第1章/青き咆哮 第1話/城塞都市の太守

    一


「おい、何でそんなものを……」

 あからさまに不機嫌な声で、ファラシャトはアサドを詰問した。

 その視線は、アサドの馬の脇にくくりつけられた#あるモノ__・__#に向けられている。

「そんな気色悪いモノ…壁飾りにでも使うのか?」

「違う」


 黒く濁った血を滴らせて、先ほどアサド自身が切り落としたクトルブの首が十個ほど、彼の馬の腹帯にぶら下がっていた。

 アサドの馬に乗らなかった首は、部下が手分けしてそれぞれが手にした戈の先に二、三個づつ結び付けられている。

 断末魔の形相もすさまじく、目をグワッと見開いた血塗れの生首は、まるでファラシャト達を睨んでいるようだ。

「角が薬になる…とか?」

「違う」

「では、戦利品か?」

「クトルブごときを狩っても、自慢にはならん」

 淡々としたアサドの言葉にファラシャトはむっとした。


 何だか自分の技量を自慢されたようで、不愉快だ。

「じゃあ、いったい何に使うのだ!?」

 短く、必要最低限のことしか答えないアサドに、ファラシャトの忍耐の限界が来ようとしている。言葉にヒステリックなトゲが含まれていた。

「へへへ、これ、喰ったらうまいんだよ」

 熱くなったファラシャトをなだめるように、ミアトが脇から馬を寄せてきた。

「……喰う!? 屍肉喰らいグールを?! 東方ではこれを食べるのか?!」

「え~知らないの? こういうゲテ物は意外に珍味なんだよ。毛皮の綺麗な獣ほど、肉は不味いでしょ?」

「しかし……肉食の動物はたいがい不味いと聞くが…」

「うん、肉はね。臭くって食えたもんじゃないけどさあ、でもこの目ン玉が絶品なのよぉ! プリプリとした歯ごたえが、もうサイコー!」


 ミアトの言葉につられて、おもわずクトルブの生首を見やったファラシャトだったが、その形相の凄まじさに慌てて前を向きなおした。

 喰う? これを! 人間がこんなモノを本当に食べられるのか?

 いや、そもそもこいつらは本当に人間なのか?彼女の胸に再び疑問がわきあがる。それは近衛隊の面々も同じだった。



   二


 東方最強の傭兵団と呼ばれる赤獅団。

 近年、忽然と戦場に現れ、またたくまに最強との名声を獲得した。

 数々の風説に彩られながら、その実力と実体には疑問符がついているも、また事実であった。


 曰く、一日に百パラサングを駆け、七日七晩眠らず。

 曰く、敵兵の肉を喰らい、血を啜り、麦を口にせず。

 曰く、死して後も泥の中より復活する。


 戦場で、市場で、歓楽街で、人々に囁かれるあらゆる風説が人間離れしたものであった。妖魔でもあるまいに、ただの噂やホラ話の類だ、誰もが内心はそう思っていた。

 だが、先程の彼らの絶技を見せられては、風説のすべてが真実に思われてくる。

 まだ二十歳そこそこの若造が統率する、異人たちの傭兵部隊。

 それだけで何やらこの世離れした尋常ならざるものを感じさせる。


「煮ても焼いてもうまいんだけどさ、やっぱ一番うまいのは生で…」

「いいかげんにしろ、ミアト!」

 ミアトの饒舌おしゃべるさえぎるように、アサドの横の副官らしき髭面ひげづらの男が一喝した。

 男はアサドの部下の中では、飛び抜けて年長であった。髭にも髪にも、白いものが目立つ。初老から老齢に脚を踏み込みつつある。

「……弓だ」

「え?」

 慌てて聞き返したファラシャトに、アサドが低く呟いた。

「クトルブの角や髪を使って、強弓こわゆみを作るのだ。喰いはせん」

 ミアトにからかわれていたことに気づいたファラシャトが、キッと振り向いたときには、もうミアトは舌をだしながら、アサドの陰へスルスルと隠れていた。


 赤い砂の海の向こうにウルクルの城壁が見えてきた。

 城壁に囲まれたその威容は、わずかに残る落陽の光にさえも、ラピスラズリの深い藍色を輝かせる。

 もともとウルクルはアル・シャルクの領土の一部であった。

 ところが8年前アル・シャルク本国で内乱が起こり、時の王朝が倒れた。

 遠隔地の幾つかが、独自の王朝をたて独立した。

 そのどれもが、かつてアル・シャルクに征服された地域である、自主独立への希求は強い。ウルクルは内乱によるどさくさに紛れて、まんまと独立に成功した国のひとつだった。



   三


 砂漠の中に位置するウルクルは当然、これといった資源も無く。農業にも牧畜にも、適しているわけでもない。

 この世界の中心といわれる「ちゅうげん」に属する国とはいえ、小国であった。

 近隣の国と比較して人口も少ない。

 東方辺境と中原中心部の諸国とを行き来する、交易の商隊の移動の必然性から、何もない砂漠に人工的に生まれた、交易国家であった。

 遠隔地貿易に従事する商隊が安全に旅行できるように、街道沿いに設けられた宿泊施設サライがその前身であった。

 城壁に囲まれた街の周囲にはただ赤褐色の砂が広がっている。遥か古代の遺跡が付近にあるが、そこには何に使われたのかも分らない瀝青が丘に散在しているだけだ。

 近くを流れる川も無い。


 ゆえに、山から半地下の暗渠カレーズと言われる水路を引くことによって、水を得ている。ウルクルは砂漠に人工的に作られた、オアシスであった。

 カレーズは地下40キュビットから深いところでは60キュビットほどの地点にトンネルを掘り、そこに北の山からの雪解け水が引かれている。

 ちなみにキュビットとは、人の肘から指先までの長さである。

 100キュビットが1パラサングである。


 およそ1パラサングおきに、小さな物見櫓が暗渠の真上に築かれ、櫓の下には水路に通じる通路が設けられていた。

 そこからカレーズに入って中の水量の管理や水路の破損の補修を行う。

 年間の降雨量が極めて少ない乾燥したこの地では、地表に運河を作っても水のほとんどは蒸発してしまい、用水路程度の小規模なものでは用をなさない。

 大気への蒸発量をも計算に入れるならよほどの規模の大運河──それもかなりの深さを必要となる。

 運河の幅が深さに比較して狭ければ狭いほど、大気への蒸発が防げるのだから。

 しかし例えそのような運河を掘っても、そこを潤すに充分な水源はない。

 運河を作るよりも小規模な労働力の投資で、確実な水量を確保できる暗渠は、まさに奇跡の技術であった。

 このおかげで、ナツメヤシの栽培と大麦の潅漑ができる。両方ともウルクルにとっては貴重な作物であった。

 水さえ有れば、この地の強烈な日差しは、作物を力強く育てる。



   四


「ほう、貴公が噂の〝砂漠の獅子〟か」

 玉座の上から、ウルクルの太守はアサドに声を掛けた。

 異国から運び込まれたのであろう、巨大な大理石に緻密な細工を施した華麗な玉座は、そこに座る豪奢な衣装の小柄な老人をますます貧相に見せている。

 猜疑心の強そうな、しかし生気のない黄色く濁った眼。

 高い頬骨のうえにシミが浮き頬はそげている。

 筋張った手が持つ、黄金で装飾を施したガラスの器には、麦酒が満たされていた。


「ウルクル国王のご尊顔を廃し、光栄にございます」

 意外にも優雅に軽く頭を下げながら──それは中原で貴族同士が交わす礼であった──挨拶する、アサドの低い声が、謁見の間に響く。

 今は顔を覆っていた布も緋色のマントもはずしていた。

 革ひもで結ばれた長い黒髪が広い背で流れる。

 傭兵の印である、片耳だけの耳飾は、草原を思わせる深いみどり

 玉は白や黒のモノが多いが、稀にこのような色を発する。

 だが、これほど大粒のモノは、なかなか見ない。


 広間に居並ぶ重臣や将軍達の誰もが、意外な、という表情を見せた。

 彼らとて赤獅団の噂は聞いている。

 勇名を馳せている傭兵団が、わずか九名の兵しか擁していない事も、

 しかもその内一人は子供であることも

 二十歳そこそこの端正な容貌の若造に率いられている事も、

 その若造が一国の太守に対等とも言える優雅な作法を示した事にも、

 彼らは驚いていたのだ。


■第1章/青き咆哮 第1話/城塞都市の太守/終■

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