博士と僕の『トリあえず』

黒猫夜

僕と生活力ゼロの博士

 博士は僕の街の変人で、発明家で、お隣のお姉さんだ。

 生活力ゼロの博士のため、高校生の僕はバイトで毎日彼女の家に通っては家事をしている。


「助手く~ん、ちょっと来てくれたまえ~♪」


 博士の家の2階のベランダで洗濯物を干していたら、階下から博士の嬉しそうな声が聞こえた。どういった用事だろうか? おやつの時間には早い。


「はい。は~い。これ干したら行きますんで~」


 チビの僕からすると全部がでかい衣類を片端から干していく。これが結構な重労働だ。白衣にシャツにパンツに、下着……。


 ……今日もまた上と下の数が合わない。博士め、またブラジャー付けるのサボったな……。後でお小言を言わないと……。


 最初は女性ものの下着に緊張していた僕だが、1年もしたら慣れてしまった。博士の下着、なんか色気ないし。


 博士の衣類を一通り干すと、僕は、ポケットから取り出した博士発明の小型虎型ロボット『トラせない』くんを起動した。


 『トラせない』くんは衣類泥棒撃退用ロボットだ。衣類を監視し、近づく者を鳴き声と物理攻撃で排除する。


 『トラせない』くんは威勢よくガオーと鳴くと洗濯台をするすると登って洗濯台と洗濯さおの上の十字のところに居座ると居眠りを始めた。 大丈夫か? こんなんで? と僕も思うが、博士の発明品としては、こいつはかなり実績があり、結構な売れ筋である。


「は~や~く~」

「いま、いきますよ~」


 とりあえず、今は、階下から聞こえる博士の声の機嫌がいいうちに向かうとしよう。僕は返事すると、一旦、ベランダの脇に洗濯かごを置いて、一階へと向かった。


 ――――


「待っていたよ~ 助手く~ん」


 一階の博士のラボに入ると、博士が実験机に肘をついて指を組んで待っていた。博士のでかい丸眼鏡も窓からの光を反射していて、眩しい。


「まぶし! いい加減、名前覚えてくださいよ~ 博士」


 眼鏡の光を手で遮りながら、僕は1日1回は言っているクレームを言う。まあ、あいさつのようなものだ。


「あは~ 『少年』から『助手くん』に格上げしてやったろ~」


 博士がお隣に越してきたのは僕が10歳のころだったか。

 いきなり、「発明に興味はあるか? 少年」と声をかけられて、よくわからないまま実験の手伝いをやらされたあの日は、未だに鮮明に思いだせる。


「それに、とりあえず、今はいいじゃないか~」


 博士は眼鏡の横のつまみを操作して、眼鏡を「光を反射してかっこよく見えるモード」から、「通常のメガネモード」に戻した。これも当然、博士の発明品である。


 フチなし眼鏡、フチあり眼鏡、サングラスから、丸眼鏡、果てはバイザーまで商品展開しているが、それほど売れ行きは良くない。やはり、反射している間、前が見えなくて事故が絶えないのが原因だろう。


「で、何の用です? 博士」


 僕は、部屋を見渡して、ソファと床に積み上げられた本の埃を軽く払った。昨晩、博士が出しっぱなした本を元の場所に収める。雑誌類はマガジンラックにまとめた。

……と、料理雑誌がある。料理のできない博士にしては珍しい。

 そんなことを考えながら僕は、博士の机のそばに置かれた、背もたれのない丸椅子に腰かけた。


「よくぞ聞いてくれました!!!」

「……博士が呼んだんですけどね」


 博士は僕に向き合うと、身を乗り出してきた。180㎝ある長身がこちらに身を乗り出してくると、このままつぶされるのではないかという迫力がある。だるだるになっているせいでUネックになりかかっているクルーネックの胸元から、双丘の谷間どころか、その奥まで見えそうで、僕はとっさに後ろに引きながら横を向いてツッコミを入れた。今度の休みには博士のシャツを新調しよう。絶対に。


「ついに! 人類は! あの! わずらわしさから! 解放されるのだよ! 助手くん! わかるかなあああああ!」

「博士が回りくどすぎて、何もわからないです。あと、顔にツバ飛ばさないでもらえます……?」


 ヒートアップした博士に引きながら、僕は床に置きっぱなしになっていたブレッドボードを盾に、博士の顔(とでかい胸)を押し返した。 博士をなんとか元の椅子に座らせることに成功する。


 プルルルル


 と、そこで、部屋の固定電話が鳴った。

 ナンバーディスプレイはなんだか見覚えあるような、ないような番号を表示している。


「あ、僕が……」


 電話に出ようとする僕の肩を博士が片手で押さえた。唇に指を当て、「静かに」の合図ゼスチュアをする。下唇のホクロが艶めかしくて、僕は思わず唾を飲み込んだ。


 プルルルル

 プルルルル


 電話の着信音だけが部屋に響き渡った。

 家には僕と、赤く薄い唇に指を当てる博士だけ……

 それは秘め事にも似て……


 プルルルル

 プルルルル


 プルルルル

 プルルルル


 ……ねえわ……

 3コール……5コール……7コールが過ぎても何も起きない……

 博士もなんか泣き顔で白衣のポケットとか漁り始めた。

 あ、これ、まだ準備できてないのになんか行けると思っちゃったパターンだ。

 僕は白けた顔で電話に出る。


「お待たせしました。こちら博士の研究所です」

「お宅、新聞は取られていますでしょうか?」

「……間に合っています」


 新聞の定期購読の営業だった。

 博士が出なくてよかった。僕は胸をなでおろしながら、ガチャ切りする。

 向こうも仕事だろうが仕方ない。


「そう! ひっきりなしにかかってくる営業電話! これに何度、発明を邪魔されたことか! だが、その日も今日で終わりだよ! 助手くん!!」

「毎回、電話に出てるの、僕なんですけどね……」


 博士がドヤ顔ですり寄ってくる。


「これがその解決策ソリューション! 『トリあえず』くんだ!」


 僕のツッコミは無視か……。

 博士が何かをポケットから取り出して、僕の目の前に差しだした。『トリあえず』くんなるそれはオウム型ロボットであった。いや、実際目の前にするとデカいなオウム。


「なんですか? この、アホそう……もとい、愛嬌のある顔のオウムは」

「この『トリあえず』くんは、電源を入れた人の代わりに当たり障りのないとりあえずの会話をしてくれるロボだ! 会話パターンは既存のモデルをもとに開発した個人に合わせて独自に進化する思考アルゴリズム(特許出願中)を使用! -33dBV/Paの高感度マイクで電源を入れた人マスターの声を完璧に……」

「ストップストップ!!!」

「……むぎゅっ」


 またもヒートアップしてどんどん早口になる博士を手元にあった生活の知恵大全集で押し返す。ん、こんな本、前まであったか?

 途中で説明を遮られた博士がやや不満げに黙って、唇を尖らせる。かわいいけど、いい大人が拗ねるな。


 「……えーと、これは」

 「『トリあえず』くん……」

 「……『トリあえず』くんは、博士の代わりに返事してくれるロボットなんですね? (棒)わ~、すごいですね~」

 「フフフ、その通りだよ。助手くん。何か話しかけてみたまえよ」

 

 あ、ちょっと褒めたら、もう機嫌が直った。この人、さっき言っていた何とかとかいうアルゴリズムより単純なんじゃないだろうか?


 「博士、今日のおやつは何がいいですか?」

 「う~ん、トリあえず、甘いのがいいかな~ しょっぱいのでもいいけど~ できれば、温かい方がいいけど、冷たくてもいいかな~ 」


 おお。『トリあえず』くんから博士の声でめちゃくちゃ当たり障りのない答えが返ってきた。

 

 「おぅん……今日のおやつは助手くんの焼いたクッキーが食べたかったのに……」


 博士から博士の泣きそうな声がする。あ、そこまではトレースしてくれないんですね……。


 「ああ、博士。大丈夫です。クッキー焼きますから……」

 「「本当かい! 助手くん! ありがとう~ これで午後も頑張れるよ~」」


 今度は博士と『トリあえず』くんから同じ声で反応が返ってきた。ああ、そこは同期シンクロしてるんですね。抱きついてきそうな博士をマガジンラックから適当に引っこ抜いた女性誌で押し返す。

 

 「……と、まあ、こんな感じで、営業電話を『トリあえず』くんにとりあえず任せれば、OKというわけさ~」

 「オチが読めた気がしますが、なるほどですね」

 「あー、信用していないな。助手くん。 まあ、これで、とりあえず、キミも電話応対しなくていい。 よかったろう?」


 博士の言葉に、軽い胸の苦しさを覚えた。

 が、それは一瞬のことで、僕はクッキーのレシピとこれからの仕事について頭を巡らせていた。博士の発明品の発表会に付き合っていたせいで、家事の予定が若干遅れている。


 「それじゃ、クッキーの材料と夕飯の買い出しに行ってきますが、夕飯は何がいいですか?」

 「トリあえず~、豚肉か~牛肉かな~」

 「鶏肉がいいなあ…… 『トリあえず』くん作ってたら鶏が食べたくなっちゃった……」


 博士と『トリあえず』くんが同時に返事する。

 ええい。ややこしいな。

 僕はスマホで鶏大根のレシピを調べながら、買い物かごを抱えて、博士の家を出た。

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