Mov.6 負けられない相手

 ヘルベール隊に入ってからはさらに忙しい生活になった。

 

 朝は発声練習、授業の後には聖歌の練習。そして夜には同室の先輩方からのスパルタ教育。

 目がまわるような生活をしながらも、エスターとはお互いに火花を散らせていた。

 

「相変わらずお前は楽譜通り、人に合わせるって才能が皆無だな。そんなんでよく入隊が許されたものだ」

 

「くっそ……!今に見てろよ!」

 

 言われていることはごもっともだが、エスターの言い方には腹が立つ。すぐに追い抜いてやる…!!

 

 その夜、部屋に戻るなりすぐに楽譜を広げてにらめっこし始めた僕を先輩たちはにこにこと見守っていた。

 

「ふふっ。エスターの言い方はきついけど、ノエルに火を付けるにはちょうどよかったみたいだね」

 

「本当にな!教え始めた最初の頃なんて、楽譜を出させるのにどれだけ時間かかったことか!それが今は自分で広げ始めた!」

 

「ノエル……えらい」

 

 恥ずかしいような、くすぐったいような視線を受けながら教科書を片手に楽譜を読む。

 意味もさっぱり理解できていなかった頃に比べれば、音程やリズムの基本の見方はわかってきた方だ。

 

「じゃあノエル、昨日の復習からしようか。ここの部分をジャックのカウントに合わせて歌ってみて」

 

 夜の練習はピアノを使うわけにもいかないので、ジャックがカウントを取り、フィンが音程、リュカがリズムのアドバイスをしてくれていた。

 僕から見れば完璧に見える3人にも得意不得意があるらしく、それぞれ自分の得意分野を担当している。

 

「……よし!ジャック、お願い!」

 

 ジャックが手でカウントをし始めたのに合わせてフレーズを歌ってみせる。

 

 自分一人で歌うのは慣れてきたものの、こうやってカウントを取って合わせようとすると少しずつズレていってしまう。

 またちょっとズレた気がするけど、誤魔化せたかな……?と思っていたらリュカがパンパンっと手を叩いた。

 

「ここ、ズレた。やりなおし」

 

「頑張って誤魔化せてそうだったのにリュカ厳しいね。じゃあ2段目からもう1回ね」

 

「ううっ……ここ、どうしてもわかんない…」

 

「じゃあ、俺が1回歌うからそのまま歌ってみろよ。いくぞ!」

 

 そう言うとジャックはカウントを取りながら僕の苦手なフレーズを歌ってくれた。

 しっかり耳を向けて、フレーズを覚えることに集中する。どんな音程で、どんなタイミングで……。

 

 フレーズの終わりに近づいたところでフィンが簡単に指揮を振ってくれたので、それに合わせて僕も歌い始める。ジャックの歌ってくれたように、タイミングを合わせて。

 

 一通り歌い終わり、一呼吸置いてから恐るおそる顔を上げると先輩たちは満足そうに頷いていた。

 

「次はばっちり。ノエル、やればできる」

 

「本当。不思議なくらい聴いた後は完璧なんだよね」

 

「ある意味すごいよな!楽譜読めなくても、覚えちまえばこっちのもんって気がする!」

 

「確かに……!ジャックの言う通りだ!聴いて覚えれば楽譜なんて読めなくてもいいんじゃないか!」

 

 褒められて調子に乗ってそう言うと、フィンから軽く頭を小突かれた。

 

「こら。そんなこと言わないの。楽譜を読むのは基本中の基本だからね。冗談でもそんなこと言い続けてたらカーター先生に個人レッスン曲を倍にしてもらうよ?」

 

「ごめんって。冗談だよ!」

 

 教えてもらっていてわかってきたけど、先輩たちの音楽に向ける情熱は尋常ではない。ルームメイトの先輩も、聖歌隊の先輩も、歌うことに対してだけは妥協を許してくれなかった。

 

 そんな姿を見ているからこそ、僕もよりきちんと歌えるようになりたい。その想いが日々膨らんでいくのだった。


 *

 

 少しずつ練習の成果は出てきたものの、まだまだ楽譜を読むことが苦手だった。誰かに歌ってもらえばすぐに覚えられるけれど、初めて見た楽譜を歌うのにはまだ時間がかかっている。

 

 そのことはもちろん先輩たちが見抜いているので、最近は簡単な練習曲集から毎日1曲ずつ歌う練習が始まった。


 授業の曲と聖歌隊の曲もあるので楽譜を読むのが追いつかず、授業の休憩時間も楽譜を読む時間になりつつあった。

 

「ドミラ……シ?」

 

「いや、そこはドミソラだな!」

 

 楽譜を見ながら頭を抱えている僕のとなりでオリバーが正しい音を教えてくれる。どうやらオリバーは入学前から楽譜が読めたらしく、こうやって昼間の僕の先生をしてくれていた。

 

「ありがとう、オリバー。君がいてくれて本当に助かるよ…」

 

「いやいや、お安いご用意さ!私は楽譜を読めても聖歌はまだ歌えていないからね。でもノエルがコツを教えてくれるから、もう少しな気がする!」

 

 わはは、と笑い飛ばしながらオリバーは僕の楽譜の読み間違いが他にもないかを確認してくれていた。

 

 出自を聞いてはいけないルールがあるため、オリバーがこれまでどんな生活を送ってきたのかは全く知らない。それでも、他人への礼儀正しさや楽譜を読めることを考えるとかなりいい育ちをしているのだろう。

 

 聖歌学園に来なかったら、オリバーのような身分の人と話すことはなかっただろうし、この学園に来られて、仲良くなれてよかったな、としみじみと思い思わず口元が緩んでいるとオリバーが変なものを見る目で僕を見てきた。

 

「……勉強のしすぎでおかしくなったのか?今日は休ませてもらった方がいいんじゃないか?」

 

「ち……違うよ!ただ、この学園に入学できてよかったなって。その……」

 

 いざ言葉にするとかなり恥ずかしい。思わず顔を少し背けてからオリバーの方を向くと、すごく嬉しそうにニヤニヤとしていた。

 

「私もだよ!ノエル、君に出会えてよかった!」

 

 恥ずかしげもなく大声でオリバーがそう返すと、今度はまわりから暖かい視線を感じる。同じ学年のはずなのに、弟を見るような目がなんだかこそばゆかった。


 *

 

 入学して1ヶ月。僕はようやく簡単な曲を自分で読めるようにまで成長した。

 

 夜の練習で歌いきった時、僕よりも教えてくれていた先輩たちの方が喜んでくれていて、頑張ってよかったなぁなんて感じていた。

 

 さっそく聖歌隊の練習でも自信を持って声を出すと、まわりからも褒めてもらえて少し誇らしかった。その空気の中、ひとりエスターだけは悔しそうな顔をしていた。

 

「なんだよ。夜も練習してたんだから当たり前だろ?来月にはエスターよりも上手くなってるかもな!」

 

 褒められ続けて調子に乗っていた僕は嫌味ったらしくそうエスターに向けて言うと、エスターは今までに見たこともないくらい怖い顔をこちらに向けていた。


「黙ってるってことは図星?意外とエスターと並ぶのって難しくないんだね」

 

「……っ!ふざけんな!」

 

 その叫びと共にパチン!という音がして、僕の頬にはジンジンとした痛みが走っていた。

 

「エスター!」

 

 僕の頬を叩いた後、エスターは練習室を走って出て行ってしまった。

 

「うーん……エスターが悪いんだけど…。ノエルも調子に乗りすぎだよ」

 

「そうかもしれないけど…先に嫌なことしてきたのはあっちだよ?フィンは付き合いの長いエスターの肩を持つの?」

 

「そうじゃないよ。だけど、ノエルはエスターがあれだけ歌えるようになる前のこと、知らないよね?」

 

 僕の頬に冷やしたタオルを当てながら、フィンは話し始めた。

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