第四話 いかれた永遠を-Are you ready, Mr. Beethoven?-

4-1

 やはり目覚めはけたたましく鳴り響く目覚まし時計の音と共に訪れた。冴が作ってくれたいまのところ布団と自分の荷物しかない部屋で龍介は、ああ、それでも秀明はまだ夢の世界にいるのだろうな、と思った。昨日と違って予測ができていたことだったので龍介は特にびっくりすることもなく覚醒し、準備を進める。

 パジャマ姿のまま部屋を出て、廊下の奥の秀明の部屋に向かう。

「せんぱーい」コンコンとドアをノックしながら一応、そう呼びかけてみるが、何の効果もないことはちゃんとわかっている。「入りますよー」

 ドアを開けると耳に飛び込んでくる大音量と視界に飛び込んでくる大量の本。本当に、この人は……などと思いながらも、ゆっくりと部屋に入り、ベッドの中ですやすやと眠っている秀明を見下ろし、さてどうしようかと逡巡する。とりあえずカーテンを開け太陽光線をたっぷり差し込み、そして部屋中の目覚まし時計を秀明のそばに置いてみるというのはどうだろう、と考え、まず窓辺に行きカーテンを全開にし、目についた時計たちを一つ一つ秀明の頭の横に並べてみる。しかし五個ほど並べたがまるで起きないので次の手を考える。

「うーん」(起きないなぁ)(昨日は、冴さんの来てくれたタイミングで起きてくれたけど)(今日は俺一人だしなぁ)「どうしよ」

 なんとなく龍介は、この人はちょっと病気とか障害とか、そういうものがあるのかな、などと思った。いくら寝坊助でもここまでされて起きないというのは尋常ではない。

(龍士と同じような?)

 そう思うと、秀明に対しても(面倒臭い)と感じる気持ちが湧いてしまうのも事実であったが、しかし昨日秀明が言ってくれたようにそれはそれで自分の正直な気持ちなので、それを打ち消したり押し殺したりすることなく、ありのままに一旦受け入れよう、と思う。

 ただそうは言っても龍介はまだ高校一年生の子どもだ。

 そう簡単に自分自身を乗りこなせるわけではない。

(うーん)(むずい……)

 複雑で、難解な思念が頭の中を駆け巡りながらもなにか秀明の目覚めに良いアイディアは湧いてこないものかと考え続けていたころ、やがて秀明は唸り始めた。

「あれ、起きそう」

 なにがきっかけかはわからないがとにかく起きそうだと思い、龍介は精一杯息を吸い込み、そして秀明の耳元で、

「おはようございまーっす!!」

 と大声で叫ぶ。

 すると秀明は、うう〜、などと苦しそうに悶えながらも、目を開けた。

「聞こえてるよ……」

「あ、起きた。おはようございまっす!」

「おはよう、全く朝っぱらから複雑なことで……」

 おかしな夢でも見ていたのだろうかと龍介は思った。

「なんすかそれ」

「なんでもない。とにかく起きるよ。起きるから、あんまり、複雑な難解な……いや」

「難しい本の夢でも見てたんすか」

「ああ、まあ、そうだね」と、秀明は上半身を起こし大きくあくびをした。「うう。とにかく、おはよう龍」

「おはようございます。それじゃ、まずシャワーっすかね」

「うん、わかったよ。そうするよ」ベッドから足を下ろし、ゆっくり、ゆっくりと立ち上がる。「じゃあ、行ってくるから」

「はい。俺は飯作って待ってるんで」

「ありがたいよ。行ってきます」

 しかし最低でも秀明が部屋を出るまでは一緒にいた方が良さそうだ、と龍介は思った。万が一ベッドに戻られたりでもしたら大変だ。

 ゆっくり、ゆっくりとドアに向かっていく秀明の後ろを見守りながら龍介は部屋中の目覚まし時計を一つ一つ停止させていく。やがて静寂が訪れた頃、秀明はついに廊下の外に出て行った。

(俺が守ってやらなきゃ)

 と、ふと兄の辰彦にいつも守ってもらえていることをイメージし、守ってもらうばかりじゃなくて今度は自分がその番だ、と思うのだった。


「わぁ。もうできてる」

 というわけでシャワーから出て制服に着替えた秀明は、同じように制服に着替えその上にエプロンをつけて朝食の準備をしている龍介に感嘆した。居間の机の上にはすでにハムエッグとグリーンサラダとコンソメスープが並べられている。秀明に気づいて龍介はすぐに炊飯器に向かって白米を茶碗によそった。

「すごいなぁ。こんな短時間で」

「家事はできた方が便利っすよ」

「そうだねぇ」

「座っててくださーい」

「うん。そうするよ」

 と、秀明は席につき、それからすぐ白米山盛りのご飯茶碗二つを持って龍介がやってきた。

「ではっ」と、龍介も座る。手を合わせて、「いただきます!」と言った。

「いただきます」

 秀明も手を合わせそう言い、箸を持って朝食を食べる。

「美味いよ」

「あざっす!」にこにこ笑いながら龍介もどんどん食べていく。「なんかテレビでも観ましょうか?」

「龍が観たければどうぞ」

「じゃあ久々に」(考えてみれば昨日テレビ観てないな)「なんかやってるかな」

 と、龍介はテレビのスイッチを入れる。

 すると朝のニュース番組で、一人の少女がインタビューに応えている様子が映し出された。

「お、真桜だ」

 その言葉に釣られて秀明もテレビに目をやる。

「三つの夢を同時に叶えたという」

「そうなんすよー。すげーっすよねー。ほんと憧れちゃいます」

 同い年としての焦燥感とか、あるいは嫉妬心とか、そういうものを龍介は一切抱かず、ただただ(感動するなぁ)とかつての同級生の快進撃を喜んでいた。

「明日、コンサートがあるんすよね」

 ハムエッグと白米を一緒に口に運び、飲み込んでから龍介はそう言った。

「すごいね」

「N市の文化ホールでやるんすよ。近いし入場無料だしってことで、七瀬に誘われてるんすけど先輩たちも行きません?」

 N市の文化ホールといえば冴の実家から割と近い。冴も七瀬から誘われているのだろうかとふと考えたが、それにしても自分がその話を聞いていないということはおそらく七瀬としては龍介とのデートをするつもりなのだろうと秀明は思った。

「なかなか突然だな」

「ゆっくり言うべきっすかね」

 おちゃらけてみると秀明は笑った。そこで秀明は思い出す。「ああ、そういえば七瀬といえば、神谷くんが昨日うちに来てだね」

「知ってます〜連絡しました」

「さすが」

「すげー怒ってたけど、ま、大丈夫っしょ」

 どうやら七瀬は秀明が自分との約束を破ったことはあまり気にしていないようで秀明はホッとする。

 なんとなく七瀬の話になったので、秀明は詮索してみる。

「二人は中学生の頃からの付き合い?」

(まあそう来るよな)(七瀬と友達みたいだし)「そうっす。同じ学園祭実行委員会で、なんとなーく付き合うことになって」(俺から告ったらOKもらえたのだった)(みんなには内緒のつもりだったけど)(先輩だし)(年下だし)(あいつどんどん言っちゃうから)「で、七瀬が引っ越すことになって、でまあ、俺はその、あの、なんちゅうか」

「追いかけてきた、と」

 龍介は顔を真っ赤にした。

「まあ、その。うん」(恥ずかしい)(恋のために越境入学なんて)

「いいねぇ」

「いやその」

 困りながら照れながら、龍介は七瀬との再会を本当に喜んでいた。

『この感動をどなたに一番お伝えしたいですか?』

 児童文学賞受賞の件を真桜にそう訊ねるインタビュアーの声に二人は耳を傾ける。

 すると真桜は真面目な表情で、そして柔らかい表情で、はっきりと言った。

『兄に』

『お兄さんがいらっしゃるんですね』

『はい。親が離婚しちゃって、いまは離れ離れなんですけど。メールはしてるんですが』

『ということは、まだ伝えていない?』

『会って、改めて伝えたいなって』

 そして真桜は微笑んだ。

『私の大切な、唯一の兄貴に、この感動を伝えたいと思います』

「はぁ、すげぇなぁ真桜のやつ。ほんとすごいよ」

 やがて二人は朝食を平らげ、学校へ行く準備を始める。

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