友情宣言

 食堂は知らぬ間に静まり返っていた。


 おそらく何人もの同僚が聞き耳を立てていたに違いない。それだけ彼女の話には引き込まれるものがあった。


 なんて人生だ。その小さい背中に、それほどのものを背負いこんでいたとは。本業で不幸な女はいくらでも見てきたが、彼女たちは彼女たちで逞しかった。ホス狂いとして人生を謳歌しようと試みただけあり、俺の見てきた女たちは人生の旨味というやつもしっかり知っている。


 だが、真理ちゃんは違う。彼女は多少の愚かさはあったかもしれないが、かわいそうなほど不幸と不遇の上にその人生を築き上げている。真面目に働いていても不幸になる人間はいるが、その数は相対的に少ない。そういう意味では希少種なのだろう。それが誇れるかどうかは別問題だが。


 しかし色々な女を見てきたが、ここまで運命に翻弄されてきたコは初めてかもしれない。


「……あ、なんかごめんね。変な空気にしちゃって」


 真理ちゃんがハッとしたように言った。それで暗示が解けたかのように、周囲はまた騒がしくなる。まるで、何事もなかったかのように。


「すごい人生だね」


 梨乃ちゃんには衝撃が強すぎたか、何とリアクションすれば分からないといった風だった。


「大変だったんだね」


 俺は彼女の労をねぎらう。こういう時に必要なのは回りくどい賛辞じゃない。


「うん、本当に、大変だった」


 真理ちゃんはどこか遠くを見つめる。その目が見ているのは、今は亡き母親なのか。それとも去って行った元旦那なのか。


「……もしかしたら、引かれたかな?」


「いや、そんなことはないさ」


 シンママって聞いた時はいくらかガッカリしたけどな――とはわない。「どうしてこんなにかわいいコがこんなオッサンばかりの職場に」とは思ったが、今の話で納得がいった。


 落胆が全くないとは言わないが、「だまされているんじゃないか」という疑念は払拭された。そういう意味では良かったのかもしれない。


「真理ちゃん」


 ふいに梨乃ちゃんが真理ちゃんの手を取る。


「あたしはどんなことがあっても真理ちゃんの仲間だよ。だから、困った時は何でも言ってね」


「うん、ありがとう」


 梨乃ちゃんはすっかり同情しているのか、つけまつげとメイクで飾られた大きな瞳が潤んでいた。こうやって支え合える友だちがいるというのは真理ちゃんにとっても救いになるだろう。


「もちろん俺もだ。こう見えても人助けの仕事をしているからな。相談ぐらいには乗るさ」


「童夢さん……」


 真理ちゃんの目が潤んでいく。薄幸なだけに、本当に悲劇のヒロインのようだ。幸せにしてあげたいという気持ちが湧いてくる。派手な女ばかりを相手にしてきた分、もっと前からこんな女性と出会えていればなと思う。


 ふいに梨乃ちゃんが「でもさ」と口を開き、遠くに行った俺の意識を引き戻す。


「……ってことは、子供の画像とかもあったりする?」


「あるよ。見る?」


 真理ちゃんがスマホを開いて、子供の画像を見せる。カメラを見て、笑顔を見せる女児。生物的な遺伝子が優秀なせいか、やはり子供もモデルのようにかわいい。間違いなく将来は美女になると確信出来る。


「うわっ! めっちゃかわいい。これ、LINEでもらえる?」


 梨乃ちゃんがそう言うと、俺たちは急遽LINEアカウントを交換して、メッセージで写真を送信してもらった。棚ボタとは言え、真理ちゃんの連絡先が手に入った。梨乃ちゃん、ナイスアシスト。口には出さず、喜ぶサイドテールを心の中で褒める。


 しかし不思議だ。これだけの容姿を持っていて、性格もいい。そして娘もかわいいときているのに、どうして真理ちゃんは放っておかれているのか。


 たしかに「他人の娘」という考えをしてしまうとかわいく思えないかもしれないが、これだけかわいい容姿なら子供好きにとってはご褒美以外の何物でもないだろう。俺は子供好きではないけど。


 まあ、これといった理由もなく縁がないこともあるので、考え過ぎか。いつかこの子に会えたらいいなとは思うが、それは彼女の家に行くということを意味する。そんな日も来るんだろうか。


 真理ちゃんと目が合う。あざといとも言える表情で小首を傾げる。どうしたらいい。破壊力があり過ぎる。


 そんなことを言っていると、また大きめの声で現実へと引き戻される。


「あ、でも~童夢さんはあたし達二人で山分けってことで」


 梨乃ちゃんが甘えん坊の犬みたいに引っ付いてくる。周囲からバカップル認定されそうだが、嫌がるのもアレなので、そのまま犬をかわいがるようにヨシヨシと頭を撫でた。


 と、その時――


「んっ」


 正面に座る真理ちゃんの顔が、途轍もなく邪悪な表情になっていた。


 その目尻は吊り上がり、極端に面積の少なくなった黒目が梨乃ちゃんを睨んでいる。あの時見せた、極端な三白眼と同じ……。真理ちゃんがピッコロ大魔王になっている。


「あの……真理さん?」


 俺の声が届いて、真理ちゃんが一瞬でいたいけな美少女の顔に戻る。ビビりながら、俺が彼女に訊く。


「今、何か?」


「えっ? 別に、なんにもありませんけど」


 いや、これだけ一気に表情が変わったのに何もないわけないやろ。


 思わず脳内のツッコミが関西弁になる。まあいい。見なかったことにしておこう。


「そうか。それならいいんだ」


「童夢さん、あたしも頑張るからね。だから時々こうやってヨシヨシしてね♡」


 ウザがらみを続ける梨乃ちゃん。彼女もかわいい部類なので、悪い気はしない。元々ホストだったのもあり、40歳になってもこうやって男性としての価値を若い女性から認められるのは単純に嬉しい。


「じゃあ、みんなで頑張ろうな」


 そう言うと、タイミングを計ったかのように休憩終わりまであと5分を知らせる予鈴が鳴った。通り過ぎる人々が、時折こちらを盗み見する。試しに思い切り見つめ返してみたら目を逸らした。クソ、目立ち過ぎたか。少し反省しよう。


 しかし、時々真理ちゃんが見せるあの表情は一体何なんだ……。


 その疑問はだいぶ後になってから氷解するが、出来れば謎は謎のままでいてほしかったところだ。

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