーチを潜り抜ける。

 振り落とされないよう必死で掴まる伊織の背中に、地上のティアが飛び乗ってきた。


「ぐはっ!」

「ごっ、ごめんなさい、大丈夫ですか?」

「ティアじゃなかったらヤバかったかも……そっちこそ、もう身体は大丈夫なのか?」

「音叉もどきが掠めた程度で、いつまでも寝てはいられません。それよりパガニーニの召喚魔導サモンスタイルをお願いします。適材適所で挑まなければヒップ教授は倒せません!」

「同感だ!」


 ダボーグの背中で、伊織は召喚魔導サモンスタイルを行使する。『ラ・カンパネラ』が鳴り響くと、ティアは竜の背から飛び下り巨人の頭を叩いた。

 地上ではロッティが『革命』の炎弾で援護射撃している。その隙にダボーグはヴァンダと千里の元に向かい、二人を背中に退避させた。


「あの二人……よく戦ってはいるけど、雷の音叉共鳴レゾナンスと炎の古代魔導レガシーオーダーだけじゃ火力不足よ。もっと手数を増やすか、高威力な攻撃じゃないと……」


 ヴァンダの治療を続けながら、千里は地上の戦いを分析していた。

 それを聞いてたヴァンダは、横たわったまま突然叫ぶ。


「これはお姉ちゃん命令よ、やりなさい!」

「ガアアアアッ!」


 姉の叱咤に一声たけると、ダボーグは大きく息を吸い込んだ。

 少女と巨人が戦うグノイアの丘に、音楽もかき消さんばかりの雄叫びが響き渡る。


 しばらくすると雲ひとつなかった青空にひとつ、またひとつと、黒点が現れた。

 目を凝らした千里の頭上を、巨竜の腹が通り過ぎる。


「竜が……協力してくれるの!?」


 ビノワ川のほとりで救護されていた竜が、若き森長もりおさの呼びかけに応じたのだ。

 巨竜は巨人にブレスを放つと飛び去って、後続の竜もブレスを放ち交代していく。

 矢継ぎ早に放たれる手数と高威力は、千里が指摘した理想の攻撃。

 空の竜に反撃手段を持たない巨人ヒップは、地面に屹立させた岩に隠れ、攻撃を防ぐだけで精一杯だ。


「ありがとう……」


 横たわるヴァンダに、涙の千里が抱きついた。


「あと……ごめんなさい。私、竜を駆逐するなんて言っておいて……」

「いいのよ。私たちだって、長い間ヒトと関わらずにいたから。こうして文句を言ったり助け合ったり……関わっていかないと、お互いの事は分からないでしょ」

「うん……」

「千里、見て。援軍に来てくれた竜の中に、ヒトを乗せてる子がいるわ」


 千里が空の竜を見上げると、ブレス以外にも時折竜の背中から、古代魔導レガシーオーダーらしき光が見える。救護キャンプで知己ちきとなった共鳴士と竜が、ここでも協力しているようだ。

 巨人ヒップもそれに気が付くと、苛立ちの咆哮を上げた。


「貴様ら、魔導士になりたくないのか!? 私ではなく東洋の旅人エトランゼを捕まえろ! 奴らの知識があれば誰でも魔導士になれる! 私はヴァルソヴィア魔導学院筆頭教授、召喚魔導サモンスタイルの創始者ベルンハルト・ヒップ。それができる根拠と、研究結果を得ているのだ!」


 権威を盾に学生を丸めこもうとするヒップ。しかし――、


「町と学院をめちゃくちゃにしたヤツが、偉そうな口叩くな!」

「あんたが音叉を独占するから、俺達まで回ってこないんじゃないか!」

「私たちの夢を人質に、自分が復権したいだけなんじゃないの!?」


 学生達は強い反発を示す。

 夢に向かって真剣に頑張っていたからこそ、その学び舎をめちゃくちゃにしたヒップ教授を信じる者はいない。

 その声を聞き、千里は泣きながら笑顔を零した。


「共存不干渉の原則は、不変なんかじゃない。いける……これならいけるよお兄ちゃん! 私達の世界もこの世界も、変える事ができるかも!」

「いや、まだだ……」


 岩壁で全方位を固め、身を守るだけの巨人ヒップを見て、伊織は強烈な違和感を覚えていた。

 巨人化を続ける以上、教授は他の召喚魔導サモンスタイルが使えない。それなのになぜ、ブレスの恰好の的になる巨人であり続けるのか。

 岩壁なんか作るより、小さくなって逃げた方が得策に思えるのに……。


「伊織ぃ~!」


 ロッティとティアが、地上で大きく手を振っている。

 ダボーグは高度を下げると、二人はジャンプして竜の背中に飛び乗った。


「ねぇ伊織、何かおかしい。あの岩壁、ドーム状に巨人を取り囲んでる。そんな事したら、逃げ場がなくなるだけなのに……」

「そういう事か!」


 大声を出す伊織に、ロッティはライフル先端の『革命』を取り外し、それをポンと手渡した。


「いい作戦、閃いたんだね。頭脳労働担当!」

「ああ。頼むぞ、肉体労働担当大臣!」

「ちょっ! いつの間にあたし、大臣任命!?」


 いつもの掛け合いに笑顔を見せると、伊織はこの場にいる四人の共鳴士――ロッティ、ティア、ヴァンダ、千里を見回した。


「決着を付けよう。終結コーダは、ここにいる全員の合奏アンサンブルで!」

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