16:狼の番



「そういえば、シーザー。どうかしたのか?」

「あぁ、そうだった。今日は俺とストローもここに泊まろうと思ってる。ストローが帰ろうとすると寂しそうな顔をするからな」


 シーザーの言葉に俺もストローの方を見てみると、番の二匹がピタリと身を寄せ合っているのが目に入った。


「……あぁ」


 なんて微笑ましいのだろうか。これは確かに引き離すのは可哀想だ。そうやって、仲睦まじい二匹を眺めていると、いつの間にか俺の隣にシーザーが立っていた。


「それで、だ。イアン」

「な、なんだよ」

「お前に一つ頼みがある」


 近い。俺がソロリとシーザーから距離を取ろうとした時、同時に俺の腕がガシリと掴まれた。いつになく真剣な声で名前を呼ばれ、とっさに顔を上げる。すると、親子ともども似たような笑みをその口元に浮かべながら、俺の事を見ていた。


「ストローの子供が産まれたら、お前が飼わないか?」

「え?」

「大会が終わったらくつしたもセルゲイ氏の所に返さないといけなくなる。そろそろ寂しくなってきたんだろう?」

「そんな事は……」


 無い、なんて言い切れる筈もなかった。

 なにせ、普段ならこうしてシーザーにくっ付いてこんな所まで来るなんて考えられない。なのに、仔狼が産まれたと聞いて堪らずついてきてしまった。


 俺はくつしたが俺の元から居なくなる未来に、寂しくて人恋しくなっていたのだ。


「でも、俺は……金も、そんなに無いし」

「イアン。うちは、金じゃなく人を見て狼を渡すようにしている。なにせ、俺はセルゲイ氏から狼を譲れと言われて断った男だからな」

「こと、わった?」

「あぁ、そうだ。あんなクソみたいな人間に、うちの仔らはやれん」


 シーザーの父親が得意気な様子で言ってのける。

 ただ、その一言によって「金じゃなくて人を見ている」という言葉の信ぴょう性が一気に増した。あのバカな金持ちに仔狼を売らなかったとなると、この人の信念は本物と見て間違いなさそうだ。


「ま、金の事は気にするな。これはうちにとっても得があるからこそ提案している事だ」

「得?」


 意味が分からず、思わず首を傾げる。タダで俺に仔狼を譲る事が、シーザー親子にとって一体何の得になるというのだろう。


「あぁ、そうさ。今年のシュテファニッツ大会でシーザーがストローを表彰台に上げるとするだろう?そして、その子供をイアン、君が来年表彰台に上げる。そうすれば、うちは親子二代連続で、Sランクの狼を輩出したって事で箔が付く」

「箔、ですか。でも、俺が表彰台に上げられる保証はどこにも……」


 なんと返事をしたらよいものか分からず曖昧に濁すと、シーザーと父親の両方から勢いよく肩を掴まれた。


「君は出場した狼を必ず表彰台に上げてきてるじゃないか!頼むよ、イアン!セルゲイ氏の要求を断ったせいで、色々商売がしにくくなってるんだ!」

「それは、その……たまたまで」

「イアン、お前にならストローの子供を任せても安心だ!それに、俺は知ってるんだぞ!お前が黒狼を飼ってみたいって思ってる事!大丈夫だ、ちゃんと黒毛をやるから!どうだ、良い話だろ!」

「……ぅ」


 どうしたものか。

 確かに、タダで希少種である黒狼の子供を譲って貰えるなんて滅多にない事だ。しかも、馴れ馴れしいところはあるが、シーザーの父親は良いブリーダーだ。それは、この家の細やかな設備や狼たちを見ていても分かる。それに、シーザー達にも考えあっての事のようだし、これは一方的な恩恵を与えられるのとはワケが違う。

 気を遣う必要は、ない。


「……えっと」


 だったら、良いんじゃないか。だって、あと二カ月もしないうちに、くつしたは居なくなる。あんなに賑やかで楽しかった毎日の後に訪れる、森の中での一人きりの静寂に、俺は耐えられるのか。

 ……きっと、無理だ。


「じゃ、じゃあ。あの、俺」


 そう、俺が肩を掴む二人に頷こうとした時だった。

 視界の端で、静かにこちらを見つめるストローと目が合った。ストローは番のメスと、ピタリと寄り添いあっている。

 そうだ。狼は一度番った相手を、死ぬまで変えない。一生、相手だけだ。


--------くつしたはイアンと交尾する。イアンがくつしたの子供を産む!


「……くつした」


 ふと、いつもの癖で俺は自分の右わきを見下ろしていた。

 もちろんそこにくつしたの姿はない。でも、いつもなら、俺を見上げながらニコニコと楽しそうな表情を見せてくれているのに見当たらない。そりゃあそうだ。だって俺が、家に置いてきたから。今、くつしたは一人だ。


「いや、やめとく」


 考えるよりも先に言葉が漏れていた。


「どうしてだ?まだ自分が死んだ時の事を考えているのか?そんな万が一の事を考えていたら、人生何も出来ないぞ?」

「……違う」

「じゃあ、どうした。イアン、俺はお前ほどの狼好きを自分以外に見た事がない!そんなヤツが自分の狼を持たないなんて、俺は信じられない」


 本当に信じられないとでも言うように大仰に言ってのけるシーザーに、俺は再び首を横に振った。


「くつしたが居る。今、あの子には俺しか居ないのに、俺が他の狼の事を考えていると知ったら傷つくだろう」

「……イアン」


 前世でもそうだった。

 ソードクエストで狼を使役出来ると知って、テンションが上がっちゃって。くつしたの散歩中なのに、バカみたいにスマホに夢中になっていた。隣で「フンフン」と寂し気に鳴くくつしたを、片手であやして。それでも、くつしたの方なんか見向きもしなかった。


 あの時、くつしたはどんな気持ちだったのだろう。そう、今でもたまに考えてしまう。


「くつしたに俺しか居ないうちは、俺にもくつしただけでいい」


 俺は器用ではないから。

 俺がぼんやりとそんな事を思っていると、俺の肩に乗せられていた二つの手に、突然グッと力が籠った。


「イアン、お前って本当に狼みたいな奴だな」

「え?」

「なぁ、親父もそう思わないか?」

「あぁ、俺もちょうどそう思っていたところだ」


 なんだなんだ。一体なんなんだ、この親子は。

 目の前でまじまじと俺の顔を見つめてくる、顔立ちの良い親子に、俺は一歩だけ後ろに下がった。俺は一体何を言われている。


「狼は必ず一匹しか番を持たないし、とても義理堅い。そういう所が狼そっくりだ」

「あぁ、そういう……」


 まぁ、狼みたいと言われて悪い気はしない。なにせ、前世は狼だと昔からずーっと思っていたくらいだからな。

 俺は、間違って人間に生まれてきたんだ、と。


「顔も、どことなく狼みたいで可愛い顔をしているしな。なぁ、親父」

「は?」

「そうだな。イアン、先ほど君は自分の容姿を卑下していたが、狼のようでとても可愛い顔立ちをしていると、俺も思うぞ」

「……」


 これは、褒められているのだろうか。けなされているのだろうか。

 顔の良い親子に詰め寄られながら、俺はなんと答えて良いものか分からないまま、ひとまず一言声を上げるだけで精一杯だった。


「か、帰る」


 狼に似てる顔って、どんな顔だよ。畜生。顔が熱い。

 でも、恥ずかしいけど……やっぱりちょっと嬉しかった。



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