50話  私のすべては、あなたのもの

あんな姿は初めてだった。


悪魔、影。帝国を滅ぼそうとする予言の悪。この世を飲みつくし、片っ端から塗り替えていくと言われている恐怖の対象。


だけど、リエルはカイに全くそんな印象を受けなかった。彼は、悪魔というにはあまりにも……あまりにも、優しかったから。



『殺してる。生かしておく必要はないからね』



だから、カイにそういうことを言われた時には、ショックを受けるしかなかった。


同時に、彼が本物の悪魔なんだと実感することもできる瞬間だった。この一ヶ月近く、自分のためにずっと部屋に閉じこもってパワーエリクサーを作ってくれた、あのカイが。


今は帝国の錬金術師たちを雇って生産を行っているけど、カイがいなかったら商会は必ず潰れていただろう。自分はカイに、悪魔に……救われたのだ。



『ああ、なるべく君には被害が及ばないようにするから、安心していいよ』

『……俺たちのこと嫌悪したのなら、支援するという契約はナシにしてもいいよ。ごめんね、リエル』



本当に、調子が狂うなとリエルは嘆息をこぼす。


殺してるの次にかけられた言葉にはもう、優しさしかなかった。


ベッドの上で、リエルはずっとカイについて考え続ける。明日の夜になったら、カイはこの屋敷を出て行くと言っていた。


帰る場所があるのかと聞いたら、カイは苦笑しながら首を振るだけだった。自分は、なんでそんなことを聞いたんだろう。


悪魔なのに。この帝国を滅ぼして、すべてを片っ端から破壊するはずの悪魔なのに……なのに。



「…………………もう」



ここに帰ってきて欲しいだなんて。


あんなに無慈悲な姿を見てもなお、そう思ってしまうなんて。どうにかしてると思いつつも、リエルはため息をつくしかなかった。



「……優しいところ見せるのは、ただの仮面かもしれないし。悪魔だから、いつ殺されてもおかしくないし……」



リエルは商家の娘だ。疑い深く、幼い頃から色々なことを計算しながら生きてきた。


胸に渦巻くこの感情の塊りは、いつか自分の命を脅かすかもしれない。


だけど、だけど。



「……どうせ、カイに救われた命だから」



カイがいたからこそ、商会を立て直して借金を返済することができた。


カイがいたからこそ、教皇に復讐できるという希望が生まれた。


彼は命の恩人で、このまま彼から離れてしまったら……リエルは、自分自身を許せそうになかった。


彼女はベッドから立ち上がる。薄い寝間着のまま部屋を出て、彼のために用意した寝室に足を運んだ。


怖がるような反応を見せてしまって、ごめんなさい。これからもずっとサポートしていくから、よろしく。


色々な言葉が詰まって、リエルの心臓がどんどん激しく鳴り出す。ついに彼の寝室の前に立って、ドアをノックすると。



「は~~い」



呆れるほど呑気な声が聞こえてきて、リエルは思わず失笑をこぼしてしまった。


中に入ると、リエルを確認したカイが目を丸くして彼女を見つめる。



「えっ、リエル?どうしたの、こんな遅い時間に」

「あ………あの」

「うん?」

「………………その」



言葉はいっぱい準備したのに、上手く紡ぎだせない。


一瞬でも命の恩人を恐ろしいと思ってしまった罪悪感と、自分の薄着姿に対する恥ずかしさ。


それに、わけのわからない胸の鼓動が喉元の言葉を引き下げて、心の奥に閉じ込めようとする。どんどん、顔に熱が上がっていく。



「あ、そ、その!!カイ!!」

「あ……うん。どうしたの?」

「わ、私は……!私は!!」



言っちゃえ。言うのだ。ずっとあなたのことを支えていきたいと。今までの感謝も謝罪も全部含めて、言っちゃえ。


だけど、それよりも前にカイが苦笑しながら、言って来た。



「あ~~えっと、やっぱり引いた?十字軍たちが死ぬ姿を見て、やっぱり恐ろしくなったとか?」

「そ、それは違う!それは……!!」

「いやいや、隠さなくてもいいよ。めっちゃ気まずそうにしてるし。まあ、今までパワーエリクサーのマージンでもらったお金もけっこうあるし、そこまで金銭に困ってはいないから……いいよ、別に」

「っ……!?」

「俺たちのこと、怖いんでしょ?」



優しい口調だけど、あまりにも突き放された感じがしてリエルの胸が苦しくなる。


このままじゃ本当にすれ違ってしまう。カイやニア、クロエが去ってしまう。そんなの、そんなの……



「ダメ!!!!!」

「………………………………は、はい?」

「ダメ、ダメだよ!!絶対にダメ!な、なんでそんな話になるの!?確かに、確かに怖かったけど……でも、カイは私とこの商会に携わっているみんなを救ってくれたじゃない!」

「あ、ちょっ、リエル!?近っ!!」

「悪魔なのに、そんな優しいこと言わないでよ!!悪魔なら骨の髄まで搾り取って、徹底的に利用してよ!!悪魔なんでしょ?世界を滅ぼすんでしょ?私の意志なんか関係ないじゃん!」



いつの間にか、リエルはカイの肩を掴んだまま叫んでいた。カイは唖然としながらも、必死に否定する。



「いやいや、意志大事でしょ!!なんで言うことがすべて貢ぎマゾのあれなの!?リエル!?」

「わ、私は……!私はあなたに命を救われたじゃない!あなたじゃなかったら、私はきっと自殺するか教皇に火あぶりにされるかのどちらかだった!だから、私の命は―――私のすべては、もうあなたのものなの!」

「ちょっと待って!!そんなこと大声で言っちゃ……!!」

「なにがダメなのよ、本当のことなのに!!だから、突き放さないでよ!悪魔らしく、私を手玉に取って徹底的に利用してよ!!この場所に――この屋敷に、帰ってきてよ……」

「……え?それって、どういう……」

「帰る場所がないんでしょ?悪魔だから、みんなに嫌われるから帰る場所なんかないじゃない。だったら……私の屋敷に、私のところに帰ってきてよ。ここは、もうあなたの家だから!」



思わぬ言葉に、カイの目が見開かれる。やや勢い任せではあるものの、リエルの言葉はすべて本音だった。



「私は……カイが悪魔だろうがなんだろうが、ずっと付いて行くから」

「リエル……」

「言ったじゃん。私のすべて、あなたのものだって……だから、あなたが勝手に利用してよ。私の意志や願いなんか、どうでもいいから。私の復讐だって、もう気にしなくていいから。だから―――」

「……いや、教皇を殺すよ」



やや落ち着きを取り戻したリエルを見上げながら、カイは真剣な顔で言う。



「必ず殺すよ、必ず。そして、君にもちゃんと復讐する機会を与えるから」

「…………………」

「………えっ、と。とにかく、リエルは今まで通りに俺たちをサポートしていく……ってことでいいよね?」

「うん」



頑固たる意志を込めて、リエルは何度も頷く。



「ここが、この屋敷があなたの帰る場所なの。こ、こういうこと言うのはおこがましいかもしれないけど……私は、そうなれたらいいなと思ってる」

「……………あはっ」

「な、なに?なんでそう笑うの?」

「……俺にとって帰るところなんて、別に場所じゃなくてもいいんだ」



カイの前世の家は、家であって家じゃなかった。


その場所は、その広い家はただの地獄だった。家族の仮面をかぶって、自分をさげすむ者しかなかったから。


だから、彼は悟ったのである。自分が求める帰るべきところは場所じゃなくて、誰かの隣だということを。



「だけど、リエルがそこまで言ってくれるなら……いいよ。リエルがいるところを、俺たちの帰る場所にするね」

「…………うん」

「こんな夜遅くにありがとう。これからもよろしくね、リエル」

「……………よろしく、お願いしますぅ……」



小心者であるリエルは、その時になってようやく暴走状態から抜け出すことができた。


羞恥心が半端ないけど、目の前にカイの手がいる。それが見えるだけでも、別にいいかと彼女は思った。


……彼は特別な人で、自分はもう彼のものだから。


リエルが手を握りしめると、二人は笑顔のまま何度か手を振る。リエルの顔はもう真っ赤になっていて、カイは違和感を抱きながらも愉快に笑っていた。


しかし、次の瞬間。



「……………………………………………浮気者」

「現場は取り押さえたわ、二人とも」



ノックもなしにニアとクロエが部屋に入ってきて、時間が停止する。


カイはゆっくりと、今の状況を確かめる。目の前で殺伐とした顔をしている二人。握りしめているリエルの手。何故か耳まで赤くなっている顔。時は夜。



「……………………………いや、違う!!違う、違うから!!これは君たちが思っているようなそんなことじゃないから!!!」

「私、クロエに聞いた。男女が夜に、一つの部屋で一緒にいたら必ずああいうことになるって」

「クロエ?ニアに何を教え込んだの?ねぇ、クロエ!?」

「ええ~~私が悪いの?悪いのはどう見ても私たちを置いて新しい女の子をたぶらかしているカイの方じゃない」

「いや、たぶらかしてないから!!俺たちはごく業務的な話をしただけで……そ、そうだよな、リエル!?なにか言ってくれよ!」

「そうね。被害者の言うことも聞かなきゃ。リエル、どうなの?カイとなにを話してたの?

「……………わ、私は……」



そこで、リエルは両手で顔を覆いながら、蚊の鳴くような声で言う。



「私は、カイの物で……カイの、いつでも帰れる場所になると、言った……」

「………」

「………」

「………」



これは死ぬヤツだと直感したカイは、光の速度で窓を開けて飛び出そうとした。


しかし、彼を捕まえるクロエの動きがもっと早かった。彼女は一瞬でカイの首に両腕を回して、ぎらぎらと目を剥く。


訓練では決してたどり着けなかったカイのスピードを、初めて追いつくことができたのだ。


浮気された少女の恐ろしさを代弁するように、クロエは腰に力を入れる。首が絞められていくカイは凄絶に叫ぶしかなかった。



「くへぇえっ!?ちょっ、助けてくれ!本当に、俺はなにも言ってないんだ!!」

「……問答無用」

「きやああああっ!?!?」



ニアの両目が光る。それと同時に、真夜中に信じられないほどの轟音が広がった。


翌日の朝、3人は屋敷の部屋をぶっ壊した罪でリエルに土下座をしていたけど、彼女は何故か嬉しそうに笑うだけだった。

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