葬儀屋はハレの日を知らない

宵宮祀花

序幕◆死を葬るもの

■シーン0 暴葬-Bousou-

 ――――その業炎の前に、万物は等しく無力であった。唯一つ、絶対零度の氷姫を除いて。



「おい! 誰か教官を呼んでこい! 早く!」

「誰だよ、アイツに《狂騒》なんか使ったヤツ!」


 模擬戦が行われていた陸上競技場を模した屋内訓練場で、地獄の業火すら生ぬるい高熱の炎が吹き荒れていた。訓練生たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い、四方の出入口から我先にと駆け出していく。

 炎の中心には、大きなフードの付いた赤いローブを纏った青年が一人。黒い鎖鎌を振り上げて更に炎を練り上げようとしている。

 狂気を宿した双眸は誰もいない空間を睨み付けており、口元は薄く笑みを形作っていた。野生の狼を思わせる長い髪が、うねる炎にも劣らない鮮烈な緋色のローブが、熱風に煽られて逆立つ。


「はははっ! 焼け死ね! 全員くたばりやがれェ!!」


 熱風が訓練施設を埋め尽くし、それを追うようにして爆発が起きた。誰一人として寄せ付けない熱波が施設全域を覆い、強力な防護加工がされている床や壁を、徐々に焦がしていく。外で見守っている訓練生の一部に、目の痛みを訴えて壁に隠れるものまで現れ出す始末。

 熱も、斬撃も、打撃も、冷気も、あらゆる異能に耐えうるはずの素材が、じわりと黒く燻る。まるで、他愛のないリノリウムで出来た床のように。乳白色を基調とした近代的な内装が、黒一色に塗り潰されていく。焦げた臭いが辺りに漂う。その中に、人が焼ける臭いが混じっていないことだけが幸いだった。


「どうすんだよ、あれ……収まるのを待ってたら焼き尽くされるぞ!」

「でもっ、誰があんなの止められるんだよ!」


 口論する訓練生たちの陰で、一人の少年が蹲って震えている。彼は、体内で薬物を生成し、それを用いて支援する能力を持った、パナケアと呼ばれる種類の変異種だ。先ほど誰かが叫んだ、業火の主に《狂騒》を使用した張本人である。

 ほんの悪戯のつもりだった。同世代で変異係数が上位クラスであることだけが自慢だったのに。あの青年はその中でも群を抜いていた。自分はまだ訓練生なのに、まだどこに配属されるかの噂すら出ていないのに。彼だけは既に所属先が決まっている。ごく限られたエリートが配属される、本部行きだと言われている。だから暴走状態になって自滅すればいいと思ったのに。

 自滅どころか訓練生全員を巻き込む非常事態を引き起こしてしまった。変異係数が高いということは、それだけ異能の力が強いということ。彼の変異係数は、この場の誰よりも高い。そんな彼が暴走すればどうなるか。考えればわかることだったのに、嫉妬に駆られて冷静さを失っていた。

 狂騒は打撃力を高める代わりに、一時的に対象を暴走状態に陥らせる、諸刃の剣。使う場と相手を慎重に選ばなければならない異能。

 明確な敵もない訓練で使うべきではないものだった。

 暴走する青年を残して逃げ出すわけにも行かず、訓練生の中でも先輩に当たる者と指導員として来ていた部隊員が四箇所ある出入り口で見守っている。だが、彼らにもどうすることも出来ず、本当にただ見守ることしか出来ていない。


「教官はまだか!?」

「誰でもいいから、誰か……!」


 出入り口付近にまで喉を焼くような熱が届き始め、最早後先考えず全て投げ出して逃げるしかないかと過ぎったときだった。


「あんたら、なに騒いでんだ」


 東出入口の背後から、低く鋭い少女の声がした。

 反射的に振り向いた訓練生の目に、声に違わぬ鋭い目つきの少女が映る。

 服装は榊市北部にある私立花園大学附属女子中学の制服で、白髪と赤い眼からしてアルビノだろうか。肌も雪のように白く、華奢な手足と小柄な体はとても戦えそうに見えない。しかも剣道部のものと思しき細長い部活用バッグを背負っていて、どこをどう見ても部活帰りの中学生だ。

 訓練所にいるということは異能者ではあるのだろうが、電脳症発症者が必ず持つ、同種の気配を全く感じないことも不思議だった。


「あ……あの、彼が、暴走してしまって、誰も止められなくて……っ」

「こんな子供に言ってどうすんだよ! どう見ても児童館クラスじゃねーか!」

「じゃあ、お前は何とか出来るって言うのかよ!」


 パニック状態で言い争いを始めた訓練生には目もくれず、少女は人垣の隙間から、燃え盛る施設内を覗いた。確かに其処には、赤いローブを翻して炎を纏い、暴れ狂う青年がいる。ほんの数十秒会話していたあいだにも、彼の足元はグズグズと焼け溶け続けている。このまま捨て置けば回復不能なダメージを負うだろうことは誰の目にも明らかだった。


「外に出てろ」


 少女は慌てる訓練生たちを押しのけて中に入ると、真っ直ぐ青年の元へ進み出た。


「あっ、おい! 殺されるぞ!」


 ――――殺される。

 その言葉に反応した青年が、ゆらりと叫んだ訓練生たちのいるほうを見た。


「ヒッ……!」


 怯えて後退る訓練生には構わずに、少女は青年に声をかける。


「お前のそれ。随分とぬるい炎だな。訓練で焼き芋でもしてたのか?」


 その言葉に驚いたのは、扉の外に出ながらもハラハラしながら四方で見守っていた訓練生たちだ。

 彼らは、扉の外でなければ息も出来ない状態だった。高温の熱波で喉や肺が焼け、咳き込んでいる者だっている。

 だというのに、あの少女はもうすぐ炎も掠めそうなほど近くで彼を挑発している。

 汗一つかいておらず、表情も凍てついたまま。熱風はしっかり届いているはずで、それが証拠に少女の制服も長い髪も暴風に煽られて靡いていた。

 同じ訓練生クラスだと思っていたが、違うのだろうかと過ぎったときだった。


「テメェエエ! ぶっ殺してやるッ!!!」


 血走った目で少女を睨み、大鎌を振り上げると死神が魂を狩るかの如くに思い切り振り下ろし、数千度の炎を一気に練り上げる。炎の龍を幻視するほどの、常識外れの業炎が少女へと降りかかる。


 ――――かと思われた。


「ぬるいっつってんだろ」


 炎の刃が届くよりも早く、少女の周囲に氷壁が現れた。室内だというのに辺りには雪が舞い、業炎が当たった壁から氷の粒が飛び散って、ダイヤモンドダストのように煌めいている。氷壁はそのまま競技場の内周を覆うように広がっていき、室内を氷の城へと変えた。壁だけでなく、天井も床も、一切が氷に覆われて静まり返る。

 訓練生たちは氷壁の外へ追い出され、好奇心で氷に手を伸ばした新人訓練生の手を隣にいた先輩が反射的に掴んで止めた。

 灼熱から極寒。一瞬で対極の環境になったことで、訓練所の出入口で見守っていた訓練生が数人くしゃみをし、身を震わせた。ずっと震えていた、狂騒の主である件の訓練生が、そろりと出入口に近付いて中を覗いた。


「何だよ……あれ……」


 身の程を思い知らされる羽目となった業火が、跡形もなく消えている。あんなにもか弱そうな、白皙の少女の異能によって。

 熱を操る異能は、普通なら先ほどまで暴れていた青年のように高温方面に特化しているものだ。低温を操れる能力者は滅多にいないはずで、仮に出来たとしても、精々アイスコーヒーに入れる小さな氷を作る程度が限界だと聞いていた。それなのに。

 井の中の蛙。おもちゃ箱の王様。そんな言葉が少年を苛む。

 少女の長い睫毛に、小さな雪の結晶が舞い降りる。瞬きと共にそれが飛び立ったと思えば、長い髪をかき上げる仕草に合わせて、氷の粒がパッと散った。

 熱波でチリチリと痛んでいた肌が、今度は冷気に晒されて痛み始める。変位係数の低い訓練生の中には、温度差に耐えきれずぐったりしている者も現れてしまった。

 青年は氷に足を取られ、藻掻きながらも何とか炎を練ろうとする。しかし、少女の生み出した圧倒的な冷気が、マッチ一本分の炎さえ存在することを許さない。

 獣のように威嚇する青年を、どこまでも冷めた赤い瞳が真っ直ぐに捕らえている。


「悪いな。タイマンはあたしの十八番なんだ」


 暴走状態の青年に劣らぬ凶悪な笑みを張り付けて、少女は部活用バッグをほどいて刀を構える。純白のポニーテールが靡き、ダイヤモンドダストを受けて煌めく。

 地を蹴り、一瞬で間合いを詰めると、その勢いのまま青年の体に刃を突き立てた。


「がッ……は、っ……!」


 少女が細い足で青年の体を蹴り押さえながら容赦なく刀を抜く。鮮血が吹き出し、ぼたぼたと重い音を立てて青年の足元に紅い水たまりを作った。

 視線がぐわんと揺れ、血を吐き出して蹲る。と、痛みで正気に戻った青年が呆然とした表情で少女を――――自身の周囲を覆う荘厳な氷の城を見た。


「テメェ……何者だァ……」


 血が溢れる腹を押さえながら低く唸る青年に、少女は刀を肩に担ぎ吐き捨てる。


「雑魚に名乗る名なんか持ち合わせてないね」


 青年は目を見開き、それから悔しそうに破顔して俯く。


「……ケッ、そう……かよ…………」


 最後にそれだけ言うと、ふらりと傾いでその場に倒れ、意識を失った。

 暴走が収まり、場が片付いたのを確かめた少女が、氷壁を砕いて小さく息を吐く。今更になるが、訓練生とお呼ばれ指導員だけを残して現場を離れた教官は、いったい何処でなにをしているやら。

 懲罰課にまた新たな仕事が一つ増えることになりそうだ。


「ハッ……! そうだ、救護室! 早く運ばないと!」

「担架持って来い!!」


 ややあって周囲で為す術なく見守っていた訓練生たちがハッとして駆け寄り、倒れ伏す青年を取り囲む。騒ぎを余所に、氷雪の少女は隠れるようにして外へと消えた。

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