第4章/玄き老将 第3話/墓泥棒と宝探し

   一


「へへへ、ここら辺ですね」

 てのひらで砂をもてあそんでいた墓泥棒の一人が、ファラシャトに向かって言った。

「ここの砂には大きいのが混じっていますぜ。この近くにもっと砂粒がでかい場所があるはずです」

 ファラシャト達には分からない、微妙な砂の大きさを認識しているのであろうか、墓泥棒達は簡単に位置を特定する。

「砂のかどがね、ここはまだかくっておりますんで、ええ。こうやって指の上で転がすと、肌触りがちぃっとばかり違うんでございますよ」


「肌触りが? 私にはどれも同じ砂の粒にしか感じられぬが……」

 墓泥棒の真似をして掌に砂粒を乗せてみるが、ファラシャトにその差が分かろうはずもない。

「どうも、向こうの窪地が怪しゅうございます。僅かに地表に水の匂いが漏れてきます」

 墓泥棒の言葉に、ファラシャト達は納得した。闇の中に眼をこらすと、僅かではあるが点在する雑草の帯が、ある直線上に分布しているのが見て取れるのだ。

「よし、降りてみよう!」

 物音を立てないように、ファラシャト達はばち状の窪地に降りていった。


 窪地の底で一掴みの砂を手に取ったファラシャトが、声を弾ませてつぶやいた。

「これは……私でも分かるぞ。確かに土が他の場所よりも湿っている!」

 彼女の言葉に、近衛隊士達の眼が輝いた。

その瞬間。別の声が闇に響いた。

「やはり、あらわれたなウルクルの者どもよッ!」

 声に驚いたファラシャト達が振り返ったとき、窪地の周囲は黒々とした人影に取り囲まれていた。



   二


 総勢三〇人は越えているだろうか。

 近衛隊士の間に動揺が走った。

 ファラシャトとヴィリヤーの頭に、同時に「間諜」という言葉と、アサドの顔が浮かんだ。

 きわめて隠密理に行われた今夜のこの作戦を、敵が予測している事などあり得ぬはずであった。

 ナザフ朝が残したカレーズ遺跡の発見は、ウルクルでもごく一部の者が知るのみである。

 当然、内部に間諜でも存在しない限り、ファラシャト達の行動を読めるはずがない。


「いったい誰が機密を漏らしたのだ……」

 絞り出すようなファラシャトの呟きに被さるように、老人ののんびりとした声が響いた。

「アル・シャルク北方方面軍を、甘く見てもらっては困りますのう」

 どこか間の抜けた場違いな声に、ファラシャト達の緊張感が逆に高まった。

「ウルクルの方々よ、中原に住まうお前様方は、アル・シャルクを東方の田舎者と侮っておられるようだが、我が軍は粗暴な無骨者ばかりではござらぬぞ。かつて中原から西方まで、知を求めて学業の旅を続けた者も多くおる。当然、ナザフ朝の遺構のことも既に知っておりましたわい」


 のんびりした声は、この待ち伏せは、当然の予測の上に実行されたのだという。

 ファラシャトは、あの緒戦の恐怖とはまた違った恐怖を、感じていた。

「まあ、土地勘がないのでどこに遺構があるかを特定できなんだゆえ、兵力を分散して網を張らねばならなかったのが、ちぃと骨でしたがの」

 雲が切れ月明かりがあたりを照ら出すと、ファラシャトの眼が粗末な長衣に身を包んだ老人の姿を捕らえた。

こののんびりした口調の老人が、アル・シャルク北方方面軍最高司令官、イクラース将軍その人であることを、神ならぬ身であるファラシャトが知る由もなかった。

 総大将の存在を隠蔽し、なおかつ前線の実情を把握する。

 老獪な将軍らしい、高等な戦略である。


 ファラシャト達の行動を予測して、罠を張ったのも彼自身であった。こうすることによって、アル・シャルク軍の実像以上に虚像が膨らむ。緒戦での勝利で志気の高まったウルクル軍に、強烈な一撃を加えられるのだ。全てに無駄がない。

「さて、半分は殺しても、残り半分は生け捕りにして、ウルクル城内の内情を吐かすのが得策でしょうな、隊長」

 イクラース「将軍」の言葉に、仮初めの指揮官は鷹揚に頷いた。アル・シャルク軍の歩兵が砂を蹴散らして窪地を走り降りるのと、ファラシャトの剣が抜き放たれたのは、同時であった。

 

 戦闘が、始まった───



   三


 ……必死で逃げるファラシャトにさえ、自分がどこに向かって逃げているのか、目的地は明確ではなかった。

 耳の中に自分の吐く息が荒く響く。

 もう、この河の中でどれほどの時を過ごしたのだろうか。

 とてつもなく長い時間のような気もするし、まだ半刻も過ぎていないような気もする。

 逃げながらも、逃げ切れるという確信は少しもなかった。ただ、本能的な陵辱と死への恐怖が、彼女の身体を尽き動かしていただけであった。


 砂の丘を駆け登ると、眼下にユフラテ大河の支流のひとつが鈍く光り、葦の原が広がっていた。

 ファラシャトの胸に、一筋の希望が灯った。

 彼女の身の丈を大きく越えて群生する葦なら、追手の目をくらませてくれるはずである。

 少しだけ軽くなった脚に、最後の力を絞り出させて彼女は疾走した。

「ハア、ハア、ハア……フウ」

 半ば倒れ込むようにして葦原に飛び込んだファラシャトは、一転今度は慎重にゆっくりと、葦を踏み折ったりして自分の逃げた軌跡を追手に悟られぬように、一歩一歩と前へ進んだ。


 葦原の奥まで進んだファラシャトは息を殺して身を潜めた。

 顔をすっぽりと覆っていたベールは肩に落ち、黒い装束のあちこちに血が滲んでいる。

 両腕で自らを抱きしめるように座りながら、ファラシャトは逃げる途中ではぐれたヴィリヤー軍師の身を案じていた。

「半分は生け捕りにしてウルクルの内情を吐かす」アル・シャルクの老兵はそう言っていた。

 役目がら、ウルクルの戦力の総てを把握しているヴィリヤーこそが、敵がもっとも欲しがる人間であろう。


 中原の慣習で直接戦闘に加わらない軍師の常として、彼は護身用の短剣しか身につけていなかった。捕まれば、すぐにその身分が知れる。

 ヴィリヤーが敵に捕らえられればその時点でこの戦いは終わってしまう…。

 ウルクルの完全な敗北によって。

 彼だけはなんとか逃げ帰って欲しい…そう願いながら、ファラシャトは自分自身が逃げ切れるかどうかも怪しいのに…と、わびしい笑みをもらした。



   四


 同じ頃ヴィリヤーもまた一人、葦原に身を潜めていた。

 軍師として常に後方で作戦を立ててきた彼にとって、直接血しぶきを浴びる戦闘のただ中に巻き込まれたのは、今夜が初めてであった。

 近衛隊長のファラシャトの配慮か、終始二人の隊士が彼を守って闘っていたが、乱戦の中でいつのまにかその二人ともはぐれた。


 もし捕らえられても、軍師である自分の安全は保障されることを、彼は充分承知していた。

 だがファラシャトは…。

 ヴィリヤーの脳裏にありありと彼女の姿が浮かぶ。

 しかしそれは五年前に、彼がウルクル太守の命で諸国見聞修行の旅に出る前に会った、十一才の少女の姿だった。

 ウルクルの太守一族に次ぐ、有力貴族の家の出である彼は、ファラシャトとは幼なじみであった。


 彼の知っているファラシャトは、いつも明るい華やかな衣装に身を包み、母親譲りの赤みがかった金髪に花や宝石の髪飾りを付けた、良く笑う快活な少女だった。

 彼の語る様々な事柄を、眼を輝かせて聞く彼女は、ほんの幼い頃から、将来の美しさを十二分に予感させる愛らしさを顕していた。

 大貴族の家の俊才と太守の一人娘…周囲は暗黙の内に二人の将来を結びつけて考えるようになり、太守自身もそれを望んでいるようであった。

 それは彼自身の密かな望みでもあり、その望みが叶えられることを彼はいつしか確信していたのだ…。


 だが、去年旅から戻った彼の前に現れたファラシャトは、別人となっていた。

 ウルクルの若者が皆等しくあこがれた、あの明るい髪は重く艶のない黒に変わり、彼女が身につけていたのは、華やかな絹の衣装の替わりに地味な実戦用の男の服であった。

 なにより、彼女の顔から、周りの者総てを魅了する、あの笑顔が消えていた。

 以前の快活なファラシャトを知っているヴィリヤーの目に、その姿はひどく痛々しいものに映った。彼は手を尽くしてその原因を探ろうとしたが、ついに何も知り得なかった……。


■第4章/玄き老将 第3話/墓泥棒と宝探し/終■

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