ナイフと魔眼の射手

宮本宮

第1話 燈と桜花ちゃん

 また、火車の話。うんざりする……。


 猫町燈は左目の奥、頭が鈍くズキズキと痛む。片頭痛だ。痛みを我慢し、平静を装う。気が滅入ることが立て続けに起こり疲れとストレスからのものだろう。これ以上、火車なんて世迷言を聞かされたら本当に体調が悪くなる。


 燈は咳払いをひとつして、会話の主導権を奪う。


「通夜や葬式につられて火車という怪異が来る。だから、火車除けのお札のカタチは崩してはいけない、ですよね?」


 燈の言葉を聞き、西村は深刻そうに「ええ」と頷いた。

 西村は葬儀会社に勤める男性だ。白髪で小柄だが彼はテキパキと葬儀の手配や行政手続きの代行をしてくれた。

 両親が亡くなり妹と二人きりになった燈には、色々と世話をやいてくれる西村は頼もしい存在だ。そんな頼もしい西村の不満点が、火車という怪異を信じていることだろう。迷信深い人物だ。ことあるごとに火車が来ると燈に警告するのだ。今では火車の話をされると頭が痛くなるほど。


「お札のカタチは葬儀が終わるまでは必ずそのままにしてください。火車は未練を残して亡くなった死者の遺体や燈さんのような見目麗しい乙女の魂を好みます」


 見目麗しい乙女、か。西村の態度から彼は大真面目に燈を見目麗しい乙女と思っているようだ。実際、猫町燈は見目麗しい乙女である。今は疲労の色が濃いが身だしなみは綺麗に整えてある。ポニーテールにした長くつややかなストレートの黒髪、大きな黒い瞳と長いまつ毛。健康的な肢体が眩しい。十五歳の中学生にしては幼さが残るものの、成長によってそれは彼女の魅力となるだろう。


「お札のカタチを崩さないよう、ゆめゆめお気をつけてくださいませ」


 お札のカタチを三十分ごとに確認するのだ。面倒くさい。火車なんていないのに。


 お札を魚のようなカタチになるようにして、家の中にあちこち置いている。火車が近づくとお札のカタチが崩れるらしい。少しでも崩れると火車が家に入って来て悪さをするとのことだ。そうならないために、お札のカタチが崩れていないかを、三十分ごとに確認しなければならない。


 本当は通夜や葬式のために集まった親族の男衆が見て回るものらしいのだが、今のところ親族は誰一人として現れない。葬式にも誰も来ないだろう。


 それゆえ、西村が帰ってしまう夜間は、燈が睡眠時間を削って一人でお札のカタチの確認をおこなっている。確認といっても適当にやっているので、西村が点検するたびに細かく指摘を受ける。


 それでも火車は来ない。なぜなら、火車なんて怪異は迷信だからだ。


 葬式なんて執り行わずにさっさと火葬場に行きたい。しかしながら、資金面で援助をしてくれる祖母の強い意向で葬式を行うことになった。貧乏な小娘にすぎない燈は、パトロンである祖母には逆らえない。ただ、「親より早く死んだ息子の葬式なんてみっともなくて出席したくない」と言って憚らない祖母に思うところはある。そもそも葬式なんてやらなければいいのだ。しかし「葬式を開かないと周りの目が気になる」と祖母は理不尽なことを言う。何を選択しても文句しか返ってこない。


 燈は、親が突然いなくなった孫たちの心情より周囲からの目や体面を異常に気にする、見栄っ張りな祖母の考え方は苦手だ。息苦しい生き方をしている。


 ズキズキと左目の奥が痛み、ぼんやりとしていた燈の思考は回復する。西村が心配そうな顔をして燈を見ていた。


「火車もお札のカタチもわかりました。ありがとうございます」

「本当にお気を付けください。肉体や魂を失うのは、富や名声を失う以上に怖いことです」


 燈は苦笑いを浮かべ「はぁ」と誤魔化した。

 富も名声もないのに、火車が来ても失うものはないでは? 

 西村は「では、本日はこれで」と言い、玄関の敷居をまたぎ燈の家を後にした。人心地つく。


 十五歳で両親の葬儀とか通夜の段取りなんてしたくなかった。頼れる大人に丸投げし、惰眠を貪りたい。ここ数日、満足に眠れていない。疲れた。


 惰眠を貪りたい欲求を抑える。大切な妹にご飯を食べさせて寝かしつけないといけない。洗濯機に洗濯物を放り込み、夕食の準備をする。時計をチラリと見る。お札のカタチを確認する時間までまだ余裕があった。妹にご飯を食べさせたあとに確認すればいいや。燈は可愛い妹を探す。


 両親のお棺の置かれている部屋で、座布団に座り船を漕いでいるのが、妹の猫町桜花だ。

 燈は桜花の頬を突っつき、可愛らしくうつらうつらする桜花を起こす。七歳だが頭のいい自慢の妹。


「桜花ちゃん、ご飯食べてから、お布団のお部屋で寝ようか」

 桜花は眠そうに目元を手で拭う。とても眠そう。

「寝るまで一緒にいてあげるから、ご飯食べてお部屋で寝よ? 風邪ひいちゃうから」

「んー! 寝ない! 朝までお姉ちゃんと一緒にいる!」


 燈は珍しく駄々をこねる桜花を前に、首を傾げた。桜花は意味なく駄々をこねることはない。何か理由があっての行動なのだろう。いくつか思い当たる理由を尋ねるが、すべて桜花は首を横に振る。


 燈は深呼吸をしたあと、桜花の目を見て、ゆっくりと尋ねた。


「桜花ちゃん。ちゃんと理由を話して。お願い」

「お姉ちゃんもパパたちみたく桜花を置いて死んじゃうのかなって思うと怖いの。ひとりぼっちはヤダ。桜花も死んだほうがよかったのかな?」


 桜花は今にも泣き出しそうな表情だった。こんな可愛らしい子を置いて死ぬなんて想像の外にある行為だ。燈は胸が苦しくなる。桜花を抱きしめた。彼女以外には聞こえないよう耳元でささやく。


「ひとりぼっちは怖いよね。でもね、桜花ちゃんを置いて私は死なないよ。だから、二度とそんなことは考えないで。死ぬなんて言わないで。約束」


 桜花が甘えるように燈の頬に頬を寄せる。さらさらの髪がくすぐったい。甘い匂いが鼻孔をくすぐる。燈の小指に桜花は小指を絡ませた。


「桜花死なない。絶対にお姉ちゃんをひとりにしない。約束」


 桜花の答えを聞き、燈は心の中で、自分がどんな目にあってでも、この子だけは幸せな生活がおくれるようにしよう。私が辛い目をみても桜花ちゃんが幸せなら、それは些細なことだ。それは私の役目。


 燈はこれからの人生の指針をあっさりと定めた。


「桜花ちゃんには、私がついているかね」

「うん。お姉ちゃんには、桜花がついているから」


 燈は桜花をぎゅっと抱きしめた。桜花の言葉に泣きそうになる。

 年の離れた妹の桜花。最近は少し生意気なことも言うが、後ろを「お姉ちゃんお姉ちゃん」とついてくる桜花は本当に可愛い。


 こんなに愛らしい子が幸せにならない世界は滅びてもいい。この子が舐めるだろう辛酸を少なくしたい。その分、燈が辛酸を舐めたっていい。泥水だってすすってやる。

 燈は決心した。


 ぐーと桜花のお腹が鳴った。燈は少し笑い、桜花は恥ずかしそうにする。


「ご飯、食べよっか」


 間の抜けたチャイムが何回も鳴り響く。そのあと、壊れるのではと心配になるほど、玄関の扉が激しく叩かれる。扉を叩く手が止まると、またチャイムだ。完全に水をさされた。


「入れてください!」


 切羽詰まった西村の声。大の大人の切羽詰まった声を聞いたのは、生まれて初めてかもしれない。燈は急いで玄関へ向かう。桜花が後ろをおっかなびっくりついて来ている。


「西村さん。何かあったのですか?」


 玄関を開き尋ねた。西村は血の気の失せた土気色の顔だった。まるで死人のよう。


「近くに火車が出たと会社から連絡がありまして、お札のカタチは崩れていないでしょうか?」

「はぁ」


 また、火車の話か。

 燈は玄関に置いてある時計をチラリと見た。前にお札のカタチを確認してから三十分以上が過ぎている。料理や桜花との話が思いのほか長くかかり、お札のカタチを確認していない。これでは西村から小言をちょうだいするな。考えただけでうんざりする。


「お札のカタチを確認したいのですが、入ってもよろしいでしょうか?」


 西村は敷居の外に立っている。なんでそんなことを尋ねるだろう、律儀な人だ。燈は「はい」と頷く。西村が笑ったように見えた。鳥肌が立った。背中に氷を入れられたような悪寒が全身に走る。なんだろう?

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