勇者ディンは2.5回殺せ

ナゲク

第一章 勇者の孫ディン編

第1話 隠蔽するか

「私は魔王を倒していない」


 それは勇者の称号を得た男が口にした死に際の言葉だった。


 まもなく命の火が消える。それを見届けるため悲しみをこらえベッドを囲んだ面々は、思いもしない言葉にただ唖然とし、場は静寂に包まれる。


「えっ? ど、どういう意味でしょうか?」


 どれだけ時間が経ったのか、孫であるディンが恐る恐る切り出したが、返事はない。医者が祖父の脈をはかり、首を横に振る。医者からの言葉なき死亡宣告。


 五十二年前、魔王を倒しこの世界を救った男が、今死んだ。


 悲しみと同時に湧き出てきそうな涙……ただそれを超えて頭に湧いてくる疑問。


(ん? じいちゃん、最後にとんでもないこと言ったよな?)


 ベッドを囲む面々は何も言わない。だが、おそらくこの場にいる人間の耳にきちんと届いてしまった。その証拠にディンと同じように全員涙を流さず、困惑した表情に変わっていた。


 くしくもその日、ディンの二十歳の誕生日だった。世界を魔族の闇から救った最も偉大な勇者は最後の言葉を残し、永眠した。


 この時、この言葉を皮切りに、国を時代を巻き込む問題が起きることを、勇者の孫であるディン・ロマンピーチはまだ知らない。





 死亡宣告、部屋の中は沈黙が続く。


 祖父の死を見届けるため、ここにいる人間は集まった。だから亡くなることは、想定内だが、祖父は最後に想定外の言葉を残して死んでしまった。


 悲しみと困惑が充満する妙な空気感だ。

 勇者の孫であるディンは何事もなかったかのように振る舞うべきか、迷っていた。

 勇者の口から出た埒外らちがいの言葉。


「私は魔王を倒していない」


 噛みしめるように隣にいたポールはその言葉を口にした。ディンは思わず舌打ちしそうになるのをこらえた。


(ここに部外者を招いたのは間違いだったか……?)


 だが、今後大きく勇者の栄光を世に喧伝けんでんし、勇者一族を象徴として世の人間にあがめられるためにも、この男の協力は必要不可欠だった。ポールは商業者ギルドを束ねるララの息子であり、本の出版にも携わっている男だ。


「勇者の自伝に興味はありませんか?」


 そんな世間話から、勇者に密着し、勇者の死後自伝を出版するという形までもっていったのはディンの独断だ。家族には誰も相談していない。だが、これは今後のロマンピーチ家のために必要なことだとディンは確信している。


 部屋にいる残りの三人をディンは一瞥する。フィアンセのミレイは最期の言葉に戸惑っていたようだが、永遠の眠りにつく勇者に対し両手を合わせたまま静かに祈りを捧げていた。母も同様に涙を浮かべて、祈りを捧げている。


 家族ぐるみで付き合いのある医者は何も聞こえなかったかのように振る舞っていた。自然とディンは最も厄介といえるポールに視線の照準が定まる。


「ディンさんも聞きましたよね? あの最後の言葉! あれは――」

「最後の言葉? あれはただの呆けでは?」

「いやいや! はっきりと耳にしました! この場にいる全員が! あの謎めいた言葉! これはもしかすると私はとんでもない現場に――」

「確定したことは何もありません。ここで聞いたことは一度なかったことにしませんか?」


 あまりに淡白な応答にポールは露骨に苛立ちを顔に出す。


「ディンさん! ちょっと待ってください。勇者の最後の言葉を聞くために私は密着した! 他でもないあなたが許可した! そのあなたがあろうことか聞いたことをなかったことにするんですか!」

「あなたは意味をはっきりとくみ取れましたか?」


 興奮の面持ちだったポールが固まる。


「あの言葉の続きに何か言いたいことがあったのかもしれない。うん、私はそう感じたな。断片的な言葉の意味だけで判断して、間違った情報を世に送るのがあなたの仕事か?」

「そうではないですが……」


 その目には明らかに不満の色が含まれる。


(このまま帰しては駄目だ。こいつは必ずここでの出来事を暴露する)


 そう判断したディンはさらに睨みを利かせる。


「根も葉もない噂は時に人を殺します。知ってますか? 人殺しでもないのに、あらぬ噂を流されて罪人とレッテルを張られ、延々と差別を受けた人間の話。最終的に仕事にもありつけず餓死したそうです。非常に心が痛む。あなたのお仲間がやったことだ」

「そ、それは……私がやったというわけではない」

「だが、今あなたは正に同じ道を辿ろうとしている。あろうことか勇者の死をいたむどころか、誰も知りえない貴重な情報に興奮し目の色を変える! 自分の手柄を見せびらかすため、憶測を世間にまき散らそうとしている!」

「それは誤解です。私は真実を追求するものとして……」

「だから現在時点での憶測情報は慎もうというのが私の見解です。今は偉大なる勇者の死に哀悼の意を捧げるべき時。違いますか?」


 ポールの目に迷いが見えた。もう一押しだ。ディンは傍に近づき、まくしたてる。


「もしこの場の憶測が世間に流れたら、どんな言い訳を述べようと私は許さない。同じようにローハイ教の方々も許さないでしょうね。あなたの言葉を侮辱と受け取り、あなたに被害が及ぼうともそれは神が決めたことだ」


 ローハイ教はダーリア国で最も信者の多い宗教であり、勇者一族を心酔している。

 魔族から国を救った勇者は彼らにとってメシアのような存在だ。

 ディンは含みのある笑みを浮かべ、ポールは身体全体を硬直させる。

 そして、ディンを凝視する。


 勇者一族は勇者であるエルマーを中心に皆、温和で実直な性格として有名だが、一人だけ例外がいる。それが目の前にいる人間、ディン・ロマンピーチ。


 家長となった現在、この男がどういう行動に出るかまるで想像がつかない。

 二の句がつけないポールの肩をディンは軽く叩いて、ささやいた。


「もちろん、そんなことにはならないとわかってはいますがね。年が離れているとはいえ、私たちの仲じゃないですか! 公式発表が出るまで口を閉じてもらう。それだけで今度も私たちは良好な関係を築けます」


 ディンはじっとポールの目を見つめる。有無を言わせない眼圧にポールは屈し首肯した。

 すぐにディンは医者の方に身体を向け、近づき、ささやく。


「私たちは家族ぐるみの長い付き合いだ。今後も良好な関係を築いていたいと私は考えています。今回の出来事ですが――」

「無論ですよ。私は何も聞いてません」


 医者は目を閉じ、迷いなく答えた。

 よし、これで口封じは完了。


「しかし、王宮にはどのみち憶測の情報を報告する必要がありますよね?」


 ポールの何気ない問いかけに耳が痛くなった。そうだ、問題はここからだ。

 思わぬ問題を抱え込ませられたとディンは嘆息したくなった。





 清めのため勇者の身体を洗う。

 聖遺物として残すため勇者の髪と爪の一部を切る。

 司祭の冥福。

 部外者のポールのみ追い出した後、流れるように決められた流れをこなす。


 最後の別れに浸るはずがディンは心の動揺で集中できなかった。



 一通り終えた後、自室で落ち着くため深々とソファに座る。

 ふと自室の窓から見えたのは、噂を聞きつけた村の人々だ。邸宅の近くでむせび泣きながらも祈りを捧げている人の数は数えきれないほどだった。


 おそらくこの国だけでなく、国境を越えて世界中に悲しみの涙が波紋のように広がるだろう。それだけ祖父は偉大なことをした男であり、まぎれもなく国……いや世界の象徴だ。


 気を改めて、ディンはすぐそばに立っていた侍女に目配せする。


「五十二年前の魔王討伐についての資料をあるだけ持ってきてほしい。当然、今日中にだ。家の雑用は他の人間に任せろ」

「かしこまりました」


 侍女は理由も一切聞かずに部屋を出ていく。少しの間自室で休んでいると、侍女が資料を持ってきて、すぐにディンはそれに目を通す。

 五十二年前、魔王ロキドスは祖父である勇者一行により討伐された。


 世界の選りすぐりの戦士と魔術師がそろった第一軍が全滅し、危機的状況と思われたが、第二軍の人員が見事にやってのけた。


 第二軍は十人。ダーリア王国と隣国トネリコ王国の合併団である。

 魔王の巣の手前で六人が陽動役となり、四人がひそかに魔王の巣へ侵入。

 電光石火のごとく魔王の元へ攻め入り、交戦。


 激しい戦闘の上、祖父エルマーの剣が魔王ロキドスの心臓を突き刺し、人類は勝利をおさめた。


 なお、この第二軍で陽動役となった六人は全員死亡。魔王との戦闘でトネリコ王国の戦士も死亡。生き残ったのは祖父と回復補助役のシーザ、トネリコ王国の魔術師ミレイヌの計三名だ。


 誰もが知る歴史の一般教養だ。資料を読んでも、この内容の詳細が書かれているだけだった。


「誰がどう考えてもじいちゃんが倒した」


 そのつぶやきと同時にドアが開く。立っていたのはミレイだった。ミレイはしばらく泣き伏せていたのか目が赤くなっていた。

 ディンの隣に黙って座り、含みのある視線を送る。祖父の死を哀悼せずに、ずっと資料と睨めっこしていたことへの視線。


 が、ディンは気に留めない。


「ミレイにも確認をしたいことがある」

「おじい様の最後の言葉?」

「念のためな。君の祖母の話でもある」


 ミレイは勇者一行の魔術師ミレイユの孫だ。隣国トネリコ王国の人間だが、魔王討伐以降、家族ぐるみで付き合いがあり、年の近いミレイとも昔から交流があった。


「確認って……エルマー様が倒したのは明らかよ。紛れなんてない」


 ミレイは当然のように言う。隣国であるトネリコ王国でも勇者物語は語り継がれており、それは誰もが知る歴史の常識だ。普通の感覚だと根も葉もない冗談のように聞こえるのだろう。色々な疑問を解決する最も単純な答えが自然と浮かぶ。


「じいちゃんってぼけてた?」

「ぼけてはなかったよ。最後までしっかりちゃんとしてた」

「ちっ」


 思わず舌打ちしてミレイに睨まれる。祖父を侮辱したわけではないが、ぼけていたという証言があれば処理しやすいのは間違いない。


「そんなことより……これ何?」


 ぱさりとテーブルの上にチラシが置かれる。


「勇者の軌跡。魔王を倒した装備や剣、勇者が進んだロードマップの地図や勇者の自画像などが見ることができる展示会……」


 ミレイはその内容を無機質に読み上げ、冷めた視線をディンに向ける。ディンは正面を見たまま平静を装う。


「それは一部で他にも盛りだくさんだ」

「そういうことじゃない!」


 ミレイは声を荒げ、テーブルを叩く。


「何勝手に勇者の名前で商売しようとしてるの!」

「それは誤解だ、ミレイ」

「誤解って何が?」

「聞け! もう勇者はいない。勇者の輪郭を伝えるのは俺たちの責務だ。尊敬する祖父が忘れられないよう、孫としてできることはやりたい。そんな清らかな思いがきっかけなんだ」


 ミレイはしばらくポカーンと口を開けた後、さらにチラシを置いていく。


「『孫から見た勇者の背中』……孫のディンが勇者エルマーと過ごした日々を回顧する。勇者の知られざる思いとは? さらに同日発売『僕が勇者から学んだ13の勇者魂』……孫のディンが勇者エルマーから学んだ人生におけるもっとも重要なこととは? 人生に悩むあなたへ贈る極上の一冊」


 ミレイの棒読み後、静寂に包まれる。視界の隅で今にも殴り掛かってきそうなミレイに気づき、ディンは高鳴る動悸を必死に抑えながら答える。


「俺は勇者エルマーから育てられ、もっともその影響を受けてきた男だ。勇者の魂を伝える責務がある! 外側ばかりでなく、内面をみんなに知ってもらいたい。そんな純粋な思いで自分の本を出版する決意をした」

「本の表紙で腕組んで決め顔してるのは?」

「人々に求められたことには可能な限り応じる。これも勇者魂の一つだ」


 ミレイはさらにチラシを淡々と置いていき、ディンは固まる。


「えーっと、なになに……勇者がよく使った回復薬ポーションの販売! 昔ながらの味を再現しただけでポーションの効果はありません。また、勇者が好んで食べた勝負飯を再現した食堂も出店予定。またまた、魔王を倒した剣の商品化予定。当然実物ではなく、似せたものを手のひらサイズで製作。こちらは限定の純金バージョンもあるんだぁ?」


 ディンは背中から悪寒を感じる。


「それは……あの……勇者を身近に感じてもらえるよう――」

「勇者魂を伝えるだぁ? 勇者の魂、換金してるじゃん!」


 ミレイの怒声は邸宅内にとどろく。終わりなき説教が始まる予感がしたが、ミレイは祖父の命日であることを思い出したのか、ため息をついて立ち上がる。


「とにかく……今はもっと大事なことに目を向けましょ?」


 そう忠告の言葉を残し、ミレイは足早に部屋を出て行く。一人になったところでソファの背もたれに身体を任せ、息を深く吐く。


「このタイミングでミレイにばれるとは……」


 もっとも遅かれ早かれミレイには告げる予定だったし、勇者事業を展開していくのは既定路線だ。そして、これの成功によって今後のロマンピーチ家が繁栄していくかがかかっているとディンは考えていた。絶対に失敗できないし、余計な風説が流れるのは避けたい。


 ディンは国王との公式面談での言葉を思い出す。


――孫であるそなたが勇者を最後までみとり、何か残した言葉があるなら、報告してほしい


 ありのままを報告することは後々面倒なことになる可能性がある。いつの世もポールのように面白おかしく言葉を捻じ曲げ、陰謀論などをまき散らす輩というのはいる。


「だが俺は勇者の孫だ。尊敬する祖父に恥じない生き方をしないとな」


 そう自分に強く言い聞かせて出した結論。


「よし! 隠蔽するか」


 すべてはロマンピーチ家のため。ディンは揺るぎない決意を固める。




 これはディン・ロマンピーチが殺される四日前の出来事だ。

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